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『ランチのアッコちゃん』(柚木麻子) [読書(小説・詩)]

 「来週一週間、私のお弁当を作ってくれない? こんな感じの和食でいいから。(中略)もちろんお礼はするわよ。私の一週間のランチのコースと取り替えっこするの」(Kindle版No.78、87)

 派遣社員の女性が一週間だけ体験したランチタイムの小冒険をえがいた表題作など、夢と飲食がいっぱいのお仕事ファンタジー四篇を収録した短篇集。その電子書籍版を、Kindle Paperwhiteで読みました。単行本(双葉社)出版は2013年04月、Kindle版配信は2014年02月です。

 魔法の力で一定時間だけ「憧れの職業についている大人の女性」に変身して活躍するという、女の子の夢と希望が詰まった物語。今もっとも切実にそれを必要としているのは、搾取されまくり人生どんづまり感ハンパなく、恋愛に何か救いを求めても裏切られるだけだと思い知らされている、派遣業の女性ではないでしょうか。


第1話 ランチのアッコちゃん

 「営業部唯一の女子正社員である、アッコ女史こと黒川部長は四十五歳の独身だ。(中略)社内にいてもほとんど私語もなく、ひたすら業務に集中して成果を上げる彼女を、誰もが恐れている。社長にも一目置かれているらしい。仕立ての良いパンツスーツや、上質のカシミアを愛用していて、よく似合う。質素なオフィスで一人だけエグゼクティブのオーラを放っている」(Kindle版No.51)

 仕事に行き詰まり、恋人にもふられて、落ち込んでいた主人公。上司であるアッコ女史から持ちかけられた奇妙な提案を断り切れず、一週間だけランチタイムを交換することに。テクマクマヤコン、テクマクマヤコン、仕事のできる正社員になあれ~~☆☆。

 「ここの常連は皆そう呼ぶよ。『ひみつのアッコちゃん』みたいに、彼女はたくさんの顔を持ってるからね。(中略)彼女と一緒に働けるなんてうらやましいよ。面白くて可愛い女性だからなあ」(Kindle版No.153)

 カレー屋で働いたり、ジョギングしたり、古書店のイベントに参加したり、社長と会食したり。ランチタイムのわずかな時間だけアッコの替わりに小さな冒険を積み重ねてゆくうちに、主人公は次第に仕事と人生に対する情熱を取り戻してゆく。


第2話 夜食のアッコちゃん

 「じゃあ、面接代わりに、私と一緒に働いてみなさい。会社勤めと重ならない時間を選ぶから、両立できるはずよ。来週一週間様子を見てあげる。弱音を吐いたり役に立たなかったら、即不合格」(Kindle版No.594)

 正社員と派遣社員の対立に疲れ切っている主人公が、今や独立して個人で移動販売の仕事をしているアッコと再会。どうか自分を雇ってほしいと申し出て、一週間だけ仕事を手伝うことに。テクマクマヤコン、テクマクマヤコン、起業してばりばり働いている自営業者になあれ~~☆☆。

 「『かたつむり食堂』や『食堂かもめ』みたいなほっこりしたこと言ってんじゃないわよ!」(Kindle版No.812)

 歌舞伎町、新聞社、病院、築地市場、映画撮影現場。夜中から早朝にかけて、あちこちに出没しては、アッコと一緒に仕事する主人公。夜の東京には知らないことがいっぱい。昼は派遣社員、夜は自営業見習い、無茶な激務をこなすうちに、わき上がってくる不思議な自信。


第3話 夜の大捜査先生

 「日焼けサロンで肌を焼き、臍にピアスをあけた高校二年生の夏。ココナツの香りのするキス、毎日のように着替えに使った109のトイレ、繰り返し聴いていた安室奈美恵、明け方の渋谷にかかる薄桃色の靄。プリクラ帳がどんどん切り替わった。あの日々は永遠に思えた。世界の中心に居るのは確実に自分に思えた----」(Kindle版No.1050)

 かつて不良少女として渋谷の街を我が物顔で歩いていたというのに、今や婚期を逃して焦り、合コンで「上品で適度に野暮ったい」お嬢様を演じたり、くだらない男に媚びたりしている自分。そんな毎日に嫌気がさしている主人公に、まさかの出会いが。

 「担任教師だった。学校で、通学路で、そしてこの渋谷円山町で、彼と数え切れないほどの死闘を繰り広げたことが、恐ろしい早さで蘇ってくる。(中略)誰もが恐れ、誰もが一目置いていた。大人なんて全員ナメてかかっていた野百合も、彼のいささか人間離れした強靱さには畏怖を感じていた」(Kindle版No.1121)

 かつての自分を思い出させる不良少女を追っかける教師、それを見て何かが吹っ切れた主人公。合コン放り出して、夜の渋谷を全力疾走するうちに、心は90年代へと。すべてに全力で立ち向かっていた無謀で愚かなあのころの情熱が戻ってきた。


第4話 ゆとりのビアガーデン

 「会社の歯車として機能するために、自分を律しようという姿勢がどこにもない。 結局のところ「ゆとり世代」のマイペースなお子様だった。まったく平成生まれなんて所詮使いものにならない」(Kindle版No.1451)

 ベンチャー起業の社長である主人公はイライラしていた。かつて自分の下で働いていた「使いものにならない無能なゆとり世代社員」だった女性が、会社が入っている雑居ビルの屋上にビアガーデンを開くというのだ。嫌がらせか。

 「上手くいかないのは目に見えているのに、胸騒ぎが消えない。何故、彼女がこれほど疎ましいのだろうか。(中略)あのゆとりモンスターめ。今に足をすくわれるがいい。彼女の失敗を必死に祈っている自分に気付き、雅之は嫌な気分になった」(Kindle版No.1582、1676)

 しょせん「ゆとり世代の甘え」と思っていた彼女の商売が思いの外うまくゆき、それどころか残業残業で追いまくられていた部下たちまでが彼を「裏切って」屋上に向かうのを苦々しく思う主人公。

 努力と根性で必死に頑張ってきた自分たちが挫折しかけているというのに、なぜこんなことに。自分のやり方が古いというか、ビジネスとして仕事として間違っていたことを思い知らされた主人公は、最後のプライドをかけて彼女に挑戦状を叩きつけた。


 というわけで、自分を導き成長させてくれる元上司、できる元部下、あるいは今の自分を全肯定してくれる元教師など、現実には決して存在しない人々がもしも目の前に現れたら、そうしたら私の俺の人生は何か変わるかも、具体的なイメージはないけど、という夢と飲食のお仕事ファンタジー短篇集。仕事に、将来に、人生に、疲弊している方々にお勧めです。


タグ:柚木麻子
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