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『言語が違えば、世界も違って見えるわけ』(ガイ・ドイッチャー) [読書(サイエンス)]

 「言語は文化的差異を反映するという受け身の役割を超えて、文化が私たちの心に慣習を刻印するさいの、積極的道具になりうるだろうか。言語が異なれば、話し手の知覚も異なるものだろうか」(単行本p.31)

 人は言語で表現し、言語で考える。だとすれば、話す言語が異なれば、基本的な認知、さらには知覚さえ異なってくるのではないだろうか。言語と知覚の関係という魅惑的な問題をめぐる最新の知見を明らかにする昂奮のサイエンス本。単行本(インターシフト)出版は、2012年12月です。

 「このテーマは昔から、事実に足をすくわれる心配なく妄想を披露して楽しみたい向きにとっては絶好の舞台になってきた。蜂蜜壺に群がるハエのように、不可知なる者に惹かれる哲学者のように、並の変人はいうに及ばず、並外れたペテン師や芸術的と表したいほどの腕をふるう詐欺師が、母語が話し手の思考に及ぼす影響というテーマに惹かれて集まってくる」(単行本p.32)

 「事実に足をすくわれる心配なく妄想を披露して楽しみたい向き」の仲間には、ぜひSF作家も加えてほしいものです。実際、言語SFと呼ばれる人気のサブジャンルがあり、そこでは言語が話者の思考に極めて大きな影響を与えることが当然の前提となっているのです。

 SFの世界では、言語は、語り手の精神を乗っ取ってしまったり、自由意志や「過去と未来の非対称性」といった基本的な世界認識の枠組みすら変容させてしまいます。『バベル17』(サミュエル・ディレイニー)、『あなたの人生の物語』(テッド・チャン)、『言語都市』(チャイナ・ミエヴィル)、といった作品を読んでみて下さい。

 しかし、実際はどうなのでしょうか。言語は、話者の思考や知覚に影響を与えるのでしょうか。本書はこの魅惑的な疑問をめぐる150年をこえる混乱の歴史を整理し、最新の知見を明らかにするものです。

 全体は二部構成となっており、九つの章に分かれます。

 最初の「第1章 虹の名前 ・ホメロスの描く空が青くないわけ」は、ホメロスの叙事詩を詳細に分析した学者が到達した、驚くべき結論から始まります。

 「ホメロスと同時代人たちは世界を総天然色というより、白黒に近いものとして知覚していた」(単行本p.43)

というのです。多くの根拠が示され、この主張がそれほど馬鹿げたものではないことが明らかになります。

 「第2章 真っ赤なニシンを追いかけて ・自然と文化の戦い」では、前述の主張がほとんど疑似科学として発展してゆく様を追います。

 「色感が過去数千年にようやく進化したという主張は、進化論推進派の名士も含めて著名な科学者からも少なからぬ支持を得た」(単行本p.66)

 「第3章 異境に住む未開の人々 ・未開社会の色の認知からわかること」では、色の認知は生得的なものか、文化によるものか、という論争に決着をつけるべく、未開社会の人々がどのように色を知覚しているかを研究した歴史が語られます。そこで発見された驚くべき事実。色の知覚は、確かに文化の影響下にあるのです。

 「明白な証拠の山が手に入っている現在でさえ、青と黒がべつの色だと思うのは、たんに自分の育ってきた文化の慣習がそうなっているからなのだ、ということを受け入れるのに必要な想像力を動員するのは容易ではない」(単行本p.89)

 「第4章 われらの事どもをわれらよりまえに語った者 ・なぜ「黒・白、赤・・・」の順に色名が生まれるのか」では、この論争が混迷を深めてゆく様が語られます。

 「振り子というのは左の端から振れはじめれば、勢いで右の端までいくもので、同様に定説もひとつの極端からべつの極端にいかずに真ん中で停止するのは難しい。(中略)自然から文化へ、また自然へと何度もいったりきたりしたあげく、論争はどう決着したのだろう」(単行本p.112、114)

 さらに「第5章 プラトンとマケドニアの豚飼い ・単純な社会ほど複雑な語構造を持つ」で、社会の「複雑さ」と言語の「複雑さ」は相関するか、という問題を扱った後、いよいよ「第6章 ウォーフからヤーコブソンへ ・言語の限界は世界の限界か」から本書の中核となるテーマへ切り込んでゆきます。

 「サピアとウォーフは、言語間の深甚な差異はたんなる文法組織の違いをはるかに超えて、思考様式の深甚な差異に結びつくにちがいない、と確信した。(中略)私たちの母語は、私たちが世界を知覚し、世界について考えるやり方を決定する、という主張である」(単行本p.164)

 「ウォーフは前人未到の領域に踏みこみ、主張の大胆さを増しながら、母語は話し手の知覚と思考のみならず宇宙の物理的特性にまで影響する力を持つ、と説きつづけた」(単行本p.176)

 今では「神秘主義的哲学者や幻想家、ポストモダンの知ったかぶりにとっての言語学的タックスヘイブンになっている」(単行本p.164)と辛辣に批判されている、いわゆる言語相対論(あるいは「サピア=ウォーフの仮説」)の誕生です。

 言語相対論はポストモダン的たわごとだったという結論を示して読者を納得させたところで、著者はくるりと振り返り、こう言い出すのです。

 「言語が思考に及ぼす実際の影響は、かつての奔放で混乱した主張のそれと大きく異なりはするが、退屈で平凡でくだらないものでもないことを次章以下でお見せしたい」(単行本p.196)

 おおおお。

 「第7章 日が東から昇らないところ ・前後左右ではなく東西南北で伝える人々の心」では、オーストラリア先住民の一部が話すグーグ・イミディル語(「カンガルー」という言葉を西洋にもたらしたことで有名)が扱われます。

 この言語では、位置関係を示すときの空間座標の枠組みが他の言語とは大きく異なっていることが示され、驚くなかれ、様々な研究によりそれが実際に話者の知覚に強く影響していることが確認されたのです。

 「グーグ・イミディル語の話し手は、「同じ現実」をときに私たちと異なる形で記憶しているといえるだろうか。少なくとも私たちには同じに見える現実が彼らには違って見えるというかぎりにおいて、答えはイエスとしかいいようがない」(単行本p.230)

 「グーグ・イミディル語に刺激を受けた研究調査は、言語がどのように思考に影響を及ぼしうるかを示す、これまででもっとも目覚ましい実例を提供した。これによって、幼少期から培われた発話習慣が、発話を超えて位置確認能力や記憶パターンにまで影響を及ぼすような心的習慣を形成する様子が提示されたのである」(単行本p.238、239)

 「第8章 女性名詞の「スプーン」は女らしい? ・言語の性別は思考にどう影響するか」では、名詞のジェンダーが知覚に与える影響に関する研究成果が示されます。

 「第9章 ロシア語の青 ・言語が変われば、見る空の色も変わるわけ」では、言語の違いによる色覚の違いに関する研究が、MRIなど最新技術を活用することにより、ついに直接的な証拠を見いだしたということが報告されます。つまり、例えばロシア人と英国人は異なった空の色を知覚していることが客観的に裏付けられたのです。

 「色名検索という特定機能を担う脳の部位が、純粋に視覚的色情報の処理に介入している、という神経生理学的直接証拠がはじめて得られたことになるのだ」(単行本p.286)

 こうして、ホメロスの色覚に関する議論から始まった物語は、150年の論争と混乱を経て、最新の知見に到達したわけです。

 著者は慎重で控えめに主張を展開させてゆきますが、その結論はやはり驚くべきものです。言語は話者の思考や知覚に確かに影響を与えるのです。

 というわけで、魅惑的なテーマをめぐって最初から最後まで興奮させられる一冊です。言語と思考の関係に興味がある方はぜひお読みください。また、本書を読めば、この分野の研究がまだまだ発展途上であること、そして少数民族の言語が失われてゆくことが極めて大きな問題であること、などもよく分かります。

 「言語学者は、世界中に散らばる小部族の、私たちがなじんでいるやり方と大きく異なる言語こそ、なにが自然で普遍的なのかを教えてくれる、ということに気づいている。だからこれらの言語についての知識がそっくり永遠に失われるまえに、ひとつでも多く記録しようという時間との戦いが進行している」(単行本p.292)


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