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『母の発達』(笙野頼子) [読書(小説・詩)]

 「縮めた母は、結局母という文字に過ぎないのではないかと私は思い始めていた。」(Kindle版No.218)

 「ああ、母を発達させるためなら自分はなんでもすることであろう」(Kindle版No.683)

 「----ヤツノ生き返れ。がんばるんや。」(Kindle版No.1549)

 シリーズ“笙野頼子を読む!”第89回。

 長年の確執のあげくに母を殺したダキナミ・ヤツノ。だが母はリゾーム化した新たなる母として発達し、ヤツノの手を借りて新世界の母を創造しようと企てる。

 母にまつわる言語をカイタイしセンメツした後に産まれる新たな母神話。その電子書籍版をKindle Paperwhiteで読みました。単行本(河出書房新社)出版は1996年3月、文庫版出版は1999年5月、Kindle版配信は2014年7月です。

 「ダキナミ・ヤツノの業績? そんなものもうとうの昔に忘れられていた。どころか、誰それ?の世界に彼女はいた。かつて母虫神話の創設者として、一部フェミニストからも相当の誤解含みで称賛されていた、ヤツノの絶頂期はとても短く、過去の記録もさして残っていない。」
(『母の発達、永遠に/猫トイレット荒神』より。単行本p.35)

 そのダキナミ・ヤツノは、母天国に行く前に、地上で何をしでかしたのか。ヤツノの業績が今ここにヨミガエル、吃驚仰天の長篇。全体は三篇の連作から構成されています。

『母の縮小』

 「母の縮小が始まったのはたしか私の思春期の終わり頃で、登校拒否のあげくに、進路を国立大学の医学部から私立の薬学部に変えろと言われていたあたりだった。」(Kindle版No.17)

 「機嫌の悪い母は不幸なのだ、だから私が慰めなくてはいけないのだと、なぜだかその頃、思い込んでいた。だがそもそもいくら母の体調を心配するような事を言ってみても、また家事を手伝ってみても、当の原因が私自身、というのではどうしようもなかった。」(Kindle版No.68)

 「要するに私は、学年が進むにつれ親の期待を裏切って煮詰まっていく子供だった。ありがちなパターンだが、私の場合はそればかりではなく、存在そのものが罪悪というレベルにまで落ちて行った。」(Kindle版No.43)

 母親との確執に悩み、追い詰められ、鬱で苦しんでいた思春期の「私」は、「母の縮小」という不可解な幻覚を見ます。

 「頭痛が波打つ度に、耳元でカチリ、カチリ、とレンズを取り換える音がしていたのを覚えている。その音の度に、炬燵は元のままで、母だけがどんどん、色が濃くなり、テレビの画像のように光り始め、じわじわと輪郭を歪めながら……縮むのであった。」(Kindle版No.92)

 「----あー、おかあさんがちいそうなる。
    おかあさんがちいさいっ。おかあさんが豆粒みたようになってしまう。」(Kindle版No.85)

 縮小した母は、さらにどんどん変形してゆきます。きいきい声でしゃべる、何だか邪悪な妖精みたいな変なものに。「私」は、現実の母ではなく、縮んだ母に固執します。

 「実際の母には目もくれずに、私はお母さんらしくない幻想のお母さんをひたすら追求していた。実際に小さくなったそのありさまを語り、また全ての小さいという可能性を出し尽くすために、どんどん嘘を入れた。するとその嘘に今度は幻覚が支配されるようになって、私はいつしか自分の嘘や願望を声に出す事で、視界の中にある幻の母の、身長や形態を自由自在に操る事が出来るようになった。」(Kindle版No.139)

 「思春期の終わりから気が付くと十数年が経過していた。私は無為に家にいて、ただ母を縮める以外の事はなにもしてなかった。」(Kindle版No.191)

 「縮めた母は、結局母という文字に過ぎないのではないかと私は思い始めていた。」(Kindle版No.218)

 ついに「母」という文字どころか、もっと小さな記号にまで母を還元してしまった「私」は、ついに家を出て、ドイツに渡ってヤカンのデザイナーになるのでした。

 しかし、後に判明することですが、この『母の縮小』はダキナミ・ヤツノが書いた小説で、実際にはヤツノは家を出ないまま、ついに母を殺してしまったのです。

『母の発達』

 「私なんか産みの母にもっと気のきいた意地悪を何十年もされ続けて、しかも母にはひとかけらの悪意もなかったのだ。私が我慢してどこへも行かなかったから、と親戚は褒めた。が、母は一刻も早く私に死んで欲しかっただけだ。母は私を見たくなかった。私が生まれた時からずっと見たくなかった。だから本当に、母が私を、見ないで済むようにしてあげたのだ。」(Kindle版No.403)

 母を殺した途端、ヤツノはたがが外れたように元気になり、猛烈な勢いで親戚に電話しまくります。母が死んだ、私が殺したと。

 「みんな起きろ。起きろ起きろ。起きて泣きわめけ温厚な三重県人ども、何かある度に我慢しろ我慢しろと言って泣きやがって、お母さんは年寄りやで、か。何が、やで、だ。そのやで、はどこの池カラトッテキタンダバーカ。」(Kindle版No.372)

 「----まてませんよばかやろう死ね死ねばーかこーのくーそたーけーがーい。きゃーはははは。(中略)あー別に来んでもええ。来んでもええ。来たら殺したんでな。それでああついでにーい私も死にましたでー、これで切りますにい、さいならっ。さいならっ。 」(Kindle版No.452、466)

 母をぶっ殺し、三重県人も止めてしまったヤツノ、もう絶好調。しかし親戚たちは「母親を亡くして気が動転してあらぬことを口走っている気の毒な娘さん」という無理やり温厚な解釈に逃げ込んでしまいます。何しろほら、みんな三重県人なので。

 いっぽう、母は強し。殺されたくらいでおとなしくなるはずもなく、むしろ母もまた絶好調。どんどん発達してゆきます、母として。

 「そもそも殺人というのは普通何かの破壊とか何かからの解放という意味あいを持つ筋合いのものなのだ(と作者は思う)が、ヤツノの場合、それは破壊というよりは再構築、解放というよりは発展的解消、殺された母というよりはリゾームと化した、新たなる母の誕生、となってしまったのだ。」(Kindle版No.545)

 リゾームの母(とりあえず言ってみました)として再構築されつつある母は、ヤツノと共謀してある企てに乗り出すのでした。

 「あのな、おかあさんな、まず、お母さんらしいおかあさんを、センメツすんのや。それからあるべきお母さん白書をソウカツするのや、それでな、もともとからあったお母さんを全部カイタイするのや。」(Kindle版No.596)

 おかあさん、おかあさん。ヤツノは発達しつつある母に大喜び。使命感に溢れ、母の指示に従って精一杯がんばります。家にやってきた客をつかまえて母に食べさせたり、親戚を集めた葬式の場で乱暴狼藉の限りを尽くしたり。もう三重県人じゃないし。おかあさん、おかあさん。

 「母をセンメツし、カイタイししかも発展的解消をさせ、母なる母から新世界の母を創造する。ああ、母を発達させるためなら自分はなんでもすることであろう(注--とダキナミ・ヤツノは思った)。」(Kindle版No.683)

 母なる母から新世界の母を創造するために必要なものは何でしょうか。そう、まずは名前。命名することで、世界が創造されるのです。

 「お母さんから分かれた、新種の変なわたいの分身みたような、糞みたような、親かも子供かも判らん変な連中に名前をどんどん、付けないかんのや。自分の名前もどんどん、変えていかないかん。変えるいうよりぴったりの名を捜すんや。新種のお母さんらしいお母さんネームがいる。」(Kindle版No.733)

 発達した母から次々とはえてくる新種の母のうち、特に邪悪で変な言葉をしゃべるお母さんだけを選別して名前を与え、そうでない母虫は駆除する。ヤツノは涙ぐましい努力を払って命名してゆきます。

 「ああ、のまくののれりのまくまれり、ほいほい、ののまくしかれくくもまりっ、らたた、らたた、ぶぶぶぶぶぶぶぶ、のお母さん。」(Kindle版No.767)

 「怪傑おかあさん男暁の死闘」(Kindle版No.874)

 「猟奇おかあさん人間地下道に出現」(Kindle版No.874)

 「インカ帝国空洞化はおかあさんのせいだった」(Kindle版No.882)

 いや、これはあかんのちゃうか。読者がそう疑い始めた頃、母の発達は次の段階に進むのでした。

 「そこにおる新種どもはな、ギリシャの神さんみたようにひとつに一人前のお話がいるのや。例えばギリシャの神さんの名前を全部並べてきれいに揃えてみい。それだけで世界を全部表しているやろ。名前と神話があったら、それで、世界が作れる。そしてな、小話の落ちはつけんでもええ、どうせお前の落ちなんかろくなもんやないで。」(Kindle版No.848)

 「そしてついに----私は全てのおかあさんを表しつつ、実在の正しいおかあさんを絶滅させる方法を発見した。それはあらゆるおかあさんをひらがな一字で表すというものであった。」(Kindle版No.883)

 「あ」のおかあさんは、あくまのおかあさん、やった。「い」のおかあさんは、いや、のおかあさんやった。こんな具合に、五十音順に名前と小話を並べてゆくのです。これがもう、強烈にぶっとんでいます。

 「だいたいお前の話はくどいかめちゃくちゃかのどっちかやないか。」(Kindle版No.1117)

 ここ、「五十音の母」は有名な箇所で、音読すると笑いが込み上げてきます。世の中の嫌な言葉にくじけそうになったときなど、何度でも読み返して大声で笑ってみましょう。

 「「よ」の母は頼子の母やった。台詞はもちろんあった。
 ----頼子、もうこんな阿呆なこと書かんといてえな、おかあさん変な人みたいに思われるやんか。(中略)「よ」の母は世界で一番気の毒な母やった。」(Kindle版No.1283、1289)

 名前と小話を与えると、新種の母たちはどんどん発達してパワフルになってゆき、母はというと、ついには発光するワープロとなって空を飛ぶようになります。飛ぶのか。

 「ワープロのひらがなキーの上の一文字毎に一体、十センチどころか、せいぜい二、三センチ程の人形のような母が出現していたのだ。母達はどれもキューピーに似ていて、光る牙を剥き、揃いの振りで声もなく踊っていた。」(Kindle版No.1328)

 ついに最終形態に発達した母は、西方浄土にむかってびゅーんと飛んで行ってしまうのでした。トイレの屋根を突き破って。

『母の大回転音頭』

 「永遠に子供のままでな、お母さんを求めるんや。それでお母さんを子供にしたり新国家を産んだりして、お母さんとは何かを追求するんや。そうしてお母さんを超えるような、私は宇宙一の悪母になるわ。」(Kindle版No.1389)

 一人とりのこされ、宇宙一の悪母(わるかあ)を目指して修行していたヤツノは、ついに母と再会します。

 「母は変容していた。----おそらく母は、長旅の間に雨水を吸ったり畑の土から養分を摂取したりして、また滝に打たれ山を駆け巡り、瞑想し友と語りあって、さらに、そこから宇宙にも出、土星や金星で特別な訓練を受け、幾つにも分裂しさらなる分化を遂げたのであろう。」(Kindle版No.1510)

 よう知らんけど何やら色々あってレベルアップしたらしい母の指導で、ヤツノは自らの命と引き替えに任務の達成に挑みます。こうして創世神話が始まりました。

 「ヤツノは、総ての五十音の母を充実させて行かなくてはならなかった。かつて自らが作った秩序に支配されて、それに基づいた新世界を産み出すしかなかった。つまり、彼女は新世界の母になろうとしていたのだった。」(Kindle版No.1534)

 「ヤツノは血を吐き喉の陣痛に耐えて母を産み続けた。」(Kindle版No.1543)

 ついに喉を焼き殺されてヨミの国に連れていかれたヤツノ。もはやこれまでか。しかし。

 「----ヤツノ生き返れ。がんばるんや。」(Kindle版No.1549)

 「ウルトラ」の母、「ウシクダラ」の母、「ウムギヒメ」の母、がヤツノを生き返らせます。がんばれ、ヤツノ。

 「それぞれの音の母は、必ず共食いをし、結局また五十音の母が勢揃いした。そうして再生して来た母は元の母よりも、はるかに複雑でまた邪悪化されていた。分化された後の統合によって、一体毎の母の中には、矛盾の生むダイナミズムと、競い合う多様性の豊穣さが同居したのだった。」(Kindle版No.1554)

 「総ての母を分化統合再生させるのに----ヤツノは七晩を要した。」(Kindle版No.1560)

 こうして新たな母神話が創造され、小説はついに大団円を迎えます。そりゃもう大団円だけに、お母さん大回転。

 「見とれ、今お母さん回転したるから、そしたらお前の今までした事が全部見える。
  ----ええっ、お母さん、なんと、回転するというの。」(Kindle版No.1598)

 「----あっ、お母さんまだ回転するの。大回転するの。
  ----そうとも、よう見とけヤツノ。」(Kindle版No.1609)

 「母が回転していた。大回転だった。万華鏡のように、母が回っていた。(中略)身の毛のよだつような感動と法悦と恐怖がヤツノを襲った。そして自分の死期が来た事をヤツノは悟った。するべき事を終え、した事の結果を、容赦なくわが身に浴びて、ヤツノは震えていた。」(Kindle版No.1609、1613)

 こうしてヤツノは使命を終えて、世界最高のヤカンをデザインすべく母天国へと旅立ってゆきます。その後、彼女がどうなったのかは、『母の発達、永遠に/猫トイレット荒神』でご確認ください。

 「だってヤツノは死んでもまた生まれてくる。殺しても死なない母と共に。文章の中には生も死もある。時には現実を越える錯覚さえも。」
(『母の発達、永遠に/猫トイレット荒神』より。単行本p.275)

 「物語の最後にヤツノがどこかまた別の小説の中に現れ、そこで背景のひとりとしてでも生き延びる場面を書いておきたい、というかヤツノはどうも「まだまだやれる」と思っているようだから。」
(『母の発達、永遠に/猫トイレット荒神』より。単行本p.84)


タグ:笙野頼子
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