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『ダンス・バイブル〈増補新版〉 コンテンポラリー・ダンス誕生の秘密を探る』(乗越たかお) [読書(教養)]


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「ダンサーを育て、作り続けられる環境」への道筋を、オレはつけておきたいのだ。

 ダンサーを消費財としない社会、ダンサーが結婚し子どもを育てながら(つまり普通の人びとと同じ人生を送りながら)作品を作り続けることができる社会の実現を、オレは心の底から祈っている。
 文明がどんどん進化して、より少ないエネルギーで生きていけるようになり、身体性が希薄になっていく結果、ダンスという芸術が持つ重要性はますます増していくだろうと思うからだ。
 そしてなにより、いいダンスがないと、オレが死んでしまうからである。オレは魂が震えるようなダンスを見ていないと、心のどこかが死んでいく。(中略)オレはいま生きているリアル、生きるほかはないリアルを真摯に見つめ、踊ろうとするダンサーを、全力で支えていきたい。なぜならそういうダンスによってオレが生かされているからである。
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単行本p.268


 今盛り上がっているという「コンテンポラリー・ダンス」とは何か。それはどこから来て、どこへ行こうとしているのか。百年の歴史を軸に、作家・ヤサぐれ舞踊評論家である乗越たかお氏語が熱く、厚く、篤く語り倒すコンテンポラリー・ダンス講座。貴重な写真も満載。「オリエンタリズムとコンテンポラリー・ダンス」を追加した増補新版です。単行本(河出書房新社)出版は2016年3月。


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 日本と世界の最新ダンスを紹介した拙著『コンテンポラリー・ダンス徹底ガイド』が好評で、著者は海外や日本国内で講演を頼まれるようになった。初めは最新のダンスを紹介していたのだが、次第に「そもそもコンテンポラリー・ダンスがどうやって生まれてきたかを知りたい」という声が高まってきたのである。(中略)多くの人が、目の前の面白いダンスを見るだけでは飽きたらず、その根源にまで興味の幅を広げてくれているのである。素晴らしいではないか。
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単行本p.1


 驚くほどの射程、充実した内容、誰にでも分かる明快さ、ときどき吹き出してしまうような辛辣なユーモアも交えつつ、ダンスを情熱的に語り尽くす。定義すら困難な「コンテンポラリー・ダンス」なるものを、歴史を軸に分かりやすく解説してくれる一冊です。


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『徹底ガイド』が「世界中の今」を知るための「横軸」だとするなら、本書は歴史をたどる「縦軸」にあたる。両者を学ぶことで、ダンスの全容をしっかりと把握してほしい。そして本書を手に、数々の専門書へアクセスしてみてほしい。ダンスという芸術が、いかに人と人の営みと分かちがたく結びつきながら成長してきたか、より深く理解されるだろう。
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単行本p.2


 全体は三つの章から構成されています。


「第1章 ダンスを「歴史」で考える」
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 コンテンポラリー・ダンスは直線的でなく拡散的に、多様性を保ったまま変化し続けるダイナミズムを持っているため、定義付けすることは難しいものです。しかし、揺れ動く社会の中で我々が感じている(もしくは感じてしまっている)リアリティを、コンテンポラリー・ダンスはいち早く抉りだして、見せてくれるのです。
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単行本p.129

 「バレエじゃなく、モダンダンスでもなく、なんとなく新しい、あのへんのダンス」(単行本p.25)という「UFOの定義」(単行本p.25)みたいなダンスはどうやって生まれ発展していったのか。社会変革や人々の意識変化とどのように相関していたのか。その百年ほどの歴史をまとめてくれます。

 ショウダンス、ストリップティーズ、ドイツ表現主義、体操、バレエ・リュス、モダンダンス、ポスト・モダンダンス。大きな流れを俯瞰しつつ、この人は何を表現しようとしたのか、あるいは何に対する反抗の試みだったのか、といったミクロな視点と、「ダンスの流れは(中略)「意味と無意味の間」を揺れながら進んでいったことになります」(単行本p.21)「演じ手も観客もそうですが、だいたい「ガッと動くダンスに魅了される時期」と「コンセプト重視の舞台に知的興奮を感じる時期」との間を振り子のように揺れ動くものです」(単行本p.123)といったマクロな視点を交えつつ、人々が新しいダンスを作り出そうと試みてきた歴史を立体的に再構築して見せてくれます。

 通読するだけで、コンテンポラリー・ダンス誕生の経緯と背景が分かる、もしくは分かった気になる、あるいは分からないことに納得する、そんな怒濤の120ページ。


「第2章 ニッポンの身体、ニッポンのダンス」
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オレは、
「国民性なんてものは、テーマにして訴えられても、ウザいだけだ。現在のリアルを踊るのがコンテンポラリー・ダンスだろう。日本の文化で育った日本の身体で日本のものを食ってるんだから、日本らしさなんてものがあれば滲み出るよ」
という考え方です。その気になれば、「日本らしさ」は、ヒップホップからだって見てとることはできるのです。
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単行本p.244

 日本のダンスはどのように発展してきたのか。それは日本人の身体とどのように関係しているのか。日本舞踊、日本バレエ、社交ダンス/ダンスホール文化、タップダンス、パントマイム、舞踏。「欧米文化を、ときに貪欲なまでに受け入れてきた我々の身体性は、どのように変わってきたのでしょうか」(単行本p.222)という問いに全力で挑む、そんな探求の100ページ。


「第3章 新しくダンスが生まれいずるために」
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「好きなことをやってるんだから我慢しろ」的な、上でピンハネしている人が下の人間を安くこき使うために、昔の芸能界でよく使われたようなことをアーティスト自身が真に受けていてはダメだ。アーティストもまず人として生活する権利がある。誰かに苦労を押しつけながらやっていても、長くは続かないよ。繰り返すが、すべてを日本国内で養うのには限界がある。新たな視点でアジアにベースをおいた環境作りが急務になっていくだろう。
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単行本p.262

 ダンサーがきちんと食っていける、新しいダンスが生まれ続ける。そんな社会にするためにはどうすればいいのか。日本のダンスをとりまく環境を見つめ、その課題と対策を訴える、そんな情熱の20ページ。


 というわけで、これ一冊で歴史をおさえ、『コンテンポラリー・ダンス徹底ガイド HYPER』でターゲットを定めれば、あとはチケットを購入してわくわくしながら出かけるだけ。コンテンポラリー・ダンス鑑賞の入門書としても最適な一冊です。



タグ:乗越たかお
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『ハウリング』(井手茂太、斉藤美音子、イデビアンクルー) [ダンス]

 2016年3月19日は、夫婦で世田谷パブリックシアターに行って、井手茂太さん率いるイデビアンクルーの新作公演を鑑賞しました。カンパニーデラシネラの藤田桃子さんを含む10名のダンサーが踊る1時間の舞台です。

 タイトルはマイクをスピーカーに近づけすぎたときに起きる耳障りな発振音のこと。実際にハウリングも流れますが、むしろ「他人との距離感を間違えて近づきすぎたために起きるトラブル」という意味かも知れません。

 四名の管楽器の生演奏(これが素敵)に乗せて、出演者たちがてんでに寸劇のようなダンスのようなイデビアンな動作を続けます。どうやら婚活パーティ、というより昭和感ただようお見合いパーティであるらしい。

 土産ものを入れる紙袋を頭にかぶって互いに目を合わさないようにしたり、よく分からないつばぜり合いを演じたり。動きが音楽についてゆけなくなって困って無理に帳尻を合わせようとして混乱に陥ったり。

 足をくじいた相手に「大丈夫ですか」「大丈夫です」(突き飛ばす)「あっ」「大丈夫です」「えっ」「大丈夫です」(また突き飛ばす)とか、とってもイデビアーン。かと思うと場の空気や進行中の事態とはまったく無関係に「はっ」とか「やっ」とか大真面目に大仰かつ素っ頓狂なダンスを踊ってる人がいたり。そうです、斉藤美音子さんです。

 大まじめに淡々と意味不明なことをやっている出演者のなかで、素直に戸惑いを見せるのが客演の藤田桃子さん。どうしても彼女に感情移入してしまうのですが、それまで戸惑っておろおろしていた藤田さんがいきなりぶっちぎりの奇行に走ったりして、精神的な“膝かっくん”喰らって面食らう観客。藤田さんの演技は地味にパワフル。

 滑稽なシーンとしみじみしたシーンの対比が巧みで、例えば脱力お見合いトークの後、それまで奇行種の宴だった会場が閑散となって椅子が片づけられてゆくカフェ・ミュラーごっこ。なぜかじんと来ました。

 井手茂太さんが踊るシーンはやっぱり気持ちいいのですが、全体的にがんがん踊るダンスシーンは控えめで、そこはもの足りなく感じました。


[キャスト他]

振付・演出: 井手茂太
音楽: 大谷能生
出演: 斉藤美音子、菅尾なぎさ、中尾留美子、依田朋子、福島彩子、小山達也、中村達哉、原田悠、井手茂太、藤田桃子(カンパニーデラシネラ)



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『パンと、』(岩佐なを) [読書(小説・詩)]

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デッキでは色白で瓜二つの少年が
興奮ぎみに感動詞を叫んでは
「さむくない」
「さむくないッ」と言い張る
寒いよ。
それから乗船客が少ないのをいいことに
ふたりは決闘を始める
剣をぬくタカシ
掌から特殊光線を発するサトシ
「死ねッ」
頼むから流れ光線(だま)をこちらによこさないでおくれ
放っておいてももうじき死にますから
これから寒さを我慢して君たちと船上に
立っていればふりそそぐ月光も
浴びなくてはならないし
その光だってあなどれない
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『ひかり』より


 菓子パンを食べるとき、まるで桃源郷にいるような、あるいは一足お先に死後の世界にいったような、そんな心地になる。心穏やかに人生を振り返る混入毒素ひかえめ老境詩集。単行本(思潮社)出版は2015年10月です。


 冒頭に様々なパンをテーマにした作品が並んでいます。それも昔ながらの菓子パン。郷愁を誘う香り。食べている間は人生から切り離されるような、その味。


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朽ちたベンチに腰をおろし
コロネを出すと
チョコレートクリームは冷えている
この淡水系にひそむもっとも大きい
巻貝の心もちにひびくように
パンの太いほうから指で揉んで
チョコを先端部へ移動させる
だれしもよくやる愛のしぐさだ
そして先端を嚙む
ひとくち
ふたくち
今またひとつが食い殺されてしまう
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『コロネ』より


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でもアンパンというと
ビニール袋とシンナーと青春を
想いおこすやつもいるんだぜ。
ひろい茶畑を想像しようか
狭山でも八女でも宇治でもいい
その上の青空を颯爽と
きみが飛んでいく
丸いパンの正体は
たいてい円盤なのだよ
たべられます。
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『Aパン』より


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今はあまり見かけなくなった
けれどある店にはある
友だちになれそうでなれない
甘食2ヶを着こんだセーターの下で
横に並べ胸を張ってみても
女性にはなれない
食べもので遊んではいけないから想像だけ
もうこの世では
さしてすることがないから
末期高齢者になったある日
これを紙袋と喉に詰め
甘食号に乗って
次の星まで出かける
恋しに
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『甘食』より


 菓子パンを食べ終えたら、心穏やかに、残り少なくなった人生を見つめます。


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陽の射しこむ机上に置かれた
老婆が枯草の上に立つ白黒写真
あしもとにふせる白い犬
そのわきにふせられた洗面器
やがて旧式な自家用車が迎えに来て
老婆と犬を乗せて往ってしまった
青いラジオを消し
机上も部屋も淋しくなって
陽のぬくもりも除々にあわく
竹ぼうきを携えて
みのむしを見に行くつもり
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『自然光』より


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老いの杜の奥にも陽のあたる
高台があって遠くには記憶をたよりに
想い描ける一番素晴らしい眺めが
展がっている(キモチイイデスヨ)
こころもからだも穏やかにあたたかい
父を箱に入れて母を箱に入れて
やがて自分も箱に入るけれど
しばらくは懐かしい面影を求めたり
この世のせつない情景と交感すべきだろう
季節は優しく「穏やかに流れる」と約束してくれた
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『箱 Take.2 残り時間』より


 年老いてから心穏やかに人生を振り返るようなあたたかい作品が多いのですが、ときどき毒素が混じっていて、気がつかないうちに中毒する恐れがあります。油断は禁物。


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だましてうつ伏せに眠らせておいて
白いふくらはぎへ
とっておきの柳刃包丁を
すっと入れたときのよろこび
などと書いてはいけません
うそならやさしく温かなうそ
見破りやすくも安心な
日記は他者のためのもの
自分だけが解ればいいなんて
無神経なおもいあがり
読み手に失礼ですね
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『日記絵日記』より


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明るくしあわせな自らなど見せぬよう
読み手はほっしません
不自由な表現枠に
がまんできなくなったら
部屋にあやしい植物を連れ込み名づけて育て
葉をつぶしては匂いを嗅ぎ
たとえば
少しはおもてなしのお茶にどくを
入れるように書きます
もう子どもではない受け手の方には
お酒にも質の良いどくを盛り
痙攣していただきましょう
そんなふうに
関係や状況をみすえながら
作り手は一喜一憂などせずに
死んでもいくらか楽しんでいただけるような
こころいきを保ち
日記絵日記
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『日記絵日記』より


 こうしたしびれ毒がひかえめに混入され、それが絶妙な味を作り出します。年老いたということはそれだけ多くの修羅場をくぐってきたわけで、糖質と添加物だけで生きてきたわけではありません。そんな菓子パンのような、甘く穏やかな、癖になる詩集。



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『リフォームの爆発』(町田康) [読書(随筆)]


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リフォームは常に狂気の種子をはらんでおり、その種子は容易に芽吹き茂り、ともすれば狂気の密林にまで生長する。今般、紹介した、丸出しの極限、がその好例である。
 そうならぬためにもリフォームのことを考える際、私たちはときどき自分の正気を確認する必要がある。リフォームにおいて穏健な思想・常識を失えば、狂気に陥って苦しむことになるのである。
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Kindle版No.1109


 シリーズ“町田康を読む!”第52回。

 町田康の小説と随筆を出版順に読んでゆくシリーズ。今回は、自宅のリフォーム工事の顛末をユーモラスに描いた長編エッセイ、あるいはリフォームの本質に迫る幻想文学です。単行本(幻冬舎)出版は2016年3月、Kindle版配信は2016年3月です。


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その後、多くの読者から、「あのリフォーム工事はその後、どうなったのか」という問い合わせがあった。なかには、「気になって夜の目も寝られず、睡眠不足で仕事が捗らない」とか、「気になりすぎて鬱病を発症した。どうしてくれる」といった剣呑な内容のものもあり、それを気にして、私は夜の目も寝られなくなって仕事上のミスを頻発、しまいには鬱病を発症しかかって、そこで編輯者と相談のうえ、本稿を起こすことにした。
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Kindle版No.39


 住処の不具合を直して機嫌よく暮らしたい。そのために始めたリフォーム工事が、常軌を逸した不条理の爆心地へ。多くの人が体験するあれを過剰なまでに詳細にぐりぐりと描いた結果、エッセイから限りなく幻想小説へと接近してゆくリフォーム文学です。たぶん。

 そもそも、なぜリフォームが必要となったのでしょうか。そこには、こんな不具合が存在したのです。


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 人と寝食を共にしたい居場所がない二頭の大型犬の痛苦。
 人を怖がる猫六頭の住む茶室・物置小屋、連絡通路の傷みによる逃亡と倒壊の懸念。
 細長いダイニングキッチンで食事をする苦しみと悲しみ
 ダイニングキッチンの寒さ及び暗さによる絶望と虚無。

 である。これらの不具合を解消するためのリフォームを企図したと、まあこういう訳である。
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Kindle版No.531


 ダイニングキッチンはともかくとして、読者としても色々と思い入れがある犬猫たちのことを想像すると、一刻も、一刻も早くリフォームを、という焦燥感に駆られます。では次に、これらの不具合を解消するために、著者はどのようにリフォームを進めたのでしょうか。


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 まず、ログハウスを破壊する。それから茶室とリビングを隔てていた壁を破壊する。茶室の天井や押し入れ、水屋やなんかも破壊する。もちろん連絡通路も破壊する。
 というと私がなにかやけくそになっているように思うかも知れないが、そんなことはない。すべてのリフォームは破壊から始まる。破壊なくして創造はあり得ないかどうかは知らないが、少なくとも破壊なくして不具合の修正はあり得ない。
(中略)
 という訳で、私は茶室を破壊し、ログハウスを破壊することにした。さらには南側の外壁を破壊し、リビングダイニグキッチンの天井、床、壁面を破壊、さらには廊下、洗面所の一部も破壊する。
 と言うと、なにもそこまで破壊しなくとも、と思うかも知れないが、はっきり言ってこれくらい破壊しないと不具合は修正できない。破壊を恐れていてはリフォームはできない。
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Kindle版No.580、602


 待て、ちょっと待て。

 読者が何を思おうが、いったん始まると加速してゆく、連鎖してゆく、それが爆発というもの。なぜ収束しないのかというと。


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 実はこれはリフォームを考える場合にもっとも重要な、これまで繰り返し出てきた、そして、これからも繰り返し出てくるであろう、永久リフォーム論、の入り口で、私たちはその入り口にいままさに立っているのである。
 つまりひとつの問題を解決すれば、その解決によってまた別の問題が立ち上がってくる、という例のアレである。
 繰り返し言う。この問題は何度も何度も我々の前に立ち現れる。そしてこの問題を解決せざる限り、私たちは永久リフォームの泥沼に足を取られ、一歩たりとも前へ進むことができなくなるのである。
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Kindle版No.780


 というわけで、まさにリフォームがリフォームを生み、こうしてリフォ循環が永劫回帰する。だからこそ、この因業を断ち切るために哲学が必要となるのです。


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四つの問題を解消し、その過程で生じた、

 流し台が部屋のど真ん中にあることによる鬱陶しみ。

 という問題もまた解消した。それにあたって私は、

 夢幻理論
 御の字やんけ理論
 夢幻ポイント因縁理論

 の三つの理論を用いた。各自、各々の実情に合わせて、よくよく吟味研究されるがよろしかろう。
 さて、これで私方の問題はほぼすべて解消したが、私はこれに満足せず、もっと解消したいような気分になった。
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Kindle版No.1269


 その気分がいかんのだ。

 という具合に、永久リフォーム論を哲学だけで解決するのは難しいわけです。必要なのは行動。具体的な行動。とにかく職人さんに頼んで工事を初めてもらうことです。そうすれば迷妄は去り、やるべきことは細かい具体的な指示を出すだけ。


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電気工事に関しては、私は照明の位置、コンセントの位置、テレビアンテナコンセントの位置などを自ら確認して職人に伝えなければならなかった。(中略)あの人のよい電気屋さんは、このまま私がなにも言わなければ、だいたいこんなものだろう、と、よい加減な位置にそれらを設置するだろう。
 そしてそれが新たな不具合を呼ぶ。私はダイニングテーブルの上に正座してテレビジョンを視聴し、南北の通行は不便をきわめ、あるところは眩しくていられないくらいに明るく、あるところは前に座っているのがたれだかわからないくらいの暗闇となり、私は鬱の症状を呈して、恐怖と恥辱に狂い回り、ついには冬の韃靼海峡を越えていくことになる。
 ならば。出たとこ勝負であっても自分で指示した方がまだ諦めがつく。
 そう思った私は意を決して階下に下り、電気屋さんにそれぞれ位置を指示した。
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Kindle版No.2280、2349


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 もちろん、それは私にとって荷の重い仕事であったし、先にも申したとおり、私を人類と認めず、目を合わせることすら拒否している職人も多く、そういう人に専門用語・業界用語を交えずに説明するのは困難であったが、けれども死ぬ気でやるしかなかった。
 というか私はその時点で実際に死んでいた。いや、生きていた。生きていたけれども、社会的には死んでいた。すべてをリフォームに賭け、仕事なんていうものは一応やってはいたが、使い物にはならなかった。
(中略)
 そんなだから別に死ぬ気になるのは簡単だった。生きているときの死ぬ気は非日常的な勇気だが、死んでいれば常態だからである。
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Kindle版No.2283


 職人に指示出しするだけで生死の問題に。

 果たして町田家のリフォームは完了するのか。というか、完了する、というのはどのような状態を意味するのか。そして著者は無事なのか。


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 汚らしい豚肉が水菜と組になって海辺で快適なロハス生活を送るのを苦々しく眺めていると空から大量の仏壇が降ってきて、じっとしていたら仏壇の角が頭に当たって死んでしまう、どこかへ逃げなくては、と思った瞬間、ひときわ大きな仏壇が落ちてきて、ぎゃあああああ、と絶叫した我と我が声に目が覚めた。
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Kindle版No.2896


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私は、玄関先で暫くの間、雀を眺めていた。
 雀百まで踊り忘れず。
 そんな文言が頭の中で爆音で鳴り響いて止まず、気が狂いそうだった。リフォーム踊りという踊りを私は百まで踊り続けるのだろうか。ははは、既に私は永久リフォーム論の虜だ。ははは、あははは。ブラボウ、U羅君のロジスティクス、ブラボウ、私たちのくそったれリフォーム。
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Kindle版No.2521


 リフォームは常に狂気の種子をはらんでおり、その種子は容易に芽吹き茂り、ともすれば狂気の密林にまで生長する。せめて犬猫だけでも無事でありますように。

 というわけで、リフォーム工事を考えている読者に参考になるかどうかは分かりませんが、リフォームの本質に迫ってゆく怒濤の長編です。



タグ:町田康
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『レモン畑の吸血鬼』(カレン・ラッセル、松田青子:翻訳) [読書(小説・詩)]


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純文学、SF、ファンタジー、ホラーの垣根を越えて、どの層の読者にも愛されるケリー・リンクのような作家が時に出現するが、ラッセルもまさにそういった愛され方をしている印象が強い。
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単行本p.31


 吸血鬼の夫婦がむかえた倦怠期の苦悩。蚕の怪物へと変貌してゆく女工たちの哀しみと誇り。深い心の傷を直接摘出してしまうマッサージ師。奇想を駆使して人の切実な苦しみに寄り添う8篇を収録したカレン・ラッセルの第二短篇集。単行本(河出書房新社)出版は2016年1月です。


[収録作品]

『レモン畑の吸血鬼』
『お国のための糸繰り』
『一九七九年、カモメ軍団、ストロング・ビーチを襲う』
『証明』
『任期終わりの廏』
『ダグバート・シャックルトンの南極観戦注意事項』
『帰還兵』
『エリック・ミューティスの墓なし人形』


『レモン畑の吸血鬼』
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 夏の月のような、柔らかくて丸いレモンを草の間から取り出すと、彼女に手渡す。わたしが選んだヴェルデッリは傷一つなく、完璧だ。彼女は嫌そうな顔でレモンを見つめ、帯状に行進中のアリの列をわざとらしく払い落としてみせる。
「乾杯!」わたしは言う。
「乾杯」マグリブは応じる。祈りを捧げるキリスト教徒のように機械的な熱意で。我々はレモンを持ち上げ、それぞれの顔まで近づける。皮を貫いて牙を突っ込み、同時に長い息を漏らす。
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単行本p.12

 人の血を吸っても効果はなく、今やレモンに牙を突き立て、新鮮な果汁を吸うことでしか渇きをいやすことができない吸血鬼。倦怠期をむかえている二人は、しかし人間と違って、不老不死なのだ。永遠に続く倦怠期、レモンでも癒せない愛の渇き。
 奇妙で、滑稽で、しかしこの上なく切実な求愛を扱った熟年小説。


『お国のための糸繰り』
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「わたしたちの翅はあなたには見えない」わたしは真っすぐ募集人の耳に向かって言う。手で相手の首をつかむと、身を乗り出して、ささやく。「はっきり言うと、一生見ることはないわ。翅はわたしたちの未来にしか存在しない。そこではあなたは死んでいるし、わたしたちは生きて、飛んでいる」
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単行本p.69

 借金のかたに身売りされ、製糸工場で死ぬまで働かされる女工たち。次第に蚕の怪物へと変貌してゆき、ただお国のために生糸を吐き出し続ける虫となって蠢きつづける彼女たちは、しかし魂の誇りまでは奪われていなかった。
 明治時代の日本を舞台に、女工哀史に強烈なひねりを加えることで、尊厳の回復を求める姿を鮮烈に描き出す。現代のプロレタリア文学。


『一九七九年、カモメ軍団、ストロング・ビーチを襲う』
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 ナルはこれらの物を砂の上に並べ、動かしてみた。自分がどっかの誰かの盗まれた運命を研究する古生物学者みたいな気がした。どこかで男の人か女の人の生活がこれらの小さな椎骨なしで続いているのだ。整合が乱され、曲がった背骨のまま。突如としてプラスティックとアルミニウムのかけらの何の変哲もない輝きがとんでもなく恐ろしく感じられはじめた。
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単行本p.96

 差別的な扱いで理不尽に解雇されてからずっと寝たきりの母親。ガールフレンドは兄貴にとられ、貧乏なので大学への進学を断念しなければならない。自分の人生が何もかも奪われてゆくのをどうすることも出来ずにいた少年ナルは、あるとき、人々の人生が文字通り物理的に奪われていることに気づく。犯人は、カモメ。
 踏みつけにされている人々の怒りと絶望、そして人生を取り戻そうとする意志を描いた若々しい青春小説。


『証明』
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彼はとめどなく話しはじめ、泥の沼がぼくの胸の真ん中に深く広がる。柔らかい土に吸い込まれるような恐怖だ。そして泥の沼のように、その恐怖はぼくを解放してくれない。だって、男はぼくの父さんの声、ホックス・リバー開拓地のあらゆる農夫の声で話していた。埃と指ぬき一杯分ほどの水で永劫を生き、地中に埋められ、雹に作物をすべてやられても、春について、明日について、気が狂ったように永遠にささやき続ける声、道理や疲れも遠く及ばない希望に満ちた声(ああ、ママ、これがもうすぐぼくの声になる)。土地を立ち退くことをぼくらに許さない声。
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単行本p.142

 いずれ土地所有者としての証明書を手に入れるという希望にすがって、辛酸をなめつくす開拓民たち。雨は降らず、作物は枯れ果て、子供は疫病で死ぬ。泥の穴にもぐるように生きる彼らは、孤立のなかで、希望という名の狂気に蝕まれてゆく。
 フロンティアスピリットと狂気の境界、滑稽と恐怖の境界を走り抜ける、哀しき西部開拓小説。


『任期終わりの廏』
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 ラザフォードは少女が広げた手に首を伸ばす。光のそばかすが彼のまばら模様の後軀をさまよう。少女の手のひらを自分で開発した暗号に従ってなめる。―、―、―、―、つまり自分は第十九代アメリカ合衆国大統領ラザフォード・バーチャード・ヘイズであり、少女は地元の当局に通報するべきだ、と。
「あはは!」少女は笑い声を上げる。「くすぐったい」
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単行本p.146

 気がつくとなぜか馬に転生していたヘイズ大統領。同じ厩には歴代の大統領たちが転生した馬が集まっている。誰にも気づいてもらえない元大統領たちは、ここが天国なのか地獄なのかについて、馬の餌にかけるべき税率について、牧場脱出計画について、そして選挙への再出馬(文字通り)について、いつまでも議論を続けている。だがヘイズ大統領は政治ではなく愛に生きようと決意する。というのも、たまたま目が合った羊が、愛する妻が転生した姿ではないかと感じたからだった。
 奇天烈な設定と風刺が鋭いユーモア小説ですが、意外にも哀切な読後感が残ります。


『ダグバート・シャックルトンの南極観戦注意事項』
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 一部の人々は(俺の前妻とかな)、チームオキアミを応援するなんて特殊な部類のマゾヒストがすることだって言うだろう。大昔から、オキアミたちが食物連鎖対戦に一貫して負け続けていることは、すべての証拠が示しているから。純考古学者の分子年代決定法が明らかにしたところによれば、オキアミが勝利したことは一度もない。(中略)いいかい、オキアミたちは立て直しの年にいるんだ。オキアミたちはいつだって立て直しの年にいる。毎年六百億匹のオキアミの有力選手たちがごそっと食われている。クジラチームはそのひげ板の原始のくしから、オキアミチームを28ノットの威力で吸い込む。我がチームの攻撃力は悪くないが、防御においてはだいぶ散々な結果を記録し続けている。
 しかし、今回は我々のシーズンになるはずだ。全力でそう信じるんだ。
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単行本p.185

 我らが勇猛なオキアミチームが、食物連鎖リーグの頂点に君臨するクジラチームに突進する。南極で行われる食物連鎖対戦のシーズンが今年もやってきた! だが観戦にあたっては入念な準備が大切だ。それにオキアミを応援するやり方には伝統というものもある。観戦マナーを守ろう。クジラチームのサポーターのような常勝に甘えている連中に、格の違いというやつを見せつけてやるんだ!
 「万年負けチームの熱狂的サポーター」の生態をおちょくったユーモア小説。本書収録作品中、素直に笑える唯一の作品かも知れません。


『帰還兵』
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 記憶は操作不可能だ。それらは人の中で固定される。指先で取り除いたり、落ち着かせたりすることができるようなものじゃない。ベヴァリー、気が変になったの。母親の落ち着いた声で彼女は自分に説教する。でももし本当に外から記憶を調整することができたら? 彼の過去のトランプのカードを切り直し、カードを何枚か取り出し、かわりにもっと明るい運命のカードをひとそろい入れる、その何が悪いの? 悪いのは、彼女がしなかったことのほうのはずでしょ? 最初の真実が人を死に至らしめる何かに転移するのを放っておくの?
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単行本p.226

 戦場で起きた悲惨な出来事がトラウマとなっている帰還兵。その記憶は、刺青として背中に永遠に彫り込まれている。彼の施術を担当することになったマッサージ師は、自分でもどうやったのか分からないうちに、彼の心理外傷を指先でつまんで除去することに成功した。記憶は明るいものへと改竄され、背中の刺青までが変容してゆく。
 だが、代償のように、彼女は自分が体験したはずがない戦場の記憶のフラッシュバックに取りつかれる。自らの過去すら曖昧になってゆく悪夢のような日々の果てに、彼女が立ち向かうことになった試練とは。
 魔法、悪夢、そして奇跡。人の癒しというものを感動的に描いた作品で、胸に強くせまってきます。次の『エリック・ミューティスの墓なし人形』と並んで、個人的に最も感銘を受けた作品。


『エリック・ミューティスの墓なし人形』
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自分は今かかしの守護者なのだと思いつき、立場が逆転して釣り合いがとれたことに満足し、同時に恐くなった。このままここでエリック・ミューティスの残った部分を見守ってやる。ぼくがミュータントにやってしまったことからしたら、それぐらい当然だ。ぼくはかかしを守るかかしになる。(中略)やってしまったことを償うために、ここでどれだけの間見張っていなければならないだろうか? 足下で藁の中のうさぎが泡のように穏やかに体を揺らした。そんな風に、今でもぼくはどこかに立っているはずだ。
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単行本p.309

 かつてクラス中から凄惨なイジメを受けていた少年、エリック。特に暴力的に彼をいじめていた不良少年グループは、自分たちの縄張りに突然出現した案山子に戸惑う。そのカカシの顔は明らかにエリックのもの。なぜ、誰が、こんなことをしたのだろうか。日々、損壊してゆくカカシを見ているうちに、語り手はそれまで忘れていた暗い記憶を思い出す。自分がエリックにやってしまったことを。それは、殴ったことでも、眼鏡を粉々にしたことでもなく、もっと陰惨な罪だった。
 スティーブン・キング風のホラーストーリーだと思わせておいて、意外なことに、復讐ではなく贖罪というテーマへと力強く舵を切る物語。その転換は鮮やかで、忘れがたい印象を残します。



タグ:松田青子
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