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『SFマガジン2012年4月号  「ベストSF2011」上位作家競作』(イーガン、バチガルピ) [読書(SF)]

 SFマガジン2012年4月号は、『SFが読みたい! 2012年版』で発表された「ベストSF2011」において上位ランクインした作者の短篇を6篇も掲載してくれました。また、あわせて先月号に<前篇>が掲載されたレイチェル・スワースキーのネビュラ賞受賞短篇『女王の窓辺にて赤き花を摘みし乙女』の<後篇>も掲載されました。

 『Four Seasons 3.25』(円上塔)は、『道化師の蝶』で第146回芥川賞を受賞した作者による受賞第一作。「この街は全ての願いを実現した最初の地方自治体だ。ただし民意の限りにおいて」。民意の名のもと専断的な市長に支配されていると思しき、とある地方自治体を舞台とする、文章中に明記されてないため未確定事項と見なされる「隙間」をいじくるという「隙間理論」を使って、時を逆行する男の物語。

 この作者にしては読みやすく、話も分かりやすい、という気がするだけかも知れません。シリアスな筆致で書かれたただの馬鹿話ではないか、という疑いも禁じ得ません。

 『対称 シンメトリー』(グレッグ・イーガン)。軌道上のモノポール加速器施設で起きた不可解な事故。真相を探る科学ジャーナリストが、超高エネルギー衝突実験の際に発生した、通常の真空とは異なる様相の「時空対称性の自発的やぶれ」に遭遇する話、だと思うけど、正直よく分かりません。

 『きみに読む物語』(瀬名秀明)。同じ小説を読んでも読者によって感想が大きく異なるのはなぜか。小説の「通俗さ」、読み手の「読書力」、それぞれ客観的に測定し、誰がどの本を読めばどれだけ感動するかを定量化できる技術が普及したら社会はどうなるか。思考実験を通じて「読書」の感動に迫る作品。SF大会や楽屋ネタなど、SFマガジン読者向け薬味も微量含有。

 『懸崖の好い人』(三島浩司)。盆栽の師匠に弟子入りした若い男、物静かで控えめな姉、明朗快活な妹、そして盆栽。奇妙な恋愛関係を扱った心理小説。タイトルは盆栽の「懸崖作り」と文字通り「断崖絶壁」の両方の意味にかけてあります。ほとんどSFではないけど、妙に気になる作品。

 『蛩鬼(キョウキ)乱舞」(ジャック・ヴァンス)。マグナス・リドルフを主役とする連作シリーズの一篇とのこと。必ず儲かると言われて農場を買ったリドルフだが、うまい話には裏があった。だが、こんなことで引き下がる彼ではない。大逆転を狙うリドルフの奮闘を書いた作品で、マーティンの『タフの方舟』を彷彿とさせる話。

 『錬金術師〈前篇〉』(パオロ・バチガルピ)。誰かが魔法を使うたびに増えてゆく毒イバラ。魔法の濫用により異常繁殖した毒イバラのため滅びつつある世界を舞台に、一人の錬金術師が対処法を見つける話。純然たるハイファンタジー世界を書いても、結局は環境問題になってしまうバチガルピ。後篇も楽しみ。

 『女王の窓辺にて赤き花を摘みし乙女〈後篇〉』(レイチェル・スワースキー)。前号に掲載された<前篇>の続き。謀殺された女魔術師の魂が魔法に囚われ、永い時間をおいてときどき「召還」される存在になる。やがて王国は滅び、世代は変わり、時代もどんどん流れてゆき・・・。

 女性絶対上位主義の文化で育った主人公と男女平等を旨とする魔法アカデミーとの対立など面白い挿話を重ねながら、何千年、何万年、何億年もの時間がどんどん流れてゆき、最後は宇宙の終焉に立ち会うはめに。ぶっ飛んだ展開の割に手堅くまとめた印象を受けます。

[掲載作]

『Four Seasons 3.25』(円上塔)
『対称 シンメトリー』(グレッグ・イーガン)
『きみに読む物語』(瀬名秀明)
『懸崖の好い人』(三島浩司)
『蛩鬼(キョウキ)乱舞」(ジャック・ヴァンス)
『錬金術師〈前篇〉』(パオロ・バチガルピ)
『女王の窓辺にて赤き花を摘みし乙女〈後篇〉』(レイチェル・スワースキー)


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『テヅカ TeZukA』(振付:シディ・ラルビ・シェルカウイ) [舞台(コンテンポラリーダンス)]

 一昨日(2012年02月26日)は、夫婦でbunkamura オーチャードホールに行って、シディ・ラルビ・シェルカウイの新作公演を観てきました。

 『ゼロ度』や『アポクリフ』といった、ダンスを軸に様々な表現を組み合わせることでスケールの大きな舞台を作り、来日公演の度に話題となる世界的コリオグラファ、シディ・ラルビ・シェルカウイ。待望の新作公演は、何と手塚治虫をテーマとしたというから驚きです。

 舞台上には鉄腕アトムやブラックジャック、しまいにはマグマ大使まで登場しますが、もちろん手塚作品を演劇にしたわけではありません。あくまでコンテンポラリーダンス公演です。

 あるときは舞台を覆う垂れ幕に、またあるときは舞台のあちこちに垂れ下がった掛け軸のようなスクリーンに、手塚治虫の漫画が投影されます。CGI処理により、コマがバラバラに跳び交い、漫符やオノマトペが躍動し、絵や文字が溶けて流れたり。上田大樹さんが創造したこの映像の、きらめくセンスにまず驚かされます。そのセンスの良い映像が役者やダンサーによるライブアクションと同期することで、舞台上に動画が構築されてゆくのです。

 また照明が舞台の床に光の「コマ」を作り、ダンサーたちがその中で踊ります。ダンサー達はひらりひらり「コマ」から「コマ」へと移動し、その様はまるで漫画の登場人物たちが生命を得て原稿用紙の上で活劇を繰り広げているかのよう。私たち夫婦は舞台を見下ろす三階席から鑑賞したので、ウィリー・セッサさんの照明が舞台を「動く立体漫画」に変えてゆく様をはっきり見ることが出来て幸運でした。

 さらに読経や雅楽や子守歌、鉄腕アトムのテーマなどを素材に、日本の音楽と西洋音楽との融合を狙ったと思しき二ティン・ソーニーさんの音楽(ライブ演奏)がまた素晴らしい。

 これらの要素を素材にして、さらには少林寺拳法の演舞から書道家の筆さばきまで取り入れて、一つのダンス作品に仕上げて見せる。投影された漫画、照明、ダンサー、役者、武僧、書道、音楽、全てがシェルカウイの「振付」にしたがって踊り、舞い、相互に絡んでゆく。その豪腕というべき構成力には圧倒されます。

 途中休憩20分を挟んだ2時間を超える大作ですが、様々な仕掛けをこらした舞台で、退屈はしませんでした。ただ、単純に狭義のダンスだけ取り出して観ると、シェルカウイ作品にしてはいまひとつかなという気もして、そこは残念でした。

『テヅカ TeZukA』
2012年02月26日、bunkamura オーチャードホール

振付: シディ・ラルビ・シェルカウイ
美術・照明: ウィリー・セッサ
映像: 上田大樹
衣裳: サッシャ・コヴァチェビック
音楽: 二ティン・ソーニー
出演: 森山未來、ヨン・フィリップ・ファシストロム、ダミアン・ジャレ、上月一臣、大植真太郎、ダニエル・プロイエット、ギュロ・スキア・ナーゲルフス、ヘルダー・シーブラ、ヴェヴョン・サンドビー

中国河南省嵩山少林寺武僧: 黄 家好、李波
書道家: 鈴木稲水
演奏: 堀つばさ、ウー・ジェー・パク、オルガ・ヴォイチェホヴスカ


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『ホントの時間』(振付:伊藤千枝、珍しいキノコ舞踊団) [舞台(コンテンポラリーダンス)]

 先週末の土曜日(2012年02月25日)は、夫婦で世田谷パブリックシアターに行って、伊藤千枝さんひきいるコンテンポラリーダンスカンパニー「珍しいキノコ舞踊団」の新作公演を観てきました。

 ものすっごく楽しい公演でした。

 開演前からそこらを着ぐるみ動物が歩き回り、指名された観客が場内アナウンスを読み上げ、公演中しばしばダンサーたちが客席の間を踊り歩く。観客も巻き込まれ、何だかディスコにいるような気分になります。

 公演が始まるや、舞台上にのこのこ出てきた伊藤千枝さんが、無音のなか、天才バカボンのテーマ曲を口ずさみながら滑稽なダンスを披露するだけで、元祖天才バカボンのパパだから、いきなりホール全体が和やかな雰囲気に。これでいいのだ。

 懐かしのヒット曲が次々と流れ、それに合わせて数名のダンサーが踊っては曲が変わる度に交替してゆくという、この上なくシンプルな構成ですが、どのダンスも心をぐっとつかむ吸引力があります。

 リズミカルで、力強く、踊る喜びが全身から伝わってくるよう。個人的には「嗚咽しながら泣き崩れる」動作を振付にして踊る、という演目が強く印象に残っています。あと、薬師丸ひろ子でコンテンポラリーダンス、というのも凄い。しかも忘れた頃を見計らってもう一度やるし。

 全体的に、伊藤千枝さんのとぼけたユーモアのセンスが強烈に効いていて、嬉しいことこの上なし。

 最後は総出演。舞台上にはネオンの輝き、ミラーボールが出血大サービスで五つもぶら下がり、ノンストップ無休憩で全メンバーが何曲も続けざまに踊り(すごい体力)、観客も盛り上がりまくりの興奮状態に。

 子供の頃、ラジオで聞いたヒット曲など歌詞もでたらめに口ずさみつつ、わけのわからない衝動に駆られて自室で踊りまくり、物を壊したり、親に叱られたりした、そんな記憶がまざまざと蘇ってくるあまりにも楽しい75分でした。

『ホントの時間』(珍しいキノコ舞踊団)
2012年2月25日、世田谷パブリックシアター

振付・構成・演出: 伊藤千枝
演出補: 小山洋子
出演: 山田郷美、篠崎芽美、茶木真由美、梶原未由、大穂綾子、白石明世、伊藤千枝


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『ピアニストの脳を科学する  超絶技巧のメカニズム』(古屋晋一) [読書(サイエンス)]

 1秒間に平均10.5回という驚異的なスピードで打鍵する指、一年間で490キロメートルの距離を動く手。アルツハイマー病で記憶が失われても暗譜演奏が可能で、はじめて見た楽譜を初見演奏してのける、それがピアニスト。彼らの脳はどのように働いているのか。ピアニストの神秘的なまでの離れ業を、脳科学で解き明かしてゆく一冊。単行本(春秋社)出版は2012年1月です。

 二時間の演奏会で、楽譜も見ないで正確かつ情感を込めた音楽を奏で、聴衆を魅了するピアニスト。彼らの脳はいったいどうなっているのでしょうか。これまで脳科学者と身体運動学者がピアニストの能力について調べてきた研究成果を、一般読者向けに分かりやすくまとめた一冊です。

 まず、脳波測定、データグローブ、ハイスピードカメラ、力センサー、筋電図、さらには「金属(磁性体)を一切使わないピアノをオーダーメイドで作ってもらって、MRIの中でピアノを弾く」(単行本p.157)といった大がかりな実験まで、ありとあらゆる方法でピアニストの秘密に迫ってゆく研究者たちの情熱と執念に驚かされます。

 その結果分かってきたことも、また驚異的です。

 「ピアニストは音楽家ではない人よりも、単純に計算すると、小脳の細胞が50億個近く多い」(単行本p.12)

 「ピアニストは各指を独立に動かせる特別な能力を獲得している」(単行本p.185)

 「指を一切動かしていないにもかかわらず、ただピアノの音を聴くだけで、指を動かすための神経細胞が活動した」(単行本p.36)

 「脳は音符に対応した指を自動的にイメージできるようになると言えます。音符を指の動きに自動的に変換する脳の回路ができあがるのです」(単行本p.95)

 「間違った鍵盤を弾くおよそ0.07秒前に、頭の前方にある脳部位(帯状回皮質)から「ミスを予知する脳活動」が起こっていたのです。そして、その活動は、なんと「ミスタッチをする際に打鍵する力を弱める」ことに貢献していることがわかりました」(単行本p.43)

 「アルツハイマー病を発症したあるピアニストは、親しい人の名前を思い出せなかったが、むかし練習した楽曲は忘れずに演奏できた」(単行本p.101)

 「1日あたり3時間45分というこの平均時間が、ピアニストが演奏技術を維持するために必要な練習時間」(単行本p.206)

 「音響学者は物理学の観点から、理論的にピアノの音色を変えることは不可能である、と考えてきました。(中略)研究の結果わかったのは(中略)タッチによって、音の物理特性が実際に違うものになったのです。さちに、こうした音色の違いは、人間の耳で聞き分けられる範囲であることもわかりました」(単行本p.211-214)

 という具合に、次から次へと驚くような研究成果が登場します。「ミスタッチが起こる0.07秒前に脳はそれを察知し、音楽への影響を最小にするよう指に自動的に修正指示を出している」なんて、もはや超能力とか思えません。

 他にも、ピアニストは腕の筋肉をどのように使用しているか、意識して「機械的に弾く」のと「情感こめて弾く」のでは音の物理特性がどう違うか、音楽家の「良い耳」が持つ特殊能力、ピアニストの三大疾病、さらにはいわゆる「モーツァルト効果」の真偽や音楽による脳神経リハビリまで、ピアニストにまつわる様々な話題が詰め込まれています。

 鍛練によって人間にどれほどのことが可能になるかを知って驚かずにはいられません。ピアノを弾く方はもちろん、他の楽器を演奏する方、音楽愛好家、脳と身体の相互作用に興味がある方、そして『のだめカンタービレ』(二ノ宮知子)の愛読者にも、一読をお勧めします。


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『捕食者なき世界』(ウィリアム・ソウルゼンバーグ) [読書(サイエンス)]

 ラッコがいなくなった海ではジャイアントケルプの森が消滅、オオカミを駆逐した森林はシカに食い荒らされ、ピューマが消えた谷では川岸が崩壊。生態系において頂点捕食者が果たしている役割を明らかにし、生物多様性の危機に警鐘を鳴らすサイエンス本。単行本(文藝春秋)出版は2010年9月です。

 「まずは、人間が入り込み、ピューマを追いだしたことに始まる。それがミュールジカのイラプションを引き起し、ハコヤナギが枯れ、川岸が崩れ落ち、野草が消え、その花の蜜を吸い葉に繭をかけていたチョウやガがいなくなり、それらを追って灌木の茂みをちょろちょろ走り回っていたトカゲが姿を消した」(単行本p.236)

 「北太平洋沿岸の最も豊かな生態系は、ラッコがいなければ丸裸になってしまう。(中略)海岸の食物連鎖のピラミッドは、最終的に上から支配されていることになる。かわいらしい、ウニを食べる肉食動物によって」(単行本p.95)

 「じつに驚きだった。オオカミが川を管理していたのだから」(単行本p.221)

 生態系のバランスを維持しているのは、その頂点にいる捕食者(トップ・プレデター)である。もし頂点捕食者が絶滅すれば、下位の中間捕食者が爆発的増加(イラプション)を起こし、植物が食い荒らされ、土壌が損なわれ、最終的に生態系全体が崩壊する・・・。

 生物多様性に富んだ潮溜りにいるヒトデを取り除いたところ、イガイが激増して他の種を全て駆逐してしまい、生態系としての潮溜りは死んでしまったという古典的研究から始まって、「頂点捕食者こそが生態系を維持している」という実例が、本書にはいたるところに登場します。

 北米大陸の森では、オオカミが駆除されたためシカが激増して樹木の若芽を食い荒らし、森林全体が枯死しつつある。ピューマがいなくなった峡谷は、「チョウの消滅や川床の崩壊に至るまで、生態学者が壊滅的なレジームシフトと呼ぶ状態に陥っていた」(単行本p.237)。

 北太平洋沿岸の事例は、食物連鎖の複雑さをよく表しています。すなわち、捕鯨によりクジラが減少する、獲物が不足したシャチがラッコを襲うようになる、ラッコがいなくなった海ではウニが激増し、ジャイアントケルプの森が食い荒らされて消滅、それが支えていた生物多様性(陸上の熱帯雨林に相当する)が失われ、あたりは死の海と化してしまう。

 あるいは、ダム湖に沈んだ南米の熱帯雨林の事例。沈まずに残った区域では、捕食動物が滅びたためハキリアリが大繁殖。「面積当たりの個体密度は本土の100倍に達した。(中略)ジャングルの荒廃もやはり発疹のように広がっていった」(単行本p.145)。この研究事例が私たちにとって衝撃的なのは、そこに霊長類であるホエザルの群れが棲息していたことです。

 「アカホエザルはもはや群れを作らなくなり、(中略)激しい喧嘩をして傷つけあう。赤ん坊ザルはまったく遊ぼうとしない。サルたちは日に日に痩せてゆく。子殺しが頻発する。そしてグリ湖のアカホエザルは、もはや吠えなくなっていた。(中略)捕食動物のいない楽園であるはずのこの地で、本来集団を本性とするサルたちは地獄の独房に囚われていた」(単行本p.143-144)

 地球という閉鎖生態系から、頂点捕食者である大型動物を絶滅させ、さらにオオカミ、ライオン、チータ、ハイイログマなどを殲滅しつつある霊長類、つまり人類の未来を暗示しているようで気が重くなります。

 それにしても生態系というものの、いかに脆弱であることか。何しろ頂点捕食者は(食物連鎖ピラミッドからも明らかなように)頭数が最も少ない種であり、その少ない種に全てがかかっているというのですから。

 それを知るのは驚きであると同時に、恐怖でもあります。生物多様性を守るためには、頂点捕食者の再導入を含む人為介入が必要不可欠になっている、もはや自然は「手をつけずに保護しておく」だけでは勝手に崩壊するところまで弱っているというのです。私たちの祖先が世界中の大型捕食獣を殲滅してしまったおかげで。

 本書は、北米大陸への頂点捕食者の再導入プロジェクトについても解説してくれます。もちろん政治的な反発は極めて強く(裏庭に猛獣を放つというのか)、中間捕食者の頭数調整ですら難航(可愛いバンビを殺すなんて許せない)、前途多難です。しかし、生態学者たちはくじけることなく努力を続けています。

 動物の頭数を数え続けることに人生を費やした研究者、世間と学界の両方を敵に回して何十年も粘り強く主張し続けた研究者、夫婦でヘラジカのコスプレをして群れに混ざって観察した研究者。本書には、生態系という複雑なシステムを理解するために、あらゆる努力を惜しまない、真に驚嘆すべき研究者が多数登場します。彼らのおかげで、私たちは地球全体で進行しつつある事態をおぼろげながら知り、そして対策を講じるわずかなチャンスを手にしているのです。

 というわけで、生態系や食物連鎖といった大きな視点で生物多様性保護について考えたい方にお勧めのポピュラーサイエンス本です。エコロジー(生態学)というと「エアコンのスイッチをまめに切る」といったイメージしかない方にも、是非読んで頂きたい一冊です。


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