SSブログ

『J・G・バラード短編全集2 歌う彫刻』(J.G.バラード、柳下毅一郎:監修、浅倉久志他:翻訳) [読書(SF)]

――――
それにしても、攻撃的な女性と、自分自身の心に逃避するその夫というしばしば繰り返される、ほとんど強迫的なイメージを生み出したどんな経験を、わたしは忘れているのだろう?
(J.G.バラード)
――――
単行本p.393


 ニュー・ウェーブ運動を牽引し、SF界に革命を起こした鬼才。J.G.バラードの全短編を執筆順に収録する全5巻の短編全集、その第2巻。


 第1巻の紹介はこちら。

  2017年05月16日の日記
  『J・G・バラード短編全集1 時の声』
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2017-05-16


 第2巻には、60年代前半(1961年から1963年まで)に発表された18本の作品が収録されています。


[収録作品]

『重荷を負いすぎた男』
『ミスターFはミスターF』
『至福一兆』
『優しい暗殺者』
『正常ならざる人々』
『時間の庭』
『ステラヴィスタの千の夢』
『アルファ・ケンタウリへの十三人』
『永遠へのパスポート』
『砂の檻』
『監視塔』
『歌う彫刻』
『九十九階の男』
『無意識の人間』
『爬虫類園』
『地球帰還の問題』
『時間の墓標』
『いまめざめる海』


『至福一兆』
――――
 ロッシターは市庁舎の保険局に勤めており、非公式ながら人口統計に接することができる。この十年、それは機密情報となっていた。正確とは思えないという理由もあるが、主な理由は、閉所恐怖症の集団発作を引き起しかねないと懸念されるからだった。小規模の発作はすでに起こっていた。
――――
単行本p.50

 歯止めのかからない人口爆発、一人あたり許される居住空間は狭くなる一方だった。どの建物にも、街路にも、ぎっしりと人間が詰め込まれた都市景観。主人公は誰にも知られていない忘れられた空間を見つたが……。


『ステラヴィスタの千の夢』
――――
うれしいことに、彼女の存在はこの家のいたるところで感じられた。彼女の無数の反響が構造体や感知細胞に蒸留され、一瞬一瞬の感情の動きが、死んだ彼女の夫を除けばだれも知らなかったほど本物に近い彼女の複製の中に溶けこんでいることだろう。わたしが恋したグロリア・トレメインはもはやこの世に存在しないが、この家は彼女の魂の署名をおさめた廟であった。
――――
単行本p.122

 テクノロジーと芸術と倦怠が支配する砂漠のリゾート、ヴァーミリオン・サンズを舞台としたシリーズの一篇。向心理性建築(サイコトロピック・ハウス)を購入した主人公は、その家の以前の持ち主が有名な女優であったことを知る。この家で、彼女は自分の夫を殺したのだ。そして家は、彼女が残した心理的痕跡を忠実に再生してゆく。彼女の、いわば幽霊にとりつかれた主人公は、再び破局を繰り返すことになるのだろうか。


『アルファ・ケンタウリへの十三人』
――――
「フランシス!」と、チャーマーズが叫んだ。「一度入ってしまったら、もう二度と出られないぞ! 自分を完全な虚構の中に埋めてしまおうとしているのがわからないのか? 自分から悪夢の中に退行して、途中下車できない行先のない旅に出ていこうとしているんだぞ!」
 もう二度と点けないだろうモニターのスイッチを切る前に、フランシスはそっけなく答えた。「行先は決まっているとも、大佐――アルファ・ケンタウリだよ」
――――
単行本p.159

 「アルファ・ケンタウリを目指して宇宙空間を飛び続ける世代宇宙船」という設定で作られた巨大な建造物。それは将来の恒星間飛行に備えた実験に過ぎないはずだった。船内の人々は自分たちが外宇宙の旅を続けていると信じているが、実際には彼らが探査しているのは内宇宙だった。しかし、次第に、虚構と現実の、外宇宙と内宇宙の境界はあやふやになってゆく。


『砂の檻』
――――
ほっそりした指を砂丘の浅い起伏にのばした夕闇は、ゆっくりと群れ集って巨大な櫛のようになり、つかのま燐光を放つ黒曜石の突出部を櫛の歯のあいだに孤立させたかと思うと、しまいにはひとつに固まり、濃淡のない波となって、なかば砂に埋もれたホテル群を乗りこえていった。かつてはカクテル・バーやレストランでにぎわっていた通りも、いまは砂に呑まれて傾いており、静まりかえった表通りの裏へまわれば、早くも夜のとばりがおりていた。おぼろげな月の光が、立ち並ぶ街路灯に銀色のしずくをまといつかせ、シャッターのおろされた窓や崩れかけた軒蛇腹を冷凍ガスの霜のように覆っていた。
――――
単行本p.193

 火星から持ち込まれた赤い砂に埋もれつつあるロケット発射場。立入禁止区画に指定された砂の廃墟に、立ち退きを拒否して留まり続ける三人。彼らは、幻として消え去った「宇宙開発時代」への強迫観念にとらわれたまま、ひたすら白昼夢を見るような生活を続けてゆく。ゆっくりと建物を飲み込んでゆく火星の砂のなかで。


『歌う彫刻』
――――
 ぼくは彫像のふもとにまだとりすがっているルノーラを見て迷った。
「それじゃ――」信じられない思いが、やっと言葉になって出た。「あの女は、あの彫刻を愛してしまったんですか」
 マダム・シャルコウの目は、ぼくの単純さをあまさず要約していた。
「彫刻をじゃありません」彼女はいった。「自分をです」
 しばらく、ぼくはつぶやく彫刻群のなかに立ちつくしてから、テープを床にすてて立ち去った。
――――
単行本p.267

 テクノロジーと芸術と倦怠が支配する砂漠のリゾート、ヴァーミリオン・サンズを舞台としたシリーズの一篇。音響彫刻に耽溺する美女。彼女に惚れた芸術家は、自分の作品を調整するという口実で何度も彼女の屋敷を訪れるのだが、もちろん、ひたすら振りまわされてしまう。


『無意識の人間』
――――
「生産高が着実に五パーセント上昇しつづけて膨らまないかぎり、経済は停滞する。十年前なら生産効率の上昇だけで生産高はあがった。でももはや生産効率の上昇効果はほとんどなくて、残る手段はひとつしかない。働くことさ。サブリミナル広告が鞭を入れてくれる」
――――
単行本p.296

 休みなく働け。ひたすら物を消費しろ。新車とテレビセットを毎年購入し、ローンを増やせ。そのローンを返すために休みなく働け。さらなる経済成長を。果てしなき大量消費を。終わりなき繁栄を。サブリミナル広告による強迫観念を人々に植え付けることでようやく維持されている大量消費社会。資本主義のゆきつく果てをリアルに描いた作品。


『地球帰還の問題』
――――
ジャングルは早くも彼の心にそれ自身の論理を与えはじめており、再突入カプセルが着陸した可能性はますます遠のいてゆくように思われた。カプセルとジャングルという二つの要素はそれぞれまったく異なる自然の秩序の系統に属しており、その二つを重ねるのはますます難しくなっていった。それに加えて懐疑心がさらに深まる理由が、宇宙飛行の“本当の”目的はなんだというライカーの問いかけによって強調されていた。その意味するところは宇宙計画全体が人類、とりわけ西欧テクノクラシーを蝕む内なる無意識の病の徴候であり、宇宙ロケットや人工衛星の打ち上げは、隠された強迫観念や欲望を充足させるためのものにほかならない、ということであった。
――――
単行本p.347

 地球への再突入でトラブルが発生。月着陸ロケットの帰還カプセルは南米大陸の広大なジャングルに落下したと推測される。その行方を捜索にきた主人公の精神は、密林とそこに住む原住民の世界に飲み込まれてゆく。


nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:

『とりとめなく庭が』(三角みづ紀) [読書(随筆)]

――――
 帰るって、場所ではなく状況なのだろう。とじつつあり、目前の言葉と出会いながら、新しさに怯えながら。でも、ずっと眠っていたいところを知ってしまったのだ。比喩ではない。
 変わることをおそれていた。知らないことはおろかで幼く美しい。知ることを知らないまま生きてきて、これからわたしはますますまぶたをひらいたりとじたりする。
――――
『あとがき』より


 旅、生活、思い出。生きてゆく日々を詩の言葉でつづった美しいエッセイ集。単行本(ナナロク社)出版は2017年9月です。

 まず印象に残るのは、旅の体験を扱ったエッセイ。軽い旅行記という感じではなく、詩人による言葉の旅です。


――――
 おととしの三月末にスロヴェニアを訪れた。旧ユーゴスラビアである。小さな飛行機が軋みながら雪の舞う夜の空港に着陸した。スロヴェニアも最近は異常気象で三月末に雪が降り続けることはめずらしいと、ほとんど毎日通ったパン屋のおばちゃんに教えてもらった。わたしは生まれてはじめて、しんしんという音を聞いたような気がした。しんしんと降り続ける雪に閉じ込められて、まるで学校の図書館で読みふけった童話の世界。まいったなあ、という気持ち。大人になっても知らないことはまだまだたくさんある。雪のなかの静けさと美しさ。
――――
『からだが記憶する雪』より


――――
 ザグレブ駅に到着する三十分ほど前に、越境のための入出国審査がおこなわれた。パスポートをとりだしてスタンプを押してもらう。飛行機のマークではなく、列車のマークが愛らしいスタンプを確認したわたしは、おもわずみちみちした。満ち足りている。自身の気持ちが満ち足りていて、それでいて、風景も感情もまわりのひとたちもたっぷりとあたたかいといったオノマトペがみちみちする。きゃらきゃらするが傍観だったら、みちみちするは主観なのだ。わたしの目線で、わたし自身が満たされて、且つ、たっぷりあたたかく、すべてが充足している。
――――
『温度を持つ言葉たち』より


――――
 次にくる列車に乗れば十五分ほどでマリボルへ着くというたやすさに安心して、駅のカフェでコーヒーを飲む。落書きされた赤い列車に乗り、移ろう景色を眺めようとしたら、切符を確認にきた車掌さんが「きみは反対の方向にすすんでいる。これはリュブリャナ行きだから次の駅で乗り換えて」とゆっくりとした英語で言った。
 隣の、よりいっそうちいさな、カフェも売店もないビストリツァ駅で途方に暮れていたら、雨が降りはじめた。駅員さんがやってくる。わたしはミスをしたのだと切符をさしだすと「きみのコンパスは狂っているね」と優しく笑った。それから、この切符は正しくないが正しいからこのまま乗ってよいと促す。
 ひとつしかないホーム。ふたつしかない線路のすぐわきで、老夫婦が畑を耕し、鳥がけたたましく鳴いている。雨は強さを増していく。
――――
『ビストリツァ駅』より


 まるでその場に連れてゆかれるよう。

 そして忘れがたいのは、過去の思い出を語ったエッセイ。子どもの頃に体験したこと、そして闘病のこと。


――――
あの夕方、なぜそのようなことをしたのかわからないけれど、生きていること自体が罪だと、ありありと察したのだ。演じて生きること、自分をごまかすこと。私は罪だ。幼くても理解した。白い猫のお葬式をおこなってから、あまり泣かなくなった。わざと泣くなんてばかばかしい。
(中略)
 魂を売らずに泣くことができる子供たちも大人たちも、わたしにとって畏怖を感じる存在だ。ほんのすこしうらやましい。ほんのすこしだけ。
――――
『わざと泣く』より


――――
 何度も引っ越しをしてきたが、必ず手元に残るものがあって、それらの多くは十数年前の奄美大島での闘病生活で使っていたものたちだ。例えば、海岸で拾った緑のガラス。波で研磨されて器のようになった瓶の底は、とりわけ目をひくものではないのだけれど、どうしても捨てられない。発病をきっかけにほとんどのものを手放して、もう一度産まれたような心地だったあの頃、なんということもない緑のガラスは大切な持ちもののひとつで、起床したらそこへ一日分の薬をいれていた。飲み忘れたら死んでしまうのではないかと怯えていた日々。
 きれいに洗ってから再び机の上に置く。今度は薬ではなく、外出する際に身につける腕時計を置く器になった。ひたすら詩を書き続けていた奄美での孤独な生活は、苛烈だったけれど必要だったのだろう。
――――
『緑のガラス』より


 全体を通じたテーマともいえそうなのは、知人とのつながり、他者への想像力。人間関係の基礎になる、しかしときとして軽視されがちな、他者との関係を、まっすぐに書いてゆきます。


――――
 わたしたちは誰ひとりとして人並みじゃないのだろう。三十五歳になったわたしは、まもなく三十六歳になる。感じ入ることも異なってくる。はじめて聴いたあの日、わたしは切実に共感したのだ。みんなは人並みに生きている。だから、わたしも人並みに生きたい。
 この部屋のカーテンは厚く、薄い緑と青が混じったように美しく澱んでいて、百合の花の模様をしている。その影が濃いから、外が快晴であることがわかる。影が白い壁のぎこちなさをあらわにしている。
 ありきたりな人間で、どこにでもいるようなわたしは人並みじゃない。いま机につっぷして想っている相手も、きっと人並みじゃない。郵便物を届けてくれる配達人も、スーパーマーケットの店員さんも人並みではなくて、みんな必死に生きている。うまく行きますように、と乞いながら。
――――
『全てが人並みに』より


――――
 わたしたちはお互いの目標を語り合った。わたしは詩人になること、亜希子は役者になること。わたしたちの目標はただの夢ではなくて、いつか実現すると信じていた。
 合格発表の日、ふたりそろって落胆して、そのまま江ノ島へ向かったことを忘れない。ふたり並んで浜辺に座りこみ、海を眺めていた。
 大学受験に失敗したからには冬の海が必要だった。根拠も何もないが、そのときは確かに必要だったのだ。そのまま逃亡しなければならないくらいの心境で海を眺め続け、世界が終わっても仕方がないとさえ感じた。あとから考えたら、志望していた大学の入学試験が不合格だったからといって死ぬわけではないし、他の道だってたくさんある。
 けれど、当時のわたしたちにはそれくらい深刻だったのだ。亜希子のお母さんから、
「帰っておいで」
 と電話がかかってくるまで、わたしたちはずっとそこにいた。すっかり日は暮れていた。
 わたしたちは別々の大学へ通い、それなりに充実し、すこしずつ連絡も途絶えていった。でも、それはお互いが自分のことに熱中しているから。そういうことまでわかりあえていた。
 気まぐれに、夏がきたらかき氷食べに行こうね、今度こそ花火大会に参加するね、などとメールをするも、なかなか実現しない。それでも、ふたりとも気にしない。親友なのだから。
(中略)
 今、彼女は文学座の座員になり活躍している。わたしはいくつか賞をいただいたが、報告しても驚かないのは亜希子くらい。わたしたちの目標はただの夢ではないから、それぞれが自分の道を進むのは当然なのかもしれない。
 第一詩集の扉に用いた写真に、海を眺める亜希子の後ろ姿がある。それを見るたびに、予備校に通っていた眩い一年間と江ノ島の風景を思い出す。
――――
『ふたり並んで』より


――――
多分、きっと、またすぐに会う。会うということを考えたとき、ひとびとは会うことができる。
――――
『会いたいと思えば』より


 どのエッセイを読んでも、言葉の強靱さ、美しさが際立っており、どうしても詩として読んでしまいます。何を書いても詩になる言葉を、ひとつひとつ味わうことが出来る、素晴らしいエッセイ集です。


タグ:三角みづ紀
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:

『クリスマスがちかづくと』(斉藤倫、くりはらたかし:イラスト) [読書(小説・詩)]

――――
「サンタなんて、だいきらいなんだ。クリスマスにならないでって、いつも、おもってた。さみしくて、つらくて。世界じゅうの子どもがしあわせなのに、ぼくだけが、ひとりぼっちで」
――――


 少年はクリスマスが大嫌いだった。クリスマスなんてなくなればいいのに。そんな願いが通じて、今年こそクリスマス中止。だが少年は、寂しい日々のなかでクリスマスを楽しみにしている一人の少女に出会う。
 『とうだい』『せなか町から、ずっと』の斉藤倫さんと、『冬のUFO・夏の怪獣』のくりはらたかしさんが組んだ、素敵なクリスマス絵本。単行本(福音館書店)出版は2017年10月です。

 とある事情でクリスマスが大嫌いな少年。ようやく今年のクリスマスが中止になったことで大喜びですが、クリスマスを大切にしている少女と出会ったことから、気持ちが揺れてゆきます。


――――
「それでも、わたし、サンタさんが、いたらうれしい。かぞくでもないのに、どこかで、だれか、見まもってくれるひとがいる。そうおもえるから」
――――


 自分にとっては嫌なことでも、それを大切にしている誰かがいるかも知れない。他者への想像力が少年の心を動かし、そして一つの決断へとつながってゆきます。


――――
「きれいなかざりなんか、いらない。ごちそうも、にぎやかなふんいきも。ぼく、わかったよ。そんなの、クリスマスとは、ひとつも、かんけいないんだ」
――――


 少年が手に入れた本当に大切なクリスマスプレゼントとは何なのか、子供と一緒に話し合ってみるといいかも知れません。クリスマスプレゼントに最適な絵本です。


タグ:絵本 斉藤倫
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:

『シリーズ 超常読本へのいざない 第2回 『写真のボーダーランド X線・心霊写真・念写』(浜野志保)』(超常同人誌「UFO手帖 創刊号」掲載作品)を公開 [その他]

 いよいよ来月の第二十五回文学フリマ東京(2017年11月23日開催)にて第2号が刊行される超常同人誌「UFO手帖」。宣伝を兼ねて、創刊号掲載作品を公開しました。


  『シリーズ 超常読本へのいざない 第2回 
  『写真のボーダーランド X線・心霊写真・念写』(浜野志保)』
  http://www.aa.cyberhome.ne.jp/~babahide/bbarchive/SpBookInvitation02.html


 なお、『映画秘宝』2017年7月号のレビューでも絶賛された超常同人誌「UFO手帖 創刊号」の紹介はこちら。

  2016年11月24日の日記
  『UFO手帖 創刊号』(Spファイル友の会)
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2016-11-24



タグ:同人誌
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:

『あなたの脳のはなし 神経科学者が解き明かす意識の謎』(デイヴィッド・イーグルマン、大田直子:翻訳) [読書(サイエンス)]

――――
 脳が私たちの生活の中心であるなら、なぜ社会は脳についてほとんど語らず、有名人のゴシップやリアリティショーで放送電波をふさぎたがるのか、私には不思議だった。しかしいまでは、この脳への無関心は不備ではなく証拠ととらえられると思っている。つまり、私たちは自分の現実のなかにがっちり閉じ込められているため、何かに閉じ込められていると気づくのがことさら難しいのだ。
――――
単行本p.10


 自分の脳が実際に行っていることを、私たちはほとんど意識していない。知覚から意思決定まで、脳の働きについての思い込みを一つ一つ覆してゆく刺激的なサイエンス本。単行本(早川書房)出版は2017年9月、Kindle版配信は2017年9月です。

 脳科学の研究成果をもとに「私たちの意識は、自分の言動をほとんどコントロールしていない」ということを示した『意識は傍観者である』の、いわば続篇です。ちなみに前作の紹介はこちら。

  2016年10月05日の日記
  『意識は傍観者である 脳の知られざる営み』
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2016-10-05

 本書では、様々な実験結果を元に、脳はどのように機能しているのか、なぜ私たちの意識はそのことに気づかないのか、ということを詳しく解説してくれます。

 例えば、危機的状況において「時間の流れが遅くなり、周囲のあらゆるものがスローモーションで動いているように感じられた」という、いわゆるフロー体験。このとき本当に精神のスピードが加速されるのかどうかを検証した実験が紹介されています。


――――
 時間の流れが遅くなる主観的経験は、たとえば自動車事故や路上強盗などの命にかかわる経験だけでなく、子どもが湖に落ちるなど、愛する人が危険にさらされているのを見るような出来事でも報告されている。このような報告すべての特徴として、その出来事が通常よりゆっくり展開し、細かいことが鮮明にわかるという感覚がある。
 私が屋根から落ちたとき、あるいはジェブが崖で跳ね返ったとき、脳のなかで何が起きていたのだろう? 恐ろしい状況では、時間の流れは本当に遅くなるのか?
 数年前、私は教え子とともに、この未解決問題に取り組む実験を考案した。人々に極端な恐怖を誘発させるため、45メートル上空から落とす。自由落下で。後ろ向きで。
 この実験で、被験者は落下するとき、手首にデジタルディスプレイを装着する。私たちが発明した知覚クロノメーターという装置だ。被験者は自分の手首に固定された装置で読み取れる数字を報告する。本当にスローモーションで時間が見えるのなら、数字を読み取れるだろう。しかしできた人はいなかった。
 ではなぜ、ジェブも私も、事故はスローモーションで起きていたと回想するのだろう? その答えは、記憶の保存のされ方にあるようだ。
――――
単行本p.84


 こんな風に、興味深い実験結果を元に、脳に関する様々なトピックが語られてゆきます。全体は六つの章から構成されています。


「第1章 私は何ものか?」
――――
あなたが何ものであるかは、あなたがどう生きてきたかで決まる。脳はたえず形を変え、自分の回路をつねに書き換えている。そしてあなたの経験はあなた固有のものなので、あなたの神経ネットワークの果てしない入り組んだパターンもあなた固有のものである。そのパターンがあなたの人生を変え続けるので、あなたのアイデンティティは常に移り変わる目標であり、けっしてそこには到達できない。
――――
単行本p.14

 最初の話題は、脳の可塑性、記憶、そしてアイデンティティ。人間が成長する過程で脳はどのように変化してゆくのか、記憶はどのように書き換えられてゆくのか、私が私であるとは脳神経科学的には何を意味するのか、などのテーマを扱います。


「第2章 現実とは何か?」
――――
 ほとんどの感覚情報は、大脳皮質の適切な領域にたどり着く途中で視床を通る。視覚情報は視覚皮質に向かうので、視床から視覚皮質へと入る接続がたくさんある。しかしここからが驚きだ。逆方向の接続がその10倍もある。
 世界についての詳しい予想、つまり外にあると脳が「推測」するものが、視覚皮質から視床に伝えられている。そして視床は目から入ってくるものと比較する。(中略)視覚皮質に送り返されるのは、予想で足りなかったもの(「エラー」とも呼ばれる)、すなわち予測されなかった部分である。
(中略)
 したがって、どんなときも私たちが視覚として経験することは、目に流れ込んでくる光よりも、すでに頭のなかにあるものに依存している。
 だからこそ、コールド・ブルー・ルークは真っ暗な独房にすわっていながら、豊かな視覚経験をしていたのだ。
――――
単行本p.70

 感覚、知覚、認識といった機能に、脳がどのように関与しているかが語られます。私たちが体験している現実とは、事前に脳が作り上げたモデルを元に、感覚情報による修正を加え、編集されて出来上がったものであるという驚くべき事実を、様々な実験によって明らかにしてゆきます。


「第3章 主導権は誰にある?」
――――
興味深いことに、被験者はTMSに操られている手を動かしたかったのだと報告している。言い換えれば、画面が赤のあいだに左手を動かすと心のなかで決めたのに、次に画面が黄色いときの刺激を受けたあとには、初めからずっと本当に右手を動かしたかったのだと思いかねないということだ。TMSが手の動きを起こしているのに、被験者の多くは自由意志で決定したかのように感じている。パスカル=レオーネの報告によると、被験者は選択を変えるつもりだったと話すことが多い。脳内の活動が何を決めたにせよ、それが自由に選択されたかのように、被験者は自分の手柄だと思っていた。意識は自分が主導権を握っていると自分に言い聞かせるのが得意なのだ。
――――
単行本p.121

 私たちの行動の大半は、無意識に、自動操縦のように実行されている。行動だけでなく、様々な判断も脳が自動的に行っており、意識はそれに介在することが出来ない。では、私の行動を支配している「私」はどこにいるのだろうか。


「第4章 私はどうやって決断するのか?」
――――
 タミーは脳に外傷性損傷を負った人のようには見えない。しかし五分でも彼女と一緒に過ごせば、日常生活の決定を処理する能力に問題があるとわかるだろう。目の前の選択肢の損得をすべて説明できるにもかかわらず、ごく単純な状況でも決断ができない。体が送ってくる感情の概要を読み取れないので、決断は信じられないほど困難である。どの選択肢も別の選択肢と明白なちがいがないのだ。意思決定なしには、ほとんど何もできない。タミーはよく一日中ソファで過ごすと報告している。
 タミーの脳損傷から、意思決定に関する極めて重要なことがわかる。脳は高いところから命令を出していると考えられがちだ――が、実際にはつねに体とのフィードバック関係にある。体からの物理的信号は、何が進行しているか、それについて何をなすべきか、簡単な要約を伝える。選択を行うために、体と脳は密にコミュニケーションを取らなくてはならないのだ。
――――
単行本p.139

 脳が何かを決めるとき、それは具体的にはどのようなプロセスで実行されているのだろうか。脳のどこかに、最終判断を下す「意志」があるのだろうか。意思決定の背後で働いている身体と脳の相互作用を解説します。


「第5章 私にあなたは必要か?」
――――
 教育は大虐殺を防ぐのに重要な役割を果たす。内集団と外集団を形成したいという神経の欲求――そしてこの欲求をプロパガンダであおる計略――が理解されないかぎり、大規模な残虐行為を生む非人間化への道を断ち切ることは望めない。
 このデジタル・ハイパーリンクの時代、人間どうしのリンクを理解することはかつてないほど重要である。人間の脳は根本的に相互作用するように生まれついている。私たちは見事なほど社会的な種である。私たちの社会的欲求は操られることもあるかもしれないが、それでも人間のサクセスストーリーの中心に堂々と鎮座している。
――――
単行本p.197

 他人とのつながりを断たれたとき、孤立した脳はどのようにふるまうのか。大量虐殺から架空のキャラクターへの感情移入まで、脳が他の脳と相互作用することの意義を探求します。


「第6章 私たちは何ものになるのか?」
――――
 科学は私たちに、その進化の物語を超越するためのツールを与えてくれるかもしれない。いまや私たちは自分自身のハードウェアをハッキングすることができる。その結果、私たちの脳は私たちが受け継いだときの状態のままである必要はない。私たちは新たな種類の感覚的現実と、新たな種類の体のなかに存在することができる。そのうち、私たちは肉体を脱ぎ捨てることができるのかもしれない。
――――
単行本p.249

 感覚器官の拡張/追加から脳の仮想化まで。私たちの脳を構成しているハードウェアをハッキングする可能性と、それが私たちにどのような影響を与えるかを考察し、トランスヒューマニズムへと進んでゆきます。


nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ: