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『タイムスリップ・コンビナート』(笙野頼子) [読書(小説・詩)]

 「マグロとの恋と、このコンビナートはどういうわけか一続きに繋がっていて、言葉にあらわせない心の底の方で、マグロとの恋のからくりは判ってしまったのだ」(Kindle版No.623)

 シリーズ“笙野頼子を読む!”第69回。

 笙野頼子さんの芥川賞受賞作を含む短篇集が電子書籍化されました。内容的には文庫版と同じで、特にボーナスはありません。単行本(文藝春秋)出版は1994年、文庫版は1998年02月、電子書籍版の出版は2013年03月です。

『タイムスリップ・コンビナート』

 マグロと恋愛する夢を見て悩んでいた沢野千本のところに、当のマグロともスーパージェッターとも判らんやつからいきなり電話が掛かってくるという、有名な出だしから始まる芥川賞受賞作品。

 「うん、まずあなたは普通の事やお洒落な事はしないし、それにいつも変な事件に巻き込まれますよね。それもまともな人間相手に馬鹿な事件を起こし被害者になって騒ぎ立てるし、世間を知らない」(Kindle版No.89)

 売れない純文学作家(女性)に対して高学歴男性の編集者がいうような、そんな無礼な口のききかたをするマグロだかスーパージェッターだかに、部屋を出て取材して来いと偉そうに言われる沢野千本。

 「70年代に石油ショックがあってね、それで、その後から次第に寂れて閑散としてね、バブルの時もずっと落ち込んだままで、ベッドタウンが、・・・・・・不況でねえ、それでそれは高度経済成長の遺跡なんです。(中略)そんな、何もかもが終った後の景色を見に行くんです」(Kindle版No.232)

 反感を覚えつつも何だか夢の続きにいるような感覚のまま、沢野千本は、その海芝浦という駅に向かうことになります。

 「海芝浦という駅の名を知らなくとも、またいくら私が世間から隔絶した人間であっても、高度成長期の鶴見と川崎の意義を知らなくとも、そこからコンビナートへの既視感を持つ事は不可能ではない」(Kindle版No.504)

 そもそもマグロ(核実験による放射能汚染で大きく騒がれた)やスーパージェッター(60年代に放映されたタイムパトロールもののTVアニメ)からも、「高度経済成長期」が想起されるわけで、そこから工場、フードリ、石油タンク、コンビナート、四日市という具合に連想が連なり、四日市といえば彼女の出生地なので、海芝浦へと電車を乗り継いでいくうちに意識は次第に幼少期の四日市へとスリップしてゆく。

 「記憶にないはずの、おとなになって四日市に向かう電車の窓から遠目に見ただけの、石油タンクと煙突、臭いや空気のせいではなく、それらの気配というものを、私はあの木造家屋の中で感知していたのか」(Kindle版No.537)

 内世界の四日市に滑り込んでゆくうちに、現実の風景に重なるように、幼少期の体験が蘇ってきます。沢野千本は、このときのことを後にこう語っています。

 「『タイムスリップ・コンビナート』という作品に私はそのすぐ後登場します。ここに、変わった路線の電車がまた登場しました。やはり廃止されかねない程空いている電車で、ブレードランナーのような景色を通り、海芝浦という駅に辿り着くと、プラットホームの片側が海で片側が東芝の工場、工場は無論立ち入り禁止です。駅についてもどっちに出る事も出来ないのです」
 (『だいにっほん、ろりりべしんでけ録』 単行本p.124)

 「但し実を言うとこの、海芝浦の駅では、確かな明らかな時空間の変化はなかった。しかし死者の蘇りは一瞬起こりました。(中略)その他普通なら幻覚としか思えないような異変がありました」
 (『だいにっほん、ろりりべしんでけ録』 単行本p.124、125)

 何しろ本人が的確に要約してくれたので、ストーリー展開について特に付け足すことはありません。同じく沢野千本を主人公とする『二百回忌』と比べると地味ながら、静かな幻想風景が印象的な中篇作品です。

『下落合の向こう』

 「そこは、やはり下落合の向こうだった。そうやって下落合の向こうに着いてしまった。もう一生高田馬場にも下落合にも降りられないのだった。悲しみの痛みが体を切り刻んでいた」(Kindle版No.1023)

 電車に乗って知らない街を移動しているうちに奇怪な幻想に巻き込まれ、とうとう日常に戻れなくなる、そんな感覚を生々しく書いた短篇。けっこう怖い。足元のザリガニも、眼前の女学生たちも。

『シビレル夢ノ水』

 「灰色で汚い、それ故に気持ちいい夢の水の中で私は痺れていた」(Kindle版No.1445)

 保護した迷い猫の本当の飼い主が現れて、猫を引き取っていった後。もう自分の猫だと感じるようになっていた相手をいきなり喪失して、それとともに現実感覚も失われて、ずるずると幻想世界に溺れてゆく。

 「猫は確かに幻を払う力を持つ。--危険な時間帯にはっと我に返ると、テレビの上で自分以外の哺乳類が寝息を立てている。温みを蓄えたふわふわした丸い背中に手を乗せると、たちまち噛まれたりはするというものの、それでも、現実を取り戻す事は出来た」(Kindle版No.1348)

 その猫がいなくなった後、ひたすら増殖し巨大化してゆく蚤。そして水底に沈む部屋。プールに逃げた蚤が人魚となるところは『虚空人魚』、主人公が水の幻覚に浸る場面は『海獣』、という具合に旧作のイメージを引き継ぎながら、次々と美しいも恐ろしい幻想シーンが繰り広げられます。強烈な目眩感を残す短篇です。

 本作は、笙野頼子さんの作品にはじめて猫が本格的に登場したということもあって、個人的にとても好きな作品です。

『あとがきに代わる対話』

 「物事をあまり一般化するのは好きじゃないんです。問題は、私自身がどのように生きているか、ということですから。(中略)反フェミニストたちや、女性嫌悪者の言うことはもちろん聞きたくありませんが、自分の考えを私に押しつける、ごく一部の自称フェミニストたちもごめんです。唯一私が信頼し、信じるべき基準は、私なんです」(Kindle版No.1777)

 ラリイ・マキャフリイおよび夫人であるシンダ・グレゴリーとの対談です。『タイムスリップ・コンビナート』について作者自身が語ってくれます。「マグロの夢は実際に見たんです」(Kindle版No.1708)など、興味深い話がいっぱい。『タイムスリップ・コンビナート』をフェミニズムの文脈(だけ)で読むのは的外れですよねえ。

[収録作品]

『タイムスリップ・コンビナート』
『下落合の向こう』
『シビレル夢ノ水』
『あとがきに代わる対話』(笙野頼子、ラリイ・マキャフリイ)


タグ:笙野頼子
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