SSブログ

『ぶたぶたの花束』(矢崎存美) [読書(小説・詩)]


――――
 あのぬいぐるみがほしい。あれさえあれば、どんな願いでも叶いそうな気がする。
 ……でも、どうやって手に入れればいいの?
 そう考えると何も浮かばない。あの部屋から出てくるのだろうか? お裁縫はしていたけど、歩けるのか? まさか、囚われの身!? 捕まってぬいぐるみを作らされているの!?
――――
文庫版p.221



 ボディガード、花屋さん、そして「ぬいぐるみ職人」まで。様々な職についている山崎ぶたぶた氏の活躍を描く、花にまつわる五つの物語を収録した短篇集。文庫版(徳間書店)出版は2016年10月、Kindle版配信は2016年10月です。


――――
 今回は雑誌に掲載した作品を集めた花束のような短篇集です。花といっても主にバラですね。
 最初に『BLUE ROSE』を書いた時は、こんなふうになるとは思ってもみなかったのですけれど、いつの間にか裏テーマが「バラ」みたいになってしまった。ぶたぶたの職業はいろいろなのに。
――――
文庫版p.256


 見た目は可愛いぶたのぬいぐるみ、心は普通の中年男。山崎ぶたぶた氏に出会った人々に、ほんの少しの勇気と幸福が訪れる。「ぶたぶた」シリーズはそういうハートウォーミングな物語です。

 今回は花にまつわる話を五篇収録した短篇集です。様々な趣向の作品が収められ、登場人物の年齢も幼児から熟年までバラエティに富んでいますので、誰もが心に響く作品を見つけることが出来るでしょう。個人的には爆走コメディ『BLUE ROSE』がいっとーお気に入り。


『ボディガード』
――――
 ていうか何これ!? いつの間にかぬいぐるみのボディガードが装着されてる!?
「これで仕事中も安心ね」
「衣装を着替えても、ぬいぐるみはつけときましょう。抱えてもいいし」
「名前とか訊かれそうね。じゃあ、イメージカラーがオールドローズだから、ローズちゃんで」
 ローズちゃん!
 い、いや、顔や色はまったくぴったりなのだが、あの声でローズちゃん……。
――――
文庫版p.22

 怪しいストーカーにつきまとわれているアイドル。彼女を守るために雇われたのは、仕事場だけでなく自宅でも24時間張り付いて彼女を見守り、コンサート中も本人の腰にしっかり「装着」され、ファンから「かわいいー」と叫ばれるローズちゃん(コードネーム)。外見がピンクのぶたのぬいぐるみだから、常にアイドルと一緒にいても決してスキャンダルにならない理想のボディガード、山崎ぶたぶた。中年男なのに。中年男なのに。


『ロージー』
――――
 それに、今日のことを考えるとすごくうれしくなる。特にあの点目! しっぽ! 後ろ姿! 花に埋まった鼻!
 家に帰ってから、菫は思い出す限り、ぶたぶたのイラストを描いた。何枚も何枚も。楽しくて時間を忘れた。
――――
文庫版p.102

 仕事に疲れたとき、癒しが必要なとき、エステサロン「ロージー」に通う語り手。そこではときどき不思議な現象が起きる。誰もいないはずの部屋から中年男性の渋い声が話し掛けてくるのだ。すごい癒し効果!


『いばら屋敷』
――――
「ぶたぶたってなんの妖精なの?」
「えっ!?」
 鍵を直したりする妖精じゃないみたいだし。
「うーん……えーと、バ、バラの妖精かな?」
――――
文庫版p.119

 いばらの繁みに隠された小さな空間。そこを隠れ家にしていた子供が、ピンク色のぶたの姿をした「妖精」に出会う。子供が置かれている深刻な状況に気づいた妖精さんは、不思議な力(具体的にいうと法権力)を使って助けてくれたのでした。


『チョコレートの花束』
――――
彼が花屋であることをようやく受け入れたばかりだというのに(そして、それに今気づいたばかりだというのに)、この上、元……元なんだ、ショコラティエ?だったなんて! 花屋以上に受け入れがたい。だって、花屋なら妖精みたいな感じで売るとかなんとかではなく、「お花の世話をする」というファンタジーな受け入れ方もできたのに、チェコを作るって――しかもバラの形の。
――――
文庫版p.184

 夫の誕生日プレゼントを探していた語り手が、ふと入ってみた花屋さん。そこの店主はピンクのぶたのぬいぐるみだった。花束、チョコレート、ぬいぐるみ、というプレゼントに最適な物語。


『BLUE ROSE』
――――
ぶたぶたが晴れ晴れしているのは、損したのがたった千円だから。「千円でけっこう遊べた」という満足感すら顔に出ていた。点目なのにっ。
「負けた……こんなに負けたの初めて……」
「うーん……まあ、ギャンブルでお金はなかなか増えませんからね……」
 そりゃそっちは千円ですんでるんだもん! と怒鳴りたい気分だったが、正論なので反論もできず。それに路上でぬいぐるみに八つ当たりというのもみっともない。
「けど、あたしはあきらめないわっ」
 気持ちを切り換えて、唯は宣言する。
「パチンコがいけなかったのかもしれないもの」
「うーん、やはり地道に――」
「今ならまだ間に合うわ!」
 唯はぶたぶたをはしっとつかまえ、駅へと走り出した。
「競馬場に行くわよ!」
――――
文庫版p.242

 テディベアのネット販売で有名な「ブルーローズ」。この店で購入したぬいぐるみを持っていると願いが叶うという噂だったのに、何と恋人にふられてしまった語り手。憤懣やる方なく、せめて一言文句つけてやる、ということで店に押しかけたところ、何とテディベアを作っているのはピンクのぶたのぬいぐるみだった。なにー、あんたが幸運のぬいぐるみだったのか。じゃあ、責任とって願いを叶えてもらおうじゃないの。

 無茶苦茶ながら何だかよく分かる怒りパワーのまま山崎ぶたぶたを誘拐した語り手。さあ、パチンコだ、競馬だ。幸運のぬいぐるみ、しかも中年のおっさんなんだから、勝てるはずでしょ! 怒濤の爆走コメディ。



タグ:矢崎存美

『up』(勅使川原三郎、山下洋輔、佐東利穂子、馬) [ダンス]


――――
ここでは「勅使川原作品」のオブジェになる覚悟をしなければならないと思っている。何しろ「本物の馬」を出すという人ですからね。こればっかりはぼくも初めての経験だ。馬の表現にどう呼応すれば良いのか。蹴られたらどうしよう。
――――
山下洋輔(公演パンフレットより)


 2016年10月9日は、夫婦で東京芸術劇場プレイハウスに行って、勅使川原三郎さんと山下洋輔さんが共演する公演を鑑賞しました。山下洋輔さんのピアノ演奏、勅使川原三郎さんと佐東利穂子さん(そして馬)のダンス。80分の舞台です。


[キャスト他]

振付・演出: 勅使川原三郎
ピアノ演奏: 山下洋輔
出演: 勅使川原三郎、山下洋輔、佐東利穂子、馬


 舞台中央やや左よりにグランドピアノが置いてあり、ここで山下洋輔さんががんがん演奏します。勅使川原三郎さんと佐東利穂子さんが、交替で、ときに一緒に、踊ります。馬は出演者にカウントするとして、他に舞台装置はなく、ひたすら勅使川原三郎さんの魔術的な照明効果だけで観客を魅了してしまう手際が素晴らしい。

 これまで観た勅使川原三郎さんの公演からはいつも鬼気迫るような迫力が感じられたのですが、今回はとても楽しそうな印象。後半、ピアノ演奏がないまま無音で踊るシーンがけっこうあるのですが、耳には聞こえないピアノが脳裏で鳴り続けているような、その音と一体で踊っているような、そんな錯覚にとらわれます。

 佐東利穂子さんが乗った馬が登場するシーンは最大の見せ場で、ピアノの周囲をかっぽ、かっぽ、かぽ、かっぽ、とリズミカルに音を立てて歩き(その足音がタップダンスを踊っているような感じに響く)、山下洋輔さんのピアノがそれに見事にあわせてゆきます。

 一周だけかと思ったら、何周も続けてくれる馬パーカッション。ときどきピアノと合わさるようにぴたりとポーズを決めたり。「山下洋輔+ピアノ+馬+佐東利穂子」という構図がそのまま影絵になるシーンなど、もう思わず息をのむ美しさ。馬、すごいな馬。

 ピアノもがんがん盛り上がり(ひじ打ち出た)、勅使川原さんも佐東さんも延々と踊り続けるラストはもう大盤振る舞いというか、最初に体力が尽きるのは誰か状態で盛り上がりました。



『人喰いの国(「文藝」2016年冬号掲載)』(笙野頼子) [読書(小説・詩)]

――――
 ひょうすべ、ひょうすべ?
 ねえ、ひょうすべの国になると、そこはどうなるの?
 うん、生命体がすべて、資源になる。誰も彼もがそこでは、人間も動物も男も女も……。
 地球レベルの巨大な脱水機にかけられ、血を絞られ死んでいく。
(中略)
足元を照らしてはならぬという規則の中、我々は崖っぷちの夜道を歩かされる。一方だけの自由に支配されて。そこに報道はない。言論もない。芸術も真実も告発も表には出られない。いるのはただ、ひょうすべ、ひょうすべ。
――――
文藝2016年冬号p.306、307


 シリーズ“笙野頼子を読む!”第107回。

 人喰い妖怪ひょうすべにひょうすべられる国にっほん、今やもう、だいにっほん。火星人少女遊廓で働いていた埴輪詩歌は、そこで火星人落語の名手、木綿造と出会う。一方、女人国ウラミズモでは、だいにっほん占領計画が……。TPP批准後のこの国を描くシリーズ、ついに完結。


――――
 女に仕事はなく、介護も家事も保育もただ働き、「少女をばんばん消費」するのだけが許された贅沢であり正義である国、生活保護家庭が外で牛丼を食べていても殴り掛かるという、何もかもが「アート」なにっほんであった。
――――
文藝2016年冬号p.333


 すいません。『ひょうすべの約束』の紹介で「おそらく完結篇」と書いてしまい、次の『おばあちゃんのシラバス』の紹介では「今度こそ完結篇」と書いてしまいましたが、ええ、今回が完結篇です。少なくとも「文藝」の目次には「シリーズ、ついに完結!」と書いてありました。

 ちなみに、これまでに発表された「ひょうすべシリーズ」の紹介はこちら。



  2012年10月08日の日記
  『ひょうすべの嫁(「文藝」2012年冬号掲載)』
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2012-10-08

  2013年01月07日の日記
  『ひょうすべの菓子(「文藝」2013年春号掲載)』
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2013-01-07

  2016年04月07日の日記
  『ひょうすべの約束(「文藝」2016年夏号掲載)』
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2016-04-07

  2016年07月07日の日記
  『おばあちゃんのシラバス(「文藝」2016年秋号掲載)』
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2016-07-07


 TPP批准後、グローバル企業にばりばり喰われるにっほん。SDI条項や特許権パワーで、水も食物も健康も、すべてが搾取構造に取り込まれ、なのに政府は率先して一億総活躍社会。ひょうすべ、ひょうすべ。


――――
この国で守るものはただ、「民を喰わせます赤子までも」というひょうすべとの約束だけ。
(中略)
 外国の酷使される安い労働力、それも時には児童労働をさらに値切って使う。為替相場をゼロコンマの単位で切り詰めながら、世界各地から材料を集めるしかないため、商売は世界規模のチェーン店しか残れなくなっていく。そこに雇われた人々は生涯の過労、安時給に苦しみ、フランチャイズをとって経営を始めても厳しすぎる条件にすぐ倒産する。県の市役所のどこに行っても、世界企業のロゴとコラボが躍っていた。萌エロ商法のために地元の嫌がる女子高生をモデルに差し出し、あるいは巨乳二次元で煽って痴漢に襲わせ、女性が怒れば経済効果を謳って開き直る。しかし、収益は企業がすべて持ち去るのである。
(中略)
国中の景気が悪化するような体制を国がむしろ、支えていた。ひょうすべに民を喰わせる約束を守って……。
(中略)
だがそもそも政府が約束を破る事を通常業務にしている国なのである。ていうか馬鹿丸出しの黒塗り条約にハンコついてそればっかりはくそ守る……世、界、最、低、国、で。
――――
文藝2016年冬号p.313、319


 そんな惨状でも、とりあえず未成年女子を性的搾取する自由だけはしっかり守ってくれる。そんな民度の高いわが国に生まれて本当に良かったクールジャパン。


――――
いつのまにかそれらは全部カギカッコを付けられ「二次元」と呼ばれるようになってしまった。
 人間が殺され苛められているのに「またアニメたたきかよ、でも表現の自由だろ」とひょうすべはうそぶいた。
 逼迫した地方自治体は特区に遊廓を作りそこで「二次元」をやった。そこの少女さんをかばうものたちは「もっと現実の実存女性の不幸に目を向けたら」などと言われてせせら笑われた。
(中略)
 どんなひどい事でも「アート」ですむ、そんな世界の「秩序」は、守られていった。「表現がすべて」のひょうすべクオリティでは、痛いのも痒いのも腹減るのも全部、二次元だそうで、不眠労働も二次元、過労死も二次元。しかも遊廓の中ならつまり行われる仕事はすべて芸能・アート活動とされた。
(中略)
 もし遊廓外の、つまり無事でいる少女が、この社会で完全に遊廓ボケしたひょうすべから勝手に二次元化と見なされて被害を受けたとき、どうなるのか。それ、むろん、あわわわわわ、ひょうげんのじゆう、なのだ、ちかん、ごうかん、ひとごろし、ここは? 地獄の、一番底。
――――
文藝2016年冬号p.318、319


 女性専用車両、AV出演強要告発、人工透析、生活保護、難民。ひょうげんのじゆうのために「弱者特権」とたたかう皆さんを、イカフェミが優しくサポート。


――――
女子トイレ襲撃者どもでさえも、被害者と加害者をひっくり返せるのである。またこの被害と加害の逆転ポイントは戦争煽動にも虐殺教唆にもさらにはいんちきな恐喝言語にも、要はヘイト界隈ならば必ず発生しているものなのである。
 障害者と健常者、難民と自国民、幼児とおとな、女子高生と痴漢、選挙民と総理でさえもこれでひっくり返し、加害圧力を被害者ぶらせる事が可能となる。まあ、そういう、……。
 イカフェミまたはヤリフェミと呼ばれる男性奉仕だけフェミニズムが選んだお勧め映像である。
――――
文藝2016年冬号p.322


 祖母が亡くなった後、店はつぶれ、家を失い、生活に困窮した埴輪詩歌は、とうとう「子供がおとなから声かけられ拉致監禁され売春させられて強姦され性病になって、殺されるための大切なーっ、そういうっー、子供がっ! セックスする権利!」(文藝2016年冬号p.322)を守るための人権擁護施設、火星人少女遊廓でヤリテ見習いとして働くことに。

 中略!

 そこで知り合ったのが、火星人落語の名手である木綿造。「SFオタク婚ならばたちまち百パーセントGOくらいの話の合い方」(文藝2016年冬号p.327)だった二人は、いやそのたとえはどうなの、色々あった末に結婚。後に木綿助といぶきという二人の子供が生まれます。


――――
 埴輪木綿助はもう中学生だ。今日もまた、殺意の目をした小さい妹いぶきに殴られて頭に瘤を拵えている。しかし「それでも本気で妹を殴り返したりはしないはずなのだけれど」、と詩歌は思っていてでも実はこの母親が留守の時に二人は何度も殺し合いぎりぎりまで戦っていた。
――――
文藝2016年冬号p.337


――――
木綿助をひょうすべにしないために、いぶきをひょうすべに喰われないように、詩歌はそれだけは注意して育てた。木綿造もそれでいいと後押ししていた。人を踏み付けにしないように、三次元を二次元と言いこしらえぬように、こんな時代だけど真人間に育てたいと。
――――
文藝2016年冬号p.338


 すでに彼らが「だいにっほんシリーズの通りに全滅」(文藝2016年冬号p.340)することを知っている読者の心は、切々とした哀しみに満たされることに。思い返してみれば、だいにっほんシリーズに登場する木綿助といぶきは、最初から死者でした。

 常にリニューアルを続ける笙野文学のなかで、おんたこからひょうすべに更新され嫌さ倍々プッシュのだいにっほん。今となっては、タコグルメが八百木千本の萌え美少女化をたくらんでいた頃のだいにっほんがむしろ懐かしく思えるほどの荒みようですが、これも現実がまじに追い抜いてゆくから。この国がこのままである限り、私たちはさらなるリニューアルで嫌悪感メガ盛だいにっほんに再び戻ってくることになるでしょう。嫌。


――――
 かつて難民を助けようともしなかったこの国家から、政府と大企業だけが外国に移転され、生き延びるでしょう。彼らは安全な先進国に暫定政府を置き、そこから生きたにっほんの少女を売りつづけ国を売りつづけます。そして我が国土と彼ら政府は昔と変わらず、実に何の関係もないまま、売られ、売り飛ばされるだけの時間軸を辿るのです。
――――
文藝2016年冬号p.346



タグ:笙野頼子

『夢みる葦笛』(上田早夕里) [読書(SF)]


――――
「私はその先を見てみたい。テクノロジーが人間を変える未来を。人間は道具を使うことで自分を拡張する。道具は人間の身体の一部なの。だとすれば、こうも言えるわよね。テクノロジーそのものも、人間の身体の一部なのだと」
――――
単行本p.234


 人間性はどこまで拡張できるのか、何を失えば人は人でなくなるのか。バイオホラーから宇宙探査まで、様々な環境やテクノロジーが人間性に与えるインパクトを探求する10篇を収録した短篇集。単行本(光文社)出版は2016年9月です。

 スケールの大きなハードSFからホラー、ファンタジーまで幅広いジャンルで活躍しながら、常に「人間とは何か」を問い続けている作家の最新短篇集。ホラーアンソロジー『異形コレクション』に書き下ろされた作品から、SFアンソロジー『SF宝石』に書き下ろされた作品まで、2009年から2015年に発表された粒揃いの10篇が集められています。

 科学やテクノロジーの最新情報を駆使しながら、人間の心に焦点を当てる作品が多く、ポストヒューマンSFに馴染みの薄い読者にもお勧めです。「オーシャンクロニクル・シリーズ」と共通の背景世界を舞台とした作品も含まれていますが、内容的に独立しており、他のシリーズ作品を読んでなくても問題ありません。


[収録作品]

『夢みる葦笛』
『眼神』
『完全なる脳髄』
『石繭』
『氷波』
『滑車の地』
『プテロス』
『楽園(パラディスス)』
『上海フランス租界祁斉路三二〇号』
『アステロイド・ツリーの彼方へ』


『夢みる葦笛』
――――
「私は争いや憎しみのない世界を見てみたい。いつまでも――とは言わない。一瞬の夢でいい。見てみたい」
「そんな世界はどこにもない。この先も現れない。世界はいつだって悪い冗談で満ちている。でも、だからって、そこに生きる価値がないわけじゃない」
「……昔、人間は一本の葦であると言った哲学者がいた。だったら人間は、一本の優れた葦笛にもなれるはずだと思わない?」
――――
単行本p.29

 街中にあふれる奇怪な異形生物。その「歌」は人々の心から憎しみを取り除き、癒してくれるのだった。それは、平和で穏やかなユートピアへの道なのか、それとも人間性の破壊なのか。人間の心に対する直接介入をめぐる葛藤を描くホラー短編。


『眼神』
――――
 呪術に必要なものは手順です。決められた通りの順番で、決められた物事を進めること。論理の筋道を通すことで、世界の形を変化させるのです。
 憑きものとは何か、浄化とは何かと、意味を突き詰める必要はありません。教えられた通りに手順を守れば、世界の有り様が、ドミノを倒すように連鎖的に姿を変えていく。
 それが呪術なのだと、修行の中で教えられたのでした。
――――
単行本p.56

 神の依代として選ばれた幼なじみを救うために、憑きもの落としの呪術を学ぶ語り手。だが、この世界に介入してくる「神」とはいったい何なのか、それをアルゴリズムによって「祓う」ことは何を意味しているのか。土俗ホラーと神テーマSFを融合させた作品。


『完全なる脳髄』
――――
「状況次第では、それまで親しくつき合っていた同胞すら倫理を無視して殺せる――。これは人間が人間であることの大きな条件だ」
「私は、そんなことのために脳みそを集めていたんじゃないぞ」
「はっ! じゃあ、なんのために集めていたのさ。まさかと思うが、天使のように清らかな心を得るために脳みそを欲していたわけじゃないよな。いいか。人間になるということは、悪をその本質として受け入れるということだ」
――――
単行本p.92

 未発達の脳を機械で補助することで人間のように思考するシム。語り手は、本当の人間になるために、他人の脳を集めようとする。体内に埋め込んだ多数の脳を連携させ、その上で「精神」を制約なしに走らせる。それで人間になれるはずだった。しかし、それは同時に人間であることの原罪もすべて引き受けるということだった。古典的「フランケンシュタイン」テーマに最新の脳科学を投入した作品。


『石繭』
――――
 では、その他の石に収められていた記憶は何なのだろう。大勢の名もなき人々の記憶なのか。誰かが手放した過去の記憶、もしかしたら死者の記憶、死者の思い出――。いや、友人の夢は私の脳が作り出した勝手な虚構かもしれない。あの石は人間の脳内に勝手に物語を生成しているだけで、すべては虚構内での出来事であり、本当にあったことなど何ひとつないのかもしれない。
――――
単行本p.103

 仕事に、いや人生に疲れた男が手に入れた、不思議な色とりどりの石。その中には様々な「記憶」が封じ込められていた。男は記憶と現実の境が分からなくなってゆく。甘くも苦いファンタジー作品。


『氷波』
――――
 広瀬氏は、地球が自転する音に耳を傾け、太陽から噴き出すプロミネンスを間近で見てみたいと本気で願うような人物だった。《この世界は、人間の感覚器官や主観を通じて表現されたとき、ただの自然的・社会的現象から芸術作品へと変貌を遂げる――》これが彼の信条だった。
――――
単行本p.117

 土星の輪に生ずる巨大なうねり、その特大の「波」でサーフィンする感覚を味わいたい。外惑星領域で観測業務に従事しているAIたちに与えられた奇妙なミッション。そこには隠された目的があった。人工知能、主観的体験、芸術、それらの関係性を探求する宇宙SF。


『滑車の地』
――――
状況があまりよくないことは一瞬で見て取れた。もはや笑うしかないほどの無数の泥棲生物が、磁石に引きつけられる漆黒の流体のように昇ってくる。
 仲間の死骸を乗り越え、その血に染まりながら、泥棲生物は前進をやめなかった。冥海へ戻れば毒で死ぬだけだ。だから彼らは昇るしかない。上のどこかに生きる場所を探して。それは、本質的なところで、三村たちが飛行機を作った理由と同じだ。
――――
単行本p.169

 泥に覆われた惑星。人間は古代に立てられたという複数の塔に住み、塔から塔へと渡された炭素繊維ケーブルに滑車を取り付けて移動していた。だが泥に棲む凶暴な生物の侵入をくい止めることはどんどん困難になり、新天地を探すべく飛行機による空からの探査が計画される。パイロットとして選ばれたのは、そのために開発された人工生命の少女だった。人類の生存を賭けたミッションを、非人類に託すことは正しいのだろうか。様々な葛藤を抱えながら生き延びようと苦闘する人類の姿を描く異星環境SF。


『プテロス』
――――
 本当の意味で宇宙生物学者になるためには、科学者としての常識どころか、『人間であること』すら、捨てねばならない瞬間があるのかもしれない。
 その勇気はあるかと自問してみた。
 しばし躊躇ったのち、ある、と志雄は結論した。
 プテロスはそれを教えてくれたのだ。
 もう一度同じ体験をしたときには、恐れずに飛び込んでみろと。
――――
単行本p.199

 惑星を周回し永遠に吹き続ける暴風、スーパーローテーション。そのなかを一度も地上に降りることなく一生飛び続ける異星生物プテロス。プテロスの個体と「共生」することで惑星探査を進める科学者は、共生相手を理解しようと試みる。だが、人間は、人間のままで、根本的に異なる精神を「理解」し「コミュニケート」できるだろうか。ジャック・ヴァンス風の異星風景描写が印象的なコンタクトテーマSF。


『楽園(パラディスス)』
――――
 ミックスト・リアリティが〈現実〉の定義を変えれば変えるほど、私たちは、自分が最も望んでいるものの正体に気づく。〈現実〉の網の目からこぼれ落ちてしまうものこそが――決して手が届かぬそれこそが、人間を、様々な形で未来へと駆り立てているのだと。
――――
単行本p.235

 事故で死んでしまった恋人が残した人格データ。失意の語り手は、限りなく本人に近いはずの、そのシミュレートされた人格との会話を試みるが……。人にとって他者の人格や意識とは何であるかを追求するグレッグ・イーガン風SF。


『上海フランス租界祁斉路三二〇号』
――――
 見届けてくれ。君が人工的に作り出したこの歴史において、科学者たちがどう闘い、どうやって人間を守るのか。残酷な運命の果てには、もしかしたら、希望のかけらすら残らないかもしれない。けれども、そこには某かの意味があるはずだと――心の底から信じてくれ。
――――
単行本p.282

 日中戦争前夜の上海。日中共同で設立された上海自然科学研究所に務める一人の日本人科学者がいた。地球化学の専門家として研究に勤しむ一方、迫り来る戦争を回避すべく密かに和平工作に協力していた彼の前に、謎めいた青年が現れる。彼はこの先の歴史を具体的に「予言」するのだが……。科学は、真理は、政治や国境を越えて人々を救う力を持つのだろうか。科学という営みの意義を問うサイエンス・フィクション。


『アステロイド・ツリーの彼方へ』
――――
 メインベルト彗星から無数の微生物が宇宙空間へ撒き散らされるように、バニラもまた、アステロイド・ツリーの彼方、遥か遠くの惑星へ向けて旅立っていった。
 僕は、それを甘い感傷に彩られた記憶として心に留めるような――そんな人間にはなりたくないと思っている。
 生命とは何か、知性とは何か。
 その問いに対する好奇心と探究心を満たすために、僕たち人類が何をしたのか、いつまでも覚えておくつもりだ。
――――
単行本p.325

 テレプレゼンス技術により、地上にいながらにして宇宙探査が可能な時代。語り手は「宇宙探査機搭載用AIの世話」という仕事を引き受ける。見た目は猫そっくりの自律ロボット型AI「バニラ」と次第に打ち解けてゆく語り手だが、バニラという存在には隠された秘密があった……。SFを使って“人間とは何か”を問い続けてきた作家が、「人間はなぜ“人間とは何か”を問い続けるのか」を問う、人工知能テーマSF。

タグ:上田早夕里

『意識は傍観者である 脳の知られざる営み』(デイヴィッド・イーグルマン、大田直子:翻訳) [読書(サイエンス)]


――――
 脳は情報を集めて行動を正しい方向に導く仕事をしている。決定に意識がかかわるかどうかは問題ではない。そしてたいていの場合、かかわっていない。(中略)意識は脳の営みのなかでいちばん小さな役割しか果たさない。脳はたいてい自動操縦で動いていて、その下で稼働する謎の巨大工場に意識はほとんど近づけない。
――――
単行本p.14


 私の意識は、どれくらい「私」を支配しているのだろうか。実のところ脳と身体はほぼ完全に自動運転しており、意識はその結果を後から知らされる傍観者に過ぎない。では、自由意思は存在するのだろうか。存在しないのなら、犯罪者をその行為の「責任」によって罰することは合理的だろうか。様々な研究成果をもとに意識と脳の関係を整理するサイエンス本。単行本(早川書房)出版は2012年4月、文庫版(『あなたの知らない脳 意識は傍観者である』と改題)出版は2016年9月、文庫のKindle版配信は2016年9月です。


――――
 人はどうして自分自身に腹を立てることができるのだろう? いったい誰が誰に腹を立てているのか? 滝をじっと見つめたあと、岩が上昇していくように見えるのはなぜだろう? 最高裁のウィリアム・ダグラス判事は、脳卒中のあと麻痺していることは誰の目にもわかるのに、なぜ、アメフトをやったりハイキングに行ったりすることができると主張したのだろう? なぜ、1903年にゾウのトプシーはトマス・エジソンに感電死させられたのか? なぜ、人は利子のつかないクリスマス口座にお金を貯めたがるのか? 酔っ払ったメル・ギブソンが反ユダヤ主義の発言をして、しらふのメル・ギブソンが心から謝罪するのなら、本物のメル・ギブソンはいるのだろうか? オデュッセウスとサブプライムローンの破綻に共通点はあるのか? 一ヶ月のうちでストリッパーがもうかる期間があるのはなぜなのか? なぜ、Jで始まる名前の人はJで始まる名前の人と結婚する可能性が高いのか? 人が秘密をしゃべりたくなるのはなぜだろう? 浮気をする可能性が高い結婚のパターンはあるのか? パーキンソン病の薬物治療を受けている患者は、なぜ、ギャンブルに取りつかれるのか? IQが高く、銀行の出納係を務め、模範的な男子だったチャールズ・ホイットマンは、なぜ、突然オースティンのテキサス大学タワーから48人もの人を撃とうと決めたのか?
 これらはすべて、脳の舞台裏の働きとどう関係があるのか?
 これから見ていくように、すべてが関係している。
――――
単行本p.32


 脳と身体は「意識」とは関係なく神経プログラムによって自動的に動いており、意識はただの傍観者に過ぎない。したがって、少なくとも古典的な意味でいう「自由意思」は幻想である……。生理学、心理学、神経科学が明らかにしてきたこれらの衝撃的な事実を、一般向けに平易に解説してくれるサイエンス本。

 さらに、人に自由意思はなく、したがって行為の「責任」をとることは出来ない、という事実を元にして、どのようにして社会を(特に法体系を)再構築すればいいのか、という点にまで踏み込んでゆきます。

 次から次へと挙げられる社会学や心理学の研究成果はどれも興味深く、最後まで好奇心が刺激され続ける一冊。全体は七つの章から構成されています。


「第1章 僕の頭のなかに誰かがいる、でもそれは僕じゃない」
――――
 あなたの内面で起こることのほとんどがあなたの意識の支配下にはない。そして実際のところ、そのほうが良いのだ。意識は手柄をほしいままにできるが、脳のなかで始動する意思決定に関しては、大部分を傍観しているのがベストだ。(中略)20世紀半ばまでに思想家たちは、人は自分のことをほとんど知らないという正しい認識に到達した。私たちは自分自身の中心ではなく、銀河系のなかの地球や、宇宙のなかの銀河系と同じように、遠いはずれのほうにいて、起こっていることをほとんど知らないのだ。
――――
単行本p.18、31

 自意識は「自分」の中心ではなく、その片隅にいて新聞を読んでいる傍観者に過ぎない。地球が銀河の中心ではないように。まずは本書のテーマを、宇宙論の発展になぞらえて紹介します。


「第2章 五感の証言――経験とは本当はどんなふうなのか」
――――
 結局のところ、私たちは「外に」あるものをほとんど自覚していない。脳が時間と資源を節約する憶測を立てて、必要な場合にだけ世界を見るようにしている。
――――
単行本p.77

 様々な錯視や錯覚の例をもとに、私たちの「知覚」の大半を占めているのは脳による憶測だということを示します。「意識」に最小限の処理結果だけを与えてなだめている間に、私たちの脳は、生き延びるために、外界からやってくる情報に反応するのに忙しいのです。


「第3章 脳と心の隙間に注意」
――――
 とんでもない話に聞こえるかもしれないが、これらの発見はすべて、統計的な有意性の閾値を越えている。影響は大きくないが、真実であることを実証できる。私たちは自分ではアクセスできない動因、統計が暴かなければ信じないような動因に影響されているのだ。
――――
単行本p.90

 脳には意識が直接アクセスできない知識があり、脳はそれに基づいて自動的に判断を下している。車線変更、ヒヨコの雌雄鑑別、対空監視、自分では認識できない偏見の検証実験、本人の名前とその配偶者や住所や職業の名前に統計的に有為な関係があることの発見、プライミング効果、虫の知らせを人為的に作り出す実験、その他その他。多くの興味深い研究成果が示されます。


「第4章 考えられる考えの種類」
――――
私たちは自分の行動のまさに原動力である本能を見ることができない。これらのプログラムにアクセスできないのは、それが重要でないからではなく、きわめて重要だからである。(中略)性的に誘惑し、暗闇を恐れ、共感し、言い争い、嫉妬し、公平さを求め、解決策を探し、近親相姦を避け、顔の表情を認識する。これらの行為を支えている広大な神経回路網はとてもうまく調整されているので、私たちはその正常な動きを自覚しない。
――――
単行本p.121、123

 感覚の欠如に対する適応、共感覚、知的能力の著しい偏りに見られる進化の影響、意識されない性的誘惑のメカニズム。私たちの遺伝子に焼き付けられ、行動どころか「思考」「認識」そのものの可能性を強く制限している様々な「本能」の働きについて示します。


「第5章 脳はライバルからなるチーム」
――――
脳は議会制民主主義に似ている。大勢の重複するエキスパートがいて、さまざまな選択に介入し、競いあっている。ウォルト・ホイットマンがいみじくも要約したように、私たちは大きくて、私たちのなかには大勢がいるのだ。そしてその大勢はつねに争っている。(中略)あなたの行動、つまりあなたが実際にやることは、争いの最終結果にすぎない。しかし話はもっとおもしろくなる。というのも、脳内の各党は相互作用について学ぶことができる。その結果、状況はすぐに短期的欲求と長期的願望の単純な腕相撲の域を出て、驚くほど高度な交渉プロセスの世界に入る。
――――
単行本p.147、161

 人は酩酊やある種の脳障害によって簡単に人格が変わる。では「本当の自分」なるものは存在するのだろうか。実は、脳内では一つの判断に関わる複数のモジュールが互いに競合しており、どれが「本当の自分」でもないことが分かっている。メル・ギブソンの暴言、トロッコ問題と身体性の関係、サブプライムローン破綻、クリスマス預金に人気がある理由、様々な疾病失認。「互いに競合し葛藤する複数のゾンビ・システムから構成された脳」という観点から、意識が進化してきた理由を探ります。


「第6章 非難に値するかどうかを問うことが、なぜ的はずれなのか」
――――
 問題の核心は、あなたの行動のすべてが根本的に自動運転なのか、それとも生物学のルールとは無関係の選択する「自由」がわずかでもあるのかどうか、である。この点に哲学者も科学者もつねに固執している。(中略)自由意思があるという私たちの希望や直感に反して、その存在を納得のいくように確定する論拠はいまのところない。
 自由意思の問題は、有責性のことを考えると非常に重要になる。最近罪を犯した者が裁判官席の前に立つとき、法制度は彼が非難に値するかどうかを知りたがる。
――――
単行本p.222

 脳が下す判断に意識はほとんどまったく関与していないという冷厳な事実から、いわゆる自由意思は存在しないか、少なくとも人の言動における責任主体にはなり得ないことが分かる。では、犯罪者をその行為の「責任」によって罰するのは不合理ではないだろうか。責任ではなく矯正可能性に基づく処置、という新たな法体系が提案されます。


「第7章 君主制後の世界」
――――
何兆ものシナプスが同時に会話している。この広大な卵のような構造の超薄型回路は、現代科学には思いもよらないアルゴリズムを実行している。そしてこれらの神経プログラムが私たちの決断、愛情、欲求、恐怖、願望を引き起こす。私にとって、この理解は崇高な経験であり、どんな聖典に示されているどんなことよりも素晴らしい。科学の限界の向こうにほかに何が存在するかは、将来の世代に託された未解決の問題だが、たどえ厳密な唯物論がその答えだと判明しても、それで十分だ。
――――
単行本p.296

 自由意思の否定は、人間の尊厳を失わせるのではないか。ハードな唯物論がはらむ様々な問題と思索を通じて「私たち自身を知る」ということの意味を探ります。