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『人生パンク道場』(町田康) [読書(随筆)]

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多少、効率が悪く、遠回りをすることになったとしても、同じ地平を歩いている人間の実感をともなった道案内もときに有効なのではないか(中略)、悩みを抱える皆さんとともに迷いながらの頼りない道案内であったが、しっかりと握った手だけは離さなかったという自負はある。
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Kindle版No.2598、2615


 シリーズ“町田康を読む!”第51回。

 町田康の小説と随筆を出版順に読んでゆくシリーズ。今回は、読者から寄せられた様々な悩み事にずばりお答えする人生相談です。単行本(角川書店)出版は2016年2月、Kindle版配信は2016年2月です。


 というわけで人生相談ですが、何しろ回答者はミュージシャン、作家、俳優、など様々な顔を持つ町田康。相談者が想定しているであろう立場も様々です。

 例えば、ミュージシャンとしての町田健に向けた相談としては「趣味でバンドを組んでいて、メンバーの一人と付き合っているが、別のメンバーが好きになってしまった」(26歳・女性・美容師)といったものが。これに対する回答は、こんな感じで始まります。


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 バンド内の人と付き合い、その人と別れてバンド内の別の人と付き合うという場合の気まずさは、夫と離婚して同居する夫の弟と再婚する場合の気まずさとほぼ同等と業界では言われており、この気まずさに耐えてまで趣味のバンドを継続する理由はなく、バンドは解散ということになって、あなたはバンドを解散に追い込んだヤリマン・クソビッチと罵られるでしょう。
 それを回避するためにはどうしたらよいでしょうか。
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Kindle版No.51


 相談者の抱えている事情を(読者にも分かるように)具体化するところから始めるわけですが、それにしても妙に生々しいというか、実体験の裏付けを感じさせる迫力があります。そして解決方法は。


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メンバーが増えるにつれ気まずさは薄まっていきます。
 ということはどうすればよいのでしょうか。

 もうおわかりでしょう。気になる人にアプローチする前にメンバーを増やせばよいのです。(中略)エグザイル的な感じで
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Kindle版No.82


 実用的な回答ですが、どこか相談者の期待とは微妙にずれているような気も。

 他方、文学者としての町田康に向けた相談事はこれです。


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フィクション、虚構の世界でなら憎い人間たちを簡単に殺してもいいのだろうか、ということです。私はあなたの作品に出会ってから小説家を目指しています。町田師匠自身、小説の中で時に人を殺す物語を書かざるを得ない立場でいらっしゃるので、どのようにお考えになられるか是非聞かせていただけたらと思います。
(30代・女性・無職)
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Kindle版No.1508


 いきなり問われる文学の倫理性。それに対する作家の回答は。


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簡単に殺しては駄目です。
 絶体絶命の窮地に追い込んだうえで、もしかしたら助かるかも、という希望を抱かせておいて、やっぱり殺す、なんていうことは絶対にやらないといけませんし、それ以外の様々なレベルで屈辱・恥辱を与えるべきです。まったく理不尽な理由で迫害され差別される、なんていうのもよいでしょう。

 さらに、殺す際もあっさり楽にしては駄目です。
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Kindle版No.1562


 さらにパンク道場ということで、こんなパンクな悩みも。


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今、私はとても幸せです。もう欲しい物も、食べたい物も、行きたい所もありません。したいことも何もありません。神様に誓って心の底からそう思います。私は今、48歳、童貞の引きこもりです。友人も、一人もいません。これで「幸せ」と感じられるなら、人生って何なのでしょうか? 幸せって何なのでしょうか?
(群馬県・48歳・男性・無職)
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Kindle版No.634


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難聴・加齢臭・高額な社会保険料・すぐに年齢を聞きたがる日本人。これら全てに自分が覆い尽くされ襲われている心境が続き、捉えどころのない不安と不満、苛立ちが積もり続け、社会や日本人が不気味に感じる瞬間まで出て来てしまいました。
(東京都・47歳・男性・会社員)
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Kindle版No.1949


 そして多いのが野球関係の相談事。なぜに町田康に野球の相談をするのか。


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先日一歳半の長男がタイガースのロンパースを着せられ、六甲おろしで踊っているのを目撃して悲しくなってしまいました。すこし非難めいたことを口にしたら、「あなたが巨人ファンをやめてくれないから」と泣かれました。他の球団ならともかく、阪神だけは本当に嫌です。
(東京都・30代・男性・飲食店経営)
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Kindle版No.825


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 どうして西武ライオンズは生え抜きの選手がFA宣言した時にひきとめないのでしょうか?
 工藤、清原に始まり、近年では片岡、涌井です。折角育った生え抜きの選手が他チームに引き抜かれるのを見るのがたまらなく悲しいです。
(埼玉県・40代・男性・自営業)
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Kindle版No.2358


 「金が欲しい」といった相談事にも、あくまで真面目に、しかしどこかずれた回答を打ち返してゆく町田先生。


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では、どうやったらお金が貯まるか、について申し上げましょう。
 ずばり言います。お金を好きになることです。(中略)具体的にどうすればいいのでしょうか。簡単なことです。一日に一回、机でもちゃぶ台でもなんでもけっこうです、お金を並べ、「好き」と口にして言ってください。そうすることによって、お金を愛する気持ち、好きになる気持ち、が自分のなかで次第に高まってきて、十日もすれば、お金を手放したくない。バイクも可愛いが、しょせんバイクなんてただの物質だ。ところがこのお金ちゃんは、ただの紙切れに過ぎぬのに、無限のパワーをうちに秘めている。やはりお金ちゃんの方が凄い。お金ちゃん、僕は君を手放したくない。別れたくない、という心境になります。
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Kindle版No.524、532


 ときおり回答内容と無関係なことを口走ったり。


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私の知り合いで松に向かって「こらあっ、杉っ」と暴言を吐き、吉田に向かって、「おまえなんか田中で充分じゃ」などと暴言を吐く癖のある人がありましたが、その人は四年前、事故で死にました。
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Kindle版No.1729


 個人的に最も印象的だったのは、猫を死なせてしまった人によるペットロスの相談に対する回答。『猫にかまけて』や『猫のあしあと』といった猫エッセイを読んだ方なら、じんときます。泣けます。


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 人間は忘れるようにできています。だからといって忘れるままにしておいてよいという訳ではなく、悲しみは悲しみとして大事にする。そのことが寂しい思いを抱えて死んでいったものに対して私たちが取り得るもっとも誠実な態度ではないでしょうか。そうしたっていずれは忘れてしまうのですから。
 そしていずれは私たちもこの世からいなくなります。そして忘れられていくのです。だったら生きている間だけでもそいつのことを何度でも思い出してやりたい。私はそう思うのです。
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Kindle版No.2576



タグ:町田康
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『SFマガジン2016年4月号 特集:ベスト・オブ・ベスト2015、デヴィッド・ボウイ追悼』(ケン・リュウ、パオロ・バチガルピ、グレッグ・イーガン) [読書(SF)]

 隔月刊SFマガジン2016年4月号は、ベストSF2015の上位に選ばれた作家による書き下ろし/訳し下ろし特集およびデヴィッド・ボウイ追悼特集でした。また、草上仁さんの短篇も掲載されました。


『overdrive』(円城塔)
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超思考航法のコツは、意表をついた発想と、その発想地点までの強引な筋道づけにある。(中略)この航法に仕組みというものはない。超思考航法は、個々の思考空間を突破するために、通常航法の仕組み、思考のありかた自体を燃料にして推進力を得るからだ。
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SFマガジン2016年4月号p.12、

 光より速いもの、それは人の思考。だったら思考そのものを宇宙船にすれば光速を超えられるじゃん。というわけで、思考空間において発想を飛躍させることで超光速を実現する超思考航法が発見されたのであった。いかにも著者らしい奇想(高推進力)短篇。


『烏蘇里羆(ウスリーひぐま)』(ケン・リュウ、古沢嘉通:翻訳)
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 獣と機械がたがいに突進し、雪のなかでぶつかった。爪が金属の表面をこする耳障りな音がし、同時に熊の荒い息と馬のボイラーから発せられる息んだいななきが聞こえた。二頭はおのれの力を相手にぶつけた――かたや古代の悪夢、かたや現代の驚異。
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SFマガジン2016年4月号p.27

 1907年2月。ドクター中松は、伊東四朗と共に、満州の奥地で巨大な熊を追っていた。かつて北海道の地で何人もの村人と両親を殺された仇をうつために。妖獣+スチームパンクという、『良い狩りを』の姉妹篇的な傑作。


『電波の武者』(牧野修)
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「電波の武者(ラジオ・ザムライ)を集めなさい。今すぐ。今すぐ集めなさい(中略)ヤツが来たのよ。止めなきゃ。みんなで止めなきゃ。この世が終わっちゃう。すべてのこの世が終わっちゃう」
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SFマガジン2016年4月号p.36

 妄想宇宙に忍び寄る現実の影。非言語的存在から物語を守るため、電波言語で戦えラジオ・ザムライ。展開せよ異言膜、見よ夜空に溢れる悪文乱文線を。問答無用の『月世界小説』スピンオフ短篇。


『熱帯夜』(パオロ・バチガルピ、中原尚哉:翻訳)
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 そのこと自体が書くべき記事かもしれないと、屋根によじ登りながらルーシーは思った。本質的な記事だ。シャーリーンは他人の財産の略奪者に変わったのではない。フェニックスそのものが人の倫理観の指針を奪う場所なのだ。それが行き着くところまで行き、本人が腹をくくれば、人は別人になりうる。
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SFマガジン2016年4月号p.57

 水資源枯渇により崩壊しつつある街で、ジャーナリストのルーシーは廃品回収業者(要するに火事場泥棒)であるシャーリーンに取材を申し込む。だが、シャーリーンが提示した交換条件は、違法な回収作戦に協力しろというものだった。長篇『神の水』スピンオフ短篇。


『スティクニー備蓄基地』(谷甲州)
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投入された「生物兵器」は、貯蔵施設の物理的な破壊を計画している可能性があった。貯蔵された物資で核融合を引き起こし、フォボスごと吹き飛ばすつもりではないか。(中略)どんな手を使っても、阻止しなければならない。そう切実に思った。だが敵の動きは、予想以上に速かった。
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SFマガジン2016年4月号p.75

 ついに勃発した第2次外惑星動乱。火星のフォボス地下にあるスティクニー備蓄基地にいる波佐間少尉は予想外の攻撃を察知したが……。新・航空宇宙軍史シリーズ最新作。


『七色覚』(グレッグ・イーガン、山岸真:翻訳)
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いまではそこに、おなじみの色の境界を少しもはみ出すことなく、新しい細部が刻まれ、説明が付加されていた。その豊かさはたとえるなら、目の前に手のひらをかざしたら、渦状紋や肌の皺が百万の言葉や絵となって、ぼくのこれまでの人生すべてを語っているのが見えたようなものだ。
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SFマガジン2016年4月号p.85

 視覚インプラントのハッキングによる色覚の拡張(色彩分解能の大幅強化)が生み出す新たなビジョン。やさしイーガン短篇。


『二本の足で』(倉田タカシ)
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「いや、だからスパムなんだよ。シリーウォーカーの群れが、特定の人間をターゲットとして認識したら、最終段階の仕掛けとして、こういう人間のスパムが来る。知り合いのふりをして」
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SFマガジン2016年4月号p.108

 今や人間の資産はどんどん〈スパモスフィア(スパム圏)〉に吸収されているし、何と言っても最近のスパムは二本の足で歩いてくる。地に足ついたシンギュラリティですね。
 というわけで意識をAIで上書きされた人間が標的型スパムとして普通に歩いてやってくる時代、添付意識をうかつに開かないように気をつけましょう。
 移民受け入れにより他民族国家となった近未来の日本を舞台に、様々なルーツを持つ若者たちの迷いや葛藤を描く青春SF。


『やせっぽちの真白き公爵(シン・ホワイト・デユーク)の帰還」(ニール・ゲイマン、小川隆:翻訳)
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逃げてきた男という考えは(もとは王侯か、公爵かだろうと思って、いい気分になった)頭のなかに、曲の出だしのようにひっかかっていた。
「世界を統べるよりは何かの曲を書こう」と口に出してみて、その響きを舌に味わった。
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SFマガジン2016年4月号p.290

 心にかけられるものを求めて旅に出た公爵、宇宙のすべてを支配する男が最後に辿り着いた場所とは。とあるファッション雑誌で「天野喜孝にボウイ夫妻の絵を描いてもらう企画をたてたところ、天野氏がそれにはぜひゲイマンの小説をつけてほしいと依頼した」(SFマガジン2016年4月号p.282)という経緯で執筆された異色のデヴィッド・ボウイ・トリビュート短篇。


『突撃、Eチーム』(草上仁)
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フランク・エドワーズは、Eチーム三人分の特殊能力を持っている。スーパー級の工作員だ。(中略)ひょっとすると国策で遺伝子操作を受けたニュー・エイジかも知れない。何ということだ。これは、わがEチームに対する今世紀最大の脅威だ。
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SFマガジン2016年4月号p.354

 「虚言」「窃盗」「暴力」など、常人には不可能な超能力を駆使して任務を果たすヒーローチームの前に立ちはだかった最強の敵。その恐るべき能力とは。楽しいユーモア短篇。話題に乗り遅れているのではないかと思いきや、「実は本稿の原稿をお送りいただいたのは2年前」(SFマガジン2016年4月号p.343)とのことで、編集部で塩漬けにされたまま旬を逃してしまったらしい。ひどい。



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『偽詩人の世にも奇妙な栄光』(四元康祐) [読書(小説・詩)]

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詩が書けないということさえ度外視するならば、昭洋は宿命的に詩人であった。たしかに彼が書いた詩は偽物であった。しかしその人自身は限りなく詩人であった。そこにこそ真の悲劇(と滑稽)が存在するのである。
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単行本p.28


 宿命的な詩人でありながら詩が書けない吉本昭洋は、思わぬ成り行きで詩人として脚光を浴びてしまう。詩作の不思議を扱った偽私小説。単行本(講談社)出版は2015年3月、Kindle版配信は2015年4月です。


 高名な詩人である四元康祐さんが書いた小説です。テーマはもちろん詩。主人公が詩と出会ってから、偽詩人となるまでの顛末が語られます。はじまりは、とある中学校の図書室から。


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彼にとっての文芸とは物語であった。そして小説本を開いて彼が読むのは筋書きであり、その紆余曲折の顛末であった。逆に言えば、それまでの昭洋は生まれて一度も、書物のなかの言語を言語そのものとして読んだことはなかったのである。
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単行本p.5


 そんな平凡な中学生が出会ってしまった不思議な言葉。中原中也とかいう人が書いた、短い言葉の連なりが、彼に多大なるインパクトを与えたのでした。


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それは物語ではなかった。かと言って事実でも情報でもなかった。意味でもなかった。喜怒哀楽の情感ですらなかった。あえて言えば口からでまかせに近かったが、別段嘘をついているわけでもない。要するにそれは言葉であった。ただの言葉の連なりとしか、当時の昭洋には言えぬ代物であった。
(中略)
 まさしくそんな風にして、詩は吉本昭洋の内部へ侵入してきた。それは一種の感染であった。血液のなかに潜り込んだ細菌が細胞を冒すような、隠微にして不可逆的な変化であった。
(中略)
何度くり返して読んでも、そこのところはぼうっと霞んだままだ。十三歳のとある放課後から、昭洋がその生涯を終えるまで一貫して朧に煙っていて、未来永劫にそうなのである。だがまさにその不明瞭な部分において宿命的な出会いは生じていた。気づいたときにはもはや手遅れだった。
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単行本p.5、6


 こうして詩に取りつかれた吉本昭洋は、古今東西の詩を読みあさり、詩を自らに取り込んでゆくことに血道をあげることに。しかし、これほど詩を愛しているのに、自分では詩がまったく書けない、という悲劇。


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 一方では詩が書けぬことに苦しみ、苦い挫折を味わいながら、もう一方ではまさに詩が書けないというそのことによって、自らが真の詩人であることを知る。言葉を持たぬがゆえにこその詩人。そこに韜晦や欺瞞や自己憐憫はなかった。ただ純粋な詩への愛と、それゆえの痛みだけが溢れていた。
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単行本p.12


 やがて昭洋は、詩のイベントを通じて世界各地にいる詩人たちと知り合うことになります。詩人たちの世界が鮮やかに、そしていくぶん皮肉めいた調子も混ぜ混みながら、描写されます。


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 普段生活している分にはつゆとも気づかぬ、広大にして緊密な詩のネットワークがそこにはあった。あたかも秘密の地下組織のごとく、それらは隠微に張り巡らされ、この惑星を幾重にも包みこんでいるのであった。
(中略)
現実を貪欲に取りこんでいた。それでいて現実に隷属するのではなく、凝縮され精妙な工夫の凝らされた言語によって、むしろ現実を変容し支配していた。その変容は物語でも論考でもなく、結局はもどかしげに〈詩〉としか呼びようのない独特のものなのだった。そのような詩が世界中で、マスメディアには知られることなく、ひっそりと、しかし毎日数限りなく作られている。今この瞬間にも、誰かが、どこかで、言葉を組み合わせている。
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単行本p.56


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 読者の不在ということの当然の帰結として、経済の影もまた希薄である。
(中略)
 つまり詩は金にならない。だから世評の確立した詩人の場合を除いて、著作権なんかもいい加減だ。そもそも出版すらされないのだから、著作権以前の話である。詩人たちはむしろ金を払ってでも自分の詩を読んで貰う機会を欲しがっているかのようだった。
(中略)
そこは経済原則の及ばぬ世界、せいぜいが原始共産制の物々交換か、襤褸は着てても心はポトラッチ、詩集飛び交う贈与合戦で、貨幣はいまだ発明されてもいないのだった。
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単行本p.60、61


 物々交換、ポトラッチ、贈与合戦、貨幣はいまだ発明されてもいない。読んでいて思わず苦笑してしまう詩人も多いのではないでしょうか。

 そうして、世界中の詩を読みあさることに満足していれば、昭洋もそれなりに幸福な人生を送ることが出来たはずです。しかし、彼は見つけてしまったのです。自分だけの〈詩〉をこの世に現出せしめる魔法を。


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異なる言語からの翻訳という輪廻転生と、心身の奥の声から肉筆そして活字への変換という流浪遍歴を経た、キマイラのごとき言語の妖怪変化。だがそこにたしかに昭洋は詩を見出した。生まれて初めて、自分の筆の先から迸り出た詩であった。
(中略)
彼がそれを所有しているのではなかった。むしろそれが、その不思議な日本語の連なりが、彼を所有していた。言語とのそのような倒錯して断絶した関係こそが、これまで彼が求めてきたものだった。それこそが彼にとっての詩なのであった。
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単行本p.76


 世界中の詩人たちの作品を素材に変性と錬成を繰り返し、自分だけの〈詩〉を生み出す。昭洋が言語の錬金術に熱中するうちに、思わぬ成り行きで、詩人としての彼の評価はぐんぐんと高まってゆきます。気づいたときにはもう手遅れ。彼は名声と引き換えに大きな犠牲を払うことに。


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 今昭洋が失おうとしているのは精神の平安であると同時に、詩そのものだった。詩を愛する心であり、詩を味わう喜びだった。もはや書くことができないだけではなく、彼には読むことすらできなくなった。
(中略)
皮肉なことに昭洋が詩を恐れるようになるにつれ、詩人としての彼の名声は高まり、日本の文学史上におけるその地歩は揺るぎなきものとなっていった。
(中略)
彼は自らに見張られた囚人だった。その厳しい監視のもとで、詩人を演じ続けるほかなかった。それでいてどんな囚人にも許された最低限の心の自由、目を閉じて記憶の中の詩句を口ずさむほどのことも、彼にはもはや出来ないのであった。
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単行本p.116


 偽詩人、吉本昭洋が歩み続ける後戻りできない道。その先に待っているものは。

 というわけで、滑稽さと悲惨さが一緒になった小説です。詩を書く、詩を創る、という行為に関する切実な問いかけ(例えば、昭洋が行った言語錬金術と、詩作は、その本質において何が違うのか等)と、ほとんど熱血スポーツ漫画みたいな怒濤の展開(因縁のライバルとの即興詩対決とか)。しっかりエンタメ小説にもなっているところが素晴らしい。詩に興味がない読者も楽しめると思います。



タグ:四元康祐
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