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『リフォームの爆発』(町田康) [読書(随筆)]


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リフォームは常に狂気の種子をはらんでおり、その種子は容易に芽吹き茂り、ともすれば狂気の密林にまで生長する。今般、紹介した、丸出しの極限、がその好例である。
 そうならぬためにもリフォームのことを考える際、私たちはときどき自分の正気を確認する必要がある。リフォームにおいて穏健な思想・常識を失えば、狂気に陥って苦しむことになるのである。
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Kindle版No.1109


 シリーズ“町田康を読む!”第52回。

 町田康の小説と随筆を出版順に読んでゆくシリーズ。今回は、自宅のリフォーム工事の顛末をユーモラスに描いた長編エッセイ、あるいはリフォームの本質に迫る幻想文学です。単行本(幻冬舎)出版は2016年3月、Kindle版配信は2016年3月です。


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その後、多くの読者から、「あのリフォーム工事はその後、どうなったのか」という問い合わせがあった。なかには、「気になって夜の目も寝られず、睡眠不足で仕事が捗らない」とか、「気になりすぎて鬱病を発症した。どうしてくれる」といった剣呑な内容のものもあり、それを気にして、私は夜の目も寝られなくなって仕事上のミスを頻発、しまいには鬱病を発症しかかって、そこで編輯者と相談のうえ、本稿を起こすことにした。
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Kindle版No.39


 住処の不具合を直して機嫌よく暮らしたい。そのために始めたリフォーム工事が、常軌を逸した不条理の爆心地へ。多くの人が体験するあれを過剰なまでに詳細にぐりぐりと描いた結果、エッセイから限りなく幻想小説へと接近してゆくリフォーム文学です。たぶん。

 そもそも、なぜリフォームが必要となったのでしょうか。そこには、こんな不具合が存在したのです。


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 人と寝食を共にしたい居場所がない二頭の大型犬の痛苦。
 人を怖がる猫六頭の住む茶室・物置小屋、連絡通路の傷みによる逃亡と倒壊の懸念。
 細長いダイニングキッチンで食事をする苦しみと悲しみ
 ダイニングキッチンの寒さ及び暗さによる絶望と虚無。

 である。これらの不具合を解消するためのリフォームを企図したと、まあこういう訳である。
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Kindle版No.531


 ダイニングキッチンはともかくとして、読者としても色々と思い入れがある犬猫たちのことを想像すると、一刻も、一刻も早くリフォームを、という焦燥感に駆られます。では次に、これらの不具合を解消するために、著者はどのようにリフォームを進めたのでしょうか。


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 まず、ログハウスを破壊する。それから茶室とリビングを隔てていた壁を破壊する。茶室の天井や押し入れ、水屋やなんかも破壊する。もちろん連絡通路も破壊する。
 というと私がなにかやけくそになっているように思うかも知れないが、そんなことはない。すべてのリフォームは破壊から始まる。破壊なくして創造はあり得ないかどうかは知らないが、少なくとも破壊なくして不具合の修正はあり得ない。
(中略)
 という訳で、私は茶室を破壊し、ログハウスを破壊することにした。さらには南側の外壁を破壊し、リビングダイニグキッチンの天井、床、壁面を破壊、さらには廊下、洗面所の一部も破壊する。
 と言うと、なにもそこまで破壊しなくとも、と思うかも知れないが、はっきり言ってこれくらい破壊しないと不具合は修正できない。破壊を恐れていてはリフォームはできない。
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Kindle版No.580、602


 待て、ちょっと待て。

 読者が何を思おうが、いったん始まると加速してゆく、連鎖してゆく、それが爆発というもの。なぜ収束しないのかというと。


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 実はこれはリフォームを考える場合にもっとも重要な、これまで繰り返し出てきた、そして、これからも繰り返し出てくるであろう、永久リフォーム論、の入り口で、私たちはその入り口にいままさに立っているのである。
 つまりひとつの問題を解決すれば、その解決によってまた別の問題が立ち上がってくる、という例のアレである。
 繰り返し言う。この問題は何度も何度も我々の前に立ち現れる。そしてこの問題を解決せざる限り、私たちは永久リフォームの泥沼に足を取られ、一歩たりとも前へ進むことができなくなるのである。
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Kindle版No.780


 というわけで、まさにリフォームがリフォームを生み、こうしてリフォ循環が永劫回帰する。だからこそ、この因業を断ち切るために哲学が必要となるのです。


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四つの問題を解消し、その過程で生じた、

 流し台が部屋のど真ん中にあることによる鬱陶しみ。

 という問題もまた解消した。それにあたって私は、

 夢幻理論
 御の字やんけ理論
 夢幻ポイント因縁理論

 の三つの理論を用いた。各自、各々の実情に合わせて、よくよく吟味研究されるがよろしかろう。
 さて、これで私方の問題はほぼすべて解消したが、私はこれに満足せず、もっと解消したいような気分になった。
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Kindle版No.1269


 その気分がいかんのだ。

 という具合に、永久リフォーム論を哲学だけで解決するのは難しいわけです。必要なのは行動。具体的な行動。とにかく職人さんに頼んで工事を初めてもらうことです。そうすれば迷妄は去り、やるべきことは細かい具体的な指示を出すだけ。


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電気工事に関しては、私は照明の位置、コンセントの位置、テレビアンテナコンセントの位置などを自ら確認して職人に伝えなければならなかった。(中略)あの人のよい電気屋さんは、このまま私がなにも言わなければ、だいたいこんなものだろう、と、よい加減な位置にそれらを設置するだろう。
 そしてそれが新たな不具合を呼ぶ。私はダイニングテーブルの上に正座してテレビジョンを視聴し、南北の通行は不便をきわめ、あるところは眩しくていられないくらいに明るく、あるところは前に座っているのがたれだかわからないくらいの暗闇となり、私は鬱の症状を呈して、恐怖と恥辱に狂い回り、ついには冬の韃靼海峡を越えていくことになる。
 ならば。出たとこ勝負であっても自分で指示した方がまだ諦めがつく。
 そう思った私は意を決して階下に下り、電気屋さんにそれぞれ位置を指示した。
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Kindle版No.2280、2349


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 もちろん、それは私にとって荷の重い仕事であったし、先にも申したとおり、私を人類と認めず、目を合わせることすら拒否している職人も多く、そういう人に専門用語・業界用語を交えずに説明するのは困難であったが、けれども死ぬ気でやるしかなかった。
 というか私はその時点で実際に死んでいた。いや、生きていた。生きていたけれども、社会的には死んでいた。すべてをリフォームに賭け、仕事なんていうものは一応やってはいたが、使い物にはならなかった。
(中略)
 そんなだから別に死ぬ気になるのは簡単だった。生きているときの死ぬ気は非日常的な勇気だが、死んでいれば常態だからである。
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Kindle版No.2283


 職人に指示出しするだけで生死の問題に。

 果たして町田家のリフォームは完了するのか。というか、完了する、というのはどのような状態を意味するのか。そして著者は無事なのか。


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 汚らしい豚肉が水菜と組になって海辺で快適なロハス生活を送るのを苦々しく眺めていると空から大量の仏壇が降ってきて、じっとしていたら仏壇の角が頭に当たって死んでしまう、どこかへ逃げなくては、と思った瞬間、ひときわ大きな仏壇が落ちてきて、ぎゃあああああ、と絶叫した我と我が声に目が覚めた。
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Kindle版No.2896


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私は、玄関先で暫くの間、雀を眺めていた。
 雀百まで踊り忘れず。
 そんな文言が頭の中で爆音で鳴り響いて止まず、気が狂いそうだった。リフォーム踊りという踊りを私は百まで踊り続けるのだろうか。ははは、既に私は永久リフォーム論の虜だ。ははは、あははは。ブラボウ、U羅君のロジスティクス、ブラボウ、私たちのくそったれリフォーム。
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Kindle版No.2521


 リフォームは常に狂気の種子をはらんでおり、その種子は容易に芽吹き茂り、ともすれば狂気の密林にまで生長する。せめて犬猫だけでも無事でありますように。

 というわけで、リフォーム工事を考えている読者に参考になるかどうかは分かりませんが、リフォームの本質に迫ってゆく怒濤の長編です。



タグ:町田康
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