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『説教師カニバットと百人の危ない美女』(笙野頼子) [読書(小説・詩)]

 「私は小説家八百木千本、決して笙野頼子ではない、純文学作家。」(Kindle版No.924)

 シリーズ“笙野頼子を読む!”第90回。

 いよいよ八百木千本、登場。受難続きの純文学作家、その最初の闘争(というか一方的に叩かれひたすら耐え抜いた)を描いた長篇を、Kindle Paperwhiteで読みました。単行本(河出書房新社)出版は1999年1月、Kindle版配信は2014年7月です。

 「メールは男言葉で乱暴なのに会うと八百木は丁寧な人であった。活字の掛け合いはしていてもそれまでの笙野には八百木の実物と会って話す機会は殆どなかった。 かっこいいブスという設定で書いたために「存外育ちはいい」とか「顔と裏腹に趣味、動作は優しい」とか、笙野と比べると少しだがまともな人間という設定の人になっていた。でもまあ相手への要求はどんどん出す人であった。」
(『だいにっほん、ろりりべしんでけ録』より。Kindle版No.2412)

 「中身があるハードボイルドな誇り高いブスだ。お前なんかと一緒にされる覚えはねえ。」(Kindle版No.2008、原文は拡大文字)

 容貌に恵まれず恋愛も結婚もせず、文学や猫とともに幸福に生活していた作家、八百木千本が、ゾンビ集団(醜貌特権を許さない市民の会、みたいな)から執拗な嫌がらせを受けることになります。

 「ブスだって言われたら自分の顔のブス描写ずーっとするし、」
(『未闘病記----膠原病、「混合性結合組織病」の』より。単行本p.103)

 「----確かにマスコミから見た私は気味の悪い顔をしてブス小説を書くカルト作家だ。が、実際は魔境で静かに暮らす繊細な小市民なのだ。」(Kindle版No.327)

 「男性から恋愛や結婚の対象とされる大多数の女性たちが、決して足を踏み入れる事の出来ない人外の魔境にいて、私はサンクチュアリの生物のように生命の歓喜のみを味わう事になった。」(Kindle版No.101)

 そういう八百木の生き方が、そういう存在そのものが気に食わない妖怪がわらわらと集まってきます。その正体とは。

 「巣鴨こばと会残党、またの名をカニバット親衛隊。かつては一万人を越えた、結婚願望ばかりが発達した異端の女性集団。が、今ではその数もたった百人」(Kindle版No.176、原文は拡大文字)

 というわけで、敵はカニバットとその取り巻き。ではまず、今は亡き「有名タカ派文化人にして女性差別的女性論を書き続けた貴族趣味エッセイスト」(Kindle版No.374)であるカニバット先生がご活躍された時代について、振り返っておきましょう。

 「女性問題に関する当時の慣用句、それは「ウーマンリブはヒステリー」だった。いや、それどころか、「男女同権とか言うやな女っているじゃん」、だ。自分達より頭の悪い男子学生から一睨みされて、それで女子学生の多くは黙ってしまった時代。」(Kindle版No.1649)

 そんな時代に、先生は一躍マスコミの寵児となられたのでした。

 「カニバットなど言わばこの右畜の草分けでもあった。(中略)右畜の主な仕事は権力者に都合のいい嘘を言う事でマスコミに登場し、その嘘をいかにも専門的に言いくるめる事であった。」(Kindle版No.2184、2186)

 「右畜に向いているのは、ルサンチマンが積もりすぎて我を忘れてしまった不幸な苦労人か、または、金持ちすぎて幼時から現実感覚を持てなかったような、鈍感恥知らずな坊ちゃん達であった。」(Kindle版No.2222)

 ここらへん、今でもまったく同じですね、うんざりするほど。

 「ともかく文学から社会現象悉くまで、死に絶えたはずの昔風フロイト心理学で一括する。そしてなんとかしてそれを「女の被強姦願望」という杜撰なインチキに繋げてから、いかにも科学的なように正当化する事(中略)そしてそれは、まだマスコミで権力をふるっている団塊男性にとって、あまりにも切実にその復活を待たれていた言説だった。」(Kindle版No.2193、2197)

 団塊男性には「女はセクハラを待っています」(Kindle版No.2188)「日本に火星人が攻めてきます」(Kindle版No.2189)「文芸誌には何の意味もありません」(Kindle版No.2190)と語り、若い女性には父親面で「愛情を込めて叱って」やる。そう、それこそが説教師。

 「説教に耳を傾ける素直なシンデレラたちに、嘘の国際情勢と時代にまったく合わない、礼儀作法を教えるのを本職にした。つまりその主力商品とは、きれいごとと男尊女卑とを並べたてたような「男の物の見方」講義だったのだ。」(Kindle版No.410)

 こういう「女大学」的な時代錯誤に満ちた女性蔑視暴言を「説教」するカニバットに心酔する、うら若き乙女たち。

 「カニバット先生から婦徳という言葉を習って二十年になります。そして私はますます婦徳に磨きを掛け、心さえ綺麗なら結婚出来るのよと自分を励ましてまいりました。(中略)あらあたしったら本当にこばとのようにふるえていますわ。」(Kindle版No.686、689)

 それなのに結婚できなかった元うら若き乙女たちは、その恨みを八百木千本にぶつけてきます。今ならネットで炎上でしょうが、本書が書かれた時代に彼女たちが嫌がらせに使った手段は、ファクシミリ。毎日、ファックスで大量に手紙を送りつけ、別便で見合い写真を郵送してくるのです。

 「繰り返しが多く用のないファクシミリだけが、毎日毎日ただ積もっていく、ファクシミリ用紙を捨てる気力も完全になくなり私は次第に疲れて来ていた。現実に泣き叫ぶ根性もなくなっている。」(Kindle版No.946)

 「手紙の文体はどれも結構似ている。うるさい程の敬語、年齢がすぐ判る趣味や固有名詞、無駄な淑やかさ、不毛な上品さ、空回りする清楚さ、わざとらしい女らしさ、建前とルサンチマンの激しい葛藤、歪んだ世界認識、ずれまくりの自己像、そして、「鬱勃たるパトス」……」(Kindle版No.271)

 「それなのに彼女達は救われようとしているのだ。結婚によって。」(Kindle版No.290)

 カビの生えたような婦人道徳と結婚妄執にとり憑かれ、取り残されるうちに狂気の先鋭化が進んでゆく巣鴨こばと会の残党、つまり未婚者たち。猟奇殺人、死体損壊、誘拐監禁、拷問虐殺、内ゲバ、集団懲婚(集団リンチのことだと、とりあえずそう思ってください)。淑やかに乙女の羞じらい含ませつつ、何でもやります切り刻みます素敵な殿方と出会うため。そしてその様を、夢の中で八百木に見せつけるのです。

 「「こんなに古風で貞淑な心の美しい賢婦なのに、時代が悪いせいで結婚出来ない」という恨みつらみを、実体験さながらに夢の中で見せられるのだ。」(Kindle版No.949)

 「人並みで貞淑でただ結婚運だけがなかった、と称している、精神の化け物達の凄まじい世界をいちいちわざわざ、何の免疫もなく味わわなくてはならない」(Kindle版No.784)

 「マンションの壁につかまり、私の部屋の窓のところに登って来る。ずるーりずるりと、花嫁姿のままで登って来るのだ。」(Kindle版No.775)

 「やつらは既にもうヒトではないのだ。「お化け」なのだ。」(Kindle版No.697)

 もはや「貞潔と家事と男尊女卑が自慢の、若くなく、理性もない殆どが五十代のサイコパス霊。」(Kindle版No.1246)と化した彼女たちの嫌がらせを封じるすべはありません。ファックスの電源を切っても、部屋中にある隙間という隙間からぞろぞろ吐き出されてくる手紙。読まないと恐ろしい祟りが。具体的に言うと結婚とか。

 「こわいようこわいようお母さんお母さん戻ってきてよう。」(Kindle版No.323、原文は拡大文字)

 「お母さんお母さん、私は頑張るしかないのね……。」(Kindle版No.630、原文は拡大文字)

 「もう嫌、手が痙攣して来たわ目が霞むわ。」(Kindle版No.1233、原文は拡大文字)

 お化け、妖怪というか、腐女子(誤用なのは分かってます)、女ゾンビの群れ。もしかしたら、彼女たちは「ひょうすべの嫁」に殺されてしまったのかも知れませんね。

 自分を省みるということが出来ず、激しいルサンチマンのあまり、何の関係もない他人を蔑み執拗に攻撃してくる、「左翼(旧自民党も含めてもひとつ右でないものをこばと会はこう呼ぶ。要は普通の小市民の110番通報)」(Kindle版No.1026)のカウンターにも懲りず、「結婚出来ないとかブスだブスだとかって威張りやがってよ。」(Kindle版No.1796)と罵り、「わざわざ出向いてきた加害者の癖に(中略)泣き声になってすぐヒスを募らせる。」(Kindle版No.1827)、そんな行動する保守系、醜貌特権を許さない市民の会、巣鴨こばと会残党、百人の危ない美女。

 「結婚しないで性交しないで、その事によって結婚排斥思想を広めている、あなたの存在自体が一種の毒ガスです。」(Kindle版No.979)

 「あなたは結婚を蔑視しないと生きられないのです。そして私達はあなたのような傲慢な馬鹿女から弾圧された少数派の被害者というわけです。」(Kindle版No.987)

 「日本特有の伝統や文化が、例えばたくわんや平手打ち、切腹と指詰め、そして伝統的父権社会と刺青と豪勢な選挙、その上にあの素晴らしいお説教が滅びてしまいます。そしてもしもそうなったら、それらは全部ブスが悪いんです。それを開き直って「社会が悪い」というのは、最近の悪しき風潮とブスのエゴイズムです。また誤った左翼出版社とユダヤ人にも注意してください。(中略)巣鴨こばと支部では「ブス改心を進める反フェミニスト委員会」を作って努力しています。」(Kindle版No.1039、1064)

 時代錯誤だと思われがちな彼女たちですが、意外と時代を先取りしていたのかも。いや、妄執にかられた悪霊なので、時代が変わってもターゲットを変えるだけでひたすら同じことを繰り返しているだけかも知れません。最近では巣鴨じゃなくて新大久保あたりに出没しているという噂もありますが、どうなんでしょうか。

 で、黙っていると殺されてしまう(あるいはもっと酷いことをされる)ので、反撃しなければなりません。最初は反論や説得を試みていた八百木千本。しかし、私たちもよく知っている通り、それは徒労というもの。

 「人の理屈や反論を一切聞かず、ただ自分のネジ曲がった醜い感情をぶつけて来るだけ」(Kindle版No.1255)

 「既に反論し尽くされてしまったような理論水準の低い純文学批判を、性懲りもなく得意満面で繰り返している、どっかの世渡りマスコミ記者みたいな存在なのだ。つまり、もしも万が一相手を説得する事に成功したとしても一瞬後には、その当の相手はまた執拗な狂った欲望にかられ、上機嫌で同じ事を始めるわけ。私は心労を通り過ぎてただもう筋肉痛、全身が痛い。」(Kindle版No.961)

 というわけで、反撃はあきらめて、防戦に徹します。巣鴨こばと会残党から送られてくる手紙のあちこちに、(----八百木注)という形式でツッコミを入れることで、その気色悪さを幾分なりと中和するのです。

 「ところがどうでしょう(ところがどうでしょう、とか、まあなんという事でしょう、というのはこばと会の女性が非常によく使うフレーズである、----八百木注)、」(Kindle版No.611)

 「きっとあなたの方も、同じ気持ちだと思いますわ(別に----八百木注)。」(Kindle版No.663)

 この注釈ワザが発達してゆき、やがては「笙野頼子」との注釈合戦になるのが妙に可笑しい。

 「(愛想笑いだよ浮世の義理だわばーか----笙野注)。」(Kindle版No.1960)

 「(誰も聞いてねーよばーか----八百木注)」(Kindle版No.1968)

 注釈喧嘩しているうちに悪口のレベルが小学生になってゆき、結局は「どちらの飼い猫の方が可愛いか」で張り合ったり。

 大量の注釈投入によって文そのものを多声化してしまうという技法は、後に書かれる作品でも頻繁に応用されることになるので、このあたりで慣れておくのがよいと思います。

 そして、いつしか八百木の心境にも変化があらわれます。

 「私は何か女ゾンビを受け入れる境地に入ったのだと思う。彼女達はもしかしたらある一点だけは、どんなフェミニストよりも女性としての抑圧を感じ、女性の地獄の中にいるのかもしれないではないかと思うようになった。」(Kindle版No.2380)

 心優しい八百木は、ゾンビに対してある程度の理解と共感を示し、自分がとってきた態度を反省し、そして懺悔するのでした。

 「私は自分のオブセッションを晴らすという作家としての欲望に邁進し過ぎて、ついあなたがたの苦しみを忘れたのです。その忘れ方は鈍感で変に恵まれていて、例えば、まるで、女の小説家をアカデミズムの理論で仕切れると思っている、マスコミ男等に妙に人気のあるあの団塊女性フェミニズム学者のようだったのですっ。」(Kindle版No.2546)

 懺悔なのか嫌味なのか微妙なとこですが、そういえば『だいにっほん いかふぇみうんざり考』はもうあきらめるしかないのでしょうか、そして巣鴨こばと会残党たちはこの言葉に対してどのような反応を示すのでありましょうか。ばんばん。

 というわけで、タコグルメと共にカニバットが初登場する『レストレス・ドリーム』と、窮地にある「笙野頼子」を八百木千本が救出にやって来る『だいにっほん、ろりりべしんでけ録』をつなぐ作品の一つ、それが本書『説教師カニバットと百人の危ない美女』です。

 昨今の風潮やらネット上の嫌がらせなど、15年が経過した今も古びない(著者の洞察力も凄まじいのですが、むしろ何一つ変わらないゾンビ社会に脱力すべきなのかも知れません)、そして個人的な印象でいうなら、読んでいて非常に楽しい(こばと会の手紙の可笑しさときたら)、痛烈な毒を含む、そんな一冊です。

 最後に、どうしても書き写しておきたいので、多くの猫飼いの心をぐっとつかんだラストを引用しておきます。すごくいいですこれ。

 「起きてきた猫にしがみついた。獣臭い事が愛しい首筋や何かをまぶしたような足の裏や、溶けたアイスクリームのようにくちくちと体液に濡れた鼻に接触した。猫を嗅いで触れ、猫と並び眺め、猫と煮干しを分けて喰らい、猫の尾に打たれ、猫を暖めた。」(Kindle版No.2623)


タグ:笙野頼子
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