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『猫を助ける仕事 保護猫カフェ、猫付きシェアハウス』(山本葉子、松村徹) [読書(教養)]


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「すい臓がん、余命数ヶ月。猫のために建てた家と、この子たちと、財産を全部渡したい。外の猫たちも可能な限り助けてやってくれ」
(中略)
 自分の命が尽きるぎりぎりまで一緒にいたいわが子同様の犬猫たち。でも、ぎりぎりまでその子たちの行く先を決めないでいるわけにはいかない。気丈な方ほど引き裂かれる想いを味わいながら、早めに次の飼い主さん探しを開始します。梅田誠さんは、これをビジネスの手法で解決しろといわれました。
 猫だけでなく犬の保護や里親探しも次々とお話をいただきます。足りないピースとそれを欲する人たちをつなぐシステムをひとつずつ作っていきます。そして早く次の世代に渡していきたい。私が明日いなくなっても大丈夫なように。
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Kindle版No.1815、1825


 年間10万頭が殺処分され、それをはるかに上回る頭数が路上で死んでゆく。彼らを助けるために必要なのは、持続可能なシステム、ビジネスの手法で保護する仕組み。猫の殺処分ゼロを目標にソーシャルビジネスを展開する「東京キャットガーディアン」の取り組みを紹介する一冊。新書版(光文社)出版は2015年11月、Kindle版配信は2015年12月です。


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環境省「犬・猫の引取り及び負傷動物の収容状況」によると、2013年度に全国で殺処分された犬は約3万頭、猫は約10万頭にのぼります。
 行政の保護施設に引き取られた犬・猫が元の飼い主に返還、もしくは新しい飼い主に譲渡された割合は犬が53パーセント、猫が14パーセントです。つまり、猫は犬に比べて返還・譲渡される割合が非常に低く、殺処分される割合が非常に高いということです。
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Kindle版No.582


 飼い主に捨てられた猫。路上で生まれた猫。彼らの置かれている悲惨な境遇と運命を知れば知るほど、何とかして保護してやりたい、里親を見つけてやりたい、と思うのが人情です。しかし、どんなに愛情を注いでも、情熱を燃やしても、個人や小グループがボランティアで出来ることは限られます。助けても、助けても、きりがない。心を削られ、疲労と絶望に打ちひしがれ、幾度も涙をのみ、見て見ぬふりをしながら、心の中の何かを殺してゆく。それが猫の保護活動……。

 そんな猫の保護活動を「個人の頑張り」に任せるのではなく、ソーシャルビジネスとして持続的に続け、拡大してゆきたい。東京キャットガーディアンの理念と挑戦を、当事者が語ってくれます。


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 東京キャットガーディアンの活動は、行政の理解と協力、地域のボランティアさん、多くの支援者の方々や企業の善意とご協力で成り立っています。とはいえ、都内にある3ヶ所のシェルターで常時300頭近い保護猫を世話しつつ、年間約700頭の譲渡を実現しているのは、保護と譲渡の仕組み、支援金と支援物資を受け入れる仕組みを標準化してマニュアル整備を進める一方、年間数千万円規模になる事業収支をバランスさせながら活動できる運営体制を築き上げてきたからです。
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Kindle版No.30


 ビジネスの手法で猫を保護する。その最初の取り組みは、猫カフェ型の開放型キャットシェルターでした。


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 行政による猫の殺処分をゼロにするためには、日本におけるペット流通の仕組みの中で有効な対策を考える必要があります。東京キャットガーディアンは「足りないのは愛情ではなくシステム」と考え、家族の一員として迎える猫を、ペットショップやブリーダー(繁殖者)から購入する以外に、民間の保護団体から譲り受ける新しい流通ルートを社会に定着させようとしています。そのために、日本で初めて猫カフェ型の開放型シェルターの運営に乗り出したのです。
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Kindle版No.15


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猫カフェスペースのある開放型シェルターを日本で初めて作った東京キャットガーディアンには、何度も海外メディアからの取材がありました。おそらく、日本だけでなく世界でも初めての施設なのでしょう。ただ、彼らが大変興味深げに取材を終えたあと、決まって「これだけ猫を可愛がる国民が、どうして年間十万頭も猫を殺処分しているのか」と聞いてくるのには閉口しました
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Kindle版No.606


 猫を飼いたいと思った人が、ペットショップではなく、まずは気軽に猫カフェに行って保護された猫たちと触れあう。気に入った猫がいれば、引き取って育てる。相談や教育など様々なサービスも受けられる。それが猫カフェ併設キャットシェルターという事業です。

 猫カフェに出向くのではなく、保護された猫がいる場所に住む。いわば一匹キャットシェルターの管理者になる。それが「猫付きマンション」という不動産ビジネスです。


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 2010年9月に東京キャットガーディアンが始めた「猫付きマンション」は、猫との生活を夢見る住人(入居者)と賃貸マンション経営を安定させると同時に猫の助けにもなりたい大家さん(オーナー)、それに成猫の保護場所を作ってたくさんの猫を救いたい保護団体と保護猫の四者みんなが幸せになれるシステムです。
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Kindle版No.1271


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 現在、「猫付きマンション」は東京都内を中心に80物件が稼働しています。つまり、東京キャットガーディアンの外部シェルターとして、80頭の飼育場所が確保されたことになります。
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Kindle版No.1316


 一歩進んで、複数の保護猫と、複数の人間が、住居をシェアする。キャットシェルターを住居とし、共同管理する。「猫付きシェアハウス」です。


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「猫付きシェアハウス」は、リビングルームやダイニングルームなどの共用部で複数の猫を飼育しますが、各個室のドアには専用のくぐり戸があって猫が自由に出入りできる構造になっています。あらかじめ、キャットウォークやキャットステップを設置した物件もあります。
 住人が飼育主体として責任を持って猫を飼育する点は「猫付きマンション」と同じですが、当番表に基づいて交代で飼育する点が異なります
(中略)
 餌代やトイレ砂などの消耗品費はシェアハウスの管理費に含まれており、物品は東京キャットガーディアンが提供する点も「猫付きマンション」と異なります。これは、何よりも餌の銘柄を統一し、猫にとって最適のフードを提供する、という現実的な理由からです。なお、猫用のトイレは共用設備としてあらかじめ用意されています。
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Kindle版No.1334、1342


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「猫付きマンション」と「猫付きシェアハウス」は日本初のアイデアとして、2015年4月に両者の商標権の設定登録を行いました。海外の先例もないようなので、猫カフェ型の開放シェルター(保護猫カフェ)同様に世界初の試みともいえそうです。
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Kindle版No.1376


 さらには、猫付き老人ホーム、財産委託型キャットシェルター、など様々な猫保護ソーシャルビジネスの可能性があります。猫保護活動のソーシャルビジネス化に関心のある方、「東京キャットガーディアン」のサービスを利用したいという方、「猫付き不動産」の運営に興味がある方、そして賃貸住宅で短期間でも猫を飼ってみたいと思う方に、読んでほしい一冊です。


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『すべての隙間にあり、隙間そのものであり、境界をも晦ます、千の内在』(笙野頼子) [読書(随筆)]



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「なんだこれ普通だよ、小説書いていれば結構知ってる事、そしてこの本は全部判らなくても、私の、味方をしてくれるようだ」
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単行本p.97


 シリーズ“笙野頼子を読む!”第102回。

 『ドゥルーズ 没後20年 新たなる転回』(河出書房新社編集部:編)に「文学者が読むドゥルーズ」の一篇として収録された小論。単行本(河出書房新社)出版は2015年10月です。


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 それは文学という具体化の起こす魔法であり哲学の卵的宇宙には成しえない誕生だ。
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単行本p.98


 『千のプラトー』をどのように小説に使ってきたか、著者自身が詳しく解説してくれる貴重な一篇です。

 たいそう失礼なことに私はいまだに千プラを読んでないのですが(本当、申し訳ありません)、それでも『居場所もなかった』『レストレス・ドリーム』『説教師カニバットと百人の危ない美女』『海底八幡宮』『だいにっほん三部作』など次々と登場する作品に、千プラがこう活かされている、振り返ってみるとこう関係していた、といった、ちらりと種明かしするような解説をつけてくれるので大興奮。


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私は今も「え? ああ、そうだ生成変化ってなんだったっけか?」とか言いながら『千のプラトー』を手に取ってみている。つまりそれは判らなくとも使えるし遊べる本だから。少なくとも広義の私小説や思弁小説を書く、私にとっては。
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単行本p.94


 導入部を別にして全体は6つの章から構成されており、それぞれテーマとなる千プラ用語が章題となっています。

 用語解説だけではなく、常に具体的な作品や社会問題をあげて、その使い方を示してくれるという親切さ。使うための千プラ。陥穽を避けるための千プラ。戦うための千プラ。

 大学で笙野教授の特別公開講座を受けているような心地。予習さぼってごめんなさい。


「0 「外」にして「内在平面」」より引用


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「ふうん、碧志摩メグ問題で海女が怒っている、何が職業差別だよ、そんなの主観でしょ、人それぞれの内面に何の意味がある?」とか言ってやがる多数派。内と外をきっちり分けられると思っていて、それを制度として押し通したい存在、それは権力だ。そして主観の集大成民主主義にこそ、少数者の切実な主観への配慮が、必要なはずなのだが。
 内にあるものは外に出てこれないか? 内にあるものは外とは違うものか? ならば、内とはゼロなのか。とんでもない!
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単行本p.95


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 心と体は分けられるか? どれが内? どれが外? 体と呼ばれるその境界自体に痛みがあり、厚みがあるのに。身体はまた、幽明を分かち、時間の流れそれ自体でもあるというのに。にも係わらず……。
 心神も因果も切断し物事をリセットし、勝ちを永遠に自分の側に留め置こうとする力、これを笙野頼子は今のところおんたこと呼んでいる。それはええとこどりにして被害者気取りであるもの。当事者を引き受けず勝ちだけを集めるもの。「鬼を外に福を内に」自分だけは「汚れ」ずにい続けながらなお、豆をぶつけられるのはいつも自分だと言い募る存在。その実態は、「捕獲装置」。
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単行本p.95


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 というか、他者とは「外」なのだ。同時に自己こそ「外」である。関係性だけで、交通だけで、論ずる事の出来る他者などどこにもない。一本の線のように文を読んでいっても、小説が読めないのと同じように。文と文を越えて単語は響きあう。
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単行本p.96


「1 プラトー」より引用


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 読む人によって意味が違い読む人によって接続が違い、主人公は主体を引き受けてぶれる事なく、読者と作者の間を多生の縁で繋ぐ。しかし描かれた日常は現実と実はまるで違う。それは言語によって隙間だらけにされ、隠れた抽象化をされたが故に普遍的膨らみを持っている世界、言表の集団的アレンジメント。読者各々の「外」を呼び込むための現実ではない現実。変容したが故にそこに他者が入る事の出来る宇宙、それが純文学=私小説、心境小説、思弁小説、他……。
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単行本p.98


「2 国家は音楽である。」より引用


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当時でさえ、国家は音楽であるというフレーズ等に納得したものだ。そう、そう、そう構造に意味はなかろう、だって、まとめる奴迷惑、鈍感だから何でも一緒くたにする。切りわけ能力がないだけのくせに、「要するにこうでしょう、何が違うんですか」。もし揚げ足取りでなければ、時に、細部は物事の本質なのだ。「なんか細かいこと怒ってるであの人また」。
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単行本p.99


「3 リゾーム」より引用


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 文とは、取るものだ、取っていくとついに自分までも取れてしまう。自分でないものが現れて発語の主体から、「俺様」がいなくなる。なのに私は残る。そういえば昔からなんとなく私はそう思っていた。自分で自分を横から殴るように批判しつつ書く時にも。
 俳句が生まれるとき、リゾームが、全ての隙間にあって隙間でもあるものがまず、接続される。リゾームだらけで隙間だらけの、それはプラトー?
 それは宇宙を呼び込む、一滴の水。
 リゾームを虫に例えると早く動く紙魚、『海底八幡宮』で私はその虫を書いた。隙間とは何か? 幅をもってそこに存在するものだ。文を削るとそこにあらわれて意味や情景を膨らませるものだ。隙間に入ってそれは隙間となる、しかも動く隙間なのでたちまち逃げ去り。交尾して繋がる。一瞬集まり一気に散る、隙間にいて隙間でもある。その隙間は逃走する。
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単行本p.100


「4 機械、マイナス一、言表の集団的アレンジメント、ニュートン批判」より引用


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「たとえばね、文学は何の役に立つのだ、という人いるよね、ああいう人にじゃあ文学って何と聞いてやると、必ずそれはストーリーと文章ですとか言ってくるの、でもそこで」。さあ使いましょう、千プラをパッと出してこういってやりなさい。
 ふーん? 小説とは? 文章? ストーリー? ソレハマタ・ナンデースカ?
 むろん、教えてやりなさい文学とは何か、それは言表の集団的アレンジメントである、と。相手は黙ります。どうせ馬鹿だから。そのような馬鹿の事を構造馬鹿と言います。芸術の本質が細部に宿る事も、知らないわけですから。構造じゃないのです「機械」というものがある。それが小説を成立させるのだ。
(中略)
 構造を越えるもの、枠組みについている色、そもそも水の流れを捕らえることが出来るか、ていうか、構造馬鹿は実は部分しか見ていない、「構造という部分」しか見ていないのです。
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単行本p.102


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 大きい問題を構造と捕らえそこからこぼれるものを無視していく、それが「革命」をつぶしてきたのでしょう。「七十年代左翼の女性差別とおばちゃんヘイトが原発を動かし、ネオリベを支えて来た」とまでは私は、今は言いません。でもむかつくからそういう小説はいくつか書きました。(中略)しかし今言った事、これはけして左翼批判ではありません。保守であれ革新であれ、エコであれフェミであれ愛護であれ、芸術であれ、その捕獲装置、つまりは大きい偽物に対する批判ということです。
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単行本p.104


「5 捕獲装置」より引用


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 碧志摩メグ問題で久しぶりにネットを見て、昔書いた「だいにっほん」シリーズに出てきたようなヲタクの人々が、少しもなくならないという事に気づいてしまった。千プラが経済の問題として書いた捕獲装置だけれど、私はこれを言説や組織、人間、全てに適用出来る考えだと思っている。結局一番気になっているのがこの捕獲装置という考え方である。つまり、
 A多くの批判が偽物しかしらぬまま本物に向けられる
 B事物の本質はいつも隠される
 C本質を隠すため偽物は大量にばらまかれる
 D本質を潰すために侮辱が繰り返される
 E核心的事物を些細な事として乱暴なコードを適用し改革は壊死していく
 とっさに書いたけどまあ、こんな感じ、もっとあるかも……。

 要するに悪貨は良貨を捕獲するのである。
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単行本p.105


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 捕獲はリセットや本質を欠いた模倣により行われる。多くは無垢な人間や土地の凌辱をともなう。そして「おんたこ」は贋の大義により「小さいもの」を殲滅するのだが、実はこの小さいものがあると連中は不安で夜も眠れない。被害と加害を逆転させてまで嫌がらせをし、攻撃して来る。実際、世界はまるでそれだけで出来ているようだ。ニセ芸術であれ悪魔の産業であれ、この穢しがなぜか大金と愚民の支持を産む。
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単行本p.105



タグ:笙野頼子
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『夢と幻想と出鱈目の生物学評論集』(小笠原鳥類) [読書(小説・詩)]


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 動く詩と動く動物についての文章。詩としての事典について。用語を詰め込んでいて密度が濃い冷静な言葉が、散文詩である。
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「『旺文社 生物事典』四訂版を読む飛ぶ夢と冒険」より


 図鑑など見ながら紡ぎだされてゆく夢と幻想と出鱈目、すなわち散文詩。生物の本をベースに独特の興奮とテンションに満ちたレム睡眠語を浴びせかけてくる詩集が宇宙から来たのです。同人誌(archaeopteryx)発行は2015年2月です。


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 私はこれから、生物学のまじめな本を見て読んで、実用的ではない夢の文章を書く。
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「あらゆるデザインを、『サイエンスビュー生物総合資料』を読んで夢見る」より


 最初は、ありがちな「いきものエッセイ」かな、と思うわけです。しかし、すぐに逸脱が始まり、夢の思考に入り、多くの場合UFOが飛びます。


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 コマイについて少し、近くにあった資料の本を適当に調べながら、適当に、見えた一部分を引用しながら書いてみたい。デタラメなことを私は書くことが、あるだろう。
(中略)
小学館の『万有百科大事典 動物』(一九七四)によると、「コマイ」は「硬骨魚綱タラ目タラ科の海水魚。」「外見はマダラに似ているが、体はやせ形で体長はふつう三〇cm以内、まれに五〇cmに達する。」ふつうは五〇cmにはならないのだな。五〇cmのコマイを見たら怪物であると思う。チョウザメが怪物だ。チョウザメが、ゴジラである。「背部に不明瞭な不定形の暗色斑がある。」不明瞭!不定形!で、UFOであるだろう。木星から来たんだ。ゼリーのような、しかしーー乾いたーー生き物が、UFOを、操縦している。コマイも木星のようなものだ。
(中略)
星が大量に集まって乾いている火星で、火星をムシャムシャ食べると石のようなコマイの干物だったという。
 冬の暗い海が、宇宙である。海も宇宙も、塩味だ。皮膚が宇宙の銀色の光を保存している、コマイの干物は宇宙から来た。ああ。
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「コマイの干物は宇宙から来た。ああ。」より


 「不明瞭」「不定形」という言葉にいきなり興奮して、UFOだ、木星だ、宇宙から来た、となる。なぜかそれがよく分かるという不思議。ああ。


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 よく知らないのだが「プリアプルス」は「分類上、どの動物門に属するか不明な点も多い。」不明な点を画面にザラザラと光って描き続けた「主として深海産の動物」UFOなのではないか「体は円柱状で」UFOについてのテレビも多かった。この事典ではこの生き物については、絵がなくて説明の文章だけなので「数多くの」「鋭い歯」サメのようなものなのか石のようなものなのかいつまでもわからない。UFOが着陸した跡を見て、わからない。
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「『旺文社 生物事典』四訂版を再び読む夢の化石の断片」より


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 ヘンゲボヤ(六五ページ)は漢字で書くと「変化海鞘」で、いろいろ変わるんだろう江戸時代の妖怪であった「群体はかなり硬い寒天質で、ホヤには見えない。」ホヤではないような、よくわからないものは、よくわからないではないか。何であるのかよくわからないものに見える。「個虫が増え、群体が大きくなると分裂して形を変える。」よくわからないものの絵も描いてあって、大きなものが分裂するとさらに大きくなるキノコであるのかもしれなくて、カビやコケであるかもしれなくて、ついに人間になった。
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「『まるごと海の生きもの』ウミウシなど」より


 「不明」というとUFO、「変化」というと妖怪。この思考の癖にはすぐに慣れます。一緒に興奮しましょう。


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 ウミウシの一種である、「カメノコシエラガイ科」のウミフクロウ(五二ページ)は漢字で書くと「海梟」は「体長10cm」であって、わりあい丸い生きものであるように思える。上から見ると(そのように絵で描かれているので。おお、このーー本は、写真ではなくて絵の本なのであるよ)。フクロウの腹のような模様があるんだろうか灰色で茶色のようでもあって、ホウホウと鳴くのか、あるいは水面から跳び上がってムササビを食うんだろうかモモンガを。ムササビは海のトビウオであるよなあ。ももんが。
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「『まるごと海の生きもの』ウミウシなど」より


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鵜飼いについてはゆっくり書いてみたいと思うことがある。おもしろくてとてもおもしろくて、そしてやがておもしろくて、どんどんおもしろくなっていくだろう。それからさらにおもしろくなって、楽しくなって、おもしろくておもしろくて、こんなにおもしろいものがあっていいのかと思うくらいおもしろい鵜舟(鵜舟かな、ではなくて、鵜舟ガメラ)について、非常に長い詩を書きたいと思うことがあるだろう。悲しみについては書かない。
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「『まるごと海の生きもの』ウミウシなど」より


 こんな言葉を書くのはいったいどんな詩人なのでしょうか。親切にも、「私についての百人の証言」という副題のついた作品が収録されています。鳥類図鑑ですね。さっそく読んでみましょう。


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(6)「その金属の建物である動く宇宙を移動、の中には大きなペンギンがいたし、大きなペンギンは怪獣で、テレビに出てきた、銀色の生き物と戦っていた戦わない、それから、ペンギンが食べながら話していた。食べながら歩く動物でした、何を言っていたかは映画なのでよくわからなかった、私は遠い国の遠い星の映画を見るだろうからSFで、SFの小説、小説の表紙の絵、それから翻訳で読むだろう。ガラスの水槽の中には花々が咲いていて、これを宇宙で運ぶと、別の星に花が咲くだろうということも予想した、この宇宙船の中であればとても暖かいな、私は北極を南極を動いて、宇宙船の中で花を食べて、これも、宇宙の、生き物」(水槽の中のペンギン)
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「おお、ペンギンが、南極と宇宙と湖を移動する
ーー私についての百人の証言ーー」より


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(36)「テレビができあがっていました。テレビでは、今日は怪物が発見されるのではないだろうかと、遠い文字が描かれていたが、あの人、山で、テレビから遠く離れていたから、テレビは遠くにある緑色の星でしたよ、緑色の湖を地図で見たら、この地図では絵の具が使われて、私は絵の具が並んでいる箱を見て、この箱、絵のように食べられるわ、私はクレヨンを食べるのですと言ったら、するとタラを食べる人は、タラであるならどのような色にも塗れるし、タラにはいろいろな料理があります、それからタラを並べて、タラ、タラと言った、タラと言ったのだよ、すると宇宙からタラが来たのです」(タラ)
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「おお、ペンギンが、南極と宇宙と湖を移動する
ーー私についての百人の証言ーー」より


 テレビ、怪獣、宇宙、そういうことなんだなというのは何となく分かります。


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『核の誘惑 戦前日本の科学文化と「原子力ユートピア」の出現』(中尾麻伊香) [読書(教養)]

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日本の人々は、ラジウムを、サイクロトロンを、原子力を抱擁した。外からの押しつけではなく、自らの意志で核を抱擁してきたのである。もちろん、核の危険を感じとったりその利用に反対したりした人々はいた。しかしその声は、核に誘惑された人々によって打ち消されてきた。
(中略)
本書が示してきたのは、私たちがいかに簡単に核を抱擁してしまうのか、その一端であった。原子力安全神話が崩壊し、原発事故の収集のつかない今もなお、日本は原子炉を輸出し、全国の原子炉は再稼働しようとしている。私たちは核を手放せないでいる。
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単行本p.335


 日本人は「核」とどのように向き合ってきたのか。「ラジウム温泉」ブームから「あとむ製薬の滋養強壮剤〈ピカドン〉」まで、戦前から終戦直後の「核」にまつわる言説をたどり、日本人の心に今なお深く根を下ろす「原子力ユートピア」観を浮き彫りにする一冊。単行本(勁草書房)出版は2015年7月です。


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 本書はこれから、核をめぐる言説を辿りながら戦前日本の科学とメディアと総力戦体制の混沌をひもといていく。戦前日本の人々は、核をどのように受け入れ、どんな未来を夢見たのか。そしてその受容と期待はどのように戦後に引き継がれたか。日本人の核に対する意識をその源流から辿り直す試みであり、未だ全容の知られていない戦前日本の核イメージを描き出す初の試みとなるだろう。
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単行本p.12


 日本人には「核アレルギー」があり、原子力に対して強い反発と嫌悪感を示す、と言われています。確かにそういう一面もありますが、では、なぜ事故後もあれほどまでに必死になって原発を再稼働させようとするのでしょうか。

 本書は、戦前の様々な言説を取り上げて、日本人の心には「核」に対する憧れ、いわば「原子力ユートピア」観とでも呼ぶべき心象が深く刻まれており、それは戦後も変わらず引き継がれてきたのだ、ということを説得力を持って示してくれます。なるほど。それなら原発再稼働に血道を上げるのも、ゴジラが何十回となく日本に上陸してやまないのも、よく分かるというものです。

 全体は終章を含めて8つの章から構成されており、ほぼ時系列に沿って日本人の「核」言説を追ってゆきます。


「第一章 放射能と科学者、メディア」
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 日本においては、日露戦争以降、科学の話題がジャーナリズムにおいて重宝されるようになり、科学者たちも科学啓蒙に乗り出していった。ただし科学者とメディアの関係は必ずしも良好なものではなかった。明治期のメディアは、科学者たちの人々に正しい知識を伝えるという動機と、人々(新聞記者と読者)との興味関心とのずれを可視化している。科学者は、科学の秩序を守り、体現する存在であったが、それは人々の好奇心や、神秘的で摩訶不思議なものに惹かれる心性とは合致しなかった。このずれが最大限にあらわれたのは、千里眼事件をめぐる報道であった。
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単行本p.75

 X線とラジウムの発見。ラジウム療法(放射線は少量なら健康に良いという、今もなお生き残っているイメージの源流)、科学啓蒙とメディアの対立が可視化された「千里眼事件」。日本人は、放射線、核エネルギー、の発見をどうとらえたのか。最初期の「核」言説を取り上げます。


「第二章 放射能を愉しむ:大正期のラジウムブーム」
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ラジウム温泉が各地に登場し温泉が近代化した過程には、温泉の効能の正体がラジウムであったということを報告した中央の学者、近代科学の説明に飛びついた地方の温泉地、そして両者をつないだ国策、これらの一見幸福な関係があった。学者たちの生み出した放射線医学の言説は地方の社会経済的背景のなかで必要とされ、繰り返し用いられていった。ラジウムブームは、そのような日本の近代化の一局面として捉えることができる。
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単行本p.126

 ラジウム温泉から始まったラジウムブーム。モダンな紳士が集う「ラジウム吸入室」、お肌すべすべ「ラジウム石鹸」、ご家庭で手軽に放射能「ラジウムの素」、万病にきく「ラジオゲン水」。ラジウムに熱狂する人々の様子を眺めます。


「第三章 帝国の原子爆弾とカタストロフィーをめぐる想像力」
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20世紀初頭においては、西洋を模倣して最終兵器の描写が日本でもあらわれていたこと、そしてそれらは平和を導く楽観的なものであったことを確認した。最終兵器によってもたらされるユートピア像は、大衆文化のなかで生まれ、強化されていった。
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単行本p.159

 ウェルズ、押川春浪、海野十三。戦前のSF作家たちは、「核兵器」の威力とその社会的影響をどのように描いたのか。「核によるユートピア」と「世界の終わり」をめぐる想像力の系譜を辿ります。


「第四章 新しい錬金術:元素変換の夢を実現する」
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サイクロトロンの建設には多大な費用が必要であった。そのため仁科らはサイクロトロンの有用性をアピールする必要があった。(中略)このとき、有力な宣伝文句となったのが人工ラジウムの製造である。メディアと国民は、人工ラジウムを製造する「世界一」のサイクロトロンに期待を寄せ、仁科の宣伝に魅せられたのであった。(中略)
 科学者たちが人々に魅せるために行った水銀還金実験と人工ラジウム実験は聴衆を魅了するという意味で大成功を収めたが、実際には「金」も「ラジウム」も生産されてはいなかった。そこにあったのは、ナショナリズムに支えられた「幻想」の共同体であったのかもしれない。
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単行本p.196、197

 水銀から金を生み出し、人工的にラジウムを生産する。日本が誇る「世界一」のサイクロトロンを建造すれば、錬金術も、無限パワーも、すべて思うがまま。二番じゃ駄目なんです。見よ、ラジウムの人工生成を「発見」した理化学研の「偉業」を。人工ラジウムはあります。


「第五章 秘匿される科学:核分裂発見から原爆研究まで」
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 日本の原爆研究をめぐっては、しばしば「物理学者は戦争に巻き込まれた」「若い研究者の徴兵を免れるために軍事研究を引き受けた」という説明がなされてきた。こうした説明には一見すると妥当性があるがしかし物理学者たちはただ受動的だっただけではない。時代に乗じて社会に向けて自らの研究の重要性、有用性を語っていた。(中略)サイクロトロンに寄せられていた人工ラジウム製造の期待は、原子力/原子爆弾の実現への期待へと置き換わっていく。この期待は、対米戦争が始まり、戦局が厳しい状況となったときに、日本における原爆製造を待望する論(原爆待望論)へとつながっていくことになる。
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単行本p.232、233

 核分裂の発見。SFに登場するようになったリアルな原爆の描写。米国で核兵器に関する記事が突如まったく報道されなくなったとき、日本では原爆待望論が巻き起こっていた。予算獲得のために積極的に科学動員に応じていった科学者たち。今、ニッポンには、この夢の力が必要だ。


「第六章 戦時下のファンタジー:決戦兵器の待望」
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最終兵器としての原爆への期待ーー原爆待望論ーーは、メディアが萎縮していくなか、理想と現実との乖離から生まれた、ファンタジーであった。このとき、科学者、軍人、記者、作家、といったさまざまな属性を持つ者が原爆を語った。原爆は、戦局が悪化していくなかでの日本の最後の希望のともし火であった。原爆への待望は、もはや通常の兵器では勝ち目がないという暗黙の「了解」のもと、広まっていった。
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単行本p.285

 戦時体制のなかで、原爆待望論をあおった日本物理学の父、仁科芳雄。軍事科学小説で繰り返し日本の大勝利を描いた日本SFの父、海野十三。原爆プロパガンダ、殺人光線、原爆ユートピア、ぼくらの哀しき超兵器。

  参考
  2015年12月15日の日記
  『ぼくらの哀しき超兵器 軍事と科学の夢のあと』(植木不等式)
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2015-12-15


「第七章 原子爆弾の出現」
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 広島と長崎を破壊した原子爆弾は、日本の科学振興の原動力となった。敗戦を経験した人々は、原子爆弾の残虐性からは目を背け、科学を振興するという戦前から唱えていた目標を繰り返し、原子力を手中にすることを夢見ていく。そのような原子力への「夢」の背後には、原爆投下以前の原爆/原子力観があった。科学技術による圧倒的な敗北を乗り越えるために、人々は原子力を求めていったのである。(中略)科学技術の振興や原子力の平和利用というスローガンは、未来を志向する人々が、過去の呪縛から逃れられていないことを示すものであった。
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単行本p.326

 原爆投下、そして敗戦。すばやく色々「なかったこと」にして、平和と科学振興を高らかに唱える日本人。「ピカッと光つた原子のたまにヨイヤサー、飛んで上がった平和の鳩よ」平和音頭で歌い踊り、「あとむ製薬」は滋養強壮剤「ピカドン」を発売。

そして、なぜか見覚えのあるような新聞記事が続々と。

「原爆は、人類の科学史に輝く大事業。近代科学の偉大なる研究」
「世界文明の上にそのような意味を持つ原子力理論の礎石が、日本の科学者によっておかれたことは特別の注意を払われてよい」
(日本のものづくりは世界一、原爆開発は日本の成果です)

「広島を訪れた外国人が日本人の復興意欲に驚嘆」
(外国人に絶賛される日本)

「放射能は爆心地にも全然残っておらず、人体に害をなすことはない、むしろ健康によい」
(事態はアンダーコントロール。復興は進んでおり、避難民支援は打ち切ってよし)

「原子症状いまはなし、多くは恐怖による神経症」
(放射脳の困った人たち国の迷惑)。


「終章 核の神話を解体する」
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メディアに通底してあったものは、科学技術による帝国日本の覇権、科学技術の進歩がもたらすはずの明るい未来像であった。科学者は、人々が望んでいた未来像を語り、そのような未来の実現を予感されるような科学研究の成果を見せていくようになる。科学者と大衆は、20世紀前半のメディアを通じて、利害の一致を見ていったのである。
(中略)
神話は、誰かが一方的に作るものではない。それは、科学者とメディア、そして大衆がともに作り上げるものであった。核にまつわる言説が注目される局面は決まっていた。美容や健康に関わるとき、一攫千金に関わるとき、国の威信に関わるとき、国や地域を立て直すとき……。問題は科学知識そのものではなく、人々が何を望むかであった。科学者と大衆の利害関心が一致したとき、魔術は科学として、市民権を得るようになった。
(中略)
 私たちは、あまりに多くの嘘≒神話に囲まれている。原子力がエネルギー源として実用化されてしばらくすると、原子力反対と推進の対立構造が生まれた。その中で、どちらでもなく、なんとなく原子力を享受する人々がいた。知らないうちに、その神話に取り込まれている人々がいた。
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単行本p.330、333、334


 というわけで日本人の「核」に対する意識をその源流からたどってゆくと、今も昔も変わってねえというか、放射能よりもこういう性根こそが怖い。


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『ぼくらの哀しき超兵器 軍事と科学の夢のあと』(植木不等式) [読書(教養)]


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 人間は夢を見る。絶望の中で、閉塞の中で、プライドの中で、合理の中で、非合理の中で、その他あらゆる状況の中で。そして、「生きる」というその闇雲な本能が、現実の中に理念を持ち込むとき、ときおりぽつんと、奇想を生み出す。
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「序 ロッパとシュペーアと高周波爆弾」より


 出現すればたちまち勝利へ。敵をなぎはらう光線兵器、タイタニック号より強い氷の不沈空母、極秘の超能力研究、気象兵器、地震兵器、動物兵器、さらには同性愛爆弾、ヒトラー女体化計画、幻の日本製原爆まで。戦争の趨勢を一発でキメる「超兵器」。ヒトが真剣に取り組んだ奇想の数々と、それに期待する他ない戦争という現実。面白うて、やがて哀しき超兵器。単行本(岩波書店)出版は2015年8月です。


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兵器や戦争についての在来型の思考を踏み倒して、フリーダムにもほどがあるアイデアで戦ったり夢想したりした事例集である。現代の兵器開発が科学と密接にかかわるため、多くの話題には科学者も登場する。これらは軍事と科学のダメなマリアージュを拾い上げた珍談奇談集と言ってよいかもしれない。
(中略)
超兵器は、あとから眺めるといかに阿呆に見えても、常識の束縛を断ち切ってイマジネーションの限界に挑む試みであり、ヒトの構想力が最大限発揮されてきた分野である。たいていは現実に裏切られるとはいえ、しかしそれゆえに、そこにかかわった科学技術、および科学者・技術者・政治家の動作を、特殊であるがゆえに純粋なかたちでのケーススタディとして、岡目八目で眺める機会を私たちに与えてくれる。
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単行本p.253、254


 「超兵器」にまつわるエピソードを集めた一冊です。今の目で見ると脱力する他はない奇想と、その背後にある絶望や閉塞が、鮮やかに対比されます。


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これからまだ、何十万ものヒトが死ななくてはならない。でも……。絶望的な戦況の中で、空襲に追われながら、少なからぬ人々がなお挽回の希望を抱いていた。その希望は、ひとつの形をとるーー超兵器、あるいはすべての桎梏を薙ぎ払う起死回生の理念(イデア)。(中略)破れかぶれの帝国が繰り出していた現実の新兵器は、無力で、無惨だった。(中略)1944年11月に運用が開始された風船爆弾は、1万発弱が太平洋岸から放球され、ジェット気流に乗って一路米国を目指した。戦果はなかった。オレゴン州で、遠足中の子供5人と引率の女性1人の命を奪っただけだった。
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「序 ロッパとシュペーアと高周波爆弾」より


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人々はヴンダーヴァッフェンという言葉を胸に刻み込んだ。
 出現すればたちまち勝利へ。それは一種の弥勒信仰にも似ていた。そして弥勒は遅刻した。超兵器はなかなか登場しなかった。ドイツ軍は後退を重ね、米英軍の空爆は都市を焼き、ドイツ本土すら生存圏から逸脱し始めた。(中略)
 V-1は戦況の転換には全く役に立たなかった。V-2も同じだった。かわりに、超兵器という〈表象〉だけが、人心に巣食い、避けられぬ破局から束の間の逃避をさせてくれる役割を果たした。
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「序 ロッパとシュペーアと高周波爆弾」より


 全体は3つの章から構成されています。


「第1章 死に物狂い」
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 反乱側に立ったある部族長は獅子吼した。「これは戦争ではない。なぜなら私たちは死ぬことがなく、ただ殺すだけだからだ」。
 死をも怖れぬのではなく、そもそも死なないと信じ込んだ軍勢の強さといったらなかった。各地で村々が陥落していった。
(中略)
あとには廃墟が残った。この戦争での白人の死者は15人。一方でタンガニーカ南部の地元民の死者は、一説に25万~30万人といわれる。
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単行本p.7、9

 マジマジ戦争における「魔法の水」、19世紀の朝鮮が開発に取り組んだ航空兵器「鶴羽船」、義和団の乱におけるスーパーパワー「義和拳」と戦闘美少女グループ「紅燈照」など。侵略者たる欧米の圧倒的な軍事テクノロジーを土着文化と精神力でくつがえすべく登場したオカルト的超兵器の数々。


「第2章 気の迷い」
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 1942年暮れ、「安上がりに不沈空母を量産するアイデアがあります」という耳寄りな話が英軍の特殊作戦を指揮するマウントバッテン卿から報告されたとき、チャーチルは一も二もなく飛びついた。
(中略)
 着想者の命名に従い「ハバクク」と呼ばれたこの空母の開発は、ほどなく英国そして米カナダ両政府を巻き込んだ戦時計画のひとつとなった。提案されたモデルのうち最大のものは全長600m、全幅100m、排水量220万t。全長269mのタイタニックがかすんでしまうほどの氷の巨艦だった。
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単行本p.83

 ヒトラー女体化、カストロ脱毛など、CIAが繰り出した恐るべき謀略の数々。月面で核爆発を起こしてソ連をびびらせる計画。安くて沈まない氷の空母を開発する計画。気象を操って敵軍を壊滅させる気象兵器。イヌ地雷、ネコ機雷、ハトミサイル、コウモリ爆弾。さらには敵兵をゲイ化する同性愛爆弾(2007年イグノーベル平和賞を受賞)まで。自軍の損害なく戦争に勝ちたい、という切ない夢想を背負った超兵器開発計画の数々。


「第3章 幻と夢」
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まじめな超心理学者たちからの受けは芳しくなかったが、ベトナム戦争にうんざりしたフラワーチルドレンでイージーライダーで文明も科学も大転回する「水瓶座(アクエリアス)の時代」に期待する米国のナウでヤングなベビーブーマー世代によく読まれた。余談だが、ピラミッド型の構造が未知のエネルギーを生み出すという「ピラミッド・パワー」なる言葉は、同書が初めて使ったものである。
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単行本p.158

 チリのコンピュータネットワーク計画。冷戦下における超能力の軍事利用研究。今なお陰謀論の世界で活躍している地震兵器。猿人創造計画。日本軍が秘かに開発していたという原子爆弾(ゲンザイバクダン)。そして「邪悪な兵器の眷属として構想され、構想をばりばり裏切られつつ、でもやっぱりそれで押し寄せる敵をなぎはらえたらいいな、という期待を糧にして今もなお人気を誇る超兵器界の未完の超大型アイドル」(単行本p.177)殺人光線。こんなこといいな、できたらいいな、あんなゆめ、こんなゆめ、いっぱいあるけど、誰もかなえてくれない、哀しき超兵器の数々。


 というわけで、トンデモ兵器を面白がるもよし、奇想をめぐる歴史面白エピソード集として楽しむもよし、戦争の愚かさをかみしめるもよし。しかしながら、ふざけた本ではありません。どれほど著者が真摯に平和を望んでいるか、次に引用する「著者からのメッセージ」を読めば心に染みるはずです。


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諸君、私は戦争が嫌いだ。諸君、私はこの地上で行われるありとあらゆる戦争行動が大嫌いだ。私は平和を、糞の様な平和を望んでいる。君達は一体何を望んでいる? 三千世界の鳩を殺す朝寝の様な平和を望むか? よろしい、ならば平和(フリーデン)だ。
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「著者からのメッセージ」より


 大丈夫か、岩波現代全書。


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