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『1秒って誰が決めるの? 日時計から光格子時計まで』(安田正美) [読書(サイエンス)]

 「最先端の科学技術の成果であるこのイッテルビウム光格子時計の到達可能な精度は、0.000000000000000001(10の-18乗)。これは、宇宙の年齢と同じ137億年に1秒ずれるかずれないか、というぐらいの精度です。そしてこの時計は現在、将来の世の中における新たな「1秒」の基準となる可能性をもっています」(新書版p.10)

 「10の-15乗から-18乗もの精度が実現できた、と我々は喜んでいるわけですが、光格子時計の次の時代を担う「原子核時計」はさらにその上をターゲットにしています。(中略)原子核時計の場合、見込まれる精度は10の-18乗から-20乗レベル。また、ここから終わりのない戦いが始まると予感させられます」(新書版p.144、147)

 振り子、クォーツ、原子時計、そして最新の光格子時計まで。時間を正確に計測する、1秒を厳密に定義する、という究極目標に向けて突き進む最先端テクノロジーを専門家が平易に紹介する一冊。新書版(筑摩書房)出版は、2014年6月です。

 「人類の文明の発祥以来、現在まで、全く同じ目的をもち、しかも今なお進化させたいという欲求があり続ける道具というのは、武器を除いては、時計のほかにないのではないでしょうか」(新書版p.57)

 日時計、振り子時計、ぜんまい時計、クォーツ時計、原子時計。時を計る、その目的に向けて開発されてきた様々なテクノロジーの解説から本書は始まります。

 次に、時計の劇的な精度向上に伴って、「1秒」の定義を変える作業が進んでいることが紹介されます。質量、長さ、時間といった基準を厳密に定義する(そして維持する)ことの困難さと、それをめぐる国際間の綱引きの様子はたいそう印象的。

 「2年ほど前には、国際キログラム原器の重さを他の世界の原器と比べたところ、少し軽くなっていたことが判明して話題になりました(逆に世界の原器が重くなったのかもしれません。そのどちらかは分かりません)。(中略)現在、原子1個の質量を基準とする新しい「1Kg」の定義を決めるために、日本、イタリア、アメリカ、ドイツ、オーストラリア、ロシアなどが共同プロジェクトを進めています」(新書版p.61、62)

 「再定義が検討されている単位は、他にもいろいろあります。例えば、電流(アンペア)、温度(ケルビン)、物理量(モル)の単位も再定義が予定されています。「秒」についても、新たな「1秒」を定義するためのプロジェクトが進んでおり、私の研究するイッテルビウム光格子時計は、将来、新しい秒を定義する時計の候補の一つに挙がっています」(新書版p.77)

 どこかの地下に保管されているという「原器」、といった人為的なモノサシに依存するのではなく、宇宙のどこでも同じである物理量の測定値から、測定基準を厳密に定義する。その定義は、時代や文化から独立した、大げさに言うなら異星文明に対しても厳密に伝えることが出来るものとなります。ようやく人類はこの段階まで到達したか。

 というわけで、それまで地球の運動を元に定義されていた「秒」が、原子時計による定義に変わったのは1967年。意外と最近のことです。

 「55年にはイギリス国立物理学研究所(NPL)のルイ・エッセンらがセシウム原子時計を開発し、67年、1秒の定義がそれまでの地球の公転から、セシウム原子時計に変更されます」(新書版p.92)

 「セシウムが採用された理由は、おそらくですが、セシウム原子は天然の状態では100パーセント「セシウム133」しか存在しないからではないかと思います。(中略)セシウムは放射性ではないものとしては、最も重い原子なのです」(新書版p.93)

 原子時計としてセシウムが採用されたのは、重元素でありながら放射性でない、放射性同位体が(天然には)存在しない、という理由だったというのは、今となってはなぜか皮肉に感じられますね。

 「セシウム原子時計が初めてできた1955年当時、それは研究者の誰もが驚くほど正確なものでした。しかし、精度はその後、10年で1桁のペースで高まっていき、発明から50年経った今、当時に比べて5桁も上がり、10の-15乗にまで達しています。これは、数千万年に1秒しか狂わないという精度です」(新書版p.113)

 それだけ正確ならもういいじゃん、と思うのは大間違い。

 「その時点では、将来どのように実用化れるか必ずしも明確になっていなくてもよいから、究極の科学技術を一つ持っておくと、そこから無限の広がりが生まれていきます。「究極の1秒」を追い求める科学は、そのような無限の可能性をもっているのです」(新書版p.11)

 究極の1秒、至高の1秒。それを求める人類は、ついに最新テクノロジーに到達します。

 「2001年、つい最近のことですが、当時、東京大学大学院工学系研究科の助教授だった香取秀俊さんが光格子時計の手法を提案しました。(中略)つまり、ある波長のレーザー光線を重ね合わせて格子状の干渉縞をつくり、ぽこぽこできた一個一個の部屋のようなところに原子を捕まえて入れてやる、という仕組みです」(新書版p.121)

 レーザー冷却によって原子の動きを止め、さらにレーザー干渉縞によって作り出された小空間に一つ一つ分離した状態で原子を保持し、その振動数(周波数)を計る。簡単なようですが、実際には大変な作業です。

 「光格子が原子を支えていられる時間は1秒ほどなので、光信号の計測はその1秒を目掛けて、チーム全員(冷却レーザー&光格子用レーザー担当の私と、原子打ち上げ用のレーザー担当者、光周波数コム担当者、などなど)が息を合わせて電光石火の早業で行うことになります」(新書版p.127)

 「人為的な調整を加えず、人間ができるベストを無心の心で尽くし、その結果出てきた答えが合わなくてはいけない。現在、秒の再定義の候補に残っているものはどれも、そのような苦しい試練を乗り越えてきたものなのです」(新書版p.137)

 「息を合わせて電光石火の早業で」「ベストを無心の心で尽くす」とか、もはや技術解説の範疇を越えた、現場の緊張感が伝わってくるようです。しかも、ドイツやアメリカではさらに次世代技術、原子核時計の開発がスタートしており、「また、ここから終わりのない戦いが始まると予感させられます」(新書版p.147)という苛烈さ。

 全体的に文章は平易で親しみやすく、ときどき妙な脱線があったりして、専門的な内容にも関わらず楽しく読めます。こんな感じ。

 「物心がつき始めた1970年代終わり頃、家の柱時計のぜんまいを巻くのが私の仕事でした(当時としても多少時代遅れな感じですが、島根県では時の流れが多少遅いのです。パワースポットのせいで重力が強いのかもしれません)」(新書版p.165)

 というわけで、時間を計測する、逆に計測するための基準を定義する、という目標にどれほどの最先端テクノロジーが惜しみなく注がれてきたか、今まさにどれほど烈しい国際競争が繰り広げられているか、知らなかったことも多くて驚かされました。


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