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『スエズ運河を消せ トリックで戦った男たち』(デヴィッド・フィッシャー、金原瑞人・杉田七重:翻訳) [読書(小説・詩)]

 「ようやく今、壮大なイリュージョンを作り出す機会を得たのだ! 非常に重要で、戦況さえも変えてしまうほどの大きな影響力を持つイリュージョン(中略)もしこのトリックが成功すれば、伝説の男ロンメルは装甲車をずっと前線に出せず、そのあいだに第八軍の大戦車隊がドイツ軍の地雷源を突っ切る。しかしもし失敗すれば、そのときは勇敢な何千人ものイギリス人兵士、オーストラリア人兵士、ニュージーランド人兵士、インド人兵士が地雷源で立ち往生する」(単行本p.490)

 北アフリカ戦線で連合軍が駆使した様々な偽装、カモフラージュ作戦。それらの背後には、一人のステージ・マジシャンの姿があった。彼の名はジャスパー・マスケリン、通称「戦場の魔術師」。ロンメル軍団に対しあらゆるトリックを仕掛けたマスケリンの活躍を描く伝記小説。単行本(柏書房)出版は2011年10月です。

 「人々が従来の武器を手にドイツ軍に立ち向かおうというとき、ジャスパー・マスケリンだけは、奇想天外な想いを抱いていた。彼はマジックを使ってヒトラーを倒そうと考えていたのだ」(単行本p.14)

 戦場の魔術師。といってもヤン・ウェンリーではなく、本物のステージ・マジシャンであるジャスパー・マスケリンと彼の仲間たちの活躍を生き生きと描き出した痛快な一冊です。

 第二次世界大戦当時の史実をもとにした伝記小説、歴史小説ではあるのですが、むしろハッタリと映画的脚色が惜しみなく繰り出される一大エンターティメントという印象で、その雰囲気は各章の表題をちらりと眺めるだけで伝わってくるでしょう。

  「カモフラージュ部隊、結成」
  「アレクサンドリア港を移動せよ」
  「スエズ運河を消せ」
  「折りたためる潜水艦」
  「史上最大の偽装工作」

 というわけで、由緒正しい奇術師の家系に生まれ、ステージ・マジシャンとして活躍していたジャスパー・マスケリンがイギリス軍に入隊し、北アフリカ戦線に送られて分隊リーダーとなるまでが導入部となります。

 大学教授、大工、漫画家、画家、ならず者、堅物の軍曹といった精鋭(あるいは実戦部隊から放り出された役立たず)が奇術師の元に集結。総勢七名の「カモフラージュ実験分隊」が結成されます。

 「この部隊が軍の組織図のどこに属するのかを正確に言える者はいなかった。“偽装屋”と呼ぶのはちょっと気の毒だが、“技術屋”と呼べるほどの技術はない。補給や輸送とは関係がなく、戦闘についてもほとんど知らない」(単行本p.171)

 「正規軍のなかには、ジャスパーのような人間が戦場にいるのは軍の恥だと感じている者もいた。芸人のトリックごときで、ロンメルの鼻を明かすことなどできるわけがないというのだ。そういった連中は、そもそも、なぜジャスパーが戦地勤務を許されたのかが理解できなかった」(単行本p.55)

 ジャスパーの分隊は、正式な指揮系統からさくっと外されたのです。まあ、大人の対応ですね。そして彼らに付けられたあだ名は……。

 「マジックギャング、少佐がおれたちのことをそう呼んでいた。うまいことを言ったもんだ。なんてったって響きがいい」(単行本p.122)

 「なにかにつけ馬鹿げた要請を受けることがあるだろう。だが覚えておいてほしい、もしだれかにこれはできるかときかれたら、答えは必ずイエス。細かいことはそのあとで考えればいい。わかったね、諸君?」(単行本p.109)

 いいのかそれで。

 こうして、次々と寄せられる無理難題を、すべて「イエス」で片づけてゆくカモフラージュ実験分隊、通称「マジックギャング」たち。

 「カモフラージュ実験分隊の命運は、なにもないところから四万リットルのペンキを出してみせることができるかどうかにかかっている」(単行本p.100)

 「バトルアクス作戦に軍の大きな期待がかかっていたが、まもなく本人もきかされるように、その成否は、ジャスパーが戦車をトラックに変えられるかどうかにかかっていた」(単行本p.115)

 ラクダの糞を使った塗装、トラックに偽装した戦車。マジックギャングたちは「細かいことはあとで考えればいい」方針で難題に取り組んでゆきます。上層部からの要求は次第にエスカレート。ついには「アレクサンドリア港をドイツ軍の目から隠せ」という命令が。

 「アレクサンドリア港は、かつてどんなマジシャンも立ったことがない最大のステージだ。ジャスパーはオートバイや女や箱、ときにはゾウまで消してみせたことがあったが、港を丸ごと消すというのは、まったく次元のちがう話。(中略)この難題にジャスパーの心は踊った。「ひとつやってみますか」」(単行本p.151)

 これはもう嫌がらせではないか、軍上層部は無理難題を押し付けて彼らを厄介払いしたいだけではないか、と読者としては思うのですが、「俺たち期待されてる!」と舞い上がる空気読めない連中。だが、彼らは本当にやってのけます。

 「アレクサンドリア港を動かすというジャスパーのアイディアが成功したことで、かつて考えられなかったスケールでダミーを活用できることが証明された。マジックギャングが完成させた、光と影とダミー構造の運用は、戦略的に重要なターゲットを守るために、その後世界中で活用されることになる」(単行本p.171)

 こうして成果を出したジャスパーたちには、「偽の潜水艦隊でドイツ軍を攪乱せよ」「スエズ運河を消せ」「マルタ島を消せ」という具合に、次々と難題が与えられます。

 こうなると厄介払いのための嫌がらせというより、どこか面白がってる印象がありますが、まあ、砂漠でロンメル軍団と何年もにらみ合いを続けているイギリス軍指揮官の心理を考えると、それも仕方ないかも。

 「歩兵隊准将は各個掩体をなんとかしてほしいとマジックギャングに要請してきた。(中略)輸送部隊の少佐は、砂漠で大量のガソリンを隠せるいい方法がないものかときいてきた。また空軍中佐テッダーは、飛行機からパラシュートを使わないで補給物資を落とせないかと言ってきた。売店はチャリティー公演の開催を依頼してきたし、装甲軍団は可動式の地雷除去装置を考案してほしいと言い、カニンガム海軍大将は、ダミーの潜水艦隊に非常に満足して、今度は乾ドックに入っている全長二百二十メートルの戦艦のダミーを作れと言い出した」(単行本p.347)

 個性的かつ非社交的なメンバーが集まっているため最初はぎくしゃくしていたマジックギャングたちも、次第に戦友として結束を強めてゆきます。

 「どこにも収まる場所がないが、ここにいれば堅く結束する。各自が自分の得意分野で責任を負っていた。(中略)いっしょになにかを成し遂げたという誇りが彼らを結びつけていた。自らをギャングと呼ぶ野放図なアーティスト集団は、融通のきかない軍の組織に抵抗していることを楽しんでいた」(単行本p.220)

 だが、ついに分隊に戦死者が出て、精神的危機に陥るジャスパー。多くの兵士たちが命を落としている戦場で、ハリボテ戦車や紙の兵士を作っていることの虚しさ。

 だが砂漠の戦況は緊迫の度合いを増してゆき、ついに名高い「エル・アラメインの戦い」へと突入します。本国からの補給が途絶えたドイツアフリカ軍団に対して、イギリス軍が全面攻勢をかけたのです。

 このとき決定的に重要となったのが、攻撃が行われる場所とタイミングをドイツ軍の諜報部に誤解させること。そのために、イギリス軍はかつてない規模の偽装工作を必要としていました。

 「諸君には、ビリヤード板のように固く平らで、何もない平原に置かれた、十五万の兵士と千の大砲と千の戦車を隠してほしい。そしてドイツ軍には、そのことについてなにも知られてはならない」(単行本p.489)

 夜間に爆撃機のパイロットの目を欺くとか、砂漠の野営地を遠くから観察する偵察隊を騙すとか、そういった偽装とはレベルの違う本気の大規模カモフラージュ作戦。戦場での偽装は、本当に戦況を左右する力となり、歴史を動かすのか。戦場の魔術師、ジャスパーの真価が試されるときが来たのだ……。

 というわけで、あまりの痛快さに「いくら何でもこれはフィクションだろう」と思わせる一方で、実在の人物が主役となり、また歴史的事実に嘘はないため、「もしかしたら基本的なところは史実なのかも」と迷わせるという、まるで本書自体がイリュージョンめいた雰囲気をまとっています。

 いずれにせよ、「軍のあぶれ者集団が無茶な任務を次々と達成してゆき、ついに歴史的な戦いに重要な役目を果たす」という定番プロットは非常に面白く、胸踊るものがあります。偽装工作という少し外れた視点から書かれた戦争小説、冒険小説としてお勧めです。


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