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『あなたの脳のはなし 神経科学者が解き明かす意識の謎』(デイヴィッド・イーグルマン、大田直子:翻訳) [読書(サイエンス)]

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 脳が私たちの生活の中心であるなら、なぜ社会は脳についてほとんど語らず、有名人のゴシップやリアリティショーで放送電波をふさぎたがるのか、私には不思議だった。しかしいまでは、この脳への無関心は不備ではなく証拠ととらえられると思っている。つまり、私たちは自分の現実のなかにがっちり閉じ込められているため、何かに閉じ込められていると気づくのがことさら難しいのだ。
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単行本p.10


 自分の脳が実際に行っていることを、私たちはほとんど意識していない。知覚から意思決定まで、脳の働きについての思い込みを一つ一つ覆してゆく刺激的なサイエンス本。単行本(早川書房)出版は2017年9月、Kindle版配信は2017年9月です。

 脳科学の研究成果をもとに「私たちの意識は、自分の言動をほとんどコントロールしていない」ということを示した『意識は傍観者である』の、いわば続篇です。ちなみに前作の紹介はこちら。

  2016年10月05日の日記
  『意識は傍観者である 脳の知られざる営み』
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2016-10-05

 本書では、様々な実験結果を元に、脳はどのように機能しているのか、なぜ私たちの意識はそのことに気づかないのか、ということを詳しく解説してくれます。

 例えば、危機的状況において「時間の流れが遅くなり、周囲のあらゆるものがスローモーションで動いているように感じられた」という、いわゆるフロー体験。このとき本当に精神のスピードが加速されるのかどうかを検証した実験が紹介されています。


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 時間の流れが遅くなる主観的経験は、たとえば自動車事故や路上強盗などの命にかかわる経験だけでなく、子どもが湖に落ちるなど、愛する人が危険にさらされているのを見るような出来事でも報告されている。このような報告すべての特徴として、その出来事が通常よりゆっくり展開し、細かいことが鮮明にわかるという感覚がある。
 私が屋根から落ちたとき、あるいはジェブが崖で跳ね返ったとき、脳のなかで何が起きていたのだろう? 恐ろしい状況では、時間の流れは本当に遅くなるのか?
 数年前、私は教え子とともに、この未解決問題に取り組む実験を考案した。人々に極端な恐怖を誘発させるため、45メートル上空から落とす。自由落下で。後ろ向きで。
 この実験で、被験者は落下するとき、手首にデジタルディスプレイを装着する。私たちが発明した知覚クロノメーターという装置だ。被験者は自分の手首に固定された装置で読み取れる数字を報告する。本当にスローモーションで時間が見えるのなら、数字を読み取れるだろう。しかしできた人はいなかった。
 ではなぜ、ジェブも私も、事故はスローモーションで起きていたと回想するのだろう? その答えは、記憶の保存のされ方にあるようだ。
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単行本p.84


 こんな風に、興味深い実験結果を元に、脳に関する様々なトピックが語られてゆきます。全体は六つの章から構成されています。


「第1章 私は何ものか?」
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あなたが何ものであるかは、あなたがどう生きてきたかで決まる。脳はたえず形を変え、自分の回路をつねに書き換えている。そしてあなたの経験はあなた固有のものなので、あなたの神経ネットワークの果てしない入り組んだパターンもあなた固有のものである。そのパターンがあなたの人生を変え続けるので、あなたのアイデンティティは常に移り変わる目標であり、けっしてそこには到達できない。
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単行本p.14

 最初の話題は、脳の可塑性、記憶、そしてアイデンティティ。人間が成長する過程で脳はどのように変化してゆくのか、記憶はどのように書き換えられてゆくのか、私が私であるとは脳神経科学的には何を意味するのか、などのテーマを扱います。


「第2章 現実とは何か?」
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 ほとんどの感覚情報は、大脳皮質の適切な領域にたどり着く途中で視床を通る。視覚情報は視覚皮質に向かうので、視床から視覚皮質へと入る接続がたくさんある。しかしここからが驚きだ。逆方向の接続がその10倍もある。
 世界についての詳しい予想、つまり外にあると脳が「推測」するものが、視覚皮質から視床に伝えられている。そして視床は目から入ってくるものと比較する。(中略)視覚皮質に送り返されるのは、予想で足りなかったもの(「エラー」とも呼ばれる)、すなわち予測されなかった部分である。
(中略)
 したがって、どんなときも私たちが視覚として経験することは、目に流れ込んでくる光よりも、すでに頭のなかにあるものに依存している。
 だからこそ、コールド・ブルー・ルークは真っ暗な独房にすわっていながら、豊かな視覚経験をしていたのだ。
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単行本p.70

 感覚、知覚、認識といった機能に、脳がどのように関与しているかが語られます。私たちが体験している現実とは、事前に脳が作り上げたモデルを元に、感覚情報による修正を加え、編集されて出来上がったものであるという驚くべき事実を、様々な実験によって明らかにしてゆきます。


「第3章 主導権は誰にある?」
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興味深いことに、被験者はTMSに操られている手を動かしたかったのだと報告している。言い換えれば、画面が赤のあいだに左手を動かすと心のなかで決めたのに、次に画面が黄色いときの刺激を受けたあとには、初めからずっと本当に右手を動かしたかったのだと思いかねないということだ。TMSが手の動きを起こしているのに、被験者の多くは自由意志で決定したかのように感じている。パスカル=レオーネの報告によると、被験者は選択を変えるつもりだったと話すことが多い。脳内の活動が何を決めたにせよ、それが自由に選択されたかのように、被験者は自分の手柄だと思っていた。意識は自分が主導権を握っていると自分に言い聞かせるのが得意なのだ。
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単行本p.121

 私たちの行動の大半は、無意識に、自動操縦のように実行されている。行動だけでなく、様々な判断も脳が自動的に行っており、意識はそれに介在することが出来ない。では、私の行動を支配している「私」はどこにいるのだろうか。


「第4章 私はどうやって決断するのか?」
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 タミーは脳に外傷性損傷を負った人のようには見えない。しかし五分でも彼女と一緒に過ごせば、日常生活の決定を処理する能力に問題があるとわかるだろう。目の前の選択肢の損得をすべて説明できるにもかかわらず、ごく単純な状況でも決断ができない。体が送ってくる感情の概要を読み取れないので、決断は信じられないほど困難である。どの選択肢も別の選択肢と明白なちがいがないのだ。意思決定なしには、ほとんど何もできない。タミーはよく一日中ソファで過ごすと報告している。
 タミーの脳損傷から、意思決定に関する極めて重要なことがわかる。脳は高いところから命令を出していると考えられがちだ――が、実際にはつねに体とのフィードバック関係にある。体からの物理的信号は、何が進行しているか、それについて何をなすべきか、簡単な要約を伝える。選択を行うために、体と脳は密にコミュニケーションを取らなくてはならないのだ。
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単行本p.139

 脳が何かを決めるとき、それは具体的にはどのようなプロセスで実行されているのだろうか。脳のどこかに、最終判断を下す「意志」があるのだろうか。意思決定の背後で働いている身体と脳の相互作用を解説します。


「第5章 私にあなたは必要か?」
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 教育は大虐殺を防ぐのに重要な役割を果たす。内集団と外集団を形成したいという神経の欲求――そしてこの欲求をプロパガンダであおる計略――が理解されないかぎり、大規模な残虐行為を生む非人間化への道を断ち切ることは望めない。
 このデジタル・ハイパーリンクの時代、人間どうしのリンクを理解することはかつてないほど重要である。人間の脳は根本的に相互作用するように生まれついている。私たちは見事なほど社会的な種である。私たちの社会的欲求は操られることもあるかもしれないが、それでも人間のサクセスストーリーの中心に堂々と鎮座している。
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単行本p.197

 他人とのつながりを断たれたとき、孤立した脳はどのようにふるまうのか。大量虐殺から架空のキャラクターへの感情移入まで、脳が他の脳と相互作用することの意義を探求します。


「第6章 私たちは何ものになるのか?」
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 科学は私たちに、その進化の物語を超越するためのツールを与えてくれるかもしれない。いまや私たちは自分自身のハードウェアをハッキングすることができる。その結果、私たちの脳は私たちが受け継いだときの状態のままである必要はない。私たちは新たな種類の感覚的現実と、新たな種類の体のなかに存在することができる。そのうち、私たちは肉体を脱ぎ捨てることができるのかもしれない。
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単行本p.249

 感覚器官の拡張/追加から脳の仮想化まで。私たちの脳を構成しているハードウェアをハッキングする可能性と、それが私たちにどのような影響を与えるかを考察し、トランスヒューマニズムへと進んでゆきます。


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