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『呪いの時代』(内田樹) [読書(教養)]

 「弱者」たちは救済を求め、「被害者」たちは償いを求め、「正義の人」たちは公正な社会の実現を求めて、それぞれ呪いの言葉を吐く。それらの言葉が自分自身へ向かう呪いとしても機能することに無自覚なまま。ネット言説から、政治、就活、恋愛、原発まで、様々な場面で私たちの心と社会を蝕む「呪い」について考える一冊。単行本(新潮社)出版は2011年11月です。

 「ネット上では相手を傷つける能力、相手を沈黙に追い込む能力が、ほとんどそれだけが競われています。もっとも少ない言葉で、もっとも効果的に他者を傷つけることのできる人間がネット論壇では英雄視される」(単行本p.14)

 「他人の話は聞かない、自分の意見だけを言いつのり、どれほど反証が示されても自説を絶対に撤回しないという風儀のことを「ディベート」と呼ぶのだということが僕たちの社会の常識になりました」(単行本p.16)

 他人に向けて放たれる、悪意を込めた言葉は、相手と自分を不幸に陥れる実際的なパワーを持っています。そういう意味で、「呪い」は実在します。そういった「呪い」が私たちの社会をどのように蝕んでいるのかを、著者は明らかにしようと試みるのです。

 「格差固定化」の本当の問題はどこにあるのかを、著者はこう説明します。

 「努力することへのインセンティブを傷つけるというのが社会的差別のもっとも邪悪かつ効果的な部分なのです。「努力しても意味がない」という言葉を、あたかも自分の明察の証拠であるかのように繰り返し口にさせ、その言葉によって自分自身に呪いをかけるように仕向けるのが、格差の再生産の実相なのです」(単行本p.34)

 社会的格差という現象が「呪い」を生み出し、それが人間の心を破壊してゆく。社会問題の存在を「呪いの構文で記述している限り、そこから抜け出すことはできない」(単行本p.35)ということになる、と著者は云います。

 こうして、ある社会現象が、それ自体というよりも、それによって生ずる「呪い」によって深刻な弊害を引き起こしている、という観点で様々な話題が語られます。

 例えば、就活ビジネスとは、「この世のどこかに自分にとっての「天職」がある。自分がそれに出会えないのは、自分の適性が何であるかに気づいてないことと、世の中にどんな職業があるか十分に知らないこと、この二つの「情報不足」が原因だ。それを(有償で)手に入れさえすれば、本当にやりがいのある職につける」という、「呪い」をかけることで、何度でも、いつまでも、繰り返し就職情報を売りつける、そういうビジネスモデルだと説明されます。

 全く同じビジネスモデルを流用して、「どこかに自分にとっての「運命の人」がいる(以下略)」という「呪い」にかけるのが婚活サービス業ということになります。

 こんな風に、「草食系男子」についても、「英語学習」についても、「自立する、自分らしく生きる」という言葉についても、さらには「原発推進」に至るまで、その背後にある「呪い」のロジックを読み解いてゆきます。

 後半では、「贈与経済」の可能性、受け手に対する敬意のこもった言葉、といった、「呪い」に対抗し中和するための「呪鎮」あるいは「祝福」が現代社会においてどうあるべきかを論じます。

 個々の話題については賛同しにくい点もあるのですが、全体としての問題提起には思わず「はっ」とするような鋭さがあります。「呪い」という古めかしい、オカルトめいたキーワードも、実際にネット上の言葉によって苦しめられ、あるいは視野を狭められて不幸になっている人々が数多く存在する現代では、新しいリアリティを獲得したと感じられます。

 様々な社会問題について検討するとき、政治・経済的な「解決策」を探す方向に反射的に走るのではなく、まずはその背後に「人の心に呪をかける」というメカニズムが働いているのではないか、と考えてみる。そういう姿勢の大切さを学ぶことが出来る一冊です。


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