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『活字狂想曲』(倉阪鬼一郎) [読書(随筆)]

 「これは、まったく向いていない会社勤めを11年間続けた、ある現実不適応者の記録である」(Kindle版No.5)

 文字校正係として就職した著者を待ち受けていたのは、理不尽がまかり通る不可解な日本のカイシャ生活だった。爆笑ものの校正ネタを折り込みながら、会社の不条理をえぐった一冊。その電子書籍版をKindle Paperwhiteで読みました。単行本(時事通信社)出版は1999年3月、文庫版(幻冬舎)出版は2002年8月、Kindle版(幻冬舎)配信は2014年6月です。

 「客観的に見れば、著者が勤めていたのは極めて良心的な会社だった。著者が耐えがたかったのは、せんじつめれば会社組織一般と日本的世間であり、モデルとなった会社および善良な人々ではないことをお断りしておきたい」(Kindle版No.19)

 平成元年から始まって10年ほど同人誌に発表され続けた怒りと爆笑の会社員エッセイです。社内で起きる変な出来事、不可解な人々、とんでもないトラブルなどが、面白おかしく書かれています。

 QC活動、提案制度、指差呼称、朝礼、ラジオ体操、親睦会、社員旅行。自称「現実不適応者」である著者は、こういった会社員につきもののプチファシズム儀式を嫌悪します。逃げ回ります。

 「要するに私は、学校だの会社だのといった自ら選んだわけではない人間関係にべたべたまとわりつかれるのが、ひたすらうっとうしくて嫌なだけなのである」(Kindle版No.1953)

 「同僚が親しげに軽い調子で話しかけてきた。ここで合わせたら元の木阿弥になる。のみならず、QC、レク・リーダー、提案委員、社内報の編集、チャレンジスクール、幹事、研修、スポーツ大会、朝礼の号令、部長の引っ越し……と、カイシャが堰を切って押し寄せてくる」(Kindle版No.956)

 著者が嫌悪するのは、会社の慣習だけではありません。周囲にいる人々も、著者にかかればボロクソに言われます。たぶん、本当にボロクソなんでしょうけど。

 「子会社に来る人はだいたいが落ちこぼれで、しかも本人はそれを認めたがらないという屈折した人間が多い。(中略)部下を偉そうにこきつかい、自分はデスクに足を投げ出して競馬新聞を読んでいる。遅くまで残業させ、いちばん遅い者に自分のタイムカードを押させる。ほとんどタコ部屋の棟梁である」(Kindle版No.1730)

 「どこをどう切っても「ただのバカ」という人間がこれでもかこれでもかと出てくる。世の中がいかに「ただのバカ」によって支えられているかがしみじみと感得される」(Kindle版No.1515)

 「人間がミスをする動物というのは自明のことだと思われるが、偉い人にはそういうことがわからない。(中略)三年半もバカどもと同じ空気を吸っていると、いろいろと耐えがたいことがある。(中略)まことに衆愚は度しがたい」(Kindle版No.99、123、1752)

 こうして不満を鬱積していった著者は、ときおり小噴火を繰り返しながら、ついに大噴火を起こして課長に暴言吐いて辞めることに。

 「化猫のほうは部下を叱っているという頭、こちらはあいにく「どうしてろくに漢字も文章も書けないバカにこんなことを言われなきゃならんのか」という考え、どんどん泥沼にはまるばかりである」(Kindle版No.2545)

 著者にとってはもちろんのこと、同僚や上司にとっても、そりゃ会社辞めて物書きになって正解だと、しみじみ納得してしまいます。

 さて、ひたすら憤懣と鬱屈を吐き出したような内容であるにも関わらず本書の読後感がそれほど暗くないのは、随所に登場する校正作業トラブル実例があまりにも可笑しいから。

 例えば、自動車メーカーの印刷物。「世界初」と書くべきところを「世男初」と誤植して、校正がそれを見逃してしまった。営業が顧客のところにとんでいって、「ひとつここは「せおとこはつ」ではなく、「セダンはつ」と読ませてみては?」(Kindle版No.164)と前向き提案。もちろん駄目でした。

 マレーシアの首都が「クアララルンプール」と一文字多かったので、「ラ」の字を丸で囲んで抹消指示を赤入れしたところ、「クアトルツメラルンプール」と印字されてきた件。

 「百メーター走るごとに」というチラシの文言。メーターでは田舎臭すぎるので「メートル」にすべしという判断から、「ター」を丸で囲んで「トル」に直すよう指示を赤入れしたところ、「紙の上に百匹の羊が残された」(Kindle版No.1231)

 「ある店の案内に「五月五日まで無休」というネームが入った。これを「無料」で行ってしまい、その後誰も気がつかず、たった一文字のために七十万部が紙くずとなった」(Kindle版No.188)

 「特に鬼門なのがダイヤモンドをはじめとする宝飾類のカタログで、商品の金額が高いから誤植がすぐに致命傷となる。2.0カラットと0.2カラットを間違えてトラック三台分が飛んだり、鑑定書と鑑別書の一字違いで八百万が消えたり、大事故が多い」(Kindle版No.783)

 人ごとなのでつい笑ってしまいます。人ごとと言えば、業界のあちこちの仕事ぶりを紹介するコーナーがあって、ここも相当に……いや笑えないよこれは。

 「S社(浅草橋)。はっきり言って下手である。来年のカレンダーを発注すると、今年のカレンダーを作ってきたりする。危なくてしょうがない。ただし、「無理がきく」という取り柄がある。短納期の因業な仕事は、この写植屋にたたきこむのが慣習となっている。最も残業が多い印刷業界の、下請けの、無理がきくことだけが取り柄の写植屋が、どのような労働生活を送っているか、読者はあまり想像したくないだろう。教えてあげる。(以下略)」(Kindle版No.302)

 というわけで、日本の会社生活に嫌々ながら合わせて生きている方も、結局耐えられずに辞めてしまった人も、最初から会社員になる気のない方も、それぞれに楽しんで読むことが出来る会社員エッセイです。

 会社の朝礼で号令をかける係をやるのが好きという方、毎日いくつも改善提案書を書いてモチベーションを高めているという方などは、読んでもイライラするばかりだと思われますので、ビジネス本とか、もっと仕事の役にたつ本を読むことをお勧めします。


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