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『ポエムに万歳!』(小田嶋隆) [読書(随筆)]

 「ポエムは、詩ではない。散文でもない。手紙文でも声明文でも記事文でもルポルタージュでもない。(中略)志半ばにして、道を踏み外して脱線してしまった文章の断片が、用紙の上に(あるいは液晶画面の上に)定着すると「ポエム」になる。私は、そのように考えている」(Kindle版No.152)

 「書き手が冷静さを失っていたり、逆に、本当の気持ちを隠そうとしてまわりくどい書き方をしていたりすると、そこにポエムが現出する。最も典型的な例では、青年誌の水着グラビアページが、ポエムの黄金郷だ」(Kindle版No.159)

 役人の作文に、政府広報に、マンションの宣伝に、女優のブログに、そしてトイレに掛けられているカレンダーに。私たちの身の回りに臆面もなく溢れている意味不明で恥ずかしいあの言葉たち。「ポエム」の謎を追求する一冊、その電子書籍版をKindle Paperwhiteで読みました。単行本(新潮社)出版は2013年12月、Kindle版配信は2014年6月です。

 「本書が、完全な書物になるためには、執筆者の心痛と、編集者の蓄積疲労と、読者の歩み寄りが、幸福な形で鼎足しなければならないということだ。実態に即して言い直すと、読者になるはずの貴殿は、あらかじめ、最初の1ページ目を開く前から、わくわくしているべきだということだ。(中略)できれば、読む前に、感動しながら、読み進めてほしい。それこそがポエムの要諦だ」(Kindle版No.28)

 初手から「読者の歩み寄り」を要請するオダジマさんが今回ねちねちとからむのは、世にあふれる「ポエム」。あれ、いったい何なの。

 まずは、ポエマー界の巨匠について。

 「相田みつをの詩は、そのあまりにも平易な言い回しと、どこまでも凡庸な観察で人の心を打つ。(中略)いや、悪口を言っているのではない。私自身、心を打たれたから、こう言っている。あれは、人の心を打つのだ」(Kindle版No.339)

 「感動は、受け手の心が弱っている時に訪れることの多い体験だ。(中略)万全な体調ならば、何言ってやがんだ、バカにしやがって、とあざ笑っているような言葉にも、こちらが虚脱している状態だと思わず感動してしまうわけで、相田みつをの「ポエム」をトイレに置いたのは、まことに卓抜な着眼点だったと申し上げねばならない」(Kindle版No.350)

 東京オリンピック誘致の広告についても、「ポエム」として評価します。

 「驚くべき臆面の無さだ。五輪競技そのものへの言及はゼロ。なんというリスペクトの欠如。ただただ経済効果への期待を喧伝している。そして説教。繰り返される「ニッポン」という軽佻な国家意識。なにより、こんなものをうっかり公開してしまった自己省察の欠如が痛々しい」(Kindle版No.573)

 本書には「ポエム」の実例がいくつも引用されているのですが、これを書き写したオダジマさんは立派(あるいは厚顔)だと感心ひとしきり。私には無理。

 他に、反原発デモ(の動員形態)、電子メール(のスパム化)、ネット(の誹謗中傷)、体罰問題(の対応不手際)、高齢者(の犯罪)、など昨今話題となった時事ネタについて、主にぶつくさ文句をつけてゆきます。特にネットまわりのあれこれについては、自身も痛い目にあっているらしく、やたらと辛辣な言葉が。

 「彼らは、何事であれ落ち着いた表情で「たいしたことではない」と言っていれば、専門家っぽく見えると考えている。が、結果が悪い側に転んだとしても、決して責任を取らない」(Kindle版No.1117)

 「もともと、われわれは「リンチ」が好きなのだ。わたくしども近現代の日本人は、悪いヤツを吊し上げ、責め立てて、その悪党が苦しむ姿を見物するのが、大好きなのである。ネットは、そうしたもともとわれわれの中にある処罰感情を、カジュアルに刺激し、効率的に宣伝し、爆発的に増幅させる機能を持っている」(Kindle版No.1127)

 「私のもとに中傷メールを寄越すのは、何であれ、攻撃材料があれば良いと考えている連中で、彼らは私が何回否定したところで、「オダジマの犯行」を糾弾するページを何度でも造り直すに決まっているからだ。そして、それらをはじめて見る新しい読者は、毎日のように生まれていて、その彼らのうちの何割かが私に抗議のメールを送ってくるわけだ」(Kindle版No.1187)

 他に、オダジマさんが気に食わないのは、ファッションにこだわる若い女性、大衆メディア、人気政治家、そして団塊世代。30年前から変わってないので、もう安心の偏屈ブランドです。

 「森ガールの皆さんは、ぜひ20歳で卒業するように。法律で禁止できると良いのだが」(Kindle版No.1473)

 「メディアの現場は、事件や事実を「狩る」ことの非効率を嫌って、いつしかニュースを「養殖」する方向に進化したのである」(Kindle版No.1520)

 「硬直した組織は、自らの問題を認識しない。臭い足を持ったオヤジがそれに気づこうとしないのと同じだ。彼は、問題を靴下のせいにする。でなければ、臭いと言った人間の鼻を殴る」(Kindle版No.1698)

 「団塊の不品行はいつも隠蔽される。でもって、ニュースの背景は団塊向けに読み替えられ、放送原稿は団塊の耳に心地良い響きを奏でるようにリアレンジされ、最終的には、いつも団塊だけがマトモな人間であるかのようなプロパガンダに着地する」(Kindle版No.1927)

 「強気で無反省で自分が一番だと思っているニュータイプの老人たち。「新老人」という言い方は、ちょっと気味が悪いが、でも、老人デビューする彼らのために何らかのレッテルは必要だと思う。団塊老人。団老。老塊。老衆。高齢山脈。マス爺」(Kindle版No.1952)

 まあ、個人的にも、「団塊世代(男)だけがマトモな人間である」というプロパガンダを流すことがメディアの主目的になっていると感じることは多々あります。でも、改めて指摘されてもぜんぜん嬉しくない。

 というわけで、ポエムから団塊まで、臆面のない恥知らずの主流意識というものについてオダジマさんがひたすら愚痴る、読者を疲弊させる一冊です。


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