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『せんのえほん』(作:中村梨々、絵:coca) [読書(小説・詩)]

 「2012年の3月から5月まで、1日1枚のペン画を描き、instagramに投稿していました。それらの絵を、詩人の中村梨々さんが並べ替え、意味を付し、3つのものがたりにまとめてくれたのがこの絵本です」(cocaさんによる「あとがき」より)

 イラストのような抽象画のような、cocaさんが描いた不思議な味わいの線画に、中村梨々さんが言葉を加えた絵本。単行本(七月堂)出版は、2014年6月です。

 『たくさんの窓から手を振る』は、中村梨々さんの詩にcocaさんの絵を加えた詩集でした。ちなみに、単行本読了時の紹介はこちら。

  2012年09月10日の日記:
  『たくさんの窓から手を振る』(中村梨々)
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2012-09-10

 本書はその逆で、cocaさんの絵に中村梨々さんが詩を寄せるという形で作られました。cocaさんが気まぐれに描いたという沢山の線画を、中村梨々さんが並べ直し、三つの物語として整理し、言葉を添えたわけです。

 「きみの街にも/夕日は落ちて//人も虫も魚も/帰っていく//今日の闇も/帰っていく」(『とりまち』より)

 みんなが帰ってゆく『とりまち』。「あの子はちゃんと/帰れたかな」という文章の左には抽象画のようなイラスト。線画はcocaさんのオリジナルでしょうが、そのあちこちに言葉が書き込まれています。

 「しらん顔」「沈んだプリン」「ひっぱられてぬけたかみ」「聞いてもらえなかった話」「ぬれた長靴」「イスの足にけられた」「つくえのかどが頭をぶった」「折れたフォーク」「なくした指輪」「はげたシール」「手ぶくろ/かた/いっぽ」……。

 「あの子」は、いじめられているのでしょうか。それとも今日は特に運の悪い日だったのでしょうか。悲しい言葉に混じって「すき」とさりげなく書かれていたりして。

 「彼女が歌うことを あきらめて//からだ から/うたは キラキラ//こぼれて//彼女のからだは//すっかりからっぽになりました」
 (『うたつかい』より)

 「初めて言えた/ありがとうの/五文字//すうぷはいかがですか//胸がほかほか//とろりん//眠れる//すうぷです」
 (『すうぷ』より)

 『うたつかい』は、歌が大好きなのに、歌うことが出来ない女の子の話。『すうぷ』は、不思議なスープの話。イラストの合間に「すうぷ」を作っている、「ことこと」「すっとん」「とととっ」「ごごごっ」「ぽっとん」といった擬音が混ざっています。

 第一詩集を読んだときも思いましたが、とにかく中村梨々さんの作品からは少女漫画が強く連想されます。漫画という形式を離れても、点描なくても、cocaさんの抽象線画と中村梨々さんの詩が合わされば、しっかり少女漫画になっているのは驚きです。


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『夜は終わらない』(星野智幸) [読書(小説・詩)]

 「今から私は自分の物語を語り始める。そうして夜の時間を続けよう。私の物語は長い。果てもなく終わりもない。だから夜が終わることはない。終わらない夜の中で、私は語り、クオンは聞く。私たちは物語を与え合い、お互いの物語を生きる。それが夜の中の人生」(単行本p.518)

 私を満足させる物語を語りなさい、そうすれば命を助けてあげる。婚約者を次々と殺害してきた女に向かって、男は語り始める。やがて果てしなく連鎖してゆく物語そのものに二人は飲み込まれてゆき……。『千夜一夜物語』を使って物語の力そのものに挑む、連作短篇集を内包した渾身の大長編。単行本(講談社)出版は2014年5月です。

 『俺俺』から四年、ついに出版された待望の新作です。

 主な登場人物は二人。まずは、過去何人もの男と婚約しては金をしぼり取った後に殺してきた女、玲緒奈(レオナ)。殺す前に、彼女は男に物語を要求する。

 「私は出逢った男たちに物語を語らせる。私の物語を語ることのできる人間を探すために。私の生がどんな物語なら充実するのか、感じ取れる者と生きるために。私の物語なんて、しょせんは幻想にすぎない。けれど、人間は物語というファンタジーがなければ生きられもしない」(単行本p.28)

 そして彼女に拘束され、夜を徹して物語を語り続ける男、久音(クオン)。

 「今は夜であって、ぼくは話し続けなくてはならなくて、玲緒奈は聞き続けなければならない。話を止める力は、玲緒奈にもぼくにもないんだよ」(単行本p.461)

 こうして物語が始まります。

 カワイルカに恋した娘の話。

 物語の中から戻ってこれなくなった恋人の話。

 人里はなれた山荘に閉じ籠もって謎の人物から届く指示通り演技を続ける男女四人の話。

 自分がタンゴであることに気づいた男の話。

 過去と現在を変えてしまう力を持つ日記の話。

 ジン(精霊、魔人)やジンナが活躍する奇想天外な魔法の物語から、原発(核融合炉)推進グループと反対グループの間で二重、三重、四重スパイをやるはめになった工作員の話まで、時間も空間も、むろんジャンルも越えて語られる様々な物語たち。

 物語は完結せず、ある物語がいよいよクライマックスかというところで、その登場人物が次の物語を語り始めます。物語は物語を産み、その連鎖が果てしなく続いてゆきます。

 続きは翌日の夜ということで、さらに次の夜に、また次の夜に、という具合に「クオンを殺すか否か」の判定は、夜から夜へと持ち越され続けることに。

 「クオンが話を終わらせない限り、玲緒奈にクオンの話を終了させることはできないから。それは自分が一番よくわかっていた。クオンの話を断ち切ってその先を聞くのをやめることなど、もう自分にはできないのだ。それほどまでに、聞きたい欲望が玲緒奈を司っている」(単行本p.152)

 物語に耽溺し、物語の力に支配されてゆく二人。物語を語ること聞くこと、それ以外は何もかもどうでもよくなってゆきます。

 「覚醒している自分のほうがとりあえずの存在であるように、玲緒奈は感じた。今や、クオンの語る物語だけが自分の生きている場所のようで、この部屋で夜を待っている自分は、ただの控えだった。クオンの話が始まるまでの、場つなぎの存在」(単行本p.210)

 そうしている間にも、彼女の犯行に気づいた警察が次第に近づいてきます。「昼」がやってくるのです。

 クオンは生き延びるのか。枠物語の中にいる玲緒奈は逮捕されるのか。それとも「夜」へと脱出できるのか。そして物語の中の物語の中の物語の中で自分が登場人物であり存在しないことに気づいてゆく登場人物たちによって語られる登場人物たちによって語られる登場人物たちの運命やいかに。

 「夜が長すぎる、と玲緒奈は感じた。夜に囚われて時間も止まっているような気がする。いったいいつからこの話を聞き続けているだろう。最初を思い出せない。これはクオンの意思なのか、クオンも何かに従っているだけなのか。(中略)これではまるで、と玲緒奈は体が冷えていく心持ちで思った。まるで私はクオンの話の登場人物みたいではないか」(単行本p.461)

 個々の物語はそれ自体が非常に面白く、魅力的です。途中で朝が来て語りが中断される度に、読者も早く続きが知りたくて焦れる感覚を味わうことに。物語の力に囚われる物語に、読者も巻き込まれてゆくのです。個人的に、同じく『千夜一夜物語』を題材とした『アラビアの夜の種族』(古川日出男)を思い出しました。

 星野智幸さんのこれまでの小説は、虚構を通して現実社会の真の姿を幻視させるような、主に描写や文章そのものの力で読ませる作品が多かったという印象を持っています。それが本作では個々の物語そのものが魔術的な吸引力を持っていて、読みやすさ、面白さ、という点では文句なしに一番でしょう。これまで敬遠していた方にも、あるいは『無間道』や『俺俺』を読んで鬱になったという方にも、ぜひ一読をお勧めしたい傑作です。


タグ:星野智幸
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『世界が海におおわれるまで』(佐藤弓生) [読書(小説・詩)]

 「卓上にバナナぶりぶりひしめいてまひるひみつの闇を飼いおり」

 「うつくしい兄などいない栃の葉の垂れるあたりに兄などいない」

 「犬ばかり光が丘は犬ばかり胸の毛玉に烈しい光」

 語句の繰り返しが世界を微妙にずらしてゆく第一歌集。単行本(沖積舎)出版は、2001年9月です。

 以前に読んだ『怪談短歌入門 怖いお話、うたいましょう』は個人的にたいそうお気に入り。同書の三人の編者のうち、東直子さんと石川美南さんについては歌集を読んだのですが、さしたる理由もなく佐藤弓生さんだけ読みそびれていて、これではいかんと思って今更ながら第一歌集を読んでみました。ちなみに『怪談短歌入門』の紹介はこちら。

  2013年10月22日の日記:
  『怪談短歌入門 怖いお話、うたいましょう』(東直子、佐藤弓生、石川美南)
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2013-10-22

 さて本書には怪談短歌というほど怖い作品はないものの、いくつか雰囲気がそれっぽいものはあります。

 「夕焼けのわけなど問うな今もまだきみは無人の校舎にいるのだ」

 「おしいれに小さな人がいるときは少しよぶんに鼻歌うたう」

 「卓上にバナナぶりぶりひしめいてまひるひみつの闇を飼いおり」

 「うつくしい兄などいない栃の葉の垂れるあたりに兄などいない」

 状況を想像すると怪談短歌といってもいいのですが、何しろ「バナナぶりぶりひしめいて」とか「まひるひみつの闇」とか「兄などいない/兄などいない」といった語句の繰り返しリズムの心地よさが印象的で、あまり怖いとか不安だとかいう印象が残りません。

 どこか世界が微妙にずれてしまった感じを与えるこの語句の繰り返しワザ、あるいは念押しワザは、あちこちに仕掛けられていて、いずれも心のツボ押し効果をいかんなく発揮しています。

 「いぬいぬと尾を振るものに連れられて老夫は小春日和となりぬ」

 「犬ばかり光が丘は犬ばかり胸の毛玉に烈しい光」

 「コーヒーの湯気を狼煙に星びとの西荻窪は荻窪の西」

 「鍵盤をきらきら男おりてきてダンス・マカーブル、ダンス・マカーブル」

 「「嘘つき」と電話を切られた春のこと思えば春と どこまでも春と」

 ところが、職場の話になるといきなり諧謔的な雰囲気になるのが妙に可笑しくて、おそらく仕事が嫌なんだろうなーと。

 「椿事なり無言電話に寡黙なる課長いきいき憤りおり」

 「「わたくしのほうで手配をいたします」てきぱきと言うわたくしって誰?」

 「親しまれたくなんかない大猫の貌おぼえたり入社五年目」

 「終末のうわさは楽し本年度業務計画書をつくりつつ」

 他に、動物が出てくる作品はどこか生き生きとしていて魅力的です。

 「夏まひる地上に落ちて熱帯も温帯もありミケ大陸は」

 「銀色の鎧をまとい草原に女神降りたつ 犀と呼ばれる」

 「みっしりと寄りあう海の生きものがみんなちがってうれしい図鑑」

 「ここではないどこかに光る湖がありタンガニイカ、とちいさく呼べり」

 今気づいたのですが、タンガニイカは動物じゃありませんね。まあ気にしない。


タグ:佐藤弓生
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『謎の絶滅動物たち』(北村雄一) [読書(サイエンス)]

 「ほんの数万年前の地球はこんな世界ではなかった。現在では見られない奇妙で巨大な動物が歩き回り、走り、食べ、狩りをおこない、大空を飛んでいたのだ。それは巨大生物が支配する豊かな世界だ」(単行本p.4)

 氷河期が終わり、人類がアフリカ大陸を出て世界中に広がっていった時代。なぜかどの地域においても人類進出とほぼ同時期に巨大動物たちが相次いで絶滅しているのだ。滅びていった巨大動物たちをイラストと共に詳しく紹介してくれる図鑑。単行本(大和書房)出版は、2014年5月です。

 ネアンデルタール人からリョコウバトまで、絶滅した動物たち45種の図鑑です。特に巨大動物を中心に取り上げています。

 全体は大陸毎に分類され、個々の項目は4ページから構成されています。最初のページには、種名をはじめとする簡単なデータ(分類、大きさ、生息地、発見年、絶滅の理由)と簡単な説明が掲載されており、次のページにイラスト、次の2ページに詳しい解説、というフォーマットです。

 マンモス、サーベルタイガー、マストドン、ドードー、ジャイアントモア。名前はよく知られているし、フィクションにも登場する機会が多く、お馴染み感が強いのですが、実はよく分かってないことが多いということが、本書を読めば理解できます。タイトルに「謎の」とあるのは、そういう意味でしょう。

 「サイの角は毛が固まったものだ。丈夫だが、化石として残ることはまずない」(単行本p.25)

 「ドードーは、絶滅から100年以上過ぎた1758年に記載された。(中略)どんな声で鳴いたのか、どんな生活をしたのかほとんどわかっていないし、何を食べたのかさえはっきりしない」(単行本p.189)

 「実際のところメイオラニアはモロクトカゲでもなく、メガラニアの頭でもなく、それどころかトカゲですらなかった。メイオラニアはカメだったのである。(中略)メイオラニアについてわかっていることは少なく、いつ絶滅したのかもよくわからない」(単行本p.169)

 本書ではじめて知ったことも多く、ページをめくる度に驚きの連続です。長さ3.5メートルという体長より大きな角を持ったオオツノジカは「あまりに巨大な角ゆえに滅びたという俗説が根強くある。これは間違い」(単行本p.30)だとか、ニホンオオカミ最後の一頭の剥製は「大英博物館で保存されている」(単行本p.197)とか。

 もっとも、本書の一番の魅力は「でかい、強い、すげえ」動物がばんばん登場することでしょう。

  最大記録で4.9メートルもの牙があるマンモス。
  史上最大級のサーベルタイガー。
  高さ2メートルに達する史上最大のクマ。
  両翼が4メートルにもなる巨大怪鳥。
  体長3メートル、尻尾1メートルの巨大アルマジロ。
  体長6メートル、ゾウに匹敵する史上最大のナマケモノ。
  体長3メートル、史上最大の有袋類
  高さ1メートル、飛べたか否かが議論になる巨大フクロウ

 少年の心がうずくー。

 3メートルとか6メートルとか数字だけ見てもぴんと来ませんが、部屋の大きさを基準にして「この動物が今ここにいたら」と視覚的に生々しく想像してみると、その巨大さに圧倒されます。でかっ。

 他に、個人的にオーストラリア大陸の絶滅動物たちにはなぜか心ひかれるものを感じます。

 オーストラリア肉食動物界の頂点に君臨した巨大ワニ
 アカカンガルーの2倍近い体重、奇怪な人面カンガルー
 体重275キロ、もはや飛べず地面を疾走した巨大カモ
 体長1.3メートル、肉食になった殺し屋ウォンバット

 恐竜についての本は沢山出ているのですが、もっとずっと近い時代(数万年から1万年ほど前)の絶滅動物たちについて一般にほとんど知られていない、実は専門家ですら分かってないことが多い、というのは意外でした。

 自分たちの先祖が直接的あるいは間接的に滅ぼした動物たちよりも、はるか太古に滅びた恐竜の方をよく知っている人類、というのは、考えてみると皮肉な話です。

 絶滅の原因や経緯について本文では客観的に書かれていますが、「まえがき」や「あとがき」ではかなり辛辣な言葉が。

 「私たちがやっていることは、ほかの生物を食いつぶして滅ぼし、我々自身へと変換する作業なのだ。1万年以上前に始まったこの電撃戦は、あと200年あまりで終わりを迎えるはずである。すべての動物の抹殺が完了し、彼らの肉体を構成していた有機物は、すべて人体につくり替えられる。そして、地球は人間だけの星になるのだ」(単行本p.211)

 生態系が消滅すれば人類も滅びますから、地球が人間だけの星になることはないとは思いますが、苦々しい気持ちは充分に伝わってきます。

 というわけで、今も加速中の「人類による種の大絶滅」について考えるための参考書としても、古生物学の図鑑としても、恐竜以外の「でかい、強い、すげえ」動物について知ってわくわくしたい方にも、大いに楽しめ、役に立つ一冊です。


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『プラスマイナス 146号』 [その他]

 「おととい接骨院デビューした生まれて初めての接骨院だ」
 「カルチャーショックだったカルチャーショックて今時言うのか?」

 『プラスマイナス』は、詩、短歌、小説、旅行記、身辺雑記など様々な文章を掲載する文芸同人誌です。配偶者が編集メンバーの一人ということで、宣伝を兼ねてご紹介いたします。

[プラスマイナス146号 目次]
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巻頭詩 『友よ我が君よ』(深雪)、イラスト(D.Zon)
短歌 『断崖がみえていた』(島野律子)
随筆 『一坪菜園生活 31』(山崎純)
随筆 『花蓮名産 バター風味漂流木』(島野律子)
詩 深雪とコラボ 『ビバ! 接骨院』(深雪のつぶやき(+島野律子 編集))
詩 『北総線の窓から』(琴似景)
詩 『贔屓』(多亜若)
詩 『2014年春』(琴似景)
イラストエッセイ 『脇道の裏の話』(D.Zon)
詩 『七星から三星を渡る』(島野律子)
詩 『二十七分間』(深雪)
随筆 『香港映画は面白いぞ 146』(やましたみか)
イラストエッセイ 『脇道の話 85』(D.Zon)
編集後記
 「ふるさとを語る」 その5 D.Zon
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 盛りだくさんで定価300円の『プラスマイナス』、お問い合わせは以下のページにどうぞ。

目黒川には鯰が
http://shimanoritsuko.blog.so-net.ne.jp/


タグ:同人誌
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