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『地上の飯  皿めぐり航海記』(中村和恵) [読書(随筆)]

 カリブ海の島々、オーストラリア大陸の砂漠、モスクワ、北海道、インド。世界中を歩き、食べ、学び、考え、そしてまた食べる。食文化を通じて世界を味わう魅惑のエッセイ。単行本(平凡社)出版は2012年1月です。

 『キミハドコニイルノ』、『降ります  さよならオンナの宿題』に続く中村和恵さんの随筆集です。世界中を歩いて食べた食事のことを中心に、そこから文化、歴史、文学、など幅広く語られます。

 あくまで食の話題が中心になっているので、植民地主義、ポストコロニアル、クレオール化、といった話題を見かけると逃げ腰になってしまう私のような読者でも大丈夫。今まで食べたことのない料理を食べるのが好き、という方なら、どなたでも楽しめます。

 『降ります  さよならオンナの宿題』でもカバーを外すと素敵なイラストが現れるという仕掛けがあったので、もしや今作も、と思ってカバーを外してみると。出てきた出てきた。水面に仰向けに浮かんだラッコが腹の上に皿を乗せ、両手にナイフとフォークを握っている可愛いイラスト。ラッコが食べようとしているのが何であるかは、ご自身で確認してみて下さい。というかちゃんと見てね。

 「なにがあろうが変わらないのは人間がごはんを食べるということであります。
 土地の食べ物の背後には古い物語と驚嘆すべき知恵があり、
 食卓の食べ物のまわりにはつねに個人の記憶があり、
 海を越えてもたらされた食べ物には驚くようなエピソードや思いがけない思惑が隠され、
 火を囲む人々の楽しみは香ばしい食べ物の匂いと繰り返される物語で、
 旅人は一皿の親切を与えてくれる見知らぬ方の厚意に頼って見慣れぬ土地を横切っていきます」(単行本p.186)

 インドの蒸しパンから始まって、南の島のマンゴー、ドミニカ島で食した魚汁、パンの実、ロシアのホットケーキ、という具合に世界各地の料理が登場します。

 芋虫からクジラまで、スシから食人まで、度肝を抜かれるほどバラエティに富んだ食の話題。しかも、どれもこれも、味はもちろん、匂いの描写とか、いかにも美味しそうに書かれており、読んでいるうちに食欲が刺激されてくらくらしてきます。

 「おかわりしてもいいかな」

という言葉が繰り返し登場し、その度にひどく羨ましい気持ちに。

 「国際アパートでは今日も、韓国人の女子学生がお米を炊いている。イラン人家族は羊肉の煮込み。スリランカ人の先生のお部屋からは華やかなスパイスの匂い。パンチパーマのサウジアラビア青年は魚フライを電子レンジで温めているようだ。ケニア人の女の子がお鍋をもって友達の部屋へいくところとすれ違う。お豆料理ですか。おいしそうな匂いですね。うふふ。彼女は微笑む」(単行本p.149)

 廊下にあるはずの「国境」など軽々と越えて、おいしそうな匂い、食卓の雰囲気、暮らしの気配、そういったものが行き交う場。いいなあ。「異文化相互理解」といった厳めしい言葉ではなく、うまそうな匂いで読者を誘う手口は大したもの。

 逆に、他人の土地の食文化に馴染まない、拒絶する、見下す、珍奇な見世物か支配と搾取の対象としか見ない、という心のありようが、どれほど寂しく、そして悲劇的であるかも、繰り返し語られます。

 個人的に心に響いたのは、北極圏に探検に出かけたフランクリン探検隊が、イヌイットの人々の生活圏のただなかにあって、本国から持ち込んだ缶詰ばかり食べていたせいで全滅したという逸話。あまりに象徴的すぎて悲しい気持ちになります。

 食文化の話から、植民地主義、国際貿易、途上国に対する搾取、自国民に対する抑圧、原住民文化、そしてポストコロニアル文学といった話題への移行もスムーズで、まるで食卓での気軽な会話のように、すっと入ってきます。食欲が刺激されているとき、心の構えは低くなりますね。

 読了後、何だか「世界中の人々が互いの飯を一緒に食えば、文化摩擦や紛争はなくなるのではないかしらん」という気分にすらなります。文化的偏狭さや排外主義でしか「自尊心」を保てないと大真面目な顔でそうおっしゃる方々には、是非とも嫌いな国にいって現地の人々と同じ飯を喰らい、頭ふわふわの湯気になってみて欲しい、切実にそう思います。

 余談ですが、著者の視覚的イメージとしては、『降ります  さよならオンナの宿題』の隠しイラストにあった「ちびでぶかわいい」の絵だったのですが、本書に出てくる「伸び放題の髪の毛を頭頂でお団子に結びいよいよムーミン谷の住人らしくなったわたし」(単行本p.151)というくだりを読んで、ちびの「ミイ」のイメージが離れなくなりました。

 今もミイが世界のあちこちを旅して、色々と辛辣なことも口にしながら、現地の食事を食べて湯気になっている。おかわりしてもいいかな、とか言ってる。そんな想像をすると、けっこうこの世界もいいとこなんじゃないかと、そんな風に思えてくるのです。


タグ:中村和恵
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