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『世界が海におおわれるまで』(佐藤弓生) [読書(小説・詩)]

 「卓上にバナナぶりぶりひしめいてまひるひみつの闇を飼いおり」

 「うつくしい兄などいない栃の葉の垂れるあたりに兄などいない」

 「犬ばかり光が丘は犬ばかり胸の毛玉に烈しい光」

 語句の繰り返しが世界を微妙にずらしてゆく第一歌集。単行本(沖積舎)出版は、2001年9月です。

 以前に読んだ『怪談短歌入門 怖いお話、うたいましょう』は個人的にたいそうお気に入り。同書の三人の編者のうち、東直子さんと石川美南さんについては歌集を読んだのですが、さしたる理由もなく佐藤弓生さんだけ読みそびれていて、これではいかんと思って今更ながら第一歌集を読んでみました。ちなみに『怪談短歌入門』の紹介はこちら。

  2013年10月22日の日記:
  『怪談短歌入門 怖いお話、うたいましょう』(東直子、佐藤弓生、石川美南)
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2013-10-22

 さて本書には怪談短歌というほど怖い作品はないものの、いくつか雰囲気がそれっぽいものはあります。

 「夕焼けのわけなど問うな今もまだきみは無人の校舎にいるのだ」

 「おしいれに小さな人がいるときは少しよぶんに鼻歌うたう」

 「卓上にバナナぶりぶりひしめいてまひるひみつの闇を飼いおり」

 「うつくしい兄などいない栃の葉の垂れるあたりに兄などいない」

 状況を想像すると怪談短歌といってもいいのですが、何しろ「バナナぶりぶりひしめいて」とか「まひるひみつの闇」とか「兄などいない/兄などいない」といった語句の繰り返しリズムの心地よさが印象的で、あまり怖いとか不安だとかいう印象が残りません。

 どこか世界が微妙にずれてしまった感じを与えるこの語句の繰り返しワザ、あるいは念押しワザは、あちこちに仕掛けられていて、いずれも心のツボ押し効果をいかんなく発揮しています。

 「いぬいぬと尾を振るものに連れられて老夫は小春日和となりぬ」

 「犬ばかり光が丘は犬ばかり胸の毛玉に烈しい光」

 「コーヒーの湯気を狼煙に星びとの西荻窪は荻窪の西」

 「鍵盤をきらきら男おりてきてダンス・マカーブル、ダンス・マカーブル」

 「「嘘つき」と電話を切られた春のこと思えば春と どこまでも春と」

 ところが、職場の話になるといきなり諧謔的な雰囲気になるのが妙に可笑しくて、おそらく仕事が嫌なんだろうなーと。

 「椿事なり無言電話に寡黙なる課長いきいき憤りおり」

 「「わたくしのほうで手配をいたします」てきぱきと言うわたくしって誰?」

 「親しまれたくなんかない大猫の貌おぼえたり入社五年目」

 「終末のうわさは楽し本年度業務計画書をつくりつつ」

 他に、動物が出てくる作品はどこか生き生きとしていて魅力的です。

 「夏まひる地上に落ちて熱帯も温帯もありミケ大陸は」

 「銀色の鎧をまとい草原に女神降りたつ 犀と呼ばれる」

 「みっしりと寄りあう海の生きものがみんなちがってうれしい図鑑」

 「ここではないどこかに光る湖がありタンガニイカ、とちいさく呼べり」

 今気づいたのですが、タンガニイカは動物じゃありませんね。まあ気にしない。


タグ:佐藤弓生
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