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『重力で宇宙を見る 重力波と重力レンズが明かす、宇宙はじまりの謎』(二間瀬敏史) [読書(サイエンス)]

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1979年に初めて重力レンズ現象が見つかって以来、発見される重力レンズ現象の数は増え続けています。銀河による強い重力レンズ現象に限っても、すでに100を大きく超えていて、今後もその数はどんどん増え続けるでしょう。銀河団の強い重力レンズにいたっては、1つの銀河団中に100を超える強い重力レンズでできたイメージが発見され、銀河団の詳細な質量分布を知ることができます。
 強い重力レンズに限らず、重力レンズは大小様々な天体の質量分布を直接観測できます。そのため、X線、可視光、赤外線、電波などの観測と組み合わせることで、これまで経験的にしかわからなかった天体の質量と明るさの関係など、天体の性質をより正確に、より詳細に解明することができるのです。現在では重力レンズ現象は珍しい現象でも何でもなく、天文学に不可欠な研究手段であり、「重力レンズ天文学」という分野になったといえます。
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単行本p.203


 ついに直接検出に成功した重力波、そして重力により光の進路が曲がることを利用した重力レンズ。暗黒物質やインフレーションの痕跡を観測できる重力天文学の基本原理を解説してくれるサイエンス本。単行本(河出書房新社)出版は2017年10月です。


 本書でも大きく取り上げられている重力波検出、その詳細については次の本がお勧めです。

  2016年07月21日の日記
  『重力波は歌う アインシュタイン最後の宿題に挑んだ科学者たち』
  (ジャンナ ・レヴィン:著、田沢恭子・松井信彦:翻訳)
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2016-07-21


 重力波の直接検出、その後の展開、重力レンズの発見、重力レンズ望遠鏡とその目標など、「重力で宇宙を見る」重力天文学の基礎を解説してくれるのが本書です。全体は十個の章から構成されています。


「第1章 物理学の金字塔・重力波初検出のすごさ」
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合体する前の2つのブラックホールの質量は太陽質量の36倍と29倍でした。それらを足すと65倍になります。一方、合体してできたブラックホールの質量は太陽質量の62倍です。このことは、太陽3個分の質量が「消えた」ことを意味しています。衝突から合体、そして一つのブラックホールに落ち着くまでの時間が0.2秒、その間に太陽3個分の質量が消えたのです。消えた質量は、いったいどこへ行ったのでしょうか。
 実は消えた質量こそが、1000億個分の銀河が出すエネルギーになったのであり、そのエネルギーを伝えたのが重力波でした。
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単行本p.23

 世界中を駆けめぐった「重力波の直接検出に成功」というニュース。その意義と、重力波の発生源について解説します。


「第2章 そもそも重力とは何か」
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3次元空間が曲がるというイメージは、その中に物質を置くと周囲の空間(時空)が「動く」ということです。
 したがって物質がなくても、時空が運動する可能性が出てきます。時空の運動というのは、たとえば空間が伸びたり縮んだりすることです。
 1915年に一般相対性理論を完成させたアインシュタインは、翌年すぐにそのことに気がつきました。そして時空の曲がり、すなわち重力が波として空間を伝わることを発見しました。これが重力波です。
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単行本p.46

 一般相対性理論からその存在が予言される重力波。その理論的基礎を解説します。


「第3章 すでに「発見」されていた重力波」
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 ハルスとテイラーは重力波そのものを観測したわけではなく、重力波の放出によって連星パルサー(中性子星連星)の公転軌道が短くなっていることを見つけました。ですが、それが理論予言と一致しているのであれば、重力波の存在はもはや疑う余地のないものであり、間接的にではありますが、重力波を「発見」したことになるのです。
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単行本p.63

 直接検出よりもずっと前に「間接的」に発見されていた重力波。研究者たちが重力波の存在を確信していた理由について解説します。


「第4章 重力波の観測の歴史」
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改善後の本格的な観測を再開しようとしていた直前、テスト観測の最中だった9月14日に、重力波GW150914が検出されたのです。1965年頃のウェーバーから約50年、1984年頃のLIGOプロジェクトの立ち上げから約30年という歳月が流れていました。この間、LIGOプロジェクトに参加した研究者は、なんと1000人を超えています。
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単行本p.82

 重力波を直接検出しようとする試みの歴史を紹介します。日本のプロジェクトKAGRAについても解説されます。


「第5章 これからの重力波観測」
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 O2の終了後、レーザーのパワーを120ワット以上に上げるなど干渉計の大幅なグレードアップをおこなう予定で、感度はさらに上がり、3×10のマイナス24乗の達成が目指されています。これによって、ブラックホール連星は年に100個程度検出でき、中性子星連星系の場合は5億光年まで検出できると考えられています。
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単行本p.99

 その後の重力波観測への挑戦が解説されます。各地で進められている重力波望遠鏡プロジェクト、それらをつないだ国際ネットワークの構築、次世代重力波望遠鏡の計画など。


「第6章 重力波が答える宇宙の謎」
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 こうした問題を解決するためにも、インフレーション膨張時に生成される原始重力波を検出することが重要です。原始重力波のエネルギーがわかれば、インフレーションがいつ起こったのかがわかります。さらに、重力波のスペクトル(波長ごとの強度)を測定することで、インフレーションがどんなメカニズムによって起こったかの情報が得られます。それによって、数十以上あるインフレーション理論のモデルのどれが正しいのかを絞り込んでいけるのです。
 つまり原始重力波を検出することは、インフレーション膨張の様子を「見る」てとであり、ビッグバン以前の宇宙を「見る」ことになります。
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単行本p.129

 一般相対性理論の検証、原始重力波と呼ばれる「インフレーション膨張の痕跡」を観測することによる理論モデルの絞り込みなど、重力波観測によって何が分かると期待されているのかを解説します。


「第7章 重力レンズとは何か」
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重力によって光の速度が遅くなるのです。すると、光学レンズと同じように、重力が像を拡大したり、ゆがめたりする現象を引き起こすのではないか、という予想が当然出てきます。
 しかし、重力による光の曲がりはごくわずかなので、実際に重力によるレンズで遠くの天体を拡大するためには、莫大な質量と気の遠くなるような長い距離が必要でしょう。実際にそんなことは起こるのか、天文学者は長い間確信が持てませんでした。
 そころが1979年、重力によるレンズ現象が発見されたのです。
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単行本p.138

 重力レンズが引き起こす現象の発見など、重力レンズの基礎を解説します。


「第8章 重力レンズ研究の歴史」
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 のちに『サイエンス』の編集長に「この論文はマンドル氏をなだめるために書いたものです。ほとんど科学的価値はありませんが、少なくともあの哀れな男は喜んでいるでしょう」と手紙を送っていることからもわかるように、アインシュタインはこれを重要な研究とはまったく思っていませんでした。しかしアインシュタインが書いた論文ということで、それ以来、重力レンズによってつくられたリング状のイメージはアインシュタイン・リングと呼ばれるようになったのです。
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単行本p.166

 重力レンズの予想から実際の発見に至るまでの紆余曲折を解説します。


「第9章 暗黒物質と暗黒エネルギーが支配する宇宙」
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現代天文学における最大の謎が、正体不明の物質とエネルギーである暗黒物質と暗黒エネルギーです。その正体に迫る上で、重力レンズを使った観測に注目が集まっているのです。
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単行本p.170

 重力天文学の活躍が期待されている二つの課題、暗黒物質と暗黒エネルギーについて基礎を解説します。


「第10章 重力レンズで見る「宇宙のダークサイド」」
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 望遠鏡の口径は、大きければ大きいほど光を集める能力が大きく、また分解能も高まります。しかし、地球上の望遠鏡で大きさを追求するのは、もう限界でしょう。遠い将来には、月面に望遠鏡を設置することも考えられています。しかし、そんなことを待つまでもなく、もっともっと大きな望遠鏡を使うことが私たちにはできます。
 それは、自然がつくってくれる望遠鏡、すなわち銀河団による「重力レンズ望遠鏡」です。銀河団の質量分布が正確にわかっていれば、それによる重力レンズの性能や性質がわかり、光学レンズと同じように望遠鏡として使うことができるのです。
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単行本p.195

 重力レンズ望遠鏡による暗黒物質と暗黒エネルギーの観測について、その意義と概要、そして今後の展望を解説します。



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『J・G・バラード短編全集3 終着の浜辺』(J.G.バラード、柳下毅一郎:監修、浅倉久志他:翻訳) [読書(SF)]

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「終着の浜辺」はわたしが「内宇宙」と呼んだもののもっとも極端な表現だ――外部の現実世界と内なる心理が出会い、融合する場所。この領域でのみ、成熟したサイエンス・フィクションの真のテーマは見出せるのだ。
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単行本p.400


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カタストロフの頂点となる中間地帯、休戦、空位期間には特別な力があるように思える――川に降りていく階段、なかば水没した飛行機機体の水による屈曲、夜と昼との境となる休止時間。わたしはそんな領域で永遠に生きていきたいと思うし、ひょっとしたらすでにそこにいながら自分でも気づいていないだけなのかもしれない。それこそが我々の心の中で夢と郷愁が永遠に立ち上がる場所なのである。
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単行本p.405


 ニュー・ウェーブ運動を牽引し、SF界に革命を起こした鬼才、J.G.バラードの全短編を執筆順に収録する全5巻の全集、その第3巻。単行本(東京創元社)出版は2017年5月です。


 第1巻と第2巻の紹介はこちら。

  2017年10月12日の日記
  『J・G・バラード短編全集2 歌う彫刻』
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2017-10-12

  2017年05月16日の日記
  『J・G・バラード短編全集1 時の声』
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2017-05-16


 第3巻には、60年代中頃(1963年から1966年まで)に発表された19編が収録されています。


[収録作品]

『ヴィーナスの狩人』
『エンドゲーム』
『マイナス1』
『突然の午後』
『スクリーン・ゲーム』
『うつろいの時』
『深珊瑚層の囚人』
『消えたダ・ヴィンチ』
『終着の浜辺』
『光り輝く男』
『たそがれのデルタ』
『溺れた巨人』
『薄明の真昼のジョコンダ』
『火山は踊る』
『浜辺の惨劇』
『永遠の一日』
『ありえない人間』
『あらしの鳥、あらしの夢』
『夢の海、時の風


『ヴィーナスの狩人』
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「ほとんどの人はチャールズ・カンディンスキーのことを狂人だと思っている。だけど実際には、今日の世界においてもっとも重要な役割を果たしているんだ、来るべき危機を人々に警告する予言者の役割をね。彼の幻想の本当の重要性が見いだされるのは、原水爆反対運動同様、あくまでも意識とは別の次元、うわべの合理的生活の下でたぎっている膨大な精神パワーの表現なんだ」
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単行本p.32

 天文台に赴任してきた天文学者が、奇妙な男と出会う。彼は砂漠で金星人とコンタクトしたと主張しており、そのとき撮影した「空飛ぶ円盤」の写真を含む彼の著書は、地元で大きな話題となっていた。トンデモを論破してやろうと思って近づくうちに、天文学者は次第に相手の精神世界へと引き込まれてゆく……。いわゆるアダムスキー事件を題材に、オカルトがもたらす影響を生々しく描いた印象的な作品。


『スクリーン・ゲーム』
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 光点の数がふえた。一瞬後には、テラスぜんたいが宝石の反射で輝きわたった。急いで数をかぞえると、二十ぴき近かった――トルコ玉の蠍、大王冠のようにトパーズをいただいた紫かまきり、そして一ダースあまりの蜘蛛――その頭からは、エメラルドとサファイアの鋭い光が、槍の穂先のように放たれている。
 彼らの真上では、バルコニーのブーゲンヴィリアの陰にかくれて、青いガウンを着た背の高い女の白い顔が、こちらを見まもっていた。
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単行本p.112

 テクノロジーと芸術と倦怠が支配する砂漠のリゾート、ヴァーミリオン・サンズを舞台としたシリーズの一篇。映画の撮影のために大量の背景スクリーンを製作する仕事を受けた画家の前に、白昼夢のような美女が現れる。十二宮を描いたスクリーンの配置が作り出す砂漠の迷宮、宝石を象嵌された輝く虫たち、そして幻の美女。現実と幻想の区別がなくなってゆく、ヴァーミリオン・サンズらしい作品。


『消えたダ・ヴィンチ』
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 パリのルーヴル美術館からレオナルド・ダ・ヴィンチ作の『磔刑図』が消え失せた――いや、もっとありていにいえば――盗まれたのが明らかになったのは、1965年4月19日の朝だった。これは史上空前のスキャンダルを引き起こした。(中略)ルーヴルの不運な館長は、ブラジリアで開かれていたユネスコの会議から呼びもどされ、いまはエリゼー宮の絨毯を踏んで、大統領にみずから報告しているところだし、第二局は非常態勢にはいっており、すくなくとも三人の無任所大臣が任命されていた。彼らの政治生命は、その絵を回収できるかどうかにかかっていた。
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単行本p.157

 ルーヴル美術館から盗まれた名画の行方を追う語り手は、知人からとてつもない仮説を聞かされる。今回の美術品盗難は、数百年にも渡って途切れることなく続いているパターンの最新事例に過ぎないというのだ。ストレートな美術ミステリかと思わせて、次第にオカルト的世界観に踏み込んでゆく巧みな作品。


『終着の浜辺』
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「この島は心の状態なのだ」古い潜水艦ドックで働いている科学者のひとりであるオズボーンが、のちにトレイヴンに語ることになる。このことばが真実であることは、到着して二、三週間もしないうちに、トレイヴンには明白なものとなった。砂とわずかなみすぼらしい椰子をのぞけば、島の風景のすべてがつくりものであり、遺棄された広大なコンクリートの高速道路網とあらゆる点で共通する人工物であった。核実験の一時停止(モラトリアム)以来、この島は原子力委員会によって放棄され、兵器と通路とカメラタワーと管制建造物(ブロックハウス)の雑然とした集合体は、それを自然状態にもどそうとするいかなる試みも受けつけなかった。
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単行本p.182

 遺棄された核実験場である無人の孤島に到着した男が、死んだ妻子を幻視しながら、ただひとりコンクリート製の終末風景のなかをさまよう。内宇宙を探索し続けたバラード作品の特徴を決定づけるような、代表作の一つ。


『光り輝く男』
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 昼には幻想的な鳥たちが石化した森を飛びまわり、宝石で飾られたアリゲーターが結晶化した川の土手に紋章のサラマンダーのようにきらめいた。夜には光り輝く男が木々のあいだを走っていったが、その腕は黄金の車輪のようで、顔は幽霊の王冠のようだった……
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単行本p.207

 あらゆるものが結晶化して宝石のように輝いている森。異変が起きた森の奥地へと迷い込んだ語り手は、そこで光り輝く男、そして死につつある女と出会う。時間そのものが凝縮して結晶化しつつある、時の流れが失われた森。そこでは人の愛憎も宝石と化して永遠のものになるのだった。SFオールタイムベスト長篇『結晶世界』の原型となる作品。


『溺れた巨人』
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 嵐の去った朝、市の西北八キロの海岸に、巨人の水死体が打ちあがった。この第一報は近在の農夫の一人がもたらしたもので、つづいて地方紙の記者や警察官が、それを確認した。(中略)両腕を体の脇にのばして、仰向けに横たわった安らかな姿勢は、まるで濡れ砂の鏡の上に眠りこけているようで、波がひくにつれて、水面に映った真白な肌の色がしだいに薄れていく。澄みきった日ざしの下で、その肉体は、海鳥の白い羽毛のように、きらきらと光っている。
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単行本p.263

 鯨に匹敵するほどの巨大な水死体が海岸に打ち上げられる。物珍しさで集まってくる見物人。最初は威厳に満ちていた巨人の死体は、やがてありふれた景色となり、少しずつ解体されて肥料や見せ物やトロフィーとなり、ありふれた日常へと還元されてゆく。


『永遠の一日』
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そして、はじめてほんとうの夢を見た。真夜中の空の下に古典的な廃墟が広がり、その死者の都の中に、月光に照らされた人影が行き来する夢を。
 この夢は、その後ハリデイが眠るたびにくりかえされた。夜の迫った砂漠を見おろす窓ぎわの、長椅子の上で目ざめると、彼はいつも自分の内的世界と外的世界の境界が、溶け去りつつあるのをさとった。マントルピースの鏡の下にある時計の中で、すでに二つがとまっていた。それらの死とともに、彼ははじめて、古い時間の観念から解放されるのだ。
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単行本p.322

 自転が止まり、すべての都市がそれぞれ一日の特定時刻に固定された世界。明暗境界線上に位置する都市にやってきた語り手は、永遠の黄昏のなかで、時間という観念から解放されてゆく。


『あらしの鳥、あらしの夢』
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 翌年の秋には、第二世代のいっそう大きな鳥たちが現れた――鷲のように猛々しい雀、コンドルなみの翼長を持つ鰹鳥や鷗。人間の胴回りほどもあるたくましい体を備えた、これらの巨大な生き物は、嵐をものともせず海岸ぞいを飛び交い、牧場の家畜を殺し、農夫やその家族をおそった。この猛烈な成長の拍車となった汚染作物のもとへ、なにゆえか舞いもどってきた彼らは、やがて全国の空を覆いつくした数百万羽の空中艦隊の先遣隊だった。飢えにかられて、彼らは唯一の食料源である人間をおそいはじめたのだ。
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単行本p.364

 環境汚染によって巨大化した鳥の群れ。狂暴になった彼らは人間を次々に襲って殺戮してゆく。たった一人で巨大鳥の群れと戦い、彼らを殲滅した男が、地面に降り積もった鳥の死体の真っ白な山にわけいっては羽を集めてゆく狂った女と出会う。ヒッチコックの名画へのオマージュながら、どこまでもバラードらしい作品。



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『〆切本2』 [読書(随筆)]

「はじめに」より
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 世の中には、そんないくつもの〆切に囲まれながらも筆を執りつづけた百戦錬磨の勇者たちがいます。作家と呼ばれる人たちです。敵は手強い。簡単に〆切は守らせてくれません。勇者たちは、ときには地方都市に身を隠し、ときにはカンヅメにされても完全黙秘をする犯人よろしく一行も書かず、〆切と渡り合ってきました。
 襲いかかる痔の痛みに耐え、資料を捨てればラクになるという甘い誘惑に負けず、いっそ植物になろうかという幻覚を振りはらいながら。猿にも急襲される。本書はそんな〆切と堂々と戦ってきた〆切のプロたちの作品を集めたアンソロジーです。明治から平成まで。今回は海外のプロたちもいます。
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 書けぬ、書けぬ、どうしても書けぬ。〆切を前にして、というか後にして、七転八倒悶絶自傷に走る者、他人のせいにする者、逃亡する者、話をすり替えて正当化する者……。明治の文豪から現代の作家まで、〆切に苦悩し狂乱する文士たちが言い訳と現実逃避のために書きつけた、血を吐く文章を集めた〆切アンソロジー、その第二弾。単行本(左右社)出版は、……。


「奥付」より
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2017年4月下旬 最初の刊行目標日でした。
2017年7月下旬 確かに刊行できると思っていました。
2017年9月29日 ほんとうの〆切のはずが…
2017年10月30日 第一刷発行
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 ちなみに前作の紹介はこちらです。


  2016年12月22日の日記
  『〆切本』
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2016-12-22


 というわけで、第二弾である今作には、海外作家や漫画家の作品も含まれています。特に漫画家については、有名な作品が目白押し。


「この物語はすべてノンフィクションであるのだ!!」
  「天才バカボン」(赤塚不二夫)より

「えっ! 寝てません。電話を掘っていたのです!!」
  「けもの24時間」(高橋留美子)

「南方でもゆくかナ」
  「水木しげる伝」(水木しげる)

「白いワニがくる」
  「ストップ!!ひばりくん!」(江口寿史)


 では、前作でさすがにもうネタ切れかとも思われた、作家たちの汲めども尽きぬ〆切文の数々を見てゆくことにしましょう。まずは、パニックから遠吠えまで。


「愛妻日記 昭和五年」(山本周五郎)より
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 金が無い。書けない。童話を書き始めたがだめ。明日やる。今朝公園で球抛をやったので体の銚子が狂ったのだ。昼麦酒を呑んだ。もう呑まぬ。本当に呑まぬ。明日からやる。本当にやる。ラヂオ・ドラマも書く積り。十八日までに三十五枚ばかりのもの。本当にやる。やると云ったらやる。今夜は寝る。心は慰まない。
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単行本p.50


「愛の対応、余生は反省」(川上未映子)より
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「すみません、あの、今朝からサーバーの調子がおかしくて、メールが送れないんです!原稿は書き上がっているのに……。おっかしいなあ!送信できないんです。今晩には復旧すると思うので、もうちょっとだけお待ちください」という文面を、あろうことか、わたしは担当者に「メール」で送っていたのだった……。
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単行本p.98


「気まぐれ日記 大正十二年/十三年」(武者小路実篤)より
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 頭をよくしてくれるものが
 創作さしてくれるものだ。
 頭よ早くよくなつてくれ。
(中略)
 早くあふれてくれ、創作力。
 早く俺の頭になってくれ、俺の頭。
(中略)
 正直に云ふと自分は矢張り天才らしい。それだけわかる人にはわかるが、わからない人にはわからないらしい。
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単行本p.18


「明治四十二年当用日記」(石川啄木)より
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 面当(つらあて)に死んでくれようか! そんな自暴な考を起して出ると、すぐ前で電車線に人だかりがしてゐる。犬が轢かれて生々しい血! 血まぶれの顔! あゞ助かつた! と予は思つてイヤーな気になった。
 その儘帰つて来て休んで了つた。
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単行本p.29


 そして無理やりな言い訳、開き直り、自己正当化。


「約束」(リリー・フランキー)より
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 待ち合わせに遅れた。〆切りに間に合わなかった。
 これは約束を守らなかったのではなく「間に合わなかった」という現象なのであり、相手を裏切ったこととはまるで異なることである。(中略)その編集者の行為は、雪山に遭難して山小屋の中、登山に誘った相手に対して「明日、雪が止むように約束して下さい」と言っているようなものだ。
 現象は止められない。誰にも。
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単行本p.94


「スランプ」(夢野久作)より
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 この行き詰まりを打開する手段と言ったら普通の場合、まず酒でも飲むことでしょう。又は女を相手に、あばれまわる事でしょう。そうして捩れ固まった神経をバラバラにほぐしてしまいますと、一切の行き詰まりが同時に打開されて、どんな原稿でもサラサラと書けるようになるに違いない事を、私はよく存じているのです。
 ところが遺憾なことに、こうした局面打開策は、そうした元気旺盛な、精力の強い人にして初めて出来る事で、何回となく死に損ねた、見かけ倒しの私には全然不向きな更正法なのです。
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単行本p.42


「義務」(太宰治)より
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はつきり言ふと、私は、いま五枚の随筆を書くのは、非常な苦痛なのである。十日も前から、何を書いたらいのか考へてゐた。なぜ断らないのか。たのまれたからである。(中略)そこには、是非書かなければならぬ、といふ理由は無い。けれども私は、書く、といふ返事をした。
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単行本p.53


 編集者との激しい攻防戦。


「作家と、挿絵画家と、編集者と」(五味康祐)より
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約四十日間、山の上ホテルにかん詰になった。一行も書かず本ばかり読んでいた。それで次に護国寺に近い、ちょうど講談社の向い側の、奥まった処にある、ひっそりした小粋な旅館に閉じこめられた。一カ月ほどいた。やっぱり一行も書けずのそのそしていた。(中略)とうとう今の新潮社社長の佐藤亮一氏の私邸にとじこめられ、三日間、一歩も外に出ず、ない智慧をふり絞ってどうにか書いた。
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単行本p.123、124


「野坂昭如「失踪」事件始末」(校條剛)より
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部屋に入った池田のまえに土下座して、「今回はどうしても書けない。勘弁してほしい」と懇願したという。(中略)川野編集長の怒りは抑えがたいものがあった。ペーパーナイフを取り出したかと思うと、その切っ先を編集部備え付けのソファーに向け、刃先をずぶりと布面に刺したのである。幅三センチほどのその傷はいつまでも残り、数年後、私が編集部の長となっても、そのフソァは変わらずそこにあり、傷もまた修繕されぬままいつまでも切り口を見せつけていたのであった。
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単行本p.153


 もうネタにするしかない。


「デッドライン」(穂村弘)より
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「遅れるときでも、正直に状況だけでも教えてもらえると、こちらは安心するんです」
 編集者たちはよくそう云うけれど、本当なのか。
「全然手をつけていなく、書ける気がしなく、何からやっていいかわからなく、吐きそうなんです」なんてメールを貰っても困るんじゃないか。「なんか、赤い舌みたいのが、眠」とか。
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単行本p.309


「なぜ私たちはいつも締め切りに追われるのか」(松尾豊)より
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Summary  研究者はいつも締め切りに追われている。余裕をもって早くやらないといけないのは分かっている。毎回反省するのに、今回もまた締め切りぎりぎりになる。なぜできないのだろうか?我々はあほなのだろうか?本論文では、研究者の創造的なタスクにとって、締め切りが重要な要素となっていることを、リソース配分のモデルを使って説明する。まず、効率的なタスク遂行と精神的なゆとりのために必要なネルー値を提案した後、リソース配分のモデルの説明を行なう。評価実験について説明し、今後の課題を述べる。
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単行本p.310


 こんな感じで、作家たちの血を吐く叫びが、編集者たちの爆発するストレスが、どのページにもあふれています、阿鼻叫喚。前作を気に入った方なら今作も大いに楽しめることでしょう。



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『ピグマリオン-人形愛』(勅使川原三郎、佐東利穂子) [ダンス]

 2017年1月5日は、夫婦でKARAS APPARATUSに行って勅使川原三郎さんと佐東利穂子さんの新作公演を鑑賞しました。ジャン=フィリップ・ラモーの「ピグマリオン Pygmalion」を元にしたオペラの演出、という仕事を引き受けた勅使川原三郎さんが、そのための原型として作成したという(終演後トークによる伝聞)、60分のダンス公演です。


[キャスト他]

演出・照明: 勅使川原三郎
出演: 勅使川原三郎、佐東利穂子


 ギリシア神話におけるキプロス島のピュグマリオン王の伝説を元にした作品で、タイトル通り人形愛がテーマになっていますが、その構成は複雑かつ多義的です。二人のうちどちらが人形なのか(というか人間でないのか)、そもそも二人なのか、それとも一人の人間の内面なのか、といったレベルで曖昧な感じ。

 最初に登場する勅使川原三郎さんは、人形のようにぎくしゃくとした動きで、人外のものを表現します。獣の唸り声、さざ波のように舞台上をゆるやかに流れる照明の驚くべき効果、そこに立っているのに見えない表情、などが相まって、劇場そのものが異様な空間に変容してゆくように感じられます。

 佐東利穂子さんは、椅子に腰掛けたまま動かない人形(彫像)として登場し、やがて勅使川原三郎さんから魂だか何だかのエキスを繰り返し注がれることで生命を得て、少しずつ動き出します。最初はポーズの断続、やがて次第になめらかになってゆく美しい動き。

 勅使川原三郎さんの演出としては珍しいことに、二人はコンタクトするばかりか、しっかりとハグします。そこから終演までの展開はけっこう衝撃的。静かに椅子に腰掛けてこちらを見る(でも表情は見えないし、そもそも人間にも見えないし、背景音は獣の唸り声)という勅使川原三郎さんの姿には鳥肌が立ちました。ヤバい。

 終演後トークで、今後の予定をいくつか話してくれました。記憶している限りでメモしておきますと、すでに欧州、北欧、アジア、キューバで仕事が入っているとのことで、次のKARAS APPARATUSでの公演は5月。しかしそれでは間が空き過ぎるだろうということで、3月に帰国した際に2日間だけ特別公演を行う、らしいです。いくら何でもハードワーク過ぎるのではないかと心配になります。



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2017年を振り返る(8)[サイエンス・テクノロジー] [年頭回顧]

 まず天文学関連では、宇宙終焉までのプロセスを詳しく解説した『宇宙に「終わり」はあるのか』(吉田伸夫)と、巨大ブラックホールの“直接撮像”に挑むプロジェクトを扱った『巨大ブラックホールの謎』(本間希樹)の二冊が印象に残っています。極端に長い時間、極端に強い重力、いずれも想像力を刺激されます。


2017年05月02日の日記
『宇宙に「終わり」はあるのか 最新宇宙論が描く、誕生から「10の100乗年」後まで』(吉田伸夫)
http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2017-05-02

2017年05月18日の日記
『巨大ブラックホールの謎 宇宙最大の「時空の穴」に迫る』(本間希樹)
http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2017-05-18


 物理学では、量子論にもとづく世界観を深堀りして解説してくれる、『時間とはなんだろう』(松浦壮)と『佐藤文隆先生の量子論』(佐藤文隆)の二冊に感銘を受けました。


2017年11月01日の日記
『時間とはなんだろう 最新物理学で探る「時」の正体』(松浦壮)
http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2017-11-01

2017年10月18日の日記
『佐藤文隆先生の量子論 干渉実験・量子もつれ・解釈問題』(佐藤文隆)
http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2017-10-18


 地学、気象学まわりでは、中川毅さんの二冊が衝撃的でした。7万年分の年縞が連続的に保存されている「奇跡の湖」こと水月湖に挑んだ記録『時を刻む湖』と、気候変動の歴史を見つめる『人類と気候の10万年史』です。お勧めです。


2017年01月11日の日記
『時を刻む湖 7万枚の地層に挑んだ科学者たち』(中川毅)
http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2017-01-11

2017年04月17日の日記
『人類と気候の10万年史 過去に何が起きたのか、これから何が起こるのか』(中川毅)
http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2017-04-17


 その他、スーパーカミオカンデによるニュートリノ振動の検出について解説した『ニュートリノで探る宇宙と素粒子』(梶田隆章)、ムーやアトランティスなど「沈んだ大陸」伝説の検証から始まって実在する第七大陸「ジーランディア」の解説へと進む『海に沈んだ大陸の謎』(佐野貴司)の二冊にはわくわくさせられました。


2017年03月02日の日記
『ニュートリノで探る宇宙と素粒子』(梶田隆章)
http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2017-03-02

2017年09月05日の日記
『海に沈んだ大陸の謎 最新科学が解き明かす激動の地球史』(佐野貴司)
http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2017-09-05


 生物学まわりでは、バイオロギングなどの技術を駆使することで判明した野生動物の意外な行動を紹介する『サボり上手な動物たち』(佐藤克文、森阪匡通)、マグロを産むサバの量産に挑む研究を紹介する『サバからマグロが産まれる!?』(吉崎悟朗)の二冊が面白かった。


2017年08月23日の日記
『サボり上手な動物たち』(佐藤克文、森阪匡通)
http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2017-08-23

2017年03月01日の日記
『サバからマグロが産まれる!?』(吉崎悟朗)
http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2017-03-01


 他にも、寄生生物の驚くべき生態をまとめた『したたかな寄生』(成田聡子)、生物進化史のなかでウイルスが果たしてきた役割を見つめる『ウイルスは生きている』(中屋敷均)の二冊には驚かされました。


2017年12月06日の日記
『したたかな寄生 脳と体を乗っ取る恐ろしくも美しい生き様』(成田聡子)
http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2017-12-06

2017年03月07日の日記
『ウイルスは生きている』(中屋敷均)
http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2017-03-07


 医学、生理学まわりでは、痛覚と嗅覚という慣れ親しんだ感覚に関する最新知見をまとめた『痛覚のふしぎ』(伊藤誠二)と『「香り」の科学』(平山令明)の二冊が参考になりました。


2017年05月17日の日記
『痛覚のふしぎ 脳で感知する痛みのメカニズム』(伊藤誠二)
http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2017-05-17

2017年08月08日の日記
『「香り」の科学 匂いの正体からその効能まで』(平山令明)
http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2017-08-08


 言語学、脳科学の分野では、子どもの「言い間違い」から言語の仕組みをかいま見る『ちいさい言語学者の冒険』(広瀬友紀)と、脳の働きに関する思い込みを覆してゆく『あなたの脳のはなし』(デイヴィッド・イーグルマン)の二冊を楽しく読みました。


2017年11月08日の日記
『ちいさい言語学者の冒険 子どもに学ぶことばの秘密』(広瀬友紀)
http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2017-11-08

2017年10月04日の日記
『あなたの脳のはなし 神経科学者が解き明かす意識の謎』(デイヴィッド・イーグルマン、大田直子:翻訳)
http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2017-10-04


 最後に、450の研究室、3000人の研究者、500人の事務職からなる巨大研究機関である理化学研究所そのものを取材した『理化学研究所』(山根一眞)が、様々な意味で刺激的な一冊でした。


2017年04月25日の日記
『理化学研究所 100年目の巨大研究機関』(山根一眞)
http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2017-04-25



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