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『巡礼』(西元直子) [読書(小説・詩)]


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猫。たくさんの猫。白黒ぶちの子猫が五十匹くらい孵った。家の中で孵った。家中猫だらけ。散歩に連れ出すとちりぢりに皆逃げた。ジャスコの店員が一匹捕まえて前掛けの中に入れている。子どもがふたり口の中に入れてふざけている。皆に事情を説明し、一匹一匹を回収する。可愛い可愛い子猫。
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『夜の営み』より
単行本p.51


 プロットなき物語のような情景。それを鮮やかに切り取ってみせる魔法のような詩集。単行本(書肆山田)出版は2009年6月です。


 前作『けもの王』に感銘を受けたので、最新詩集も読んでみました。前作にはなかった、まるで短篇小説のような、捨て鉢なユーモアを感じさせる作品がいくつか含まれていて、とても素敵なのです。


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 それほど長い時間ではなかっただろう。それほど長くはない。銀行のソファは案外すわり心地がよかった。腰をすえ、ゆっくり沈みこんだ。この椅子なら長く座れると思う。むしろずっと座っていたいほどである。雑誌でも読もうか。でも今は立ちたくないなと思う。少し疲れた。いや、かなり疲れている。わたしの番がずっと来なければよいと思う。ずっとこのままでいたいと思う。そのとき名前が呼ばれる。
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『巡礼』より
単行本p.115


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私は仲間はずれなのだ。しかも空腹だ。なにか食べたい。幸い財布を持っている。小銭を出して自動販売機のソフトクリームを買おうと思う。この自動販売機は大変古く、汚れている。お金を入れるとまず紙コップが落ちてくる。そのあと青みどり色の殺菌剤がざあっと出てきてコップにあふれる。それからアイスクリームがポトンとコップに落ちてきた。コップの中で殺菌剤とアイスがどろどろに混ざっている。ソフトクリームってこんな感じだったっけ。食べてみるととても苦いのだ。
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『夜の営み』より
単行本p.39


 前作でも際立っていた情景描写の素晴らしさにはますます磨きがかかっており、まるで物語のエッセンスだけを凝縮したようなその濃度に、何というか、びびります。


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 階段をのぼり改札を出て自転車置き場の横のコンビニエンスストアに入る。五百ミリリットル入りのお茶とピーナッツの入ったチョコレートを買う。カウンターの前には数人の客が並んでいる。今夜はレジ係がひとりしかいない。レジ係の若い男は自分の番を待つ客たちの視線に耐えながら半透明のポリ袋にハムサンドや雑誌やシャンプーをつめこんでいる。ハムサンドのハムはきれいな桃色をしている。つり銭をわたす指先もうす桃色をしている。とても若いのだ。額に吹き出物がすこしあるが頬や首筋は皮膚のきめが細かくて白粉を刷毛でぼかしたようにきれいだ。店の奥で蛍光灯がひとつジーッという音をたてながら点滅している。何度目を凝らしてみてもつきあたりの紙おむつとトイレットペーパーの棚がいつもより遠くにあるように見える。
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『巡礼』より
単行本p.85


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 袋を下げ店を出た。信号を渡り、アパートまで十数分歩く。月もなく墨を流したような蒸し暑い夜だ。星が見えているのかどうかはよくわからなかった。街灯の点々と輝く駅前通りをぬけると草の生え放題に生えた空き地、畑を潰してできたにわか仕立ての駐車場、それから貧相な畑とまばらに建つ人家がつづく。二台並んだ避妊具とタバコの自動販売機の先を左に曲がると水銀灯に照らされた建物が見えてくる。コンクリート製の階段をのぼる。踊り場をまわって階段をのぼる。またまわって階段をのぼる。それからまた踊り場をまわって階段をのぼる。鍵穴のまわりには小さな引っ掻き傷が無数にある。かちりという手ごたえを確かめながら重いドアを押し開ける。部屋のにおい。湿っぽいコンクリート、甘い香料、食べ物、ひどく腐った食べ物のにおい。手で壁を探る。突然部屋が明るくなる。
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『巡礼』より
単行本p.89


 つき放すような描写から感じられる生活感は独特。さらにはこんな凄みのある旅情も。


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 建物のなかは外のまぶしさから遠くひんやりと暗い。がらんとしたホールにスプリングのきかない長椅子が並んでいる。火山灰を洗い流したばかりのコンクリートの床には大きな水たまりができている。フェリーボートを待つ人びとはうっかり水たまりに踏みこまないように気をつけながら、それぞれ窓口で切符を買ったり船の時間を調べたり自動販売機の冷たい飲み物を飲んだりした。それから待合室のなかのみやげもの店に並ぶピンクや緑色といった派手な着色の溶岩のかたちをした砂糖菓子や、逆さにすると水着の美女がヌードになるボールペンや、裸子植物の種子でできたキーホルダーを手にとって眺めたりもした。火山が大写しに写された絵葉書を買おうとしてぶ厚い革製の財布をとりだすものもいた。次の船は一時間後にくる。時間はまだたっぷりあった。
 わたしはフェリーボートを待たず建物を出た。待合所の反対側はロータリーになっている。赤いサルビアの植え込みの向こうには路線バスと客待ちのタクシーが何台か停まっている。行き先を確かめ、待合所の前に停車しているバスに乗り込んだ。日に灼けて黄ばんだビニールカバーの掛かった狭い座席にすわると、バスはすぐに発車した。
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『巡礼』より
単行本p.77


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 港にはまっ白な船が浮かんでいた。桟橋の待合所には誰もいない。蛍光灯のしたに水がひかっている。みんな火山に渡ってしまったのだろう。わたしはひとり船に乗り込んだ。
 音楽が鳴りはじめた。船はゆっくりと桟橋から離れていく。
 すでに七時をすぎているが空はすみれ色をしてまだあかるい。わたしは甲板に立ち火山と都市とそれらをとり囲んでくろぐろと連なる山々を眺めた。火山灰にまみれた小都市は夕闇のなかに輝きをにじませながら遠ざかっていく。山は煙を吐きつづける巨大なシルエットとなってそびえたっていた。船は火山を迂回しながらすべるように湾の外の海へと向かっていた。
 火山のある湾を出るとそれまで鏡のようだった海は大きくうねりはじめた。
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『巡礼』より
単行本p.131


 リアルで細かい情景描写を重ねることでかもしだされてくる異界感が心地好いのですが、さらにファンタジーめいた光景もまた、素晴らしいのです。


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低い雲がやがて千切れるとその切れ間に巨大な山肌が見えはじめた。しだいに「山」が姿を現しはじめた。その、見上げても見上げても視界からはみ出してしまうほどの量感に私は圧倒される。それでもまだ「山」は全容を現しているわけではないのだ。
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『夜の営み』より
単行本p.49


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空は曇っていて大粒の雨が海を打つ。潮が満ちてきているのか木製の桟橋と同じ高さにまで海面の水位が上がってきている。歩いていく桟橋はひたひたと水におわれ濡れていて、私は水の上を歩いているように見えるのだった。桟橋の上を蛇が一匹何かをくわえてすばやく蛇行していく。あたりは空も海も灰一色である。
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『夜の営み』より
単行本p.67


 そしてもちろん、『けもの王』でも活躍した、鳥。
 いつもそこにいる、鳥。
 猫ですら、ひよこ。


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印度人のような立派なひとが鳥かごに鳥を入れて持ってきた。古いハリガネの少し歪んだ鳥かごにはクリーム色の鳥が入っている。頭が大きい。オウムみたいに大きな鳥である。うれしい。飼いかたを教えてもらいにペットショップに行こうと思う。大切な鳥であるから鳥かごを背負って歩いていく。行く道々、私は鳥のことが心配だ。手を後ろにのばして鳥かごに触ると私の鳥は私の手を大きな嘴でそっと嚙む。厚い小さな軟らかい舌が私の手にそっと触れる。
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『夜の営み』より
単行本p.43


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飯を大釜で炊く。飯をしゃもじで混ぜていると釜の底に小鳥が二羽混ざっていた。
一羽はまだ生きている。
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『夜の営み』より
単行本p.45


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雨が降ってきて
うつむいて


ことりが
たくさん鳴いて


黙って
くらしている
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『雨』より
単行本p.14



タグ:西元直子
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