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『J・G・バラード短編全集2 歌う彫刻』(J.G.バラード、柳下毅一郎:監修、浅倉久志他:翻訳) [読書(SF)]

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それにしても、攻撃的な女性と、自分自身の心に逃避するその夫というしばしば繰り返される、ほとんど強迫的なイメージを生み出したどんな経験を、わたしは忘れているのだろう?
(J.G.バラード)
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単行本p.393


 ニュー・ウェーブ運動を牽引し、SF界に革命を起こした鬼才。J.G.バラードの全短編を執筆順に収録する全5巻の短編全集、その第2巻。


 第1巻の紹介はこちら。

  2017年05月16日の日記
  『J・G・バラード短編全集1 時の声』
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2017-05-16


 第2巻には、60年代前半(1961年から1963年まで)に発表された18本の作品が収録されています。


[収録作品]

『重荷を負いすぎた男』
『ミスターFはミスターF』
『至福一兆』
『優しい暗殺者』
『正常ならざる人々』
『時間の庭』
『ステラヴィスタの千の夢』
『アルファ・ケンタウリへの十三人』
『永遠へのパスポート』
『砂の檻』
『監視塔』
『歌う彫刻』
『九十九階の男』
『無意識の人間』
『爬虫類園』
『地球帰還の問題』
『時間の墓標』
『いまめざめる海』


『至福一兆』
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 ロッシターは市庁舎の保険局に勤めており、非公式ながら人口統計に接することができる。この十年、それは機密情報となっていた。正確とは思えないという理由もあるが、主な理由は、閉所恐怖症の集団発作を引き起しかねないと懸念されるからだった。小規模の発作はすでに起こっていた。
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単行本p.50

 歯止めのかからない人口爆発、一人あたり許される居住空間は狭くなる一方だった。どの建物にも、街路にも、ぎっしりと人間が詰め込まれた都市景観。主人公は誰にも知られていない忘れられた空間を見つたが……。


『ステラヴィスタの千の夢』
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うれしいことに、彼女の存在はこの家のいたるところで感じられた。彼女の無数の反響が構造体や感知細胞に蒸留され、一瞬一瞬の感情の動きが、死んだ彼女の夫を除けばだれも知らなかったほど本物に近い彼女の複製の中に溶けこんでいることだろう。わたしが恋したグロリア・トレメインはもはやこの世に存在しないが、この家は彼女の魂の署名をおさめた廟であった。
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単行本p.122

 テクノロジーと芸術と倦怠が支配する砂漠のリゾート、ヴァーミリオン・サンズを舞台としたシリーズの一篇。向心理性建築(サイコトロピック・ハウス)を購入した主人公は、その家の以前の持ち主が有名な女優であったことを知る。この家で、彼女は自分の夫を殺したのだ。そして家は、彼女が残した心理的痕跡を忠実に再生してゆく。彼女の、いわば幽霊にとりつかれた主人公は、再び破局を繰り返すことになるのだろうか。


『アルファ・ケンタウリへの十三人』
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「フランシス!」と、チャーマーズが叫んだ。「一度入ってしまったら、もう二度と出られないぞ! 自分を完全な虚構の中に埋めてしまおうとしているのがわからないのか? 自分から悪夢の中に退行して、途中下車できない行先のない旅に出ていこうとしているんだぞ!」
 もう二度と点けないだろうモニターのスイッチを切る前に、フランシスはそっけなく答えた。「行先は決まっているとも、大佐――アルファ・ケンタウリだよ」
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単行本p.159

 「アルファ・ケンタウリを目指して宇宙空間を飛び続ける世代宇宙船」という設定で作られた巨大な建造物。それは将来の恒星間飛行に備えた実験に過ぎないはずだった。船内の人々は自分たちが外宇宙の旅を続けていると信じているが、実際には彼らが探査しているのは内宇宙だった。しかし、次第に、虚構と現実の、外宇宙と内宇宙の境界はあやふやになってゆく。


『砂の檻』
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ほっそりした指を砂丘の浅い起伏にのばした夕闇は、ゆっくりと群れ集って巨大な櫛のようになり、つかのま燐光を放つ黒曜石の突出部を櫛の歯のあいだに孤立させたかと思うと、しまいにはひとつに固まり、濃淡のない波となって、なかば砂に埋もれたホテル群を乗りこえていった。かつてはカクテル・バーやレストランでにぎわっていた通りも、いまは砂に呑まれて傾いており、静まりかえった表通りの裏へまわれば、早くも夜のとばりがおりていた。おぼろげな月の光が、立ち並ぶ街路灯に銀色のしずくをまといつかせ、シャッターのおろされた窓や崩れかけた軒蛇腹を冷凍ガスの霜のように覆っていた。
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単行本p.193

 火星から持ち込まれた赤い砂に埋もれつつあるロケット発射場。立入禁止区画に指定された砂の廃墟に、立ち退きを拒否して留まり続ける三人。彼らは、幻として消え去った「宇宙開発時代」への強迫観念にとらわれたまま、ひたすら白昼夢を見るような生活を続けてゆく。ゆっくりと建物を飲み込んでゆく火星の砂のなかで。


『歌う彫刻』
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 ぼくは彫像のふもとにまだとりすがっているルノーラを見て迷った。
「それじゃ――」信じられない思いが、やっと言葉になって出た。「あの女は、あの彫刻を愛してしまったんですか」
 マダム・シャルコウの目は、ぼくの単純さをあまさず要約していた。
「彫刻をじゃありません」彼女はいった。「自分をです」
 しばらく、ぼくはつぶやく彫刻群のなかに立ちつくしてから、テープを床にすてて立ち去った。
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単行本p.267

 テクノロジーと芸術と倦怠が支配する砂漠のリゾート、ヴァーミリオン・サンズを舞台としたシリーズの一篇。音響彫刻に耽溺する美女。彼女に惚れた芸術家は、自分の作品を調整するという口実で何度も彼女の屋敷を訪れるのだが、もちろん、ひたすら振りまわされてしまう。


『無意識の人間』
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「生産高が着実に五パーセント上昇しつづけて膨らまないかぎり、経済は停滞する。十年前なら生産効率の上昇だけで生産高はあがった。でももはや生産効率の上昇効果はほとんどなくて、残る手段はひとつしかない。働くことさ。サブリミナル広告が鞭を入れてくれる」
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単行本p.296

 休みなく働け。ひたすら物を消費しろ。新車とテレビセットを毎年購入し、ローンを増やせ。そのローンを返すために休みなく働け。さらなる経済成長を。果てしなき大量消費を。終わりなき繁栄を。サブリミナル広告による強迫観念を人々に植え付けることでようやく維持されている大量消費社会。資本主義のゆきつく果てをリアルに描いた作品。


『地球帰還の問題』
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ジャングルは早くも彼の心にそれ自身の論理を与えはじめており、再突入カプセルが着陸した可能性はますます遠のいてゆくように思われた。カプセルとジャングルという二つの要素はそれぞれまったく異なる自然の秩序の系統に属しており、その二つを重ねるのはますます難しくなっていった。それに加えて懐疑心がさらに深まる理由が、宇宙飛行の“本当の”目的はなんだというライカーの問いかけによって強調されていた。その意味するところは宇宙計画全体が人類、とりわけ西欧テクノクラシーを蝕む内なる無意識の病の徴候であり、宇宙ロケットや人工衛星の打ち上げは、隠された強迫観念や欲望を充足させるためのものにほかならない、ということであった。
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単行本p.347

 地球への再突入でトラブルが発生。月着陸ロケットの帰還カプセルは南米大陸の広大なジャングルに落下したと推測される。その行方を捜索にきた主人公の精神は、密林とそこに住む原住民の世界に飲み込まれてゆく。


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