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『英子の森』(松田青子) [読書(小説・詩)]

 「英語ができると後でいいことがある。先生が言った。テレビが言った。広告が言った。母が言った。だからますます英語のことが好きになった。英語はわたしを違う世界に連れて行ってくれる魔法。新しい世界につなげてくれる扉。そう信じていた。英語は魔法。英語は扉。じゃあなんで今のわたしはこんなところにいるんだろう」(単行本p.15)

 英語ができればラクラク就職、高収入、グローバル人材。そんな甘い幻想を打ち砕く表題作など、鋭い皮肉と風刺でまたもや小説の枠をぐいぐい広げてゆく魅惑の六篇を収録。単行本(河出書房新社)出版は、2014年02月です。

 「素晴らしい傑作です。大声でとにかく読め読め叫んで回りたい。ふるふるふる」などと叫んで回った(そして著者名を“まつだせいこ”と連呼して恥をかいた)『スタッキング可能』から一年、いや私の個人的な恥はどうでもいいんですが、ついに出版された待望の第二単行本です。

 ちなみに前作『スタッキング可能』の単行本読了時の紹介はこちら。

  2013年02月19日の日記:『スタッキング可能』(松田青子)
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2013-02-19

 本書も期待を裏切らない素晴らしい出来ばえ。まず、表題作『英子の森』からして激烈。英語学習サイト「英語の森」とか、児童向け英語塾「えいごのもり」を連想させるタイトルも挑発的です。

 「たった50円。末尾に添えられた一文に今日も体の力が抜けていくような気持ちになった。英語を使う仕事と英語を使わない仕事、その差50円。なんだこれ。笑ってしまう、でも笑わなかった。一つも笑えなかった」(単行本p.18)

 英語ができれば仕事は選び放題、英語くらい出来ないとグローバル時代に取り残されてしまう、英語はあなたの可能性をひらく。そんな幻想を信じて英語学習に打ち込んできた主人公、英子。だが、現実はちっともそうではなかった。

 「英語学校も留学を斡旋する旅行会社もいい部分だけ見せて、後は責任取りませんって感じで、勝手すぎますよ。グローバルなんて都市伝説と一緒。信じた方がバカみたいっていうか」(単行本p.71)

 手に入る仕事は、国際会議の受付とか、手荷物預かりとか、タイムキーパーとか、そんな定型文を繰り返すだけで事足りる「誰にでも出来る」時給の少ない短期派遣業ばかり。

 「「お名前は?」「あと10分で時間です」「時間です」「良い一日を」 同じフレーズの無限ループ。いつかこのループから抜け出せる日がくるんだろうか。このまま努力し続けたら」(単行本p.26)

 来ねえよ。嘘だよ。騙されてたんだよ。ほとんどの人にとって英語なんて何の役にも立たねえよ。そんな言葉をぐっと飲み込んで(口にすると、英語しか取り柄のない自分に絶望しそうで怖いから)、今日も森へ帰る英子。

 そう、母親と二人で暮らす家というそれなりの居場所がある英子にとって、家は森。花が咲き、小鳥が歌い、小川が流れ、そよかぜが吹く、そんな森。誰もが自分の森に住んで、何とか一日を過ごしている。でも、今週の出勤先は有楽町のビル。ようこそ、こちらです、良い一日を。

 「不思議だった。いいね、かっこいい。うらやましい。英語ができると言うと、英語を使う仕事に就いていると知ると、みんなそう言う。けれどそのときその人たちの頭の中に浮かんでいるのはイメージの英語だ。本当に恵まれた状態で働けている人たちはほんの一握りで、一方の娘は、今、電話代も出してもらえない」(単行本p.55)

 英子が手にしたグミの袋にはみずみずしい果物の絵が描かれており、いちみりもグミではないその絵には、「写真はイメージです」と書かれています。森はイメージです。英語はイメージです。グローバルはイメージです。

 「写真はイメージです。この写真はイメージです。青い空はイメージです。白い雲はイメージです」(単行本p.85)

 イメージです、という世の中に氾濫しているあの無責任すぎて不条理レベルに達している謎フレーズを極限まで繰り返すことで、小説を新たな地平(イメージです)に持ってゆく『*写真はイメージです』。何もかもイメージです。個人の感想です。

 イメージです、イメージです、果てしない繰り返しの途中にこっそり「昨日嫁が出ていったのはリアルです。空前絶後のダメージです」(単行本p.88)などと、くすぐりを入れてくる著者のサービス精神にも惚れ惚れ。小説もイメージです。子供番組もイメージです。うたのおにいさんもイメージです。

 「ねえ、おにいさんってなんなの。こわい。よしき、こわいよ、おにいさんがこわいよ~」(単行本p.99)

 大人なら「イメージです」で済ませられるところを、子供は納得できません。世の中に溢れる「暗黙の了解」の気持ち悪さに気付いてしまった子供が泣きわめきます、『おにいさんがこわい』。

 よしき君はすぐにスタジオから連れ出され、最初から「なかったこと」にしてリテイクされる子供番組。しかし、すでに気付いてしまった子供たちが、次から次へと泣きだし、その度にリテイク。段々と子供たちの人数が少なくなり、ついにプレッシャーに耐えかねた「うたのおねえさん」も逃亡。スタッフも離脱。でも、おにいさんは、おにいさんだけは、逃げることが出来ない。だって。

 「おにいさんにはおにいさんだけに用意された台本がある。いつも笑顔で、自分の意見なんて決して表明しない、みんなのおにいさんであることを強要する台本が」(単行本p.112)

 「セットが撤収され、カメラがただの黒い塊に姿を変えても、おにいさんは立ち続けた。スタジオの照明が落ちて、真っ暗な闇の中に一人取り残されても、おにいさんはそこに立っていた」(単行本p.115)

 英語はイメージです。うたのおにいさんはイメージです。職場はイメージです。スカートの絵柄のようなものです。そこから出ることは出来ません。

 「会社がカーテンのように波打って揺れた。よく起こる現象なのだけど、理由はよくわからない。別に仕事には何の支障もない。ときどき会社が折り畳まれるときがある。くしゃくしゃになっているときがある。水の中で、ぐわんぐわん会社が回転するときもある」(単行本p.126)

 「うたのおにいさん」どころか、「A」とか「B」とか「C」といった記号になって、誰でもいい置換可能な存在あつかいされているのに、しかもオヤジ上司の仕打ちがあまりといえばあまりに理不尽なのに、会社はイメージです、というかスカートの柄に過ぎないかも知れないのに、それでも黙々と仕事をする女性たちをえがいた『スカートの上のABC』。まるで『スタッキング可能』を10ページに圧縮したような高密度の傑作です。

 「博士、私、この世界が嫌いです。この世界が大嫌いです。こんなだれでもなんでも言えちゃう世界がすごく嫌です。ちがうんです、なんでも言えちゃうことが嫌なんじゃないんです。(中略)私たち、いつの間にか言葉に使われている。利用されてる。なんでも書いてもいいよって、でも私たち、少しも自由になってなんかない」(単行本p.141、142)

 イメージでも嘘でもうたのおにいさんでもない「真実」が、「自由」が、ネットにはあるのでしょうか。『博士と助手』は奇妙な言語療法を通じてネットの真実に迫ろうとします。心が温かくなる言葉、泣ける言葉、自分を勇気づける言葉、絆を確認して心安らぐ言葉、そういった「ちょっといい言葉」で、世の中の嘘に対する拒絶反応を治療しようと試みる博士。

 「博士のそういうところ、ヘドがでそうです」(単行本p.147)

 そして最後に置かれた『わたしはお医者さま?』では、世界の終末が迫るときになって、ようやく「仕事」や「職場」についての希望が語られることに。

 「皆思った。〈ペンギンナデ〉はいい仕事だと。自分もやってみたいと。ペンギンの濡れた毛の手触りを、小さな後頭部の愛しさを、羽から落ちたしずくが〈ペンギンナデ〉である自分の履いた長靴にぽとぽとと落ちるのを想像しては、うっとりした」(単行本p.166)

 〈衿〉デザイナー、〈左利き〉被害対策局、〈鼻歌作曲家〉、〈木曜大工〉、〈夢プログラマー〉、〈無趣味の店経営〉、〈切手専門の額装屋〉、〈猫社長の秘書〉など、みんなで互いに語り合う、いい仕事。どうして私、自分が望む仕事じゃなくて、今こんな仕事をしているのか。時給が50円だけ高い仕事のために英語をあんなに勉強して。

 「私だけじゃなくて、皆やりたい仕事じゃない仕事をしていたのか。どうしてやりたい仕事がこんなにないのか。どうして何かにならないといけないのか。漠然とずっとそう思ってきたが、その気持ちが消えることが一度もないまま年を重ねて生きてきたが、皆そう思っていたのか」(単行本p.172)

 いい仕事について語れば語るほど、切なさが満ちてくるのはなぜ。私だって〈猫社長の秘書〉をやりたい。「研修」はもう何年も続けています。

 というわけで、おにいさんがこわいと泣き叫んだり、世の中なんてみんな嘘まみれピュアな俺には耐えられないといって引きこもったり、そんなことが許されない女たちは、嘘に飲みこまれないように、でもそれを指摘する言葉は飲み込んで、今日も黙々と仕事をしています。そこに、ささやかな希望がないとも限りません。そんな第二単行本。著者名を、まつだせいこ、と発音してはいけないことを今の私は知っています。

[収録作品]

『英子の森』
『*写真はイメージです』
『おにいさんがこわい』
『スカートの上のABC』
『博士と助手』
『わたしはお医者さま?』


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