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『我が心はICにあらず(小田嶋隆全集 第1巻)』(小田嶋隆) [読書(随筆)]

 「マッキントッシュが30歳になったということは、私がこの仕事をはじめて30年が経過したということでもある。(中略)57歳の私は、27歳の自分に圧倒されている。なさけないような、誇らしいような、不思議な気持ちだ」(Kindle版No.3386、3400)

 80年代後半にコンピュータ文化情報誌「Bug News」に掲載されたコラムを中心とした初期エッセイ集。その電子書籍版を、Kindle Paperwhiteで読みました。単行本(ビー・エヌ・エヌ)出版は1988年03月、文庫版(光文社)出版は1989年08月、Kindle版配信は2014年02月です。

 パソコンまわりのあれこれや、社会現象、会社組織、政治、時事、とにかく何やらかんやらの駄目なところを、いい具合に脱力した感じで愚痴る。身も蓋もない事実をぼそっと指摘する。思わず失笑してしまう比喩。話題の対象の「しょぼさ」を表現することにかけては右に出るものがない、そんなコラムの原点たる一冊です。

 掲載されたのが80年代ですから、内容的にはもちろん時代遅れというか、若い読者には意味不明なことになっています。

 「先日、あるハッカーにマックと98のどっちが好きかと尋ねたところ、彼は「へっへ。僕の88markIIなんかね、立ち上げると諸行無常の音がしますよ」と言ってへらへら笑った。彼は何にも信じていないのだ」(Kindle版No.2603)

 とはいえ、まるで人面犬が世をすねたポーズで吐く捨てゼリフのような、独特の言い切り文体の魅力は今なお衰えていません。

 例えば、都会の食生活に関するコメント、というか斜に構えた毒舌はこうです。

 「私の理解するところではドライブインレストランは矮小化された東京なのである。(中略)平たく言えば東京というのは「うどんにサラダをつけてしまえるセンス」のことなのだ」(Kindle版No.164)

 「西麻布では、時給650円のバイトに兄ちゃんが30秒で盛り付けた原価50円のケチな菜っ葉屑を「シェフサラダ」と称して1600円で売っている。まだ知らなかった人はおぼえておいた方がいい」(Kindle版No.1039)

 「貧困とは昼食にボンカレーを食べるような生活のことで、貧乏というのはボンカレーをうまいと思ってしまう感覚のことである。ついでに言えば、中流意識とは、ボンカレーを恥じて、ボンカレーゴールドを買おうとする意志のことだ」(Kindle版No.2333)

 「余談だが(はじめっから余談だけどさ)デニーズでは皿洗いを「ディッシュウォッシャー」、調理士見習いを「キッチンヘルパー」、ウェイターを「ミスターデニーズ」、ウェイトレスを「ミスデニーズ」、牛の糞を「ハンバーグ・ステーキ」と呼んでいる」(Kindle版No.2772)

 「昭和30年代から40年代にかけて、日本は高度成長の時代だったということになっているが、私にとっては、単に脱脂粉乳の時代だった」(Kindle版No.2792)

 「そば屋は翌年の初夏になると、昂然と「冷し中華始めました」の張り紙を掲げる。ここに私はそば屋の純潔のようなものを感じる。「始めましたって、それじゃいつ終わってたんだよ」などと、そういう野暮は私は言わない。(中略)そば屋が「始めました」と言うのなら、客は「そうですか、始まりましたか」と食べる。これは旨い不味いの問題ではない(だって不味いんだから)」(Kindle版No.667)

 掲載されたのが「Bug News」なので、ハッカー(技術オタク)やパソコン業界に関する記事が多いのも特徴です。

 「ハッカーは体質だ。性格とか行動様式とかそういう柔軟なものではない。ハッカー体質というのはひとつの宿命なのだ。 ワニが生まれたときに既にワニであるように、ハッカーは生まれつきハッカーなのであって、ハッカー以外のものではありえない」(Kindle版No.1844)

 「ハッカーという連中の、これまたやっかいな金銭感覚について語るのは容易なことではない。私はなるべくならこんな「トカゲの結婚観」みたいなテーマはやりたくなかったのだが、編集部の意向は堅かった」(Kindle版No.2304)

 「年期の入ったハッカーの多くは、業界側の裏切りに対する鉄壁の諦観を身につけるようになる。彼らは98のUを買った直後にUVが出ても「PC-100買った人よりましですよ」と言って笑っている。「つぼ八」で人造イクラを出されても「いいんですよ、どうせゲロになるわけだし」と、腹を立てない」(Kindle版No.2596)

 「本当のところ、私はコンパチ、クローン、イミテーション、コピー、レプリカ、複製、毛ガニ、いかもの、まがい、焼き直し、にせ、パクリ、似非、もどき、といったあたりの言葉をきちんと区別できないでいる」(Kindle版No.2810)

 そして、オシャレだったり、知的でセンスが良かったり、効率的だったり有能だったり、世間からもてはやされていたりするもの、その全てに対する妬み僻み嫉みを直截的に表明する、ほとんど言いがかりのようなネガティブパワー。

 「ここまで読んでみて、よく分からない人は浅田彰の著作を読んでみると良いかも知れない。私は読んだことはないが、私見を述べれば、なんとなくあいつは嫌いだ」(Kindle版No.245)

 「要するに広告業界は消費者を馬鹿だと思っているのだ。そして、これはかなり思いがけないことだが、消費者は馬鹿なのである。(中略)時代の風俗に何らかの変化があったとしたら、私はそういうことを全部電通のせいにして片付けることにしている」(Kindle版No.1164、2352)

 「「金は天下の回りもの」と言っても、金が回っているのは「天」の方で、「下」の方には決して降りてこない(中略)金で買えないものなんて貧乏ぐらいしかないんだから」(Kindle版No.2325)

 「テニスというスポーツはもっぱらアフターテニスのために存在している。このため、ある種のサークルのテニス合宿では、テニスが省略されてしまう。テの字抜きで、いきなりペの字に移行して行くのだ」(Kindle版No.3140)

 「おわかりとは思うが、私はこうした「みどり」や「つち」や「太陽」や「季節の移ろい」や「自然の息づかい」を大切にする郊外のリベラルな市民グループみたいなものが嫌いだ」(Kindle版No.2905)

 「仮に私が神だったとして、25年のローンを組んだり、1週間に12個のスケジュールを入れているような奴を見たら、なめられたような気がすると思う(中略)結局、牛乳ビンのふたがうまくあけられなかった子供は、大人になってもそういう生き方しかできないのだ。そして一日中眼鏡を探しているじいさんになって、最後にはモチをのどに詰めて死ぬのだ」(Kindle版No.2239)

 「曇りガラスをひっかく音を相手に向かって発信できるような電話機が発売されたら、私は5万までは出す。ぜひカシオあたりに商品化してほしい」(Kindle版No.2210)

 もちろん多くの記事については内容がとうに時代遅れになっているわけですが、ときどき、妙に「予言」的に感じられるというか、今の世相を見透かしたようなコラムも混じっていたり。

 「今のところは、もっぱら深夜の受話器や同好会のサークルノートにたたきつけられている、青春の情熱や個人的な愚痴や妄想や表現欲求が、大量に出版され、あるいは通信回線を通じて不特定多数の読者に向かってバラまかれるのだとしたら、これは相当に鬱陶しいことになるに違いない」(Kindle版No.691)

 「私は芸能界こそが現代の日本で行われている最も大がかりなシミュレーションゲームなのだと考えている。あそこには我々庶民の退屈で単調な日常に欠けているすべてのものがある。(中略)で、僕たちはポップコーンをもぐもぐやりながら芸能人諸君の必死のアクロバットを見物し、安全で衛生的な客席から彼らの栄光と堕落と悪徳と破滅を疑似体験するというわけだ」(Kindle版No.1112)

 というわけで、明らかに読者を選ぶところがあるエッセイ集ですが、好きな人はハマります。PC98と一太郎とユーミンの時代を覚えている方は、読んでみるといいことがあるかも知れません。ないとは思いますが一応。


タグ:小田嶋隆
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