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『ネコにウケる飼い方』(服部幸) [読書(教養)]

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どっちが「主」かといえば、あきらかにネコですよね。
 そこまで理解したら、ネコと暮らし始めるとき、しつけは人がネコに行う前に、「人のほうがネコにしつけられる」と考えるのが正しいことがわかるのではないでしょうか。
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新書版p.72

 ひたすらネコに尽くし、ネコを守り、ネコの幸せを最優先する。気難しいネコを満足させるために飼い主はどのようにしつけられればいいのか、専門医がそのノウハウを指南する一冊。新書版(ワニブックス)出版は2014年10月です。


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 ネコはそういう動物で、自由気ままで、飼い主さんにさえ媚びることなく、常にマイペースを崩しません。人が思いどおりに手なずけようとしてもできない動物なのです。
 それをふまえたうえで、長く楽しくネコと暮らしていくためには、あなたがネコを愛するように、あなたも「愛される飼い主」になるのを目指してほしいと思います。
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新書版p.64


 ネコに愛される飼い主になるためのノウハウ本です。著者は猫の専門医なので、まず基礎情報からして充実しています。


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その体は人の手でなでるのにちょうどいい大きさとしなやかさですが、機能性のかたまりです。とびきりかわいいパーツの肉球も、ちゃんと理由があってぷにぷにしているんですね。
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新書版p.15

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子ネコのこのポーズはじつにかわいいもので、外出から帰ってきたときなど、玄関先で思いきりしっぽを立ててまとわりつかれると、もうなんでも許したくなってしまいます。
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新書版p.40

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 ネコが甘えたような顔で寝床に入ってきて、あなたのお腹の上に乗り、前足で右、左、右、左と押し始める……。たまりませんね。
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新書版p.46

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うちで暮らしている「うにゃ」ちゃんは、一番風呂ならぬ一番水(?)が好きで、水を取り替えると、われ先にと他のネコをかき分けて飲みにやって来ます。
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新書版p.144

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 ちなみに、宮沢賢治が大正13年に書いた童話『水仙月の四日』には、ネコ耳を持つ「雪婆んご」という魔女が登場し、これが近代文学に最初に登場するネコ耳キャラだといわれているそうです。
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新書版p.25


 続いて、「ネコと快適に暮らす」ためのコツを伝授。

 例えば、しょっちゅうネコにすりすりしているようでは飼い主としてまだ未熟。ちゃんとしつけられた飼い主は、ネコの邪魔をするようなことは避けます。厳しいのです。


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自分では気がつかないうちにネコにストレスを与えているかもしれません。
 自分では愛情表現と思ってやっていること、たとえば抱きしめて頬ずりする、いきなり「○○ちゃーん」と名前を呼んで抱き上げる……などもそうです。
 これらは、じつはネコにとって苦痛なのかもしれません。
(中略)
 ほかに「ネコのいやがること」の典型としては、しょっちゅうベタベタと愛撫されることがあります。いわゆるネコっかわいがりです。やっている本人はかわいくて仕方がないのでしょうけれど、過度に体をさわられるのをネコは嫌うのです。
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新書版p.74、75

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それでも飼い主さんに甘えたくなるときは必ずあるので、そのタイミングを見落とさずに、体をなでたり、一緒に遊んだり、グルーミングを手伝うなどして、しっかりとコミュニケーションを図りましょう。
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新書版p.128


 自分が可愛がりたいときに可愛がるのではなく、あくまでネコの都合に合わせる。常にタイミングをうかがい、的確にネコの気持ちを満たしてあげる。これが基本です。

 続いて、ネコがテーブルに乗らないようにするために。


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 ネコへのしつけはタイミングが大事で、やってはいけないことをした瞬間に「ダメ!」と強い口調で叱るのがよい、と聞いたことはありませんか。しかし、ネコを大声で叱ってはだめなのです。いやな思いをしたことだけが記憶され、「テーブルの上に乗ってはいけない」ことは学習してくれません。
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新書版p.78


 では、どうすればいいのでしょうか。


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 ネコは食卓の上に興味のあるものが乗っているので登ってしまうのです。また、もし食べものがない食卓でも上がらないようにしつけることは無理と考えましょう。
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新書版p.78


 そもそも食卓はキャットタワーだと思えばいいのです。

 このように飼い主としての研鑽を積むにつれて、24時間365日すべてをネコ最優先で生活してしまいがちですが、実はこれも失格。ネコに迷惑をかけないよう自らの生活を律するのも、飼い主のつとめです。


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 全部をネコのペースに合わせず、自分の生活ペースを守ることも大事です。毎朝5時に顔をなめて起こしにくるネコには、いちいち起きてごはんの用意をしなくてもいいのです。夜のうちにカリカリを用意しておくなどすれば、だんだんネコちゃんも飼い主さんのペースに合わせるようになると思います。
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新書版p.128


 こんな感じで、ネコの気持ちを読み取る、マーキングやツメ研ぎ、ツメ切り、隠れ家、抜け毛、トイレ、遊び、お風呂、食事、多頭飼い、など様々なテーマについて、どのようにしてネコに奉仕すればいいかを具体的にアドバイスしてくれます。特に健康維持については詳しく書かれています。

 最後に、飼い主からの様々な質問に専門医として回答する「Q&A そのギモン、専門医が答えます」というコーナーが。

「Q8 子ネコのかわいさは異常です……なぜあんなにかわいいのでしょう!?」

といった質問が寄せられていますが、それは質問なのか、心の叫びなのか。

 というわけで、読みながらちょっと不安になってくるほどの猫愛に満ちた飼育書、というより「ネコに一緒に暮らして満足して頂くための飼い主心得集」という一冊。これからネコと生活する方にお勧めです。ネコを飼ったことがない方は、なぜそこまで、と戸惑うかも知れませんが、もちろん、そこにネコがいるからです。


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 ネコは、飼い主さんに忠誠心を見せることも、ご機嫌をとろうとすることもありません。なかなか言うことをきいてくれないし、芸を見せてくれることもありません。
 それでも、ネコは人を幸せな気持ちにします。
 ネコはそこにいるだけで人を幸福にするのです。
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新書版p.68


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『医療ビッグデータがもたらす社会変革』(21世紀医療フォーラム:編集、中山健夫:監修) [読書(教養)]

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 2014年現在、日本における医療ビッグデータの活用は、まだ始まったばかりである。より正確に表現するなら、ようやく医療ビッグデータを活用する必要性が意識され始めたところ、くらいといった方がよいのかもしれない。しかし今後、医療ビッグデータの活用が急速に進むことは間違いないだろう。(中略)
 日本版医療ビッグデータは、構築から活用に向けた第一歩をようやく踏み出したばかりである。この動きを適切な方向に進めていくには、データインフラの整備と人材育成が喫緊の課題である。
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Kindle版No.2337、2532

 構造化されていない大量データから有益な知見を見つけ出すビッグデータ技術。その医療分野への応用はどのくらい進んでいるのか、そして課題は何か。医療ビッグデータが社会にもたらす影響を、一般向けに紹介してくれる一冊。単行本(日経BP社)出版は2014年5月、Kindle版配信は2014年10月です。


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 医療の世界では従来、利用可能なデータの絶対数に限りがあった。例えば基礎医学の領域において、実験室レベルで集められるデータは、せいぜい数十例ぐらいの単位でしかなかった。
 これが少し大がかりな臨床研究にスケールアップしても数百例規模、地域を対象とする疫学研究でも、1つの研究グループが扱えるデータ数は人間の数として数千単位が一般的であった。
 これがビッグデータ時代には、一足飛びに十万単位や百万といったオーダーに膨張する。電子カルテのデータやレセプトデータの集約が進めば、百万単位のデータも利用可能となる。
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Kindle版No.229


 リアルタイムに収集される大量の非構造化データを解析し、これまで意識されていなかった相関関係を発見する技術。いわゆる「ビッグデータ」が医療分野でどのように活用されつつあるかを解説する本です。

 まずは、ビッグデータから新たな知見を引き出す応用例として、グーグルやアマゾンの技術が紹介されます。


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 その結果は大変興味深いものだった。全米各地における、実際のインフルエンザ患者の発生数と、Googleの検索キーワード解析から導き出された、全米各地のインフルエンザ流行予測「Google Flu Trends」は、ほぼ完璧といってよいほどの一致ぶりを見せたのである。
(中略)
少なくとも現時点で、「Google Flu Trends」の予測を活用すれば、公的に発信される情報よりも前に、一部の国や地域では感染予防に努めることはできるかもしれない。人類への脅威となるかもしれない疾病の拡大に関して、一歩早い行動を取れることの重要さ、その行動開始の意思決定につながる情報を提供し得ることを考えると、ビッグデータの可能性はさらに深く追求すべき価値があるといえよう。
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Kindle版No.601、623

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 相関関係をひたすら追究し続けた結果、Amazonは2014年1月に、驚くべき特許を取得する。注文を受ける前に商品を出荷する「予測出荷(anticipatoryshipping)」の特許である。購入者が何を買うかを事前に予測し、購入者が発注する前に予測した商品を発送することで、配達時間を大幅に短縮する。
(中略)
 ニュースでは、「注文する前に商品が届く」とセンセーショナルな報道がなされていたが、実際には物流システムの究極の効率化を狙った特許と考えられるだろう。この特許を支えているのもビッグデータによる相関関係分析である。ビッグデータを活用して相関関係を導き出せば、確かに未来をこれまで以上に予測できるのだ。
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Kindle版No.641、649


 こうした例を見ると、医療ビッグデータを活用すれば、例えば発症前の予測に基づいて事前に発症予防する「先制医療」など、すぐにでも実現しそうな気がしてきます。しかし本書では、そんな単純な話ではない、ということが繰り返し警告されます。


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 もとより、医学・医療の世界でもビッグデータが有効であることは疑いない。ただし、それは適切に分析され解釈されれば、という条件付きである。データを適切に扱うトレーニングを受けていない人間がビッグデータを扱うことは危険である。医学・医療のビッグデータを適切に扱い、そこから意味のある情報を手にしていくためには、疫学の知識が不可欠であることをあらためて指摘しておきたい。
(中略)
データによって医療が暴走する危険性に対しては、徹底的に自覚的でありたいと考えている。ビッグデータを裏付けとすることで、意図するにせよしないにせよ暴走した時の悪影響は計り知れないものがある。
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Kindle版No.698、1091


 医学や疫学の知識が不十分な、例えば金融分野のデータアナリストが下手に医療ビッグデータを解析すると、どんなことが起き得るか。本書に書かれている例からいくつか挙げてみましょう。

 「仕事を休んだ期間」と「病気になりやすさ」は強く相関していることが分かった。すなわち、仕事を休むから病気になるのだ。病気予防のためには、ひたすら働き続けるのが効果的である。

 さすがにこれは笑い話ですが、しかし次のような例はどうでしょうか。

 血液検査でコレステロール値が高い患者は平均寿命が短いことはよく知られている。しかし、コレステロール値が平均よりも低い患者についても、平均寿命が短いことが判明した。従って、高コレステロール値だけでなく、低コレステロール値も治療の対象とすべきである。

 うかうかと信じてしまいそうになりますね。この結論がおかしいとすぐに気づくためには、統計学やデータ解析理論だけでなく、やはり医学や疫学の知識と経験が重要になるわけです。


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どれほど膨大なデータに裏付けられていたとしても、表面的な相関関係だけから薬の有効性や安全性は結論できず、意思決定につながる適切な情報を手に入れるには、データを解釈するための医学的知識、因果関係を慎重に見極めていく疫学的知識が不可欠だ。
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Kindle版No.2499


 では、実際に医療の現場では、ビッグデータはどのように活用されているのでしょうか。本書には国内外の事例がいくつも登場します。


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 医療ビッグデータが整備されれば、健診項目の基準値も変わる。(中略)
 健康診断の基準値は血圧以外にも、肥満度、肝機能、総コレステロール、LDLコレステロールなどが男女別に見直されている。総コレステロールとLDLコレステロールについては、女性が年齢別に3段階に細分化された。これなどはまさに、人間ドックを受けた150万人を母集団とする、医療ビッグデータ解析の結果である。
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Kindle版No.2373、2381

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症例が少なく、病態の変化が大きい希少疾患は、研究に使えるデータも限られています。しかし、全国規模で同じ病態のデータを集め、過去の事例も含めて解析すれば、治療に役立つ情報が得られる可能性も高まります。患者数が多い病気は、経済的インセンティブが働くため治療法の研究も進みますが、希少疾患はそれが期待できません。この分野こそ、ビッグデータを活用する意義があると考えています。
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Kindle版No.2205

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プラセボ効果を起こしやすい人には、一定の傾向があることがわかった。この結果を活用して、次の睡眠薬開発時にはそうしたグループに含まれる人を治験対象者から予め除外しておけば、より少ない数の被験者で臨床試験を実施できるので、倫理的にも、開発期間の短縮とコスト削減という観点にも貢献することにつながる。
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Kindle版No.1275

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新薬申請プロセスをコストに焦点を絞り込んでみていくと、どの薬事プロセスで最も費用がかかっているかがわかる。すなわち業務改善の最優先ポイントが浮き彫りとなるわけだ。
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Kindle版No.1322

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 ビッグデータを用いた疫学研究に、コスト関連のデータを突き合わせることで、計量経済学の手法を用いた費用対効果研究も展開できる。現在、世界中の政府でこのような取り組みが政策として取り組まれている。
(中略)
医療財政が極めて厳しい状況に陥っていることは、先進諸国に共通する問題である。そうした状況下でも医療を社会福祉の柱として継続させるためには、医療費の適正な配分を考えなければならない。
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Kindle版No.1292、1313

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 重要なのは、こうした事実を知ることによる医師の意識の変化だ。医師たちは客観的なデータを知らないために、自分が置かれている環境や、そこでの結果を所与の条件として考えがちだ。医師たちに統計的なデータを知らせることは、意識改革を促す上で大きな意味がある。
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Kindle版No.924


 基準値の調整、希少疾患研究、医療費削減、意識改革。思っていたより地味ながら、堅実な成果が出ていることが分かります。では、国際的に見て、日本はどのくらい医療ビッグデータ活用を進めているのでしょうか。


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 医療ビッグデータ活用が始まったばかりの日本に対し、1990年代からデータベース(DB)構築に取り組んでいた欧米では、DBの質や量、その活用方法を着実に進歩させており、現在では、国民・患者の生活向上に役立てている。
(中略)
アジアでも韓国と台湾は、1990年代後半から2000年代初めにかけて、政府が全レセプトをDB化、研究への利活用も始めている。特に台湾では、DBを使った研究の発表数は日本の数倍に上る。日本の5分の1程度という人口や医薬産業の集積度を考慮すると、台湾と日本では、研究数以上の差があるといえよう。
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Kindle版No.1501、1512


 ときどき「日本の医療は世界でもトップクラスに違いない」と思っている人がいますが、少なくとも医療ビッグデータ活用については紛れもない後進国だということが分かります。

 では、どのような施策が必要なのでしょうか。本書に登場する医療関係者は異口同音に、人材育成とインフラ整備だ、と語っています。


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今の医学部教育では、疫学研究をできる人材の教育に力を入れていない。ITのベンダーや情報系研究者ではなく、医療ビッグデータを扱って新しいパラダイムの疫学研究をする研究者こそが必要である。その他にも生物統計家も危機的に不足している。
 電子カルテについても、臨床研究への活用のための新たな規格であるISO13606に、日本での環境になじむように準拠すべきだ。そして、他のデータベースと連結することで臨床効果を研究できるようにしていけば、観察研究の精度が高まり、ガイドラインの考え方や作り方、薬剤の承認の考え方なども変わっていくだろう。
 新世代の疫学者の養成と基盤となる情報システムの整備、これが進んだ時に医学研究の世界や健康福祉は大きく変わるはずだ。
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Kindle版No.1338


 というわけで、基礎研究から医療制度見直しや医療費削減まで広く応用される医療ビッグデータが、実際にはどのように活用されているのか、その現状を広く知りたい方にお勧めです。


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『医療の選択』(桐野高明) [読書(教養)]

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社会保障を削減することも、あるいは社会保障を維持するために負担増を覚悟することも、どちらも大変なことである。国民にとっては大きな苦痛だ。右に行っても左に行っても厳しい道のりが予想される。しかし、どちらの道も選ばずにジッとしていることによって、財源確保の道は閉ざされてしまう。
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Kindle版No.2537

 高齢化の進行につれ増大する一方の医療費。医療の破綻を避けるために、私たちはどのような選択を迫られているのか。医療改革の方向性をめぐる議論を、一般向けに分かりやすく整理してくれる一冊。新書版(岩波書店)出版は2014年7月、Kindle版配信は2015年1月です。


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年々増大する国民医療費という問題を前に、どの国もその選択にはとまどいがある。しかし、二つの未来像のどちらを選ぶかによって、医療の考え方に大きな違いが生まれる。一方では医療は個人が選択するサービスに過ぎないのであるから、一般の商品と同様に自己責任に委ねるのが適切という考え方になる。もう一方では、医療を受けることは個々人の基本的人権に属し、社会がそれを支えていく必要があるという考え方になる。
 どちらの考え方が本質的に正しいかの判定を下すことはとても難しい。また、その判定を論理的に下そうとすることは、しばしば不毛の議論に陥りかねない。それぞれの国民がその国民性や社会の歴史の違いに基づいて決断をし、選択をするべき問題なのだ。
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Kindle版No.553


 増大の一途をたどる医療費は、すでに社会保障費では支えきれないところまで来ています。破綻を避けるために、私たちは選択をしなければなりません。医療の公平性を維持するために税負担増を受け入れるのか、負担を下げるために医療に市場原理を持ち込むのか。

 この議論は待ったなしの状況です。例えばTPPをめぐる交渉で、米国は日本に対して明確な要求を突きつけてきています。


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要するに米国は、日本の医療制度を1961年からつづいてきた国民皆保険制度から米国式の市場経済方式に、少なくとも部分的に転換するべきだと言っているのである。
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Kindle版No.2409


 医療レベルで世界一をほこる米国様の言うことだから正しい、のでしょうか。必ずしもそうではありません。


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 民間部門に委ねることにより市場的競争を促し、それによって価格を低下させ、また医療の質を向上させることができる。これが、新自由主義的な医療制度改革のスローガンだ。しかし、市場的競争の導入によって医療費がさらに高くなる事態や、利用面での大きな格差が生じるというパラドックスが発生する。このことは、すでに米国の医療の経験や、米国と似た医療制度を導入した国の経験でよくわかってきている。こうした「市場主義医療のパラドックス」は、市場による効率化というスローガンが、それとはまったく逆の結果を生む恐るべき現象だ。
(中略)
社会保障を削減し、医療を自己責任にするという選択をした結果、人と人とが分断化され、社会から連帯意識が消失し、恵まれた少数の人々と恵まれない多くの人々との間に著しい格差が生まれる。そのような未来を、われわれ日本人は望んで選択するだろうか。
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Kindle版No.1083、2556


 米国の医療状況を見ると、それが決して理想的なものとは言えず、特に低所得者にとっては悲惨なものであることが分かります。では、米国とは異なる道こそが正解なのかというと。


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「小さな政府」を徹底しつつ、医療・介護や年金を充実させよという意見は、願望としてはありえても、まったく現実的でないことは明らかだ。では、「大きな政府」がよいのだろうか。この問題は、日本だけでなく世界各国で国民的な争点になってきた事柄である。
(中略)
 結局われわれは、程度の違いはあれ、高負担・高給付の社会か、低負担・低給付の社会か、この二つの社会のどちらを選ぶかを迫られていることになる。繰り返し述べると、医療費の選択は医療のあり方の選択であると同時に、われわれがどのような社会や国の未来を目指すかの選択でもある。岐路に立つ国民皆保険制度を前に、われわれ自身の生きる上での価値観が問われているのだ。
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Kindle版No.1234、1288


 一方を選べば悲惨、他方を選べば無惨、ぐずぐずしていると破綻、議論は浅短、というわけです。厳しい。

 この大きな選択をめぐって、かつて「混合診療」を解禁した歯科でどのような問題が生じたか、医学分野で起きている専門分化と断片化がどのような問題を引き起こすか、医療と介護の乖離がどう問題になっているか等、より具体的な課題についても紹介されます。

 こうして様々な医療問題を整理してゆくと、結局は「生きることに対する価値観」を、納税者であり潜在的患者である私たちが選択しなければならないのだ、ということがよく分かります。

 これまで「医療問題はあまりに複雑かつ専門的なのでよく分からない。医療関係者がきちんと議論して決めてほしい」などと漠然と感じていたのですが、その甘さを思い知らされました。問われているのは専門知識ではなく、私たちの価値観なのです。


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少子高齢化を迎える日本の未来社会が少しでも良いものとなっていくためには、医療がよく機能していることが必須だ。そのためには、どのような選択があるのだろうか。このことを考えるために、本書が役に立つことを心から願っている。
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Kindle版No.23


 というわけで、医療問題を根っこから把握したい方にお勧め。


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『学校のぶたぶた』(矢崎存美) [読書(小説・詩)]

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 自分たちの支えになっていてほしい、というのが勝手な願いであることは承知だ。でも、人間はみんな勝手なことばかりを考えている。だから、ぶたぶたのようなカウンセラーが必要になる。
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文庫版p.224

 大人気「ぶたぶた」シリーズ最新作。今回の山崎ぶたぶた氏は、中学校のスクールカウンセラー。いじめ問題に正面から取り組みますよ。あと、お弁当が美味しそう。文庫版(光文社)出版は2015年7月です。


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受け取った名刺には、確かに「山崎ぶたぶた」という名前と、大学名が記されていた。えっ、大学の先生なの!? えっ、ぬいぐるみが? 人間の? それともぬいぐるみ大学?
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文庫版p.13

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「あっ、そういえばさっきカウンセラーさんだって……!」
「そう。スクールカウンセラーの山崎ぶたぶたです」
「うわー、すごい名前! ぴったり!」
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文庫版p.152


 見た目は可愛いぶたのぬいぐるみ、心は普通の中年男。山崎ぶたぶた氏に出会った人々に、ほんの少しの勇気と幸福が訪れる。「ぶたぶた」シリーズはそういうハートウォーミングな物語です。

 山崎さんの職業は作品ごとに異なりますが、今回はスクールカウンセラー。どの作品でも結局カウンセラーの役を果たしているような気もしますが、それを本職にしたらどんな感じになるでしょうか。プロローグとエピローグにはさまれた、全四話収録の連作短篇集です。


『誰にも知られず』
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 いや、悩んでいるにしてもーーカウンセラーなんて、しょせん知らないおじさんおばさんではないか。そんな人に相談なんて、しづらい。
 それに小学校の頃、隣のクラスの子が相談したのはいいが、それをタネにからかわれたというか、妙な噂が立ったりしたことがあって、どうもいい印象がない。
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文庫版p.27

 スクールカウンセラーに悩み事を相談したことのある中学生はさほど多くないかも知れません。思春期まっさかりの子供にとって、知らない大人に悩みを打ち明けるのに、心理的抵抗が強いのは容易に想像がつきます。

 しかし、その中学校に赴任してきたカウンセラーは一味違います。何しろ、ピンク色のぶたのぬいぐるみ。しかも、持参している弁当がこれまた美味しそう。


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 食べている間は、食べ物の話や料理の話ばかりした。初対面なのにけっこう話せたのは、やっぱり相手がぬいぐるみだからだろうか。本人(?)がかわいくてつい見つめてしまうし、人間の目と違うから、緊張しない。猫とか犬とか小動物のけなげさもある。動物はずっと見続けてはくれないけど、彼(だよね、声がおじさんだから)がじっと見てくれていると、安心感が湧く。
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文庫版p.41


 こうして、かたくなな少年も、悩める少女も、彼を前にするとついつい心を開いてしまうのでした。何という理想的なカウンセラー。


『重い口』
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昴はじっと彼を見つめたけれど、考えていることがそのまま伝わることはない。あのぬいぐるみも同じだ。あんなに不思議な存在なのに、そういう力はないのだ。
 自分の思いがちゃんと伝わることなんかないのだ。
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文庫版p.94

 ある出来事がきっかけとなって、誰とも口をきかなくなった少年。何があったのか。ぶたぶたはカウンセリングを重ねるが、少年はなかなか心を開こうとしない。

 次の『弱い人』に向けて心の準備を促すとともに、ぶたぶたは決して魔法のような力で悩み事を解決してくれるわけではなく、ただ悩みに向きあうきっかけを与えてくれるだけ、自分で解決する他はないのだ、ということをはっきりさせてくれます。


『弱い人』
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 以前、こんな言葉を聞いたことがある。
『いじめられていた子は、教師にならない』
 いじめられていた子は、学校や教師に期待しないから、だそうだ。
 なんの裏づけもないから、それが正しいかどうかはわからない。ただ、妙に重く心に残っていた。そしてそれを思い出すたび、こんなことをつぶやく。
 痛みを知らない人間が、教師をやっていていいんだろうか、と。
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文庫版p.146

 これまでの話が少年少女の視点から語られていたのに対して、本作では教師の視点から語られます。これまでわりと苦労知らずでやってきた先生が初めてぶつかった「ガチのいじめ問題」。どうすればいいのか分からずおろおろする彼には、しかし強力な助っ人が。とりあえず、ぶたぶたを紙袋に隠して、家庭訪問に向かう先生。果たして傷ついた生徒の心を救うことは出来るのか……。


『好奇心』
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 ぶっちゃけてしまうと、「好きな人ができました」みたいな顔をしているのだ!
 何、もしかして信の悩みって、恋!? 恋なの!? まさかそんな! この間まで鼻水垂らしていたこの子が!?
(中略)
 鈴子の頭はめまぐるしく回転する。そして、出た結論。
『まさか、今日会ったカウンセリングの先生に惚れたのでは!?』
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文庫版p.182、183

 学校でカウンセリングを受けた息子の様子がおかしい。何かぼんやりして目がうるうるして、またカウンセリングを受けたいなどと言い出す。これはもしや、恋? さてはカウンセリングの先生が美人なのね、そうなのね!

 前話で重くなった雰囲気を吹き飛ばし、読後感を明るくしてくれる軽快コメディです。気配り配置はさすがベテラン。ぶたぶたシリーズのなかでも特にこういう「読者が承知している設定を知らない登場人物が、勘違いして大混乱」というタイプのコメディが個人的に大好きで、すごく冴えてると思います。


 というわけで、中学生の皆さんにも夏休みの読書にお勧めする一冊です。悩み苦しんでいる皆さんの学校には、山崎ぶたぶた氏はいないかも知れません。でも、一人で悩まず、誰かを信頼して心を開けば、それはぶたぶたに出会ったも同然。本書を読めば、そういうことが分かりますよ。


タグ:矢崎存美
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『折り紙衛星の伝説 年刊日本SF傑作選』(大森望、日下三蔵、宮内悠介、三崎亜記) [読書(SF)]

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本書収録作以外にも、2014年に発表された日本SF短篇の収穫は多数。本書とひとつも作品がかぶらない傑作選をもう一冊編むこともじゅうぶん可能だろう。いま、日本の短篇SF状況は、そのくらい元気なのである。
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文庫版p.605

 2014年に発表された日本SF短篇から選ばれた傑作短篇、および第六回創元SF短編賞受賞作を収録した年刊日本SF傑作選。文庫版(東京創元社)出版は、2015年6月です。


[収録作品]

『10万人のテリー』(長谷敏司)
『猿が出る』(下永聖高)
『雷鳴』(星野之宣)
『折り紙衛星の伝説』(理山貞二)
『スピアボーイ』(草上仁)
『φ』(円城塔)
『再生』(堀晃)
『ホーム列車』(田丸雅智)
『薄ければ薄いほど』(宮内悠介)
『教室』(矢部嵩)
『一蓮托生(R・×・ラ×ァ×ィ)』(伴名練)
『緊急自爆装置』(三崎亜記)
『加奈の失踪』(諸星大二郎)
『「恐怖の谷」から「恍惚の峰」へ―その政策的応用』(遠藤慎一)
『わたしを数える』(高島雄哉)
『イージー・エスケープ』(オキシタケヒコ)
『環刑錮』(酉島伝法)
『神々の歩法』(宮澤伊織)


『折り紙衛星の伝説』(理山貞二)
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 それなら自分は、と彼は思う。墜ちない機体を作ろう。金星の空をいつまでも飛び続けられる飛行機を作ろう。材料のストックが続くかぎり、何度でもやり直し折り直そう。
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文庫版p.119

 タイトルは『折紙宇宙船の伝説』(矢野徹)から来ていますが、超能力もエロも出てこないストイックなハードSF。竹林のなかをすいすい飛び回る紙飛行機のイメージが、30年のときを経て、金星の大気圏を永遠に飛び続ける衛星へとつながり、そしてオールドSFファンの涙腺に突き刺さります。


『スピアボーイ』(草上仁)
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 マドックは、群れを見る時にいつも覚える畏怖の念に打たれた。何千という数の全長八メートルのミサイルが、群れをなして飛んでいく。そのところどころが陽光を弾いてチラチラと光り、まるで黒雲に輝く銀の棒をちりばめたようだ。個体間の距離は数メートルもない。それでも、スピアたちは互いに衝突することなく、優美に編隊飛行を続けている。
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文庫版p.142

 ジェット推進で大空を舞う異星飛行動物スピア。その群れを飼育する牧場にとって、スピアを乗りこなして群れを導くスピアボーイは必要不可欠な存在だった。老スピアボーイのマドックは、牧場乗っ取りをたくらむ敵が雇った凄腕の若者と決闘するはめになるが……。

 痛快SF西部劇(+空戦)で、昨年の年刊日本SF傑作選『さよならの儀式』に収録された『ウンディ』と同じく、異星生物との信頼関係によって試練を乗り越えてゆく物語です。


『Φ』(円城塔)
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 わたしは危機について語ろうとしている。あまりにも単純であるがゆえに長く気づかれることのなかったこの宇宙の危機についてだ。(中略)
 わたしの概算によると今この瞬間、この宇宙は百三十八文字から形成されており、これは先頃から単調に継続してきた縮小の結果であると考えられる。それぞれの段落は一文字ずつ短くなっていくことになっているらしく、我々に残された段落は、この段落を含めてあと百三十八しかないという計算になる。
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文庫版p.185

 段落が進む毎に、段落に含まれる文字数が一文字ずつ減ってゆく。この法則に気づいた語り手は、小説の終わりが迫っていることを悟るのだった。アイデアと形式と記述内容が一体化した自己言及的短篇。

 著者いわく「こうしたものの常として、見かけよりも手間がかかる。ふつうの文章で書けばよかったと毎度思う。コストパフォーマンスが非常に悪い」(文庫版p.202)とのこと。


『薄ければ薄いほど』(宮内悠介)
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 ホスピスは死ぬ場所ではなく、一日一日をいかに生きるかという場所だとされる。
 それは、死に向けて精神的な準備をする場であり、そうだからこそ患者は自分が自殺しているなどとは思わないし、思えるはずがないというのが、関係者の見方である。
 だがーー本当に、ホスピスに入ることは自殺ではないのだろうか?
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文庫版p.251

 あるホスピスで起きた自殺事件。取材を続ける記者は、生と死をめぐる問いかけに向きあうことになる。最新長篇『エクソダス症候群』も連想させる社会派ミステリ。

 「疑似科学シリーズ」の一篇であることからタイトルが何を差しているのかは予想がつきますが、それが意外な形で主題とからんでくるところはお見事。SF要素は非常に薄いものの、薄ければ薄いほど……。


『教室』(矢部嵩)
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「気持ち悪いねあんた。あんただけじゃない。みんな気持ち悪い。この教室のみんな気持ち悪い。正気なのそれで。何やってんのあんたら馬鹿じゃねえのみんな俺も含めてみんな」
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文庫版p.284

 ごくありふれた教室の授業風景、のはずなのに、どうにも薄気味悪いというか、不快というか、何とも言えない嫌な感触なのはなぜ。人を不安にさせる文章のパワーがすごい一篇。


『緊急自爆装置』(三崎亜記)
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市役所に来られた際、急に自爆したくなったのに、自爆装置の用意がない。そんな経験はありませんか?(中略)そんな皆さまのために、市役所一階ロビー東側に、緊急自爆装置を新たに設置しました。市民の皆さまは、どなたでもお気軽に自爆できます。どうぞご利用ください。
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文庫版p.313

 役所に設置した公共の緊急自爆装置。「税金の無駄使いではないか」という苦情が来たので使用制限すると、今度は「市民の自爆権をないがしろにするのか」とクレームが来て……。

 奇妙な設定により、お役所仕事の不条理をリアルに描く、著者の原点という感じがする「お役所不条理もの」。自爆ボタンはあちこちに設置しておいてほしい。


『環刑錮』(酉島伝法)
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 赳志の斜め上に、真下に、左右に、前後に、それらの向こうに、そのまた向こうにも、環刑囚の氣配があった。
 千三百人余りの環刑囚が、第六終身刑務所と呼ばれる複合汚染された土壌の中を蠕進していた。広さ千平方米、深さ四十米に及ぶ地下一帯が、舎房であり作業房だった。
 第六終身刑務所は、こうやって環刑囚と共に随時移動し続けている。
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文庫版p.461

 強制的に巨大ミミズに変容させられ、汚染土壌のなかをひたすら這い進む刑罰、環刑錮。多画数漢字と常軌逸ルビ、変態言語感覚で創られた異形世界を舞台に展開する、前代未聞の脱獄劇。

 そのあまりに独創的な才能と文章技。SF読者のみならず、広く一般小説読者からも2014年を代表する一篇と認められ、『短篇ベストコレクション 現代の小説2015』(日本文藝家協会)に収録された傑作。


『神々の歩法』(宮澤伊織)
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 彼らの敵は、人ではない。
 彼らが殺しに来たのは、ある種の神だ。
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文庫版p.502

 第六回創元SF短編賞受賞作。
 地球に飛来した狂気の異星人(というか神にも匹敵する高次存在)がおっさんに憑依して破壊の限りを尽くす。阻止すべく現地に派遣されたサイボーグ部隊の前に現れた謎の少女。最初から最後までアクションシーンだけで構成された『20億の針』というか、悪役がまったくヒドゥンする気のない『ヒドゥン』というか、いかにもゲーム・アニメ的な娯楽活劇。

 くすぐりネタがたくさん散りばめられていますが、個人的には、懐かしい「TTYF!」の一発がツボでした。


第六回創元SF短編賞選考経過および選評

大森望コメント
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 SFはどんな突拍子もないことも好きなように書けるジャンル。それだけに、自分で思いついた設定は、他のだれもかなわないレベルまで徹底的につきつめて考えてほしい。教科書的な小説の書き方を守るより、そっちのほうが重要です。
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文庫版p.574


日下三蔵コメント
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 今回、過去最短の一時間足らずで選考が終わった。これは評価が分かれて議論になる作品が存在しなかったためである。珍しく選考委員の足並みが揃ったともいえるが、逆にいうと突出して個性的な作品が見当たらなかったということでもある。
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文庫版p.575


恩田陸コメント
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現実の生活もエンターテインメントも皆SFになってしまったこの世界で、改めて「SF短編賞」に腕に覚えのある人が応募するのならば、見たことのない地平、体験したことのない領域に踏み込む冒険をしてほしいと思うのは贅沢な望みだろうか。文章表現から内容に至るまで「知っている」「見たことのある」ものの域を出ていなかったのは、「2015年のSF短編を読みたい」と思っていた私には、作者の能力と可能性よりも、「残念だ」という思いが先に立ってしまったのだ。
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文庫版p.579



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