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『世界の誕生日』(アーシュラ・K・ル=グィン、小尾芙佐:翻訳) [読書(SF)]


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真面目で熱心なひとたちはこれをハイニッシュ・ユニヴァースと呼び、その歴史をひとつの年表に繰り入れようとした。わたしはその世界をエクーメンと呼び、歴史を年表に繰り入れるなど不可能だといっている。
(中略)
 わたしはこうした世界やひとびとを創造するつもりはなかった。だが物語を書きすすめるうちに、彼らが少しずつ見えてくる。いまも少しずつ見えつづけている。
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Kindle版No.23、42

 性徴期がくるたびに性別が変わる人々の社会、男女の人口比に極端な偏りが生じた社会、4人で婚姻する社会。そこで愛しあい、悩み、苦しみ、成長してゆく人々。ジェンダー意識をゆさぶる鋭い思考実験と心をゆさぶる情熱的な物語を見事に融合させた、いわゆるハイニッシュ・ユニヴァースものをはじめとするル=グウィンの傑作8篇を収録した短篇集。文庫版(早川書房)出版は2015年11月、Kindle版配信は2015年11月です。


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つまりこれらの話はいずれも、われわれとはちがう社会形態をもち、その生理機能さえもわれわれとはちがいながら、われわれと同じように感じるひとびとを、内側から、あるいは外側の観察者(土地の人間に同化しそうな)の目で、さまざまに描出しているということだ。まずそのちがいを創りだすこと――未知のものを確立させることが肝心だ――そしてそのギャップを埋めるために、人間の情熱の炎が弧を描いて飛躍するのだ。この想像というアクロバットは、ほとんどほかのものとくらべようもないほど、わたしを満足させている。
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Kindle版No.139


 性別とジェンダーに関わる偏見は、意識に深く根を下ろしているためか、それを相対化して内省することにはしばしば困難がつきまといます。私たちの社会とは異なるジェンダー規範を想定し、その社会で生きる人々の内面を真摯に想像することは、この困難を克服するための手段となり得ます。実際、こうした試みはジェンダーSFという形で数多く書かれてきました。

 しかし、それをル=グウィンほど巧みに、強力に、情緒豊かに書いてみせたSF作家は類まれでしょう。

 「ギャップを埋めるために、人間の情熱の炎が弧を描いて飛躍するのだ」

 登場人物たちの情熱が、苦悩が、喜びが、あらゆる感情が私たちの心を引き寄せ、実際にその社会に生きたという実感を、そして自分たちの現実社会におけるジェンダーの在り方を相対化して見る視点を、与えてくれます。想像力に何が出来るのかを、感動的な物語という形でみせてくれる傑作の数々。ぜひ多くの方に読んでほしい短篇集です。


[収録作品]

『愛がケメルを迎えしとき』
『セグリの事情』
『求めぬ愛』
『山のしきたり』
『孤独』
『古い音楽と女奴隷たち』
『世界の誕生日』
『失われた楽園』


『愛がケメルを迎えしとき』
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そこには凄まじいエネルギーがあった。白髪を振りみだし床も抜けよとばかりに足を踏み鳴らし、力強く朗々とした声で唱い、笑い声をあげた。彼らを眺めている年下のひとびとのほうが影のように生気がなかった。わたしは踊るひとたちを見て、なんであのひとたちは幸福なんだろうと思った。年老いているのではなかったか? ようやく自由になったといわんばかりのあの振る舞いはいったいどうして? それならケメルとはいったいどんなものなんだろう?
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Kindle版No.279

 長編『闇の左手』にも登場する惑星ゲセン。そこに住む人々は、性徴期「ケメル」がやってくる毎に性別が変わり、男女いずれになるかは制御できない。両性の完全な平等が確保されている社会で、しかし人々は必ずしもケメルを単純に賛美しているわけではながった。初めてのケメルを迎えようとする時期の語り手の心理を通じて、愛と性の割り切れない関係を官能的に描いた短篇。


『セグリの事情』
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わたしはスコドルに訊いた、なぜ聡明な男性が、せめて大学で学ぶことを許されないのかと。すると彼女はこう答えた。学ぶことは男性にはよくないことだ。それは男の名誉心を弱め、筋肉をたるませ、性的不能者にしてしまうと。「脳にいくものは、睾丸から引きだされていく」と彼女はいった。「男性を守るためには教育を受けさせないようにしなければならない」
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Kindle版No.828

 成人男性1名につき成人女性16名、極端な男女人口比の偏りが生み出した「男性があらゆる免除特権をもち、女性が権力をにぎるという社会」(Kindle版No.795)。様々な報告から惑星セグリのジェンダー規範と社会構造が明らかにされてゆく。『闇の左手』と並んでジェイムズ・ティプトリー・ジュニア賞を受賞したコミック『大奥』(よしながふみ)と比べてみると、そのような社会で男性に何をやらせるか/やらせないか、の相違が印象的です。


『求めぬ愛』
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「ぼくは彼を愛している」とハドリはいった。「彼を傷つけたくはない。もし逃げればぼくは卑怯者だ。彼に値するような人間になりたい」その四つの答えは、それぞれに別の意味をもつ答えだった。それぞれに、ひとつずつ、苦しそうに述べられた答えだった。
「求めぬ愛ね」女はそっけない、荒っぽいやさしさでいった。「ああ、それはつらいわね」
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Kindle版No.1780

 男女以外に別のジェンダーがあり、その組み合わせで4つの社会的性別が存在する惑星O。婚姻も4人で行う社会を舞台に、やや古めかしいラブロマンスが展開する。

 最初は混乱しますが、登場人物の心に寄り添ってゆくうちに、やがてOにおける婚姻制度がごく自然なものに思えてきます。ジェンダーというものは恣意的、人為的なもので、決して「自然な」ものではないことが浮き彫りに。ちなみに、作者は次のように述べています。

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Oの社会は、いまのわれわれの社会とはちがっているが、ジェイン・オースティンの時代の英国ほどにはちがっていない。おそらく、『源氏物語』の時代ともさほどちがっていないのではあるまいか。
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Kindle版No.96


『山のしきたり』
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「でもわたしはあんたが欲しい! あんたを、わたしの夫に、わたしの妻にしたい。男なんて欲しくない。あんたが欲しいのよ、あんただけが。人生のおわるときまで、だれもわたしたちのあいだには入れない、だれもわたしたちを分かつことはできない。アカル、考えて、ようく考えて。」
(中略)
「あたしは、女としてうまくやってこられなかった」とアカルはいった。「あなたに会うまでは。いまさら男なんかになれない! あたしがうまくやりこなせるわけがない、ぜったいだめ!」
「あんたは、男になるんじゃない、あんたはわたしのアカルになる、わたしの恋人に」
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Kindle版No.2231

 同じく惑星Oの婚姻制度「セドレツ」を背景としたラブロマンス。シャヘスとアカル、愛しあう二人が(他の男女と共に4名で)結婚するために、アカルが「男」に扮して、婚姻成立するまで相手の男にはそのことを隠しておくという驚くべき策略。果たして成功するだろうか。『求めぬ愛』と比べてラブコメ要素も強い楽しい短篇。


『孤独』
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 鍵はむろん、〈テケル〉という言葉だ。これはハイン語の〈魔法〉という言葉に訳せばぴったりする。自然の法則を破る技や力。あるひとたちがほんとうに、およそ人間関係なるものを不自然だと考えているという事実は、母には理解しがたいことだった。たとえば、結婚とか、政府とかいうものは、魔術師によってかけられた邪悪な呪いだと見ることもできる。母が属する民にとって、魔法は信じがたいものなのだ。
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Kindle版No.2719

 住民が孤立して住んでいる惑星ソロ11に調査に赴いた文化人類学者とその幼い娘。家族、絆、社交、といった概念を「人が人を支配するための魔法」として嫌悪するソロの文化のなかで育った娘は、彼女を「野蛮で退行した社会文化」から引き離して「文明化」しようとする母親に激しく反発する。文化ギャップから生ずる対立を詩情豊かにえがいた作品。


『古い音楽と女奴隷たち』
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「わたしは生まれながら所有されていた」と老女はいった。「わたしの娘たちも。だがこの子はちがう。この子は授かりもの。だれもこの子を所有することはできない」
(中略)
でもこの赤ん坊は、一連の注射で回復するはずの病気で死にかかっている。この子の病気、この子の死を甘受するのは誤りだ。周囲の情況や不運や不公平な社会や、宿命論的な宗教に欺かれてこの子の命が奪われるのを見過ごすのはまちがっている。奴隷たちの恐るべき忍耐心を育み助長する宗教、女たちになにもするなと教える宗教、この子をいたずらに死なせてしまう宗教に。
 自分は干渉すべきだ、なにかすべきだ。ではいったいなにができるのか?(中略)考えることをやめることができなかった。そこで考えた。自分ができることを考えた。なにも見つからなかった。彼は水のように弱く、赤ん坊のように無力だった。
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Kindle版No.3942、3984、4011

 何世代も続いた奴隷制度が社会基盤となっている惑星ウェレル。内戦に巻きこまれたエクーメンの駐在大使は拉致され、奴隷農場を擁する大邸宅に囚われてしまう。そこで知り合った人々との交流を通じて、彼は社会構造に組み込まれた奴隷制度について学び、考えることに。現実の世界でも、あからさまに、あるいは一見しただけではそうは見えない制度として存在している、奴隷制度を扱った作品。ちなみに、作者は次のように述べています。

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ある批評家は、奴隷制度をわざわざ書くに値する問題としているわたしを嘲笑した。彼が住んでいるのは、いったいどこの惑星かとわたしは不思議でならない。
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Kindle版No.126


『世界の誕生日』
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世界は死に、新しい世界が生まれた。その世界にあるものは、まったく新しいものなのかもしれない。あらゆるものが変わったのかもしれない。だから、どうやって見るのか、なにをなすべきなのか、どう話すのか知らないのは、神ではなく、わたしたちなのかもしれない。(中略)わたしたちの民を襲う苦難が見えた。世界が死ぬのが見えたが、新しい世界が生まれるのは見えなかった。男である神から、どんな世界が生まれよう? 男は子を産まぬものだ。
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Kindle版No.5122、5141

 インカ帝国をモデルとした神権政治により統治されている帝国は、周辺の「野蛮」な国々を「教化/救済」するために攻め滅ぼしては住民を奴隷化してゆく。権力争いによって帝国が危機に瀕したとき、次期統治者である娘は、世界を滅ぼし、新しい世界を迎える決断を下す。社会の大変革期を生きた一人の女性の人生をえがいた作品。


『失われた楽園』
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 二世紀の旅を経た中間世代にとっての存在理由とは、元気で生きているということ、船を順調に走らせること、船に新たな世代を供給すること。そうすれば船はその使命、彼らの使命、彼らがすべて肝要な存在であるという目的をまっとうすることができるのだ。地球生まれのゼロ世代にとって大きな意味をもっていた目的。発見、宇宙の探査。科学的な情報。知識。
 船という閉ざされた完全な世界で暮らし、死んでいくひとびとにとっては、無意味で、無益な、見当はずれの知識。
 彼らの知らないことをなんで知る必要があるのか?
 生活が船の内側にあることは知っている。光、温かさ、呼気、ひととの親密なまじわり。外側にはなにもないことは知っている。真空。死。静かな、即時の、完全な死。
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Kindle版No.6052

 世代宇宙船のなかにある社会。出発地である地球を見たこともなく、到着地である惑星を見ることもない「中間世代」の人々。次第に一部の人々はこう考えるようになる。この宇宙船こそが真の世界。私たちが生きる目的は、世界の終焉、すなわち宇宙船の「到着」を阻止し、世界の永続性を維持することではないか、と。

 差し迫ってはいなかったはずのこの潜在的対立が、突如、重大な政治問題に。永遠に安定しているはずの船内社会に留まるか、未知の惑星に降り立って苦難に立ち向かうか。人々は決断を迫られる。

 失楽園テーマの中篇ですが、何世紀もかけて他の恒星系まで航行する世代宇宙船の中で生まれて死んでゆく世代とその社会の描写が印象的で、SFにありがちな「宇宙船内の既得権を守ろうとする旧弊な人々 vs 新世界を開拓する勇気ある主人公たち(意識の高い僕たちSF読者)」みたいな幼稚な構図にならないところが、さすがル=グウィン。


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