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『SF的な宇宙で安全に暮らすっていうこと』(チャールズ・ユウ:著、円城塔:翻訳) [読書(SF)]

 「こうやって僕は自分の本を書いていく。未来において既に存在している本をまた書いていく。結局僕が書くことになるのと寸分違わずおんなじ本を。僕は、ある意味ではまだ書いておらず、別の意味ではいつでも書き終えられている本を書いている。また別の意味では今書いており、別の意味ではいつも書かれている途中で、また別の意味では、決して書かれることのない本を。(中略)テキストにはこの説明用の(そして自己言及的でもある)傍注も含まれているし、既に一つ目の文で説明された内容についての二階のメタ説明である、この二つ目の文自身も含まれている」(単行本p.139、146)

 「こんなことには意味がないという確信があるという感覚がある。僕はこのお話がどう続くのかわからない。この物語がどう終わるかわからない」(単行本p.150)

 しがないタイムマシン修理工のチャールズ・ユウ、つまり「僕」は、未来の自分を撃ち殺すことで時間ループにとらわれてしまう。だから僕は未来の僕から託されたこの本『SF的な宇宙で安全に暮らすっていうこと』を書かなければならない。チャールズ・ユウの第一長編を円城塔が翻訳したタイムパラドックス家族小説。単行本(早川書房)出版は、2014年6月です。

 「TM-31の標準モデルは、最先端の継時上物語技術によって駆動する。クアッドコアの物理エンジンに載せられた六気筒の文法ドライブは、応用時間言語学的なアーキテクチャを提供し、そいつはレンダリングされた環境、つまりたとえば、物語空間なんかにおける自由航行を可能とする。特にSF的な宇宙とは相性がいい」(新書版p.16)

 「地下鉄では、隣の男がニュース・クラウドに頭を突っ込んでいる。「パラドックスは16パーセント増加しました」もう数インチ寄りかかれば、ニュースの中身を開けるだろう。「第四、四半期は前年度比で16パーセントの増加でした」みんなが自分の祖父を殺そうとするのをやめるだけでも、こういう事態を収拾することができるかも知れない」(単行本p.91)

 いきなり文章の癖というかスタイルというか既視感ハンパないので、もしかしたら「チャールズ・ユウ」というのはキルゴア・トラウトの一味で、表紙の作品紹介や奥付や解説もみんなフェイクで、本当は円城塔が書いた小説なんじゃないかと、一瞬マジでそう思いました。

 もちろん違います。

 かと言って、チャールズ・ユウが書いた作品かというと、設定上はそれも微妙に違うのです。つまり、テキストの自己組織化というか、時間ループによる存在の輪としての物語が自己言及的に生成されたということになります。もっときちんと説明するなら。

 「継時上物理学は、有限かつ有界である物語世界における時間の物理的、形而上学的性質を扱うSF的な科学の一分野だ。(中略)継時上物理学的な過去形-記憶等価原理によって、僕らは記憶を追体験することで、テキストのナレーションを生成してきたわけだ。(中略)僕は今までどおりの行動を保つ。前へ前へと叙述的重力に引かれるがまま、トーラス状のベクトル場上のループする経路を進むに任せる」(単行本p.53、256、)

 「僕がこの本を書かなきゃいけないのは、要するに、どこかの時点でこれを書き上げなきゃいけないからで、それから時間を遡って自分に撃たれ、本を自分に手渡すわけだ。だから僕はこの本を書く」(単行本p.137)

 そういうわけで自己言及的に生成されつつある本書の主人公は、もちろんチャールズ・ユウ。彼はタイムマシンが故障して困っている人のところに時空を超えて修理に出掛けるという仕事をしており、ほとんどの主観時間をタイムマシンTM-31の中に引きこもって暮らしています。彼が存在するマイナー宇宙31の構造はこんな感じ。

 「現実はマイナー宇宙31の表面積の13%、体積の17%を占める。残りは標準的な複合SF基材よりなる。トポロジカルには、31の現実部分は内核に集中しており、サイエンス・フィクションがその核を取り巻いている」(単行本p.47)

 もう31歳だというのに、大丈夫なのか。

 そんなユウは、失踪した父親を探しています。かつて父との関係をこじらせてしまった経緯を回想してゆきますが、何しろ「作中人物には過去へのタイムトラベルと、現在形で記述される過去回想パートを、区別することは出来ない」というのが継時上物理学の等価原理。

 こうして、SFファンの引きこもり青年が父親との思い出を切なく感傷的につづってゆく家族小説であると共に、タイムトラベルSFでもあり、両者は重なり合ったままいつまでも収束、今風に言うならデコヒーレント、しないで進んでゆきます。

 「好きな作家・影響を受けた作家にはドナルド・バーセルミ、カート・ヴォネガット、ジョージ・ソーンダースを挙げている」(単行本p.313)という作者だけあって、メタSFとして読んでも、SF用語をメタファーとして駆使しつつ家族とのこじれた関係に決着をつけて時間ループ(精神的自立が出来てない青年のモラトリアム)から脱出する決意を固めるまでの心境小説として読んでも、うっかり感動しかねないので要注意です。

 「僕が自分に対して自分の人生に対してやっているこの行為、記憶の中の同じ場所でのたうちまわり、何度も見直し、煩悶に煩悶を繰り返すこの行為は何と呼べばいいものだろう。なぜ僕は未だに学んでいないのか? どうして違った風にやれないのか?」(単行本p.263)

 「ここまでずっと、父さんがこのループからの脱出の鍵だと思ってた。彼が僕を助けてくれて、彼が答えになるんだってね。実際には、答えは全然答えなんてものじゃなくて、選択だったんだ。僕が彼を見つけたいなら、僕はこのループを脱出する必要がある。もしもう一度彼に会いたいなら、この箱から出なきゃいけない」(単行本p.277)