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『短くて恐ろしいフィルの時代』(ジョージ・ソーンダーズ、岸本佐知子訳) [読書(小説・詩)]

 あまりに小さく、国民が一度に一人しか入れない「内ホーナー国」。その外側を取り囲む外ホーナー国の国民は、内ホーナー人を蔑みつつも、彼らを追い出さない自分たちの寛容さに優越感を覚えていた。

 だが、フィルという名の独裁者が現れ、民度の低い外国人による侵略から国を守れと訴え、無理やり国境紛争を仕立て上げ、やがて事態はクーデターからジェノサイドへと突き進んでゆく。短くて恐ろしいソーンダーズの寓話を、岸本佐知子さんが翻訳。単行本(角川書店)出版は2011年12月です。

 『変愛小説集2』(岸本佐知子編訳)に収録された『シュワルツさんのために』にシビれ(2010年06月01日の日記参照)、慌てて読んだ短篇集『パストラリア』がまた良かったので(2010年06月08日の日記参照)、ソーンダーズの作品がもっと翻訳されることを期待していたのです。

 ついに岸本佐知子さんが訳してくれました。国境紛争、民族差別、排外主義、そしてジェノサイドを、抱腹絶倒の寓話にしたてたソーンダーズの作品です。

 あまりの狭さに同時には一人しか入れない国、幅が狭く国民が一列に並んで歩くことしか出来ない国、機械部品と植物のパーツをデタラメに継ぎ接ぎしたような奇妙な住民たち。奇天烈な設定の元で、差別と憎悪と全体主義と民族浄化の物語が、思わず吹き出してしまうギャグ満載の馬鹿話として語られます。

 興奮して脳が落ちるといきなり雄弁に排外主義とヘイトスピーチを繰り出すフィル、もうろくして何も決断できない国王、追従と保身しか念頭にない部下たち、騒ぐネタを探しているだけの報道人など、まあ、何となく馴染み深い登場人物たちが、わあわあやっているうちに、どんどん人が解体され、殲滅されてゆきます。

 陰惨な寓話ではありますが、あまり深刻に眉をひそめながら読むのではなく、大笑いしながら読むのがいいかと思います。

 誰もが「自分たちの物語」として読むことができる普遍的な寓話なので、あちらの批評家の方々は、これは米国のイラク侵攻を皮肉った作品であることは明らかだ、いやルワンダだ、ボスニアだ、ヒトラーだ、アブグレイブ刑務所だ、テロとの戦いだ、と口々に分析していらっしゃるようです。何をおっしゃる。これは今の日本の世相を皮肉ったものだということは明らかじゃないですか、ねえ。


タグ:岸本佐知子
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『SFマガジン2012年2月号  日本作家特集』(宮内悠介、倉数茂) [読書(SF)]

 SFマガジンの2012年2月号は、日本作家特集ということで、新鋭作家の短篇を5篇掲載してくれました。

 まず最初の『ヨハネスブルグの天使たち』(宮内悠介)。泥沼化するアフリカ内戦を背景に、どん底の生活から這い上がろうとする一人の若者の姿をえがいた作品です。また伊藤計劃の後追いかと思いきや、これが予想を上回る傑作。

 「落下と破壊をひたすら繰り返し続ける少女型アンドロイドが、毎日毎日、降ってくる」というシュールな光景が、果てしない民族紛争と重なってゆき、やがて前代未聞のエキソダスへとつながってゆく、その見事な構成には唸らされます。SFにしか出来ないやり方で現実に切り込んでゆこうとする作品。

 この作者の作品は、他には『盤上の夜』(『原色の想像力』収録)と『スペース金融道』(『NOVA5』収録)しか読んだことがないのですが、どれも方向性から雰囲気までまるで違う作品で、その引き出しの多さには驚かされます。今後どんな作品を書いてくれるのか、大いに期待したいと思います。

 『小さな僕の革命』(十文字青)は、格差が固定された近未来の日本が舞台。将来に希望を持てない若者が、このクソみたいな世の中なんてぶっ壊してやる、と息巻いて、ネットを利用した同時多発テロを企む話。

 同じ話(言い切るなよ)である『ヨハネスブルグの天使たち』(宮内悠介)の後に置かれたのが不運というか、どうしても読み比べてしまい、そのしょぼさにがっくり。「希望は、戦争。」(赤木智弘)から五年、ついに「希望は、ネットの“祭り”」しかないところまで来たかと思うと、さらにもの悲しく。

 『不思議の日のルーシー』(片理誠)は、ある小さな田舎町を舞台とした、すこし・ふしぎ系ボーイ・ミーツ・ガールもの。ある暑い夏の日、ルーシーと名乗る少女に出会った少年は、彼女と一緒に猫を探すはめになる。ルーシーは隣の家の娘だというし、町の人も彼女をよく知っているようだが、なぜか少年はルーシーに全く見覚えがない。はたして彼女は何者なのだろうか。

 トワイライトゾーン風というか、海外の古いSF短篇にありそうな話で、悪くはないのですが、とりたてていうほどのこともなく。『エンドレス・ガーデン』を読んだときも感じたのですが、その生真面目な作風には好感が持てるものの、どうも好みに合わないのです。

 『真夜中のバベル』(倉数茂)は、天才的な言語能力を持つ少年と幼なじみの少女が逃避行を繰り広げる物語。どんな言語でもその文法構造を一瞬で把握し極めて短時間に完璧に習得してしまうという驚異の能力を持つ少年シロウ。ある夏の日、シロウが謎の男たちに拉致されそうになったのを目撃した幼なじみの少女は、彼を救い出し一緒に逃げることになる。逃避行の果てに二人を待っている運命とは。

 シロウが狙われる理由、彼が持っている貴重なものとは何か、というのは、タイトルが露骨に暗示している通りなのですぐに察しがつきますが、この作品のキモはそこではありません。二人が体験する様々な出来事が一つ一つ積み重ねられ、ラスト一行で読者をぼろぼろに泣かせる、というのが狙い。それは見事に成功しています。というか、泣いた。泣かされたよ。

 細やかな情景描写が実に巧みで、昨年デビューしたばかりの新人作家が書いた作品とは思えません。先が楽しみ、というか、これからもSFを書いてくれるかどうか不安になります。とりあえず長篇を待ちます。解説には「2010年には、弊社よりSF長篇を刊行予定」とありますが、これ2012年の誤植ですよね?

 最後に置かれた『ウェイプスウィード(前篇)』(瀬尾つかさ)は、中篇作品の分割掲載で、今回はとりあえず前篇のみ。

 海面上昇により陸地の大半が水没した未来の地球を舞台に、外惑星コロニーからやってきた研究者である若者と、島の巫女として科学知識を持っている少女の出会いが描かれます。二人が協力して調査するのは、ウェイプスウィードと呼ばれる巨大な海藻集合体。海洋生態系に大きな影響を与えているウェイプスウィードの秘密とは。

 と、ここで前篇が終わっていて、いやもう先が気になります。感想は後篇を読んでから書くとして、とりあえず『華竜の宮』(上田早夕里)に引き続き、海洋SFブームが来ることを期待したい。

 というわけで、個人的には、話の面白さとSF的アイデアで宮内悠介、筆力と作品の完成度で倉数茂、この二人が大いに気に入りました。次々とお気に入り作家が出てきて、とても嬉しい。ただ5篇を通読して感じたことですが、この歳になると、「少年と少女」の話ばかり読まされるのはけっこうきつい。

[掲載作]

『ヨハネスブルグの天使たち』(宮内悠介)
『小さな僕の革命』(十文字青)
『不思議の日のルーシー』(片理誠)
『真夜中のバベル』(倉数茂)
『ウェイプスウィード(前篇)』(瀬尾つかさ)


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『遠い川』(粕谷栄市) [読書(小説・詩)]

 粕谷栄市さんの、三好達治賞を受賞した最新詩集。見開き2ページの詩40篇が収録されています。単行本(思潮社)出版は2010年10月です。

 昨年は母、今年は父が、それぞれ亡くなり、私も老境に差しかかり、そろそろ、老いるということ、死を迎えるということについて、自分の問題として真面目に考えなければなりません。

 というわけで、年老いた男が人生を振り返りながら静かに(あるいは、にぎやかに)死を迎える心境が書かれた粕谷栄市さんの詩集を読みました。三好達治賞を受賞して話題となった作品集です。

 収録作はいずれも見開き2ページの短い詩で、老境における死生観がよく表れています。死と生に明確な境界というものがほとんどなく、死を迎えつつあるとき夢見る光景、死んだ後から蘇ってくる思い出、などが様々に去来する様をえがきます。

 「それは、おそらく、誰も知らないことだ。暗い夜明け、老人が、独り、遠い川にむかって歩いている。まだ、人々は、深く眠っている」(『遠い川』より)

 「この世のどこかに、孫三の帳面が残っている。その最後の頁に、自分は、誰かのできそこないの詩のなかでだけ、不完全に、淋しく生きていた男だと書いてある」(『孫三』より)

 「この世を去るそのときまで、そんな頬を張り倒されるような、ばかな夢を見たりして、結局、おれは、死んだ女房のところへゆくのだ」(『死んだ女房』より)

 「風が吹いて、白い花びらは、空に舞う。渓川の水の音が聞こえ、全ては、昨日と、全く、同じだ。永遠に、それは、変わらず続いて行くのだろう」(『花影』より)

 短い言葉で人生、愛、死、そして死後をどう表現するか。様々な試みが並んでいます。こんな表現方法があったか、こんな題材をこう使うのか、驚きと感動があります。

 起承転結のはっきりした短篇小説のような詩もあり、好みです。例えば、『丙午』という作品。

 「若し、おれが、その丙午の歳、牛の日、牛の刻に生まれていたら、おれは、太鼓に牛の皮を張る職人になる」

 若さと力強さに満ちた言葉で始まり、やがて、

 「しかし、おれは、その丙午の歳、牛の日、牛の刻に生まれなかった」

とひっくり返し、悲しみと寂しさをつのらせ、

 「この世に牛などという生きものが、その皮を張った太鼓などというものが、本当に存在するのだろうか」

といぶかり、そして悔いのなかで、

 「丙午の歳、牛の日、牛の刻、結局、おれは、この世から消される」

と持ってゆく。言葉の繰り返しが見事な効果を生んでいると思います。

 死に際に夢見ること、死を前にして人生を振り返ること、こうであってもよかった別の人生を想像すること、そして死を受け入れること。

 老いてから学ばなければならないことは山ほどあり、きちんと死を迎えることが出来るのか自信がなくなってきました。母も父も、その一瞬に向けて、色々と大変だったのだろうな。


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『殺人者の空  山野浩一傑作選II』(山野浩一) [読書(SF)]

 60年代から70年代にかけて和製ニューウェーブ運動の旗手として活躍した伝説的作家の傑作選、第一弾が『鳥』で、第二弾は『空』。表題作ほか『メシメリ街道』など、SF的設定を用いて独自の内宇宙を構築する短篇8篇を収録。文庫版(東京創元社)出版は2011年10月です。

 後期作品も数多く収録されており、その迫力には恐れ入ります。タイムトラベル、超能力、電子頭脳といったいかにもSF的なガジェットを扱っても、気がつくと著者独特のインナースペースに引きずり込まれて。この読書体験はかなり中毒性あり。

 個人的に気に入った作品を掲載順にいくつか挙げると、まずは冒頭に置かれた代表作の一つ『メシメリ街道』。歩道橋も横断歩道もなく、車両が間断なく走り続けている巨大な道路、メシメリ街道。何とかその向こう側に渡ろうとする語り手は、なすすべもなく翻弄されます。そして時刻は常に正午。

 若いころ読んだときはその不条理感に驚かされました。今になって読むとそれほど不条理ではなく、むしろ比喩や風刺性があからさま(昭和社会における「メインストリーム」の暗喩だな、など)と感じられるのは、読者として成長したのか、それとも愚かになったのか。

 『Tと失踪者たち』は終末テーマSF。何の原因も前触れもなく不意に人間が消滅する現象が広まり、既に人口の大半が消えてしまった日本。廃墟と化した郷里から東京まで、無人の荒野を孤独に旅する語り手。だが東京もすでに壊滅しており、わずかに残された人々も次第に消えてゆくのだった。

 「静かな終末」風景を扱ったSFは数多いのですが、これほど印象的な作品は少ないのではないでしょうか。発電所や犬の使い方が巧い。

 表題作『殺人者の空』は、全共闘による大学闘争の時代を背景に、セクト間の内ゲバで起きたリンチ殺人を扱っています。

 大学や政府を打倒し真のプロレタリアート革命をなし遂げんとする大学自治会反主流派に属する語り手Yは、対立する党派のオルグ活動をしていたKを正当な革命的行為(つまり内ゲバ)で殺してしまう。ところが、被害者は偽学生であったことが判明、しかもどこのセクトにも該当者がいない。Kは全くの不在者だった。やがてYの周囲には、Kと思われる不審人物が出没するようになり・・・。

 若い人が読んだら「背景世界設定がよく分かりません」と真顔で言い出しそうな、学園紛争真っ盛りの「あの時代」の気分を当事者視点で書いています。殺人者Y、被害者K、ともに作者自身であると思われ(Y・Kは「山野浩一」のイニシャル)、二人の関わりはそのままインナースペースへと転がってゆきます。本作に限らず、どの山野浩一作品をとってみても、どこか「あの時代」の空気が感じられるような気がしてなりません。

 そして、個人的に最も気に入ったのは、『内宇宙の銀河』です。タイトル通り内宇宙テーマの作品ですが、現実が融解してインナースペースと混じり合ってゆく様が実に見事に書かれており、ぐいぐい引きつけられます。バラードやディックの個人的に好きなところを集めて凝縮させたような、そんな感じ。素敵。

 他にも、この作者にしては珍しい本格タイムトラベルSFあり、美人超能力者に出会って逃走劇に巻き込まれるというベタな話あり、森の奥で静かに樹木に同化してゆく不思議な話あり、登山体験を緻密に描いたリアリズム小説だと思わせておいてまたもやという話あり、バラエティに富んだ作品が収録されています。

[収録作]

『メシメリ街道』
『開放時間』
『闇に星々』
『Tと失踪者たち』
『φ(ファイ)』
『森の人々』
『殺人者の空』
『内宇宙の銀河』
『ザ・クライム(The Crime)』


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『鳥はいまどこを飛ぶか  山野浩一傑作選I』(山野浩一) [読書(SF)]

 日本SF界におけるニューウェーブ運動の最前線で活躍した伝説的作家の傑作選、その第一弾です。表題作ほか『X電車で行こう』など、異世界・内宇宙テーマの作品を収録。文庫版(東京創元社)出版は2011年10月です。

 山野浩一といっても、バベルの塔で三つのしもべに命令している少年ではなく、伝説的な「季刊NW-SF」を創刊し、60年代から70年代にかけて和製ニューウェーブ運動の旗手として活躍した作家です。

 若い頃、SFアンソロジーで『X電車で行こう』や『メシメリ街道』を読んで、何しろそれまで宇宙船だのタイムマシンだの出てくるような素朴SFしか読んでなかったもので、こんなSFもアリなんだーっ、そのかっこ良さにシビれたのも、今となっては懐かしい思い出。

 しかしながら、ニューウェーブ運動にいまひとつ興味が持てなかったこともあって、作品集に手を出すこともなく、何となく上記の二作以外は読まないまま今日に至ります。

 そういうわけで、半世紀遅れではじめて読んだ山野浩一作品集ですが、うん、けっこう好み。この不条理感はクセになります。

 本書に収録された作品は、そのほとんどが「うだつの上がらない会社員としてのぱっとしない生活にうんざりしている語り手が、ふとしたはずみで異世界(内宇宙の具現化だったり、不条理な組織だったり、あるいは単に社会からのドロップアウトの比喩だったり)に足を踏み入れてしまい、そのまま戻って来れない、あるいは心ならずも戻ってきてしまって喪失感に立ちすくむ」というようなプロットです。ああ、60年代だなあ。

 個人的に気に入った作品を掲載順にいくつか挙げると、まずは表題作『鳥はいまどこを飛ぶか』。パラレルワールドを飛ぶ渡り鳥、というイメージが印象的な作品です。

 冒頭に置かれた「この小説は、最初の二節と最終の二節以外のaからlの配列を任意に変更して読んで下さって結構です」という有名な一文からは、ウリポめいた実験小説が連想されますが、実はパラレルワールドというものを忠実に表現するための手法なんですね。ホシヅルがさり気なく登場することでも知られています。

 『赤い貨物列車』は、夜行列車の中で殺人行為が繰り返されるのを、逃げるべきかどうか迷いながら傍観する話。夜行列車に乗っているときの一種異様な非現実感がよく表れています。

 『X電車で行こう』は著者の代表作の一つ。目に見えない幽霊列車「X電車」が登場します。鉄道マニアである語り手は、会社を止めてX電車の追跡にのめり込みますが、まるでそれと呼応するかのように語り手の予想通りの進路を辿るX電車。だが、次第にX電車は狂暴化してゆき、多くの犠牲者が出るに至って・・・。社会生活になじめず、ひたすら趣味に打ち込んだ経験のある読者なら、身につまされるであろう物語。

 ただ、改めて読んでみると、その面白さは、ある種の怪獣映画のパターン(怪獣と心が通じていると思い込んだ登場人物が、自分の社会的疎外感から怪獣に肩入れしているうちに、というような)に沿ったプロットから生じていることに気づきます。進路や出現ポイントの予測とか、自衛隊の迎撃シーンもありますし。内宇宙テーマ、とか思っていたけど、実はこれ怪獣モノじゃないですかね。

 『カルブ爆撃隊』は、いきなり不当逮捕され、どことも知れぬ監獄に入れられた男の話。『プリズナーNo.6』めいた監獄では、なぜか収容されているメンバーそれぞれの記憶(ここが精神病院なのか職業訓練所なのか軍の施設なのかといった現実認識も含めて)が食い違っており、しかも全員が自分たちは「カルブ爆撃隊」に所属しており、訳がわからないまま戦争に加担させられている、という確信を持っていた。

 全編を覆う不条理感が素晴らしい作品。ただ、アンブローズ・ビアス風のラストはちょっとどうかと思いますが。

 『首狩り』は、盗んだスーツケースを開けたら、知らない男の生首が入っていた、しかもその生首は生きていて、タバコは吸うわ、電話はかけるわ、ついには語り手に報酬は払うから世話をしろと言い出して、というインパクトある導入部で始まる物語。やがて「優秀な人間を見つけては首狩りしている謎の組織」の存在が明らかになり、語り手もそのメンバーとして活動するようになるが・・・。

 「ヘッドハンティング」とか「首切り」といった会社用語をそのまま現実として書いてしまった作品。地下室に沢山の生首が並んでいる、という猟奇ホラー的な光景が、実は、生首はみんなでテレビの野球中継を見ており、そのくつろいだ様子からは、もともと首から下は不要な人生を送っていたことが明らか、みたいな、笑うべきか否か微妙に困るシーンで。会社ビルの地下の喫茶店でよく見かけた昭和風景。

 巻末の『霧の中の人々』は、登山中、霧に巻かれて遭難しかけた語り手が、やがて謎めいた非現実的な都市に迷い込む話。そこを脱出するためには「不在証明(アリバイ)」を手に入れなければならないのだが・・・。

 山登りの体験を描いたリアリズム小説かと思わせておいて、どんどん不条理な方へ転がってゆく感じがたまりません。霧に巻かれた山中の風景、不可解な都市の光景、ともに描写が印象的で素晴らしい。いつまでも読んでいたくなります。

 最後に著者自身による「あとがき」が付いており、これがまた凄い。各作品について「アイデアだけの平凡な作品」、「不純な動機で書かれた作品」、「何とも変なことを考える作者ですな」などと完全に他人目線で評しており、参考になります。その数で難易度を示すトウガラシマーク付き。

 というわけで、私のように「ニューウェーブSFって何か気に入らなかったのであまり読んでない」という方も、安部公房やカフカの作品が好きな方なら、ハマる可能性は高いと思います。第II巻も読んでみようと思いました。

[収録作]

『鳥はいまどこを飛ぶか』
『消えた街』
『赤い貨物列車』
『X電車で行こう』
『マインド・ウインド』
『城』
『カルブ爆撃隊』
『首狩り』
『虹の彼女』
『霧の中の人々』


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