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『肩書ジャンクション』(井手茂太、斉藤美音子、イデビアンクルー) [ダンス]

 2017年10月21日は、夫婦で東京芸術劇場シアターイーストに行って、井手茂太さん率いるイデビアンクルーの新作公演を鑑賞しました。井手さんを含む9名が踊る70分の舞台です。


[キャスト他]

振付・演出: 井手茂太
出演: 斉藤美音子、菅尾なぎさ、福島彩子、後藤海春、酒井幸菜、中村達哉、原田悠、三橋俊平、井手茂太


 舞台の上は道路や芝生、高さも向きもばらばらな街灯が四本、天井には円を描く排気管(立体交差の螺旋状の進入路にも見えます)。このジャンクションのなかで、様々な人々が出会ったりぶつかったりすれ違ったりします。

 日常的なしぐさ(遠くの人に「もうちょっと右、右、あっ、ちょっと左」などと指示するときの上半身の動きとか、自動車運転教習場での大仰な指さし確認動作とか)を使った振付が楽しく、しかも最初はそれなりに状況的に意味のあった動作が何度もくり返しているうちに意味を失って抽象ダンスになっていったりする様も、これが実におかしい。いつまでも始まらないベジャールごっこ、とかも。

 意図は通じていると思って一斉に動作してみると全然通じてなかったり、状況にまったくそぐわない動きをいきなり始める相手に戸惑うなど、人間関係の「暗黙の了解」が崩れたときの感じが「わかる!」という共感と笑いを引き起こします。

 変な動きに翻弄されるシーンをショートコントのようにつなげた作品か、と思わせて、意外と緻密に組み立てられている全体構成。同じシーケンスがずっと後で繰り返されるなど、印象的です。

 全体的に昭和感が漂っていますが、ダサいかというと、これが実はカッコいいという、絶妙なところを突いてくるのはさすがでした。



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『たべるのがおそい vol.4』(町田康、宮内悠介、他、西崎憲:編集) [読書(小説・詩)]

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 編集という仕事の歓びのなかで最大のものは何といっても原稿を受けとって目を通した際のそれであると思うのだが、世界で最初に読む者が自分であるというのはそれだけで心が動くことであって、しかもそれが面白いもの、興味深いものであれば、歓びの大きさは容易に想像されるかと思う。しかし、今回はそれにもうひとつの要素が加わったようである。原稿を受けとった時に著者の「野心」のようなものを明瞭に感じたのである。そしてその野心のなんという重さ、大きさ。メールで届いたそれは、あるものは日本の小説の限界を打破するアナーキーさを胚胎し、あるものは自身のこれまでの作品を凌駕しようという熱意の籠ったものだった。
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 シリーズ“町田康を読む!”第60回。

 町田康の小説と随筆を出版順に読んでゆくシリーズ。今回は、小説、翻訳、エッセイ、短歌など、様々な文芸ジャンルにおける新鮮ですごいとこだけざざっと集めた文学ムック「たべるのがおそい」その第4号に掲載された短編です。単行本(書肆侃侃房)出版は2017年10月。


[掲載作品]

巻頭エッセイ 文と場所
  『主さん 強おして』(皆川博子)

特集 わたしのガイドブック
  『ガイドブックのための(または出発できなかった旅のために)』(谷崎由依)
  『ストリート書道に逢いたくて』(山田航)
  『1985年の初夏に完璧な女の子になる方法』(山崎まどか)
  『駅』(澤田瞳子)

創作
  『ディレイ・エフェクト』(宮内悠介)
  『橙子』(古谷田奈月)
  『人には住めぬ地球になるまで』(木下古栗)
  『狭虫と芳信』(町田康)

翻訳
  『マルレーン・ハウスホーファー集』(マルレーン・ハウスホーファー、松永美穂:翻訳)
  『フランス古典小説集』(アルフォンス・アレー、マルセル・ベアリュ、マルセル・シュオッブ、西崎憲:翻訳)

短歌
  『IN IN in』(伊舎堂仁)
  『ポーラスコンクリートの眠り』(國森晴野)
  『挽歌』(染野太郎)
  『皐月』(野口あや子)

エッセイ 本がなければ生きていけない
  『本屋の蔵書』(辻山良雄)
  『読んでいて涙が出る本』(都甲幸治)




『ディレイ・エフェクト』(宮内悠介)
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「それで、今回の件をディレイになぞらえるなら、どのようなことがいえる?」
「科学的でなくともかまいませんか」
「どのみち非科学的なことが起きている」
「……わたしたちの世界を、神の奏でる音楽だと仮定してみましょう。その神様が、わたしたちには知るべくもないなんらかの深遠な意図をもってか、あるいは単に足を滑らせてか、ディレイのスイッチを踏んでしまった」
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単行本p.20

 現代の東京に重なるようにして「再生」される太平洋戦争当時の東京。まるで立体映像のように「現実」と二重写しになった1944年の町並みと人々。やがてくると分かっている東京大空襲を前に、人々はそれぞれに対応を決めなければならなくなった。
 SF的な設定のもと、二つの時代の響きあいと夫婦の心境変化を描いた感動的な短編。


『橙子』(古谷田奈月)
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 そうして、みんないなくなる。運転手に急かされる前に降りたいと思うけれど、橙子は涙を止められない。父も動かない。
 やがて、父は体を橙子のほうに向け、何度かためらったのち、「なあ橙子、あのな――」と囁いた。そして、これを聞けばせめて立ち上がる元気は出るだろうと、そう信じている声で言うのだった。「お前の高校のバス停だけどな。あれ、夜になると光るぞ」
 橙子はハンカチを目に押し当てた。もう泣くまいと思う。決して許すまいと思う。
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単行本p.55

 中学時代の親友と離れ離れになり、高校に進学する橙子。思春期の心の揺れを巧みに表現した傑作。父親の(イタい)人物造形の見事さが印象的です。


『狭虫と芳信』(町田康)
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「僕はなにも悪を気取ってるんじゃない。僕はねぇ、生きたいんだよ。どうしても生きたいんだよ。それもただ生きたいんじゃない。楽して生きたいんだよ。そのために泥棒してます。申し訳ないけど」
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単行本p.147

 知人が家にやってくるたびに物が盗まれる。しかし不思議なことに、そいつに物が盗まれた後には必ず大きな幸運がやってくることに気づいた。じゃ、トータルでは得をしてるじゃん。
 ところが最近、その知人はわが家に来ても窃盗をしなくなった。困った困った。そこで僕の代わりに知人をもてなして、そこらの物を盗むよう仕向けてくれないか。
 わけのわからない依頼を受けた語り手は、何とかして相手に窃盗させようと四苦八苦するが……。小咄のようなユーモラスな展開を素敵文体でつづった名人芸の短編。


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『佐藤文隆先生の量子論 干渉実験・量子もつれ・解釈問題』(佐藤文隆) [読書(サイエンス)]

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量子力学を学習した多くの学生は初め、何か腑に落ちないモヤモヤしたものを感じ、それを先輩たちにぶつけると、ただ「先を勉強しろ」と諭され、確かに先にいくと痛みのない傷として忘却し、あれは大人になる通過儀礼のようなものだったかと納得する。本書はこの「モヤモヤ」の傷をいまだに抱え、感じている人を意識して執筆した。
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新書版p.3


 観測が行われるまで物理量は確定してないのか、それとも「本当は」確定しているのだが観測できないだけなのか。量子力学にまとわりつく“納得の出来なさ”に挑んできた様々の実験を紹介しながら、その「モヤモヤ」感の意味を探求するサイエンス本。新書版(講談社)出版は2017年9月、Kindle版配信は2017年9月です。


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完成後、すでに90年を経た量子力学は成熟段階にあり、各分野で共有されている見方や解釈が少しずつ違っていても、支障なく各分野の発展を支えている。「支障なく」とは自然に切り込んでそれを操作するツールとして支障がないということである。ツールと思えば各分野の課題に適した趣向が凝らされるのは理解できるが、「ツールだ」というと必ず「いや自然の法則だ」という声が飛ぶ。基礎にさかのぼると意見が分かれるのに「支障なく」役立っている。これが成熟した現代量子力学の不思議な姿である。
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新書版p.68


 いくら数式を解いても、理論通りの実験結果が得られても、どこかすっきりしない感触が残る量子力学。その納得の難しさをテーマとした異色のサイエンス本です。全体は6つの章から構成されています。


「第1章 量子力学とアインシュタイン」
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 発表当時、超大物のEPR論文なのに反応したのはシュレーディンガーとボーアぐらいで、一般の研究者は全く注目しなかった。ところが半世紀も経た頃から異変が現れた。(中略)図1-8はこのEPR論文の年間当たりの引用回数の径年変化である。半世紀近くも経た1980年頃から急激に注目されだしたことが分かる。何かが動いたのである。
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新書版p.58

 コペンハーゲン解釈、ボーア・アインシュタイン論争。量子力学に納得できない科学者たちによる批判と、実験によって決着をつけられるようになるまでの流れを概説します。


「第2章 状態ベクトルと観測による収縮」
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 この「粒子・波動二重性」の実験的発見は、テクノロジーが進歩してミクロの世界に分け入ってみたら、二重性格の珍獣がいたというだけである。驚きではあるが、論理矛盾があるという意味での深刻さではない。この事態に対応するために新たに波動関数という数理概念を持ち込んで量子力学が完成したのである。深刻なのは、この数理概念の素性が従来の物理学での数理概念と著しく違うことである。
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新書版p.71

 「粒子であると同時に波動でもある」という二重性は、真の「モヤモヤ」ではない。本当に深刻な問題は、その背景となる「状態ベクトル」にこそ内在されている。ここで量子力学の基本を復習します。


「第3章 量子力学実験ー干渉とエンタングル」
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 これらの実験は「物理的存在は予め確定値を持って存在しているわけでない」ことを示している。GHZの議論は、ベルの不等式の統計的な判定でなく、それこそ1回の実験で判別できる実験である。(中略)「参加者」による自然への介入があって初めて「自然」からの応答が返ってくるのである。あくまでも問いを発する「人間」に起点があるのである。
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新書版p.144

 干渉実験、KYKS実験、HOM実験、ZWM実験、GHZ実験。エンタングル、ベルの不等式。EPR論争に決着をつけるべく行われてきた数々の実験を紹介し、量子力学における最も不可解な側面に切り込んでゆきます。


「第4章 物理的実在と「解釈問題」」
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解釈論争の歴史はここで述べたような「科学のメタ理論」との位置付けでなされてきたわけではない。またこのテーマが科学界のメジャーな課題ではなかったという歴史のために、相互の対決が少なく、様々な主張が並列して放置されている、いわば「いいっぱなし」の世界であったという事情がある。
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新書版p.159

 先導波、物理的収縮、多世界解釈、コペンハーゲン解釈、隠れた変数、デコヒーレンス、QBism。量子力学の不可解さを何とか納得しようと、次々に考え出された解釈モデル。その混乱と苦闘の跡をたどります。


「第5章 ジョン・ホイラーと量子力学」
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 ホイラーの時空への関心ははるか以前からのものであり、二つの種を秘めていた。一つは観測とも結びついた天体宇宙の解明であり、もう一つは本書の主題である量子力学の解釈問題である。そしてこの第二の種が「すべては情報」へと飛躍させたのである。
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新書版p.181

 「参加者」が観測することで立ち現れる「宇宙」。ブラックホールで有名なジョン・ホイラーが量子力学にどのように取り組んだのかを解説します。


「終章 量子力学に学ぶ」
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 量子力学のモヤモヤは、雲が晴れるように、一冊の本を読んで晴れるなどということは決してない。ファインマンが言うように、こうあるべきだという「思い込み」と現実の間の齟齬にモヤモヤの火種があるのだ。計算問題の正答は一つだが、誤答の種類は無数にあるように、個人により「思い込み」の種類は違っていて無数にある。だからこういうモヤモヤの考察は、自分の「思い込み」を自覚する、自分との格闘なのである。世の中で大事なことはこの量子力学のモヤモヤだけではないが、これが挑戦しがいのある第一級の課題の一つであることは間違いない。
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新書版p.190

 どうしてもすっきりと納得できないものが残る量子力学。そのモヤモヤの先にある現代的危機感を、むしろ科学という営みそのものを見直す契機ととらえることは出来ないだろうか。解釈問題から科学観の問い直しへと進んでゆきます。



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『美術ってなあに?』(スージー・ホッジ、小林美幸:翻訳) [読書(教養)]

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 世のなかには、かしこくないと芸術作品を理解できないって考えている人たちがいる。
 そうかと思えば、芸術作品を見るとかしこくなれるって考えている人たちもいる。でも、ほとんどの作品は、何を見るべきかさえ知っていれば、ちゃんと理解して楽しむことができるんだ。
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単行本p.84

 アートって、何だかよく分からない。どうして四角や三角を並べただけで「芸術」なの? 子供が、そして口に出さないだけで実は大人も、素朴に抱いているアートに対する疑問の数々に、様々な名画を見せながら、易しく答えてくれるアート入門書。単行本(河出書房新社)出版は2017年9月です。


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 アートって、ときどき、ほんとうにわけがわからなくなるよね。写実的じゃない絵については、とくにそうだ。
 1800年代の後半から、芸術家は抽象的な作品や、現実の世界とはかけはなれたものごとをテーマにした作品を生みだすようになった。そして、とんでもない材料や色を使ったり、おかしな形を描いたりつくったりするようになった。彼らは芸術的な実験をして人々の反応をためしたいと考えていた。
 そうするうちに、どんな作品がよくって、どんな作品がよくないか、人々の意見もどんどん変わっていったんだよ。
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単行本p.80


 画集のような大型本です。めくってみると、どのページにも有名な絵画や彫刻が載っていて、単純に名画集としても楽しめます。しかし、本当に面白いのは本文。子供が抱きがちな疑問に一つ一つ丁寧に答えてくれるのです。疑問というのは、こんな感じ。

「どうしてアートは、わからないことだらけなんだろう?」

「目も鼻もない棒みたいな人の絵が、なんでアートなの?」

「どうしてはだかの人だらけなの?」

「どうして、美術館ではしずかにしてなきゃいけないの?」

「こんなの、ぼくの妹にだって描けるよ」

「アート作品って、どうしてものすごく値段が高いの?」


 こうした素朴な疑問に対して、著者は例えばこんな風に答えてくれます。


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お墓のなかの壁画は、生きている人たちに見せるために描かれたんじゃない。埋葬された人がどんな人生を送ったのか、神々に伝えることが目的だった。壁画が平面的にかかれているのは、神々たちにわかりやすい絵にするためだったんだよ。
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単行本p.21


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 この作品は、ちょっと見ただけでは家族のすがただと思えないかもしれない。だけど、ヘップワースは自分が好きな形で家族を表現したんだ。
 どれがお母さんだと思う? ほらね、わかってきたんじゃない? 〈抽象芸術〉っていうのは、だいたいそういうもんなんだ。ぼくたちが知ってるものにはぜんぜん似てないのに、見ているとなぜか、それが何を表しているのか、わかっちゃうんだよ。
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単行本p.59


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 ジャン・メッツァンジェは一般的な遠近法のルールにはしたがわなかった。それでもやっぱり、立体的に見える絵をかきたいと思っていた。そこで、さまざまな角度から見たものをぜんぶ、1枚の絵にかきこむことにしたんだ。この技法は〈キュビスム〉って呼ばれているんだよ。
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単行本p.23


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 モンドリアンはみんなに自分の作品を楽しんでもらいたかった。なんだかちょっと遠いところにあるものだと、思ってほしくなかった。そこで、カンヴァスのはじっこのギリギリのところまで絵をかいたり、色をぬったりした。ときには、カンヴァスのフチの横のところまで。そうやって、モンドリアンは自分の作品と見る人のあいだの壁をぶちこわしたんだ!
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単行本p.17


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〈抽象芸術〉の初期の作家たちは、現実の世界とかけはなれた形や色を作品にしようとした。ジョアン・ミロとなかまたちは、無意識の世界を描いた。つまり、自分がかいているものについて、何も考えないようにしたんだ。
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単行本p.57


 こんな風に、アートを鑑賞するときの基本的な知識を分かりやすく伝えてくれます。一般的・概念的な回答だけでなく、具体的な作品を例示して「なるほど」と納得させるところがうまい。

 例示されている名画にも、「見て見て! この絵はフレームに入れるべきだと思う?」とか、「この絵はもっと細かくかくべきだと思う?」とか、「鏡にうつっているのはだれでしょう?」「道化師はどこかな?」といった、鑑賞のてがかりとなるコメントがついていたりして、隅々まで親切。

 というわけで、子供向けと言い切るには惜しい、大人が読んでも勉強になる、何よりも楽しい、素敵なアート入門書です。



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『NNNからの使者 猫だけが知っている』(矢崎存美) [読書(小説・詩)]

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 弓絵が引っ越したと聞いたので、ついに猫を飼うのかな、と思っていたのに、なんと飼えないとは!
 そんなバカな。猫好きが家を建てたら、猫を飼うのが当然だろ、とコマは思う。確か、ミケさんはそれを見越して予定を立てていたはず。三毛猫のミケさんに頼めば、猫を飼いたい人の家に最適の猫を送りこんでくれるのだ。
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文庫版p.186


 猫、飼いたい、でも、色々と事情もあって。そんな悩みを察知されるや、たちまち舞い込んでくる猫との良縁。そんな猫飼いあるある現象の背後では、NNNなる謎の猫組織が暗躍しているのでした。飼い主と飼い猫の出会いを描く五つの物語を収録した短篇集。文庫版(角川春樹事務所)出版は2017年10月です。


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猫好きや猫を飼いたいと思っている人、あるいはNNNが優良飼い主と認めた人のところへ猫(一匹、ないしは複数)を派遣し、一生世話をさせ猫の下僕として生きるよう画策する、と言われている秘密組織――らしいです。秘密というか、謎の組織。実在するかもわからない。
「猫が飼いたいなあ」などと口にすると、即座にロックオンされ、子猫等が送り込まれてくる――とのことですよ。冒頭でも書きましたけれど、私の創作ではないですよ!
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文庫版p.217


 というわけで、猫好きのあいだで話題にのぼる謎の組織NNN(ねこねこネットワーク)の暗躍を扱った国際謀略サスペンスシリーズ、ではなくて、猫を飼いたいと思っている人のところに猫がやってくる連作です。人の視点、猫の視点、ときどき切り替えながら語られてゆく五つの物語。猫飼いの読者はもちろん魅了されますが、それほど猫に興味がない方でも、読めばきっと猫を飼いたいと思うはず。

[収録作品]

『第一話 猫だけが知っている』
『第二話 かぎしっぽの幸せ』
『第三話 カフェ・キャットニップ』
『第四話 猫は行方不明』
『第五話 猫運のない女』


『第一話 猫だけが知っている』
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 そうなると、ひたすら縁を待つしかないのだろうか。「公園に捨てられていたので拾いました」とか「近所で生まれたのでもらいました」なんてネットでは読むが、そんなこと自分の周辺に起こったことも聞いたこともない。人の家の猫がどのようにしてやってきたかなんて、興味もなかったからなあ。
 俺には、猫縁がないのだろうか。
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文庫版p.40

 家族を失い、寂しい思いをしている青年。一人住まいの部屋でふと「寂しいな」と声を出してしまう。それを見逃すことなくチェックしていた三毛猫。まずは素行調査から。


『第二話 かぎしっぽの幸せ』
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 あたしと唯斗は、もう会えないのかもしれない。きっと唯斗は、大きくなったあたしを見ても、気づかないだろう。たまに抱っこしただけの猫なんて、人間はすぐに忘れる。だって、猫はみんなかわいいから。どの子だってかわいいんだから。そんなこと、猫ならみんな知ってる。
――――
文庫版p.91

 人間に飼われたい。そう思ったかぎしっぽの「あたし」は、世話役である三毛猫に相談する。だが彼女が気に入った相手は、事情があって猫を飼うどころではない様子。やっぱり縁がないのだろうか。三毛猫は色々と手配をしてくれるのだが……。ロマンス小説きました。


『第三話 カフェ・キャットニップ』
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このカフェに通うようになって、何匹か引き取られていった報告を猫部屋やショップコーナーで目にしたが、みんな子猫だった。子猫を欲しがる人の方が圧倒的に多いのだ。
 引き取られていく子猫たちを見て、あのソマリたちはどう思っているんだろうか。すでに仕事も引退し、隠居生活をしている自分が、時折なんとなく取り残されたような、申し訳ないような気分になることと、似ているんだろうか……。
――――
文庫版p.121

 もう老齢なので猫を飼うのは無理、でもせめて見たい。そう思って保護猫カフェに通う高齢女性。そこで見つけた仲のよい二匹の老猫ペアを引き取りたいと思うが、最後まで責任を持って飼えるかどうか分からない。けっこう深刻な悩みに、猫カフェの親切なマスター(山崎さんではありません)が相談に乗ってくれる。猫カフェを舞台に、猫の保護活動を行う人間と、猫の保護活動を行う猫の、暗黙の連携プレーが描かれます。


『第四話 猫は行方不明』
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「朝早く起こされるし、一緒に寝たがるから、夜もちゃんと寝るようになって……。ヒマだから、ゴミを片づけて……毛がたくさん抜けるから、掃除もしたんです」
 ポツポツと莉緒は続ける。
「そしたら、あたし、今まで何してたんだろう、と思って」
――――
文庫版p.174

 謎めいた三毛猫に導かれて辿り着いた家には、部屋に引きこもっている娘がいるようだった。しかし、いったい、どうしろというのか、この三毛猫は。いつもは強引に子猫を送り込んでくる三毛猫が、今回は子猫の救出作戦。そのためなら猫だけじゃなくて人間もばしばし使いますよ。


『第五話 猫運のない女』
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 その時まで弓絵は、自分に「猫運」がないのだと思っていた。ペット可の賃貸に入れる余裕も、もちろんペットショップで猫を買う余裕もなく、それを打破するような出来事、たとえば猫を拾ってしまうとか、知り合いからどうしてももらってほしいと言われるとか、そういうこともなく、猫と自分の人生は交わらないくらい縁のないことなんだな、と考えていた。
――――
文庫版p.183

 猫を飼いたいと思ってから40年。ようやく念願の持ち家を建てて、さあ猫を飼うぞと思ったところ、なぜか夫が反対。猫好きのはずなのになんで? さすがの三毛猫も、この事態は予想していなかった。猫運も、猫縁も、作るもの。三毛猫は各方面に依頼して聞き込み調査を開始したが……。


 ちなみに第四話などに登場する保護シェルター兼猫カフェや、高齢者向け猫飼い支援サービスなどは、実際にあります。例えば、東京キャットガーディアンの取り組みを扱った本の紹介はこちら。

  2015年12月21日の日記
  『猫を助ける仕事 保護猫カフェ、猫付きシェアハウス』(山本葉子、松村徹)
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2015-12-21


タグ:矢崎存美
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