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『医療ビッグデータがもたらす社会変革』(21世紀医療フォーラム:編集、中山健夫:監修) [読書(教養)]

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 2014年現在、日本における医療ビッグデータの活用は、まだ始まったばかりである。より正確に表現するなら、ようやく医療ビッグデータを活用する必要性が意識され始めたところ、くらいといった方がよいのかもしれない。しかし今後、医療ビッグデータの活用が急速に進むことは間違いないだろう。(中略)
 日本版医療ビッグデータは、構築から活用に向けた第一歩をようやく踏み出したばかりである。この動きを適切な方向に進めていくには、データインフラの整備と人材育成が喫緊の課題である。
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Kindle版No.2337、2532

 構造化されていない大量データから有益な知見を見つけ出すビッグデータ技術。その医療分野への応用はどのくらい進んでいるのか、そして課題は何か。医療ビッグデータが社会にもたらす影響を、一般向けに紹介してくれる一冊。単行本(日経BP社)出版は2014年5月、Kindle版配信は2014年10月です。


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 医療の世界では従来、利用可能なデータの絶対数に限りがあった。例えば基礎医学の領域において、実験室レベルで集められるデータは、せいぜい数十例ぐらいの単位でしかなかった。
 これが少し大がかりな臨床研究にスケールアップしても数百例規模、地域を対象とする疫学研究でも、1つの研究グループが扱えるデータ数は人間の数として数千単位が一般的であった。
 これがビッグデータ時代には、一足飛びに十万単位や百万といったオーダーに膨張する。電子カルテのデータやレセプトデータの集約が進めば、百万単位のデータも利用可能となる。
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Kindle版No.229


 リアルタイムに収集される大量の非構造化データを解析し、これまで意識されていなかった相関関係を発見する技術。いわゆる「ビッグデータ」が医療分野でどのように活用されつつあるかを解説する本です。

 まずは、ビッグデータから新たな知見を引き出す応用例として、グーグルやアマゾンの技術が紹介されます。


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 その結果は大変興味深いものだった。全米各地における、実際のインフルエンザ患者の発生数と、Googleの検索キーワード解析から導き出された、全米各地のインフルエンザ流行予測「Google Flu Trends」は、ほぼ完璧といってよいほどの一致ぶりを見せたのである。
(中略)
少なくとも現時点で、「Google Flu Trends」の予測を活用すれば、公的に発信される情報よりも前に、一部の国や地域では感染予防に努めることはできるかもしれない。人類への脅威となるかもしれない疾病の拡大に関して、一歩早い行動を取れることの重要さ、その行動開始の意思決定につながる情報を提供し得ることを考えると、ビッグデータの可能性はさらに深く追求すべき価値があるといえよう。
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Kindle版No.601、623

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 相関関係をひたすら追究し続けた結果、Amazonは2014年1月に、驚くべき特許を取得する。注文を受ける前に商品を出荷する「予測出荷(anticipatoryshipping)」の特許である。購入者が何を買うかを事前に予測し、購入者が発注する前に予測した商品を発送することで、配達時間を大幅に短縮する。
(中略)
 ニュースでは、「注文する前に商品が届く」とセンセーショナルな報道がなされていたが、実際には物流システムの究極の効率化を狙った特許と考えられるだろう。この特許を支えているのもビッグデータによる相関関係分析である。ビッグデータを活用して相関関係を導き出せば、確かに未来をこれまで以上に予測できるのだ。
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Kindle版No.641、649


 こうした例を見ると、医療ビッグデータを活用すれば、例えば発症前の予測に基づいて事前に発症予防する「先制医療」など、すぐにでも実現しそうな気がしてきます。しかし本書では、そんな単純な話ではない、ということが繰り返し警告されます。


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 もとより、医学・医療の世界でもビッグデータが有効であることは疑いない。ただし、それは適切に分析され解釈されれば、という条件付きである。データを適切に扱うトレーニングを受けていない人間がビッグデータを扱うことは危険である。医学・医療のビッグデータを適切に扱い、そこから意味のある情報を手にしていくためには、疫学の知識が不可欠であることをあらためて指摘しておきたい。
(中略)
データによって医療が暴走する危険性に対しては、徹底的に自覚的でありたいと考えている。ビッグデータを裏付けとすることで、意図するにせよしないにせよ暴走した時の悪影響は計り知れないものがある。
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Kindle版No.698、1091


 医学や疫学の知識が不十分な、例えば金融分野のデータアナリストが下手に医療ビッグデータを解析すると、どんなことが起き得るか。本書に書かれている例からいくつか挙げてみましょう。

 「仕事を休んだ期間」と「病気になりやすさ」は強く相関していることが分かった。すなわち、仕事を休むから病気になるのだ。病気予防のためには、ひたすら働き続けるのが効果的である。

 さすがにこれは笑い話ですが、しかし次のような例はどうでしょうか。

 血液検査でコレステロール値が高い患者は平均寿命が短いことはよく知られている。しかし、コレステロール値が平均よりも低い患者についても、平均寿命が短いことが判明した。従って、高コレステロール値だけでなく、低コレステロール値も治療の対象とすべきである。

 うかうかと信じてしまいそうになりますね。この結論がおかしいとすぐに気づくためには、統計学やデータ解析理論だけでなく、やはり医学や疫学の知識と経験が重要になるわけです。


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どれほど膨大なデータに裏付けられていたとしても、表面的な相関関係だけから薬の有効性や安全性は結論できず、意思決定につながる適切な情報を手に入れるには、データを解釈するための医学的知識、因果関係を慎重に見極めていく疫学的知識が不可欠だ。
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Kindle版No.2499


 では、実際に医療の現場では、ビッグデータはどのように活用されているのでしょうか。本書には国内外の事例がいくつも登場します。


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 医療ビッグデータが整備されれば、健診項目の基準値も変わる。(中略)
 健康診断の基準値は血圧以外にも、肥満度、肝機能、総コレステロール、LDLコレステロールなどが男女別に見直されている。総コレステロールとLDLコレステロールについては、女性が年齢別に3段階に細分化された。これなどはまさに、人間ドックを受けた150万人を母集団とする、医療ビッグデータ解析の結果である。
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Kindle版No.2373、2381

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症例が少なく、病態の変化が大きい希少疾患は、研究に使えるデータも限られています。しかし、全国規模で同じ病態のデータを集め、過去の事例も含めて解析すれば、治療に役立つ情報が得られる可能性も高まります。患者数が多い病気は、経済的インセンティブが働くため治療法の研究も進みますが、希少疾患はそれが期待できません。この分野こそ、ビッグデータを活用する意義があると考えています。
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Kindle版No.2205

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プラセボ効果を起こしやすい人には、一定の傾向があることがわかった。この結果を活用して、次の睡眠薬開発時にはそうしたグループに含まれる人を治験対象者から予め除外しておけば、より少ない数の被験者で臨床試験を実施できるので、倫理的にも、開発期間の短縮とコスト削減という観点にも貢献することにつながる。
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Kindle版No.1275

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新薬申請プロセスをコストに焦点を絞り込んでみていくと、どの薬事プロセスで最も費用がかかっているかがわかる。すなわち業務改善の最優先ポイントが浮き彫りとなるわけだ。
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Kindle版No.1322

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 ビッグデータを用いた疫学研究に、コスト関連のデータを突き合わせることで、計量経済学の手法を用いた費用対効果研究も展開できる。現在、世界中の政府でこのような取り組みが政策として取り組まれている。
(中略)
医療財政が極めて厳しい状況に陥っていることは、先進諸国に共通する問題である。そうした状況下でも医療を社会福祉の柱として継続させるためには、医療費の適正な配分を考えなければならない。
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Kindle版No.1292、1313

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 重要なのは、こうした事実を知ることによる医師の意識の変化だ。医師たちは客観的なデータを知らないために、自分が置かれている環境や、そこでの結果を所与の条件として考えがちだ。医師たちに統計的なデータを知らせることは、意識改革を促す上で大きな意味がある。
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Kindle版No.924


 基準値の調整、希少疾患研究、医療費削減、意識改革。思っていたより地味ながら、堅実な成果が出ていることが分かります。では、国際的に見て、日本はどのくらい医療ビッグデータ活用を進めているのでしょうか。


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 医療ビッグデータ活用が始まったばかりの日本に対し、1990年代からデータベース(DB)構築に取り組んでいた欧米では、DBの質や量、その活用方法を着実に進歩させており、現在では、国民・患者の生活向上に役立てている。
(中略)
アジアでも韓国と台湾は、1990年代後半から2000年代初めにかけて、政府が全レセプトをDB化、研究への利活用も始めている。特に台湾では、DBを使った研究の発表数は日本の数倍に上る。日本の5分の1程度という人口や医薬産業の集積度を考慮すると、台湾と日本では、研究数以上の差があるといえよう。
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Kindle版No.1501、1512


 ときどき「日本の医療は世界でもトップクラスに違いない」と思っている人がいますが、少なくとも医療ビッグデータ活用については紛れもない後進国だということが分かります。

 では、どのような施策が必要なのでしょうか。本書に登場する医療関係者は異口同音に、人材育成とインフラ整備だ、と語っています。


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今の医学部教育では、疫学研究をできる人材の教育に力を入れていない。ITのベンダーや情報系研究者ではなく、医療ビッグデータを扱って新しいパラダイムの疫学研究をする研究者こそが必要である。その他にも生物統計家も危機的に不足している。
 電子カルテについても、臨床研究への活用のための新たな規格であるISO13606に、日本での環境になじむように準拠すべきだ。そして、他のデータベースと連結することで臨床効果を研究できるようにしていけば、観察研究の精度が高まり、ガイドラインの考え方や作り方、薬剤の承認の考え方なども変わっていくだろう。
 新世代の疫学者の養成と基盤となる情報システムの整備、これが進んだ時に医学研究の世界や健康福祉は大きく変わるはずだ。
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Kindle版No.1338


 というわけで、基礎研究から医療制度見直しや医療費削減まで広く応用される医療ビッグデータが、実際にはどのように活用されているのか、その現状を広く知りたい方にお勧めです。


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