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『うわさとは何か ネットで変容する「最も古いメディア」』(松田美佐) [読書(教養)]

 「すでに数多くのうわさに関する書籍があるなか、本書の第一の特徴を挙げるならば、1990年代半ば以降、私たちの日常生活になくてはならないものとなったケータイやメール、インターネットといったメディアとうわさの関係性について焦点を当てたところにある」(新書版p.248)

 「うわさはその「内容」だけで成り立っているのではなく、それを伝える「形式」----口頭で広まるのか、電話が使われるのか、インターネットなのか、テレビ番組で取り上げられるのか、それらすべてのミックスなのか----と切り離すことができない」(新書版P.153)

 ゴシップ、怪情報、デマ、風評、チェーンメール、都市伝説。今やネットを介して急速に広まってゆく「うわさ」は、従来の噂とどこまで同じでどこが違うのか。古典的研究から最新状況まで、うわさをめぐる研究を紹介した一冊。新書版(中央公論新社)出版は、2014年4月です。

 「フランスの社会学者ジャン-ノエル・カプフェレはうわさを「もっとも古いメディア」と呼んだが、この「もっとも古いメディア」は新聞やテレビなどマスメディアが普及しても、ケータイやインターネットが広く利用されるようになっても消え去ることがない」(新書版p.ii)

 かつては情報不足によって引き起こされると考えられていた「うわさ」が、情報過多の時代になっても一向に減る気配がない、むしろ社会的影響力を増しているようにさえ思えるのは、いったいなぜでしょうか。

 本書は、都市伝説などを含む広い意味での「うわさ」に注目し、それがどのようなメカニズムに支えられているのかを読み解いてゆきます。

 全体は六つの章から構成されます。まず最初の「第1章 うわさの影響力」では、70年代の「トイレットペーパー買いだめ騒動」と東日本大震災直後の買いだめ騒動を比較する等を通じて、「うわさ」がどのような社会的影響力を持つかを分析します。

 「一般に、「うわさとは怪しげな話であり、そんな情報にだまされるのは愚かであるからだ」とされる。また、「災害時は人びとがパニックに陥っているから、おかしな話が広まる」とも考えられがちだ。さらには、「くだらない話や人のプライバシーに首を突っ込みたがるうわさ好きは、自分とは関係ない」と思っている人も多い。しかし、そうではない。(中略)誰もがうわさに関わるのであり、うわさに影響を受ける。自分だけは大丈夫ということはない。うわさを理解するには、まずはうわさに対する否定的な見方を改めるところから始めるのがよいと考える」(新書版p.34)

 人々が善意で流した情報が大量虐殺の原因となり、銀行破綻のうわさが実際に銀行を破綻させ、物不足のうわさが物不足を引き起こす。「うわさは広まることで「事実」を生み出すことがある。(中略)「煙」がいつの間にか「火」を起こすのだ」(新書版p.17)。たかが「うわさ」と侮ってはいけません。それは、「現実」を作り出すほどの力を持っているのです。

 続く、「第2章 うわさを考える----「古典」を繙く」ではうわさに関する古典的な研究をいくつか取り上げて紹介し、「第3章 都市伝説の一世風靡----1980~90年代」では、いわゆる都市伝説を取り上げ、「うわさ」が果たす社会的役割が広がっていく様子を見ます。

 「うわさは事実関係を超えた「神話」あるいは「物語」でもあるのだ。だとすると、うわさを消すために、事実関係を明らかにするだけでは十分ではない。その神話性や物語性を弱める必要がある」(新書版p.106)

 「第4章 人と人をつなぐうわさ・おしゃべり」では、古典的研究では捉えきれない「現代的うわさ」のメカニズムを探ってゆきます。うわさをその情報/内容から理解するのではなく、コミュニケーション/動機の観点から考えてゆくのです。

 「都市伝説に顕著に見られるようなうわさの特徴を捉えるには、「古典」とは別の視点が必要である。(中略)事実かどうか疑わしい話が広まるのは、うわさが既存の人間関係を基盤にしているためでもある。やはり、うわさは事実性からのみ理解、評価することはできないのだ」(新書版p.107、111)

 「第5章 メディアとの関係----ネットとケータイの普及のなかで」および「第6章 ネット社会のうわさ----2010年代の光景」では、これまでの論考をもとにして、現代の「うわさ」の背後にあるメカニズムを探求してゆきます。

 「インターネット上に事実関係の定かではない情報が数多く存在しているとしても、それだけでは「インターネットではうわさやデマが広まりやすい」という結論を導くことは難しいのである。むしろ、インターネット上では個人がもっともらしく思う情報に出会いやすく、その情報を共有できる相手とも出会いやすい点が重要である」(新書版p.203)

 「インターネットがうわさの巣窟とされるのは、単に情報が多いからというわけではなく、また事実関係のあやふやな情報が多いからというわけでもない。それだけでなく、むしろ、特定の立場からの「情報」が集まることで増殖するところにある(中略)インターネットの公開性は集団分極化やカスケードを促進することで、立場を同じくしない人からは「うわさにみえるもの」を増殖させることとなる」(新書版p.206、208)

 さらには、「うわさの貯蔵庫として機能するインターネット」と「他人からの評価が可視化されるSNS」が何を引き起しているか、またインターネットの普及によって逆説的に浮かび上がってくるマスメディアの影響力の大きさ、など、現代の「うわさ」を考えるための様々な視点が提示されます。

 インターネットを「うわさ(デマ、風評)を素早く拡散させるメディア」とだけ捉えるのでは不十分で、うわさの特徴や性質を大きく変容させている「場」として考える必要があることがよく分かります。


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