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『にょっ記』(穂村弘) [読書(随筆)]

 歌人の穂村弘さんが体験する奇妙な日常と妄想を記録した、虚実ないまぜの日記、あるいは日記の体裁をとったショートショート詩集。とぼけたユーモアに思わず失笑する第一弾。単行本(文藝春秋)出版は2006年3月。私が読んだ文庫版の出版は2009年3月です。

 昨日読んだ『にょにょっ記』(穂村弘)が面白かったので、前作も手に入れて読んでみました。

 ぱっと見は日記のような、日付と題名がついた短い文章が並んでいます。ふと思ったこと、電車内で見聞きした他人の言動、ニュースや広告に見られる不可思議な言葉。そういったものがはらむ「おかしさ」を、歌人の瑞々しい感性で丁寧にすくい取って、これで読者をひとつ笑かしてやろかいという下心を込めて仕立てたと思しき短文の数々。

 「キヨスクのスポーツ新聞に巨大な見出しが躍っている。
「深田恭子全裸入浴!」」
(文庫版p.17)

 「矢野千鶴子は、いつだったか、ドッペルゲンガーのことをトーテムポールと云っていた。ぜんぜんちがーう、と思いかけて、ちょっとだけ似ていることに気づく。凄い、と思って、なんとなく羨ましくなる」
(文庫版p.22)

 「「きびしい半ケツが出ました」という冗談を思いつく」
(文庫版p.38)

 「確かに、世の中には、まったくどきどきした様子もなく、「うこん効くよね」と云ったり、まったくびくびくした様子もなく「ちんすこう最高」と云ったりする女の子もいる。
 だが、と私は思う。
 それはそんな風にみえるだけなのだ」
(文庫版p.49-50)

 「今からジャニーズの一員になることがあるだろうか、と考える。(中略)
「最年長です」と私は恥ずかしそうに云った。
「アニキ」とキムタクが云った。
「いや、芸能界では君が先輩だから」と私は云った」
(文庫版p.61-62)

 「仮に私が、一九九五年の某誌で由美かおるが胸の谷間をくいっと強調したために翌年開催が予定されていた都市博は中止になった、と云い出しても信じる者はいないだろう。(中略)己の信念に基づいて「俺は正しい、俺は間違ってない。ほら、見ろ、ここんとこ。このおっぱいのくいっくいっ」と繰り返しながら、私は精神的に追い込まれてゆくだろう」
(文庫版p.79)

 「電車のなかで会社員らしい男女が話をしていた。
  男「じゃあ、禿と毛むくじゃらだったら、どっちがいい?」
  女「禿イコール毛むくじゃら、なんですよ」
  車内の空気が耐えられないほど張りつめる」
(文庫版p.83)

 「眠る前に布団のなかで女言葉の練習をする。
   隠してたのね。
   ムーミンが本当は小さい(約30cm)ってことを」
(文庫版p.94)

 「もしや、このどきどきは、初めて声をかけてもらったことへの喜びなのか。
 「大きいね」と。
 だが、全ては夢なのだ。
 夢なのに。
 こんなにも。
 おまえは喜んでいるのか。
 乳首よ」
(文庫版p.102)

 「駅ビルの壁に小さな文字をみつける。
 「この建物は皆様の使用済み定期券を再利用して作りました」」
(文庫版p.105)

 「スーパーパンダなんて、と暗い部屋のなかで私は声を出す。
  いないんだ」
(文庫版p.134)

 またもやキリがなくなってきたので止めますが、こういう感じの、妙に後を引く言葉の数々が並んでいます。思わず、くくっ、と笑いが漏れるような、でも「何がどう面白いのかさっぱり分からない」と真顔で云われれば、説明しようがなくて困惑する他はないような。

 第二弾『にょにょっ記』と比べると、シモネタが多いような気がします。それも、ケツとか、乳首とか、おしっことか、うこんとか、ちんすこうとか、発想が子供まるだしなのがまたおかしい。

 例によって、謎のいきもの(カワウソか)の日常生活を描いたフジモトマサル氏のイラストも、相性ぴったりという感じで楽しめます。

 というわけで、上に挙げた例文を読んで気に入った方は、『にょっ記』と『にょにょっ記』、二冊まとめてどうぞ。


タグ:穂村弘
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