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『婚礼、葬礼、その他』(津村記久子) [読書(小説・詩)]

 「一瞬、これは夢じゃないかな、とどうしようもなく愚かな希望的観測が頭をよぎった。とにかく、夢じゃないにしても、もう披露宴も葬式もどうでもいいからうちに帰って寝たい、とヨシノは思った」(文庫版p.43)

 旅行の予定をキャンセルして友人の結婚式に出席するはめになったヨシノ。だが、災難はそれで終わりではなかった。幹事をつとめる披露宴二次会の直前になって、葬儀に参列するよう上司から緊急連絡が入ったのだ。

 社会的慣習に小突き回される人生をユーモラスに描いた表題作など二篇を収録した作品集。単行本(文藝春秋)出版は2008年07月、文庫版出版は2013年02月です。


『婚礼、葬礼、その他』

 「ああまあいいよまあうん、などとうなずいてしまい、話が終わる頃には、少しでも友達の役に立ちたい、という思いと、でも幹事かよ、という辟易でわけがわからないことになっていた」(文庫版p.16)

 「大人のお祝いには手間がかかりすぎる。あるいは、子供の時にお誕生日会をして、大人のお祝いの手間を人間は学んでいくのだろうか。だとしたらわたしははなっからそっち側じゃない、とヨシノは思う。祝福される側。人を呼ぶ側。ヨシノは常に列席者だ」(文庫版p.17)

 友人から結婚式の二次会の幹事とスピーチを頼まれたヨシノは、せっかくの貴重な休日が潰れ、しかも楽しみにしていた旅行の予定をキャンセルするはめになったことで、がっくりきていた。それでも、断れない人の良さ。

 「本当に、旅行に行くのだといって断ってもよかったのかも。ものごとがわからない人間のふりをして、自分の我を通すのも一つの手立てなのかも。そういう人はたくさんいる。だからといって簡単にそちらの側にはずれ込むことのできない自分を少しだけ無力に感じつつも安心する」(文庫版p.13)

 だが、災難はまだ始まったばかりだった。いよいよ二次会というところで会社からの緊急連絡が。部長の父親が亡くなったので、社員は全員、通夜に参列するように、というのだ。なんで、どうして私がそんなことしなきゃいけないの。これから二次会で幹事でスピーチなのに。

 「部長の親父とやら、いったいおまえは誰なんだ、と思い始める。間が悪すぎる。もう一日ぐらいなんとかならなかったのか。(中略)ヨシノは故人のタイミングの悪さに改めて怒りを覚えていた。職場の人びとは、欠点もあるが総じて悪くはない人たちで、自分もそうであるし、きさまそれにつけこんだな、とまったく筋違いのことさえ考え始めていた」(文庫版p.35、40)

 「それにしても、他の社員の付き合いのよさ、というか社会人作法の卓越に、何か筋違いな怒りのようなものも覚える。なんでお通夜の開始時刻の一時間半前に全員そろってるの? だいたい今日休みなのよ、せっかくの連休の最後の日なのよ、休んだらいいじゃないのよ、べつにズルをしたってわたしだけは理解するよ、だってなにしろ今日は休みなのに」(文庫版p.33)

 心の中で筋違いの怒りをあちこちにぶつけながら、でも人の良いヨシノは結局は奮闘するはめになるのだった。しかし、それでも事態はどんどんドツボにはまってゆく。おまけに朝からろくに食べてないので激しい空腹に襲われる。

 読経の最中、怒りと空腹がついに頂点に達したヨシノは、人の死ということについて真面目に考え出してしまい、気がつくと、ぼろぼろに泣いていたのだった。

 よく分からない社会的慣習に振り回され、しかもそういうときにかぎって間の悪いトラブルが続出したりして、何のため、誰のために、自分はこんな目に合わなきゃいけないんだ、と泣きそうな気分になる。涙が滲む。おそらく誰にでも覚えがある体験をユーモラスに書いた中篇です。


『冷たい十字路』

 「彼らがお互いについて知っていることは唯一、わたしはあんたより重要な目的地を持っている、ということだけだ。もちろんそれはまったく一方的な思い込みであるのだけども、朝方に擦れ違う人たちはなぜかそういう確信を抱いているように見える」(文庫版p.92)

 道幅いっぱいに並んでしゃべりながら自転車を走らせていた高校生たちが、交差点で衝突事故を起こす。しかし、いつも彼らと擦れ違っている人々は、必ずしも同情的ではなかった。

 「あの人たち、自転車で走りながらも喋りたいもんだから、すっごい横に広がって走ってんのよ、と言っていた。ほんとにもう、ものすごい速さで走りながらしゃべってんの」(文庫版p.111)

 「まず子供をはねられ、そして植木鉢をはねられ続けている。そんなふうに考えると、両手をついて泣きたいような気持ちに駆られる」(文庫版p.113)

 事故の目撃者、交差点の近くで働いている女性、学校の先生、交差点を通学路としている子供。様々な視点人物が交替で、それぞれに抱えている事情を語ります。次第に、事故の背景には人為的なものがあるらしいことが次第に分かってきて……。

 前方不注意のまま歩道を自転車で高速走行する危険な若者たち、という社会問題を扱った中篇。文章からはいつもの滑稽さは感じられず、緊張感とサスペンスがずっと続くという、この作者にしては珍しい作品です。

 タイトルに含まれる「冷たい」は、事故当日の気温、交差点で擦れ違う人々が互いに思いやりを示さないというその心の冷たさ、そして読後に感じられるヒヤリとしたもの、など、様々な意味が込められているようです。


タグ:津村記久子
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