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『文学会議』(セサル・アイラ、柳原孝敦:翻訳) [読書(小説・詩)]


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アイラの文章の論理は、読者の期待を軽々と裏切る。論理というものは共有可能なものだという読者の安易な思い込みに対してしたたかなしっぺ返しをくらわせる。(中略)私たち読者は、こうして自らの言語のあり方を疑うことになる。書かれている言語と文章に新たな解釈を施さなければならなくなる。(中略)それはつまり、新たな創作の始まりだ。アイラを読むということは、小説を読むことではなく、小説を書くことに似た体験なのかもしれない。
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単行本p.188、189


 クローン軍団による世界征服を目指すセサル・アイラ。まずは「世界征服する方法」を考えてもらうために文豪カルロス・フエンテスのクローン作成を目論む。そのために文学会議に参加した彼は、首尾よくフエンテスの細胞を手に入れたのだが……。アルゼンチンを代表する作家セサル・アイラが読者に足払いかけて引きずり回すパワフルな中篇『文学会議』と『試練』の二篇を収録した作品集。単行本(新潮社)出版は2015年10月です。


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ボール紙とフラスコを工夫して、リサイクルの玩具と中古の中国製蒸留器を使っての実験なのだ。実験室は自分の古いアパートの小さな使用人部屋に設えられていた。死体置き場などないので、作ったクローン人間は地元の街路をほっつき歩かせていた。
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単行本p.25


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 このままでは最終目的地まで行けそうにないことがわかった。最終目的地というのは、なにあろう、世界征服だ。この点にかけて彼はマンガの典型的な〈マッド・サイエンティスト〉だった。世界征服というのもこれ以上はないほど控えめに設定した計画だ。なにしろ彼ほどの人間だから、それ以下では役不足というものだ。しかし彼にわかったことは、このままのクローン軍団(といっても、それも今のところ仮想の存在に過ぎなかった。現実的な問題として、まだ数体作っただけなのだから)では役に立たないということだったのだ。
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単行本p.25


 世界征服を企む作家にしてマッド・サイエンティストにして著者でもあるセサル・アイラは、ベネズエラのメリダで開催される国際文学会議に出席して文豪の細胞を採取する。ところがクローン培養された細胞はあまりにも文学的に暴走し、もうちょっと具体的にいうとモスラ幼虫の大群と化して街を襲う。はたして世界を、あるいはせめて南米現代文学を救うのは誰か!

 というストーリーを真剣に受け取るのは難しいのですが、しかし文章は大真面目。やけに細かい描写が続いたり、本筋と関係ない枝葉末節が延々と書かれた挙げ句、そもそも本筋が何かさっぱり分からなくなったり。


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しかし、こうした何とも言い難い、微視的なピースが組み合わさってパズルができているのだ。
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単行本p.15


かと思うとばっさり省略したり。


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 細かいことには立ち入るまい。くだくだと述べていたのでは非生産的だ。私は自分がどんな人間かよく知っている。文章を書くときに気取りが過ぎると、不条理なあまり結末の予測がつかなくなるようなお伽話を書いてしまいかねない。
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単行本p.47


パロディめいた評論もどきが始まったり。


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脳の活動過多は、私の内では(私の内と外を繋ぐ架け橋が言語だ)、修辞的もしくは疑似修辞的な仕組みを通じて姿を現す。しかもその仕組みというのは、実に独特の仕方でねじれる。例えば、隠喩だ。私の心の運動過多用顕微鏡の中ではすべてが隠喩だ。何もかもが他の何かの代わりなのだ……しかし全体からは無事で脱出できるわけではない。全体というものが隠喩を歪め、その構成要素を他の隠喩に換えてしまう圧力の体系をなしているからだ。
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単行本p.35


 これで話がつまらないのであればともかく、そうでないところが悪質。いかにも面白そうなエピソードや伏線が次々と登場しては、そのまま放置されるという意地の悪さ。


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私は酔っぱらいらしくしつこく、髪が薄くなったと繰り返した。もうすぐ禿げるのかと思うと怖い。しかも単なる色気の問題ではなく、とても具体的な動機もある。私は説明した。とても若いころ、ちょっとした狂気の発作に見舞われ、頭を剃り上げ碑銘を刺青させたのだ。髪が伸びるとそれは隠れた。今禿げてしまったらその碑銘が白日の下にさらされる。そうなると、私がそれまでに身を守るためのもろい殻のようにかろうじて周囲に張りめぐらせてきたわずかばかりの評判が終わってしまうだろう。
「どうして? なんて書いてあるの?」今は信じるふりをしようというように、彼女は訪ねてきた。
「地球外生命体の存在を信じることを表明するものだとだけ言っておこう」
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単行本p.70


 細部の面白さに引っ張られて読み進めるうちに、展開を見失って途方に暮れた読者のために、親切に読み方を指南してくれたりもします。


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もうひとつついでに断っておかなければならないが、〈お話〉もまた、言説の別の次元では、ひとつ前の〈お話〉から論理を借りてくるものだ。同様のことは見方を変えれば物語にも言えるわけで、ひとつの物語は他の物語の内在的な論理となり、という具合に無限に連鎖するのだ。それから(そろそろ本題に入りたいのだが)、あれこれと例を挙げて図式的に説明してきたが、だいたい似たりよったりな例を挙げただけで、それらの間に意味の繋がりがあるわけではないこともお忘れなく。
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単行本p.24


 読者の期待を次から次へとかわしつつ、追いかけているつもりだったのがいつの間にか引っ張り回されているという感じです。まあ、最後は「アイラ対モスラ 南米の大決闘」という、あまりにも文学的な展開になりますけど。

 併録されている『試練』は、やや太り気味で内気な女の子マルシアが、二人のパンク少女にナンパされる(それも露骨に「しようよ」とか「あんたのあそこを舐めたいんだ」とか言われる)シーンから始まります。

 もちろん拒絶するよいこのマルシアですが、なぜか気になって、というか自分の世界が一変してしまったような解放感ゆえに、ついつい二人につきあってしまいます。


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 二人の女の子が、二人の女が、大声で彼女を呼び止め、淫らなことを言った。礼儀作法などには従うまいと自ら乱暴に決別した二人のパンク少女が……思いがけないことだったし、珍しいことだった……何が起こっても不思議はない。本当にそのとおりだ。
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単行本p.108


 マルシアへの「愛」を証明するため、あるいは特に何の理由もなく、パンク少女たち「マオ」と「レーニン」の二人は革命的行動を起こします。


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「このスーパーマーケットは〈愛の襲撃部隊〉が占拠した。協力いただければけが人や死人はそんなには出ない。幾人かは出るだろうがね。なにしろ〈愛〉は要求が多いものだから。その数はあんたたち次第だ。我々はレジにある金を全額奪い、立ち去る。ものの十五分もすれば、生き残った人たちは帰宅してテレビでも見ていることだろう。それだけだ。くれぐれも言っておくが、これから起こることは、なにもかも愛ゆえのことだ」
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単行本p.167


 何しろ愛ゆえのことだから。男は火だるま、女は生首、爆発炎上、阿鼻叫喚。少女マンガ的爽快感ほとばしる南米版『血まみれスケバン・チェーンソー』(三家本礼)キターッ。


 というわけで、モスラの幼虫が大暴れする『文学会議』、不良少女二人がスーパーマーケットで殺戮を繰り広げる『試練』ともに、普通の小説とはとても言えませんが、人によっては癖になるタイプの作品です。



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