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『薄い街』(佐藤弓生) [読書(小説・詩)]

 「弥生尽帝都地下鉄促促と歩行植物乗り込んでくる」

 「どの人が夫でもよくなってくる地球の長い長い午後です」

 「まつり縫いいまだ終わらないこの宇宙ウール100パーセントスカート」

 怪談からSFまで、あらゆる手を尽くして世界をどこかにずらしてゆく第三歌集。単行本(沖積舎)出版は、2010年12月です。

 先日読んだ第一歌集が面白かったので、比較的新しい第三歌集も読んでみました。ちなみに、第一歌集読了時の紹介はこちら。

  2014年06月05日の日記:
  『世界が海におおわれるまで』(佐藤弓生)
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2014-06-05

 第一歌集に見られた特徴は確実に受け継がれているようです。手短に紹介しますと、まずは怪談短歌。

 「霜月の宝飾売場さんざめくさなか鏡をよぎる首あり」

 「その中がそこはかとなくこわかったマッチの気配なきマッチ箱」

 「、と思えばみんなあやしい……このなかの誰かが死者である読書会」

 「触れちゃだめ正夢だもの 夏の夜こびとが嘗めにくる塩だもの」

 「人ひとり中央線にねむるたび花の店からあふれだす花」

 「しばらくはまだ鼠だったんだろう朝の車道に毛はそよぎつつ」

 「くるだろうゆめにわたしのぬけがらを挽きゆくための蟻五千匹」

 「----海ですよ。バスが停まってうたた寝のあいだ隣にいた人 いない」

 「大きなる顔がにわかに浮かびきてのちなにもないひろい海だよ」


 そして語句の繰り返しリズムが生み出す目眩感覚。

 「ひらいたらただただしずか そしてまたたたんかたたん各駅停車」

 「星ぼしのひくくくるしくひしめいて送電線は谷間にたわむ」

 「ガスタンクしずめてしずかしかすがにうすみずいろのくるしさ空は」

 「うつくしいうみうし増えて増えて増えて増えて人を憎んでいる暇なんか」


 これらに加えて、第三歌集ではSFが効果的に使われているところが新鮮なのです。どのくらいSFかと申しますと。

 「うごかない卵ひとつをのこす野に冷たい方程式を思えり」

 「どの人が夫でもよくなってくる地球の長い長い午後です」

 「流れよ血、流れよ涙、胸さきに懐中電灯(フラッシュライト)突きつけながら」

 という具合にSFなのですが、ごく日常的な抒情感がいきなり宇宙視点から詠まれてしまうところも、すごくSFはいってると思います。

 「まてんろう 海をわたってわたしたち殖えてゆくのよ胞子みたいに」

 「考える葦と呼ばれて遊星に六十億の性のそよげる」

 「とざされて仰ぐさくらのそとのそとVOYAGERの永遠の遠泳」

 「さくら打ち砕かれてよりあらわれぬ地上に小惑星帯(アステロイドベルト)は」

 「水鳥がきざむ水面を曳かれゆく遠き宇宙飛行士の悲鳴」

 「ざっくりと西瓜を切れば立ちのぼる夜のしじまのはての廃星」

 「だしぬけに孤独のことを言う だって 銀河は銀河の顔を知らない」

 「骨くらいは残るだろうか秋がきて銀河と銀河食いあいしのち」

 宇宙まで行かなくとも、そこここから漂ってくる気配も見逃せません。さてはきさまSFだな。

 「弥生尽帝都地下鉄促促と歩行植物乗り込んでくる」

 「革靴を露に濡らしてやってくるあれはわたしの若い父さん」

 「ぜったいに来ない未来のなつかしさバナナフィッシュの群れのまにまに」

 「まつり縫いいまだ終わらないこの宇宙ウール100パーセントスカート」


 並べてみると、怪談も、語句反復も、SFも、すべては世界を微妙にずらしてみせるための手段のようにも思えてきます。この感じが素敵だと思う、宇宙ウール100パーセントスカート(すそホツレあり)翻して闊歩する第三歌集です。


タグ:佐藤弓生
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