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『美しい動物園』(倉本修) [読書(小説・詩)]

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 わたしにとって、『美しい動物園』上梓に何らかの意味があるとしたら、それは自分の堪え難くも美しい想像経験を、もう一度自分自身の手でなぞることができるということだろうか。
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単行本p.146


 手軽に焼けてハーブの香りが食欲をそそる香草鳥が、滅びたユルムチの上空を飛ぶ。物議を醸す芸術作品を展示しては見物人の騒ぎをせせら笑って見ているパクション。磁力亀トチカ。完全擬態生物カブラン。生命ある限りすべてを喰い尽くすフェルトン。不思議な幻獣たちの奇妙な生態を描いた詩集。単行本(七月堂)出版は2015年5月です。


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 いまわたしと香草鳥は干上がった古代の河底のようなユルムチを遥か上空より眺めている。繁栄を失い無能の残骸となり果てたこの人々に同情や憐れみはまったく持つことはない。たんに〆切がきただけなのだから。
 わたしたちはゆるやかな軌跡をえがいて黄空を舞っている。高度1000メートルというところだろう。その姿は傷ついた大鷲に似て痛々しいが何よりも香りたかく誰よりも神に近い。
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単行本p.10


 架空の生き物たちが登場する奇妙な詩集です。奇天烈な空想からこぼれ落ちたような動物が続々と現れては、読者を幻惑してゆきます。


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「これはあんまりだ残酷な仕打ちじゃないか生きた猫を釘で打ち付けるなんて!」
なるほど檻の中には厚板に釘打ちされた猫? えっ 餌! これは酷い。
(中略)
「パクションはこれを作ってぼくらをせせら笑っているんです私たちはもう慣れましたが最初は心臓が止まるほど驚いたものです」
(中略)
 パクションは檻の中からこちらの騒ぎを冷やかに観察している。これではどちらが檻の中にいるのか怪しくなってくる。
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単行本p.46、47


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磁極の影響でトチカ同士が反発を起こすときがある。同極との反発力はものすごい勢いを生みだす。……がしん! 重厚な音が響く。注意書きがある。「時計やそのほか電子製品をお持ちのかたは近づかないようご注意願います」しまったと思ったときはもう遅かった。
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単行本p.52


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カブランはどんなものにも化けることができる。それが擬態生物の常識をくつがえすほどのレベルだとしてもそれほど驚くことではない。カブランは徘徊する習性があるがあまりに見事に変化するものだから誰も気が付かない。いや本当に徘徊しているのかもわからないほどだ。以前自分自身に擬態しようとしてカブランが気を失ったことがある。尤もな話だ。
(↓「紙」に擬態したカブラン。目視できる人はまれだ)

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単行本p.59


 奇妙なのは生き物だけではありません。究極の目薬とか、無表情のままこちらに見入っているピーマンとか、鰐と兎の日々とか。


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 あなたは陽に反射してキラキラ輝くそれらを手に掬い、すべての魚体の眼球だけが無くなっているのに気付くだろう。そして驚く、眼の部分がぽかり空いている眼球を失った小魚たちの顔は清々とした至福の表情に近いことに。「まさか魚が微笑むわけなど無い」とあなたは自分自身を疑い首を振り、まさかと思うだろう。
 この都市を調査した学者たちは言う、これはR421という目薬のせいだと。
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単行本p.63


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 鰐はたいそう凶暴な爬虫類と目されている。しかしだ、かれの見掛けによらぬ優しさや仕事における徹底した誠実さ、妖しいまでの美しさを知る者は少ない。多くの人々の了解から遠く、ひそやかに禁欲的であり、真実の力をめったに披露はしない。最後には水域にその身を隠し静かに自らの死を待つ、孤独で気高い生きかたをする動物である。
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単行本p.131


 どの作品もいっけん短篇小説に見えますが、特に一貫したプロットがあるわけでもなく、小説としての構成が重視されているわけでもありません。奔放な空想力にひたすら身を任せたような、読んでいて心地好い詩です。そのイメージは美しく、高揚感を伴います。


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 [兎の手入れ]を手に入れた安堵感と、より精巧な[鰐の手入れ]の完成。それを祝うかのように遠くロケットが飛ぶ。
 光を曳き上昇し砕け散るまで飛び続ける、一本の樹のような金色のロケット。
 かれの一本の樹は遠い幻ではない。鰐と兎、兎と鰐は一枚の葉の表裏を別けるものである。鰐を修理、手入れすることは兎の消滅。兎の手入れは即ち、鰐の死である。勘定が合わないことはDr.パルをより興奮させる。進化する鰐の死、鰐はその[手入れ]の技術をもって再生され、新しい[鰐と兎の手入れ]、伸びゆく一本の樹が証明するだろう生と死を賭けたこの実験は、その成功は、きっとかれの名をその栄誉を、密やかに歴史に残すに違いない。
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単行本p.142


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『歩道橋の魔術師』(呉明益、天野健太郎:翻訳) [読書(小説・詩)]

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 魔術師は、右目でわたしを睨みつけて言った。「あれは、マジックの時間のなかで起こったことだ。マジックのあいだは、かごのなかの時間と、わたしたちがいる歩道橋の時間は進み方が異なる。そのとき、誰か人間の手が、その時間に干渉したら、鳥は戻ってこない」魔術師は続けた。「鳥はその時間にとり残されたまま、戻ってこない」
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単行本p.147


 1980年代、台北。台湾で最初の大規模ショッピングモール「中華商場」の歩道橋に、不思議な魔術師がいた。商場の子供たちは、みんな彼のマジックに夢中だった。それから長い歳月が流れ、すべてが変わってしまったけど、もしかしたら僕たちはみんな、今もまだ、あのときのマジックの時間のなかにいるんじゃないだろうか……。
 台湾の新世代文学を代表する作家の連作短篇集。単行本(白水社)出版は2015年5月です。


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台湾文学は、これまでの大きくて重い社会や歴史とそれに対抗してのみある自分でなく、こうして静かで、ささやかな自分だけの時間を書き始めたのではないかと思った。言うなれば本作は、もはや台湾だからとか、激動の東アジア史とか、文学史的な価値がとかいうエクスキューズは必要なく、ただ静かに彼らひとりひとりが語る小説世界に浸り、その時間を生き直すよう書かれているのではないか。
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単行本p.210

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台湾文学はもとより素晴らしい。しかし、これまで日本での享受が広がりを持たなかったのも事実である。(中略)本書の静かな個の物語とその優しい言葉は、これまで台湾文学に触れたことがない読者の方、あるいは海外文学がちょっと苦手だというみなさんにも、入門篇として読んでいただけるのではないかと思う。この作品から日本での台湾文学の再評価が始まり、新しい享受が始まることについてはいたって楽観している。
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単行本p.211、212


 80年代の台北を舞台とした連作短篇集です。今はなき大規模ショッピングモール「中華商場」に軒を連ねていた千軒以上の小さな商店、そこで生活していた子供たち。今や中年期を迎えている彼らが、作家の求めに応じて、あの頃の体験談を語るという体裁です。

 ほぼ全員の物語に共通しているのが、謎めいた魔術師の存在。中華商場の棟と棟をつなぐ歩道橋の上で手品を披露していた彼が、子供たちにかけた本物の魔法。それから長い歳月が流れ、中華商場は取り壊され、何もかもが変わってしまった今、語り手たちは考えます。自分たちの人生は、今もマジックのなかにあるのではないか。

 一つ一つの作品を読み進めるにつれて、それぞれの物語が柔らかな光を放ち、読者をマジックの時間へと包み込んでゆく様は感動的で、30年以上昔の異国の物語であるにも関わらず、まるで自分自身の過去の思い出であるかのように懐かしく感じさせる手際は実に見事。ぜひ多くの人に読んでほしい作品です。台湾文学、もとより素晴らしい。

[収録作品]

『歩道橋の魔術師』
『九十九階』
『石獅子は覚えている』
『ギラギラと太陽が照りつける道にゾウがいた』
『ギター弾きの恋』
『金魚』
『鳥を飼う』
『唐さんの仕立屋』
『光は流れる水のように』
『レインツリーの魔術師』


『歩道橋の魔術師』
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「小僧、いいか。わたしのマジックはどれも嘘だ。でも、この黒い小人だけは本当だ。本当だから、言えない。本当だから、ほかのマジックと違って、秘密なんてないんだ」
 ぼくは信じなかった。魔術師はきっと本当のことを隠してるんだ。目を見ればわかる。ぼくが嘘をついたとき、母さんがいつもぼくの目を見て見破るのと同じことだ。
「嘘つくなよ!」ぼくは言った。「子供だからって嘘つくなよ!」
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単行本p.21

 あの頃、中華商場の歩道橋にいた魔術師。彼の魔法は本物だったのだろうか。今や作家になった僕は、あの頃に魔術師と接していた友だち達を訪ねてまわり、彼らの物語を書き留めようとします。


『九十九階』
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 マークとポーラを見ながら、トムはまた、あの不思議な失踪(と帰宅)事件を思い出していた。いや、今、目の前にいる小学校時代の親友ふたりも、二十年以上前に失踪して、どういうめぐり合わせか、こうして突然ベジタリアンレストランに現れたようなものだ。なにも違わない。
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単行本p.37

 三ヶ月も行方不明になっていて、ひょっこり帰宅した子供。あのとき、いったい中華商場のどこに隠れていたというのだろうか。二十年後の今、彼は真相を教えてくれた。屋上にいた魔術師が、脱出方法を教えてくれたというのだ。そうして彼は再び現実の時間から脱出してしまう。今度は、永遠に。


『石獅子は覚えている』
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 今でもよく、石獅子の夢のことを思い出す。あれは本当に夢だったのだろうか? 獅子はどうして、ぼくを彼女の家の前まで連れていったのだろうか? どうしてそれまで試したことのない「生」の鍵で、すんなり錠を開けさせてくれたのか。もし運命というものがあるのなら、彼女を十年余分に生かし、ぼくたちと共に生活させ、そして最後、やっぱり旅立たせた意味はいったいどこにあったのか?
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単行本p.67

 廟を守る石の獅子に導かれ、僕は歩いていた。夜の台北、無人の歩道橋の上を。あれは夢だったのだろうか。運命はすべてそのときに決まっていたのだろうか。鍵には、ぴったりはまる錠が一つだけあるように。


『ギラギラと太陽が照りつける道にゾウがいた』
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迷っているうちに、信号が赤に変わった。台北の信号はいつもこうだ。一部の人にきっかり道路を渡らせたところで、その後続をあっさり断ち切る。つまり道を渡るとき、迷いがあってはいけないということだ。まるで、死に物狂いで完成させなければならない人生の大事が、今、そこにあるように。想像してみなよ。ギラギラと太陽が照りつける道にゾウがいて、ちょっとだけ頭を持ち上げ、疑念と憂鬱をたぎらせて道路の向こう側を見ている……
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単行本p.81

 彼女を見かけたとき、僕は追いかけることが出来なかった。そのときゾウの着ぐるみを着ていたから。バイト期間が終わったとき、僕は雇い主に言った。給金の代わりにこのゾウの着ぐるみを下さい、と。だからそのゾウは今もクローゼットにいる。そして、ゾウの中にいたときの記憶だけが本物で、それ以外はすべて幻なんじゃないかという気が、今でもするんだ。


『ギター弾きの恋』
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あの夏をどうやり過ごしたかなんて、必死で思い出したところで、ただひとつの風景しか浮かんでこない。ぼくらは歩道橋の端に立って、列車が川の流れのようにカーブを切っていくのをずっと見ていた。この都市に入ってくる列車も、この都市から出ていく列車も、今、ぼくらが見ているたったこれっぽっちの線路を過ぎたら、その姿を消すのだ。
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単行本p.114

 美しい少女に恋した貧しい青年。彼が持っているのはギターだけ。二人の仲が深まってゆくのを嫉妬しつつも応援していた幼い僕は、しかしこの恋が悲劇に向かっていることに気づかなかった。何もかも、確かに思えたものはすべて、幻のように消えてしまう。


『金魚』
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 この都市のすべての道路は、幾度とない風雨にさらされ、なお修復されて今ある。修復の痕跡はこれほど雑然として、ひと目見るだけで、未来もまた同じでたらめを繰り返すだけだとわかるはずだ。道を渡るとき、ぼくはテレサと手をつないだ。ふたりは疲れていた。生命とは繁殖して、消えていくべきものだ。まして、ぼくらはなにも残していない。ぼくらはこんなに長く生きるべきではなかった。
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単行本p.137

 魔術師が紙をなぜると、絵に描いた金魚がひしゃくに飛び込む。彼女はその金魚だけを手に、何もかも棄てて家を出た。長い歳月の後、僕は彼女と再会する。くだらない、いいかげんな人生のなかで、やっとひとつだけ残すものを、僕は見つけたのだ。


『鳥を飼う』
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 わたしが悔やんでいるのはただ、あのとき、魔術師と同じように、兄の手を止められなかったこと。もし兄が触れなければ、もしかしたら本当に、すべてはマジックの時間のなかで留まっていたかもしれない。静かに、そしてなににも脅かされることなく。
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単行本p.153

 わたしが飼った鳥はすべて死んでしまった。あのとき、マジックの時間のなかにいた鳥だけは、決して失われないのかも知れない。けれど、きっと私たちは、そうしてはいけないと知っているのに、マジックの時間に手を触れてしまう。


『唐さんの仕立屋』
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唐さんの体全体が歌い出すような動きに、ぼくの耳は音楽を聴いた。でも、実際には音楽なんてなく、店のなかはただ、ハサミが布を切り分け、繊維を裂く音が響いていた。そしてあの白い影のような猫は、口を閉じたまま、ただ唐さんの動きを眺めていた。一枚の布があっという間に、襟や袖や内ポケットやタックに変わっていく。今、ここでなにかが生まれ、なにかが形になろうとしている。
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単行本p.164

 腕のいい仕立屋の唐さん。その傍らには、白い猫がいて、彼の仕事ぶりをずっと見ていた。あるときその猫が不意にいなくなり、唐さんは憔悴して仕事も出来なくなる。一匹の猫がいなくなるだけで、すべてが終わってしまうことがある。


『光は流れる水のように』
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 完成した四棟は実に精巧にできていた。たとえば歩道橋などは、路面に吐き捨てられたチューインガムの跡までついていて、手すりのアルミの質感も、異常なまでにそっくりだった。(中略)素焼きの歩道橋には、素焼きの人がたくさんいた。ぼくは、マジックの道具を売る魔術師を囲む子供たちのなかに、自分の姿を見つけた。
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単行本p.181

 模型づくりの天才が最後に取り組んだ遺作、それは今はなき中華商場の完全なミニチュアモデルだった。魔法のように精密に作られた模型のなかで、過去の時間がそのまま固定されている。彼も、そして僕も、今も夢のなかにいるのかも知れない。


『レインツリーの魔術師』
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ぼくが、歩道橋の魔術師のことを覚えてないかと訊くと、人によってはまったく覚えておらず、「歩道橋に魔術師? 本当にいた?」と訊き返してきた。もちろん覚えている人もいて、ぼくはほっと息をついたものだ。
(中略)
物語は物語によってあらかじめどう語るかが決められている。それにひきかえ記憶はただ、どう残すかだけを考えればいい。記憶は、わざわざ語られる必要はないのだから。記憶は失われた部分がつながれて、物語になったあと、初めて語られる価値を持つのだ。
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単行本p.201、202

 僕は今、作家となって、友だちや知人の体験談を聞き回って、あの魔術師のことを書こうとしている。あの朝、中華商場で見た一頭のシマウマ。現実にはあり得ないはずのその記憶は、語られるためには物語にしなければならない。あの時代も、中華商場も、この都市も、そして僕たちの人生も。


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『台灣民間故事』(陳千武、保坂登志子:翻訳) [読書(教養)]

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 この『台灣民間故事』は、陳千武が1984年に出版した児童文学著作の中の一冊です。
 台湾民間伝説を主材として書いたもので、児童を主要な読者対象にするつもりでありましたが、一般成人の方にも読んでいただきたいという意図もあったのではないかというのが私の知る所です。(中略)
民間伝説は台湾各地に及ぶので、文学的興味の他に、台湾によく旅行される方等にもその土地にまつわる話は興味深いのではないでしょうか。
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 英雄伝説、動物寓話、武術の達人、不思議な仙人の話など、台湾各地に伝わる民間伝承を集めた一冊。単行本(リーブル出版)出版は2015年3月です。

 児童向け昔話集というから、「むかしむかし、あるところに、おじいさんと、おばあさんが」式の物語かと思ったら、そんなぬるいものではありませんでした。


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 その頃、オランダはヨーロッパの強国であり、ジャワを占領して植民地とし、東方では貿易の利益を搾取し、だんだんと北方に進出していました。1622年6月、澎湖の占領を開始し、媽宮(馬公)城と多くの砲台を建設しました。しかしその2年後に、福建の巡警南居益が戦船40艘と2000以上の兵を率いて討伐しました。オランダ人は澎湖を引き揚げ、また台湾南部の安平海岸に回って来ました。
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単行本p.12


 多くの話が、こうした歴史教科書レベルの記述から始まります。娯楽や教訓より何よりもまず、子供たちに台湾の歴史を伝えよう、という意志の強さを感じます。

 内容も、「オランダ人がどのようにして台湾原住民を騙して土地を奪ったか」「鄭成功はいかにして原住民の反乱を鎮圧し、漢民族による台湾支配を確立したか」といった話が多くなっています。

 英雄譚もこんな感じだったり。


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どうしたことか防衛線を出た三人は幾日経っても戻って来ませんでした。救援兵も見えず、敵兵の包囲線はいよいよ人数を増していき、もう密林を逃げ出すチャンスもありませんでした。林将軍と兵士たちは皆命がけでしたが、食糧を食べ尽くし、水もなくなり、気力も失せ、全員密林の中で餓死しました。
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単行本p.131


 動物寓話もありますが、動物を助けたら恩返ししてくれた、といった甘い話ではなく。


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 ある日、猫は鼠兄弟たちに言いました。
「わしがお前さんたちに代わってお経を唱えてやろう。お前さんたちがわしのお経をよく聞けば、災難や不幸から免れることができるのだよ」
(中略)
小さいお友だち、わかりますか? 猫は首に数珠をかけていましたね。数珠は仁慈、つまり情け深い心を表すものです。ですから数珠をかけた人は、生きものを殺したり残酷なことをするはずがありません。しかし猫が本性を変えることは絶対にありません。猫が鼠を捕まえて食べるのは本性で、改めるのはとても難しいことなのです。
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単行本p.10、11


 あきらかに「統治者がどんなに“自分は徳が高くて慈愛に満ちている”と宣伝しても、決して騙されてはいけません。権力者は人民をむさぼり食うもので、その本性を変えることは絶対にないのです」ということを、子供たちにきっちり教えてくれるのです。

 他に「相手がインチキをしていると裁判で訴えたものの、相手は知事(判事)との間で取引をしていたらしく、判決は覆りませんでした」とか、「冤罪で逮捕された青年が、自分は名門の家柄だと嘘をついたおかげですぐに釈放されました」とか、「“三銭で団子食べ放題”の店で、あえて一銭で団子2個だけ買った青年が、その資質を認められ、大会社の会計士になって出世しました」とか、何と言うか、色々と大変だなあ。

 武術の達人が微動だにしないまま相手を倒す話とか、瓦飛ばしの名人が瞬く間に寺院を積み上げてしまう話とか、楽しい話もあります。育ての母と産みの母が子供の親権を争ったとき、両側から子供の手を引いて決めさせた話とか、日本でもよく知られている話も。

 個人的に最も気に入ったのは、こんな話。ある金持ちが、悪行の限りを尽くした後にふらりと旅に出て、通りすがりの女性に「これから私がどうするつもりか当ててみなさい。当たったらこのお金をすべてあげましょう」と話しかける。女性は「死ね」と吐き捨てるが、金持ちは「お見事」と讃え、所持金をすべて彼女に渡し、その後に首をくくった。

 というわけで、全体的にシビアな話が多く、こういう昔ばなしを聞いて育つ台湾の子供たちは、おそらく甘ったれた人生観は持たないのだろうなあ、と思いました。


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『台灣這裡有貓』(猫夫人) [読書(随筆)]

 ボランティア活動を組織化して、台湾の台北郊外の猴硐(ホウトン)を、野良猫と地元コミュニティが共存する観光地「猫村」に変えた写真家、猫夫人の第一写真集。中文版(腳丫文化)出版は2011年5月です。

 台湾の書店に行くとたいてい猫本コーナーがあり、猫写真集や猫エッセイがずらりと並んでいます。猫写真集なら言葉が分からなくても楽しめるので、涼しい書店内で時間をつぶすときなど実に助かります。特に、猫夫人の写真集はお気に入り。何度でも見てしまいます。

 猫夫人(簡佩玲)といえば、日本でも第一写真集の日文版『猫楽園』が出版されているので、お馴染みの方も多いでしょう。

2013年07月01日の日記
『猫楽園』(猫夫人)
http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2013-07-01

 今回の夏の台湾旅行にて、台北の金石書店で『猫楽園』の原本を見つけて購入しました。それが本書『台灣這裡有貓』です。お目当ては、何と言っても付録として付いている「猫御守」。これは義天宮の許諾を得て猫夫人が製作した、猫のお守りです。

 全体的にピンク色のキュートな小さいお守りで、表には小さな猫イラストと共に「猫御守」とあり、裏には厳かに「三重 義天宮 天上聖母」とあります。長い紐(ストラップ)がついていて、これで猫の首に巻けということでしょう。うちの猫にも付けてみようか思案中。

 具体的な使用例は次の記事を参考に。

「貓夫人創貓御守 義天宮搶頭香」(蘋果日報 2011年4月29日)
http://www.appledaily.com.tw/appledaily/article/headline/20110429/33352359


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『歡迎光臨 台灣 日語導覽 案内人的完璧攻略』(EZJapan编輯部) [読書(教養)]

 夏の台湾旅行で手に入れた台湾ガイドブックです。

 台北の金石書店で購入したもので、表紙には「用日語向日本人介紹台灣」とありますが、つまりこれは「台湾にやって来る日本人を案内することになった」という台湾人に向けた、台湾旅行ガイドのための、ガイドブックなんですね。

 えらくニッチというか、狭いターゲットを狙ったものだなと感心しますが、台湾の書店の旅行ガイドコーナーには「東京三大聖地完全攻略 秋葉原・中野ブロードウェイ・池袋乙女ロード」といった本がいっぱい並んでいましたので、もはや旅行ガイドブックも焦点を絞らないと売れない時代なのかも知れません。


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Q.基隆にはどんな観光名所があるの?
A.基隆に来るなら、必ずお腹を空かせてから来てください。基隆の夜市は台湾でも特に有名で、いろいろな種類の台湾グルメを堪能できます。
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単行本p.39


 こんな感じで中国語と日本語の対訳が並んでいます。日本語の漢字にはすべて振りがなが振ってあり、また付属のCDに音読が収録されていますので、むしろ語学本としての活用を想定しているのかも知れません。


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道路で蘭嶼のブタやヤギに出合ったら、道を譲ってあげてください。そしてせっかくなので、カメラでその可愛らしい姿を写真に撮ってあげるのはどうですか。
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単行本p.105


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特に興味深いのは、装飾によく見られる屋根を支えるインド人労働者のオブジェです。これは、当時東南アジアへ出稼ぎに行った華人が、よくインド人労働者に虐げられていたとのことで、憂さ晴らしのためではないかと言われています。
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単行本p.107


 しかし何と言っても日本人にとってありがたいのは、台湾料理の解説でしょう。軽く100を超える料理について、名前、中国語発音(カタカナ表記)、そして日本語による説明がそれぞれ半ページ分もついており、作り方、味、食べ方、逸話など様々な情報が掲載されています。

 和名も付いていますが、「切仔麵=台湾風ラーメン」とか「魚丸湯=フィッシュボールスープ」といった具合に無理やり感が強いので、あてにしない方がいいかも知れません。途中で投げやりになって何でもかんでも「台湾風煮込み」「台湾風スープ」「台湾風からあげ」「台湾風クレープ」になったり、さらには「臭豆腐=臭い豆腐」「鐵蛋=鉄の卵」などと何かをあきらめたと思しき和名も。

 しかし、とにかく料理名と詳しい説明が一カ所にまとまって記載されているのは大助かりで、昨日紹介した『台北 注文ブック』と合わせれば、もう台湾の食堂で「読めないメニューを前に焦る」ということはなくなるかも知れません。

2015年08月10日の日記
『台北 注文ブック』(歩く台北編集部、メディアポルタ、下川裕治:監修)
http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2015-08-10



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