SSブログ

『機龍警察 火宅』(月村了衛) [読書(SF)]

--------
「さあな、それこそ特捜部最大の謎なんじゃないか」
「ウチには〈最大の謎〉が一体いくつあるんだよ」
--------
Kindle版No.2068

 戦闘メカアクションと重厚な警察小説を見事に融合させ、SF、ミステリ、警察小説、冒険活劇、どのジャンルの読者も満足させる人気シリーズ『機龍警察』、その短篇集第一弾。単行本(早川書房)出版は、2014年12月、Kindle版配信は2015年1月です。


 凶悪化の一途をたどる機甲兵装(軍用パワードスーツ)犯罪に対抗するために特設された、刑事部・公安部などいずれの部局にも属さない、専従捜査員と突入要員を擁する警視庁特捜部SIPD(ポリス・ドラグーン)。通称「機龍警察」。

 龍機兵(ドラグーン)と呼ばれる三体の次世代機を駆使する特捜部は、元テロリストやプロの傭兵など警察組織と馴染まないメンバーをも積極的に雇用し、もはや軍事作戦やテロと区別のなくなった凶悪犯罪に立ち向かう。だがそれゆえに既存の警察組織とは極端に折り合いが悪く、むしろ目の敵とされていた……。

 本書はこれまでに発表された『機龍警察』シリーズ長篇四作を補完する短篇集です。長篇では脇役になりがちな人物にもスポットライトが当てられ、警視庁特捜部の存在感がぐっと増しています。

 特に、龍機兵(ドラグーン)パイロットたちや沖津部長などアニメ的キャラクターの強烈な「浮力」に対抗して、由起谷主任や宮近理事官など物語を地道な警察小説へとつなぎ止めている登場人物たちが主役となるのが嬉しい。


--------
「特捜部のメンバーは皆私が選びに選び抜いた面々だ。その中で特に捜査主任には君と由起谷君を据えた。私でも自画自賛したくなるときはあるものだね」
--------
Kindle版No.2824


『火宅』
--------
 ――よく聞き、よく見ろ。捜査はそれに尽きるんだ。どんなときでも耳と目をよく使え。頭は放っておいても耳と目についてくる。
 高木の教えは今も由起谷の血肉となっている。彼は由起谷が範とする人物であった。
--------
Kindle版No.61

 警察組織の中でも数少ない、由起谷が尊敬する先輩。死の床にある彼の見舞いに訪れた由起谷は、ふと小さな違和感を覚える。どんなときでも耳と目をよく使え。その教えが、由起谷にある重大な事実を教える。

 『沙弥』と合わせて読むことで、由起谷志郎が警察組織のなかで抱えている葛藤がよく理解できるようになります。そして彼が特捜部に対して抱いている思いも。

--------
警察の中にあって、警察組織のしがらみを脱しようとする特捜部創設の意図など、この状況下でいくら説明したところで理解が得られるはずもない。警察の改革に己自身の変革を仮託する由起谷の覚悟も。
--------
Kindle版No.228


『焼相』
--------
 人質を危険に晒さず、外界と隔絶した二階ホールにいる主犯を一瞬で無力化し、同時に一階ロビーの共犯を制圧する。
 一見不可能とも思えるこのオペレーションを可能にする方法は果たしてあるのか。
--------
Kindle版No.491

 機甲兵装に身を包んだ凶悪犯二名が、子供たちを人質にとって立て籠もるという事件が発生。人質の安全を確保するためには、離れた階にいる犯人たちを、爆破スイッチを押す余裕を与えることなく瞬時かつ同時に無力化しなければならない。それを可能とする手段が一つだけあった。そして、それを実行できるのはライザだけだった。

 テロで家族を奪われた技術班主任の緑、大規模テロの遂行により妹を手にかけてしまったライザ。二人の間にある緊張感と奇妙な共感が印象的な作品です。

--------
 ライザ・ラードナーとはやはり〈死神〉なのだと思う。そしてその〈死神〉にふさわしい、格好の大鎌を与えた己を嫌悪する。
 その鎌は人の目に見えないだけでなく、壁や柱をすり抜けどこまでも伸びて、灼熱の刃で罪人の魂を燃やし尽くすのだ――
--------
Kindle版No.655


『輪廻』
--------
 この世の地獄を見たはずの人間が、地獄より巡り還って同じ蛮行を見知らぬ少年に繰り返す。無限に続く暗黒だ。
 男は確かに暗黒の世界からやってきたのだ。
--------
Kindle版No.904

 アフリカの軍事組織のメンバーが合法的に日本に入国。身辺を張っていた特捜部は、男が医療機器メーカーと接触していることを確認する。法的には何の問題もない取引。しかし、その背後には恐るべき闇が存在した。

 現実にも大きな国際問題となっている少年兵。この忌まわしい事態が、機甲兵装の登場によってどのように悪化するかを扱います。そして、その一端が明らかにされる姿俊之の過去。後の長篇でクローズアップされる懸念が、読者の心に撒かれます。

--------
 言われるまでもないはずだった。それが機甲兵装による現代の戦争だ。どうして誰も考えが及ばなかったのだろう。姿は子供を殺している。戦場で。
 飄々とした口調のせいで、彼が内心に抱いている煩悶の程度は分からない。魂を焼くような懊悩か、それともとうの昔に単なる仕事と割り切ったか。
--------
Kindle版No.890


『済度』
--------
自分はこの世でもう誰とも縁はない。気まぐれから見知らぬ二人を救ったなどと考えることさえ思い上がりで、自分は生きて此岸に取り残されただけの亡者だ。
 分かっていた。自分がどこで何を為そうと、この身だけは救われない。また自分が求めているのは救いではない。最高の罰だ。
--------
Kindle版No.1132

 自らの手で妹を殺めてしまったライザ・ラードナー。組織を裏切り、次々と襲ってくる刺客を返り討ちにし続ける彼女が求めるものは、ただ自分の死に場所だけだった。そんなライザが自分と似た境遇にある姉妹のことを知ったとき、彼女は自分でも理解できないまま、一つの決心をする。

 ハードボイルド調に進む物語ですが、要注目はライザと沖津の出会いが書かれていること。甘言にのって「悪魔との契約」にサインするライザ。彼女はこの手の男の誘惑に簡単に引っ掛かり過ぎだと思う。

--------
 契約書の文面にもう一度目を通す。文言の一つ一つが、自分を誘惑しているようにさえ思えた。
 想像したこともなかった。こんな〈罰〉があったとは。およそ考え得る最高の名目。自らに死という名の解放を与えるための。
 この申し出を拒否する理由が自分にはあるか――ない。
 書類から顔を上げたライザは、ただ無言で沖津を見た。
--------
Kindle版No.1171


『雪娘』
--------
中央環状線の道路上から見える荒川河川敷の白く静まり返った風景に、遠い故郷を思い出した。
 雪の下にはいろんなものが隠されている。記憶の底に吹き溜まる醜悪な事共まで思い出し、朝から憂鬱な気分になった。
--------
Kindle版No.1182

 雪の日。ある殺人事件の現場を訪れたユーリ・オズノフ警部は、かつてロシア警察に勤務していた頃に出会った事件のことを思い出す。どちらの現場にも、同じ印象を与える幼い娘がいたのだ。

 龍機兵パイロットでありながら元ロシア警察の警官という、色々な意味で中間にいるユーリが主役となる一篇です。

--------
『スネグーラチカ』――雪から作られ、愛を知らず、夏の日差しに溶けるさだめの雪娘。
 子供の頃に聞かされた古い民話が、幻想のあわいから突如具現化したようだった。
--------
Kindle版No.1275


『沙弥』
--------
 際限なく湧いてくる憎悪。怒り。破壊の衝動。この海もこの街も、白く厚い何かで覆われて、自分はずっと抜け出せない。何もかもが分からない。何もかもが狂おしい。
--------
Kindle版No.1507

 母親と、そして親友までも失って絶望する若き日の由起谷志郎。しかし彼は、これまで軽蔑し敵視していた警察官にも、尊敬に値する人物が確かにいることを知る。
 「俺はな、警官になりたい思うとるんよ」
 親友が残した言葉が、由起谷の心の中に静かに根を下ろしてゆく。

 荒れていた由起谷志郎の不良少年時代をえがき、彼の警察組織に対する複雑な思いを伝える作品。

--------
「福本や俺みとうなんでも、警官になれますか」
 叔父の鞄を手渡しながら、志郎は遠慮がちに訊いていた。
「なんじゃおまえ、警察官になりたいんか」
 列車に乗り込んだ叔父が少し驚いたように振り返った。
--------
Kindle版No.1777


『勤行』
--------
「……そういうわけで、明日までにメモ出しをやってもらいたい」
 呆然とした。
 国会答弁の作成。確かに特捜部の編成では理事官である自分達二人の仕事となるが、それにしても――
--------
Kindle版No.1844

 最近、あまりにも立て続けに「日本を揺るがす未曾有の大事件」が起こりすぎではないか(それは読者としてもそう思う)。国会における厳しい追求をかわすべく、答弁書の作成(メモ出し)が現場である特捜部に丸投げされる。この無茶ぶりに、城木理事官と宮近理事官は振り回されるのだった。

 特捜部の事務方、エリート官僚である宮近浩二理事官が主役となる作品。本書収録作中、唯一のコメディといってよく、長篇に登場する緊迫した現場の背後で官僚コンビがどのように仕事をしているかを伝えてくれます。

--------
 現場には現場の仕事があり、官僚には官僚の仕事がある。当然であった。事件の推移に関係なく、メモ出しを進めておかなければ、国会答弁ができなくなる。国家公安委員長を国会で立ち往生させるわけにはいかない。
--------
Kindle版No.2003


『化生』
--------
 切れすぎる部長の策が周囲の凡人の目に強引と映るのは毎度のことだが、それでもどこかスマートさを感じさせるのが常だった。今回はやはりいつもの沖津らしくない。
 普段は優雅にシガリロを燻らせているこの上司が、ここまで執着する研究内容とは一体なんなのか。
--------
Kindle版No.2661

 特捜部とは何かと因縁のある、かの中国企業が、あるハイテク企業に接触していることが判明。その報告を受けた沖津部長は、あまりにも強引な手段で研究内容を特捜部で確保するよう命じる。その背後には、特捜部の存在意義に関わる重大な秘密があった。

 特捜部や龍機兵に隠された秘密をほのめかしつつ、将来展開をちらりとかいま見せる最新短篇。次第に近付いてくる物語の終幕。早く次の長篇を読みたい、という気持ちが盛り上がります。

--------
「あと五年、そう思っていたのが甘かったんだ。〈そのとき〉はもっと早くやってくる。認めたくはなかったが、今回の事案で確信したよ(中略)一年の差は計り知れないほど大きな意味を持つ。我々は龍機兵のアドバンテージをできるだけ維持しなければならない。〈そのとき〉のためにね」
--------
Kindle版No.2803、2811


タグ:月村了衛
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

『世界一素朴な質問、宇宙一美しい答え 世界の第一人者100人が100の質問に答える』(ジェンマ・エルウィン・ハリス、西田美緒子:翻訳) [読書(教養)]

--------
 子どもの質問は、大人が答えに詰まるようなものばかりです。正解や答えの一部を知っているのに、まったく思いだせないことや、生半可な説明しか思いうかばないこともあります。そんなとき、その道の著名な専門家に助けを借りて、子どもにもわかるシンプルな言葉で代わりに答えてもらえたら、どんなにすばらしいか……そう考えて、この本ができあがりました。
--------
Kindle版No.277

 「砂糖はからだに悪いの?」から「どうしていつも大人の言うことをきかなくちゃいけないの?」まで、「なにが、わたしをわたしにしているの?」から「宇宙のはじめに「なんにもなかった」のなら、どうして「なにか」ができたの?」まで。子供たちの素朴な質問に専門家が真剣に回答する一冊。単行本(河出書房新社)出版は2013年11月、Kindle版配信は2014年11月です。


 子供たちから集められた多数の質問に、専門家が答えるという本。「子供でんわ相談室」とは違って、質問ごとに最適と思われる専門家を選んで回答を依頼しています。子供たちの疑問に答えるために、世界のトップ科学者、歴史学者、哲学者、心理学者、動植物学者、探検家、アーティスト、ミュージシャン、作家、考古学者、古生物学者、イリュージョニスト、さらにはオリンピックの金メダリスト、一流シェフ、宇宙飛行士、プロゴルファー、そしてコメディアンまで総動員。


 子供たちの質問は様々。

「ミミズを食べても大丈夫?」

「砂糖はからだに悪いの?」

「口のなかにはほんとうに、やりをもった悪魔が住んでいるの?」

「わたしがいつも、きょうだいげんかばかりするのはなぜ?」

「どうしていつも大人の言うことをきかなくちゃいけないの?」

こういった、いかにも子供らしい質問があるかと思うと、

「どうして音楽があるの?」

「どうして食べものを料理するの?」

「どうしてお金があるの?」

「なぜ戦争が起きるの?」

「数字は永遠につづく?」

など、素朴で答えにくい質問もありますし、

「恐竜は絶滅して、ほかの動物は絶滅しなかったのはなぜ?」

「ペンギンは南極にいるのに北極にいないのはなぜ?」

「カタツムリにはがあって、ナメクジにがないのは、なぜ?」

「わたしの脳はどうやってわたしを思いどおりに動かしているの?」

「ふってくる雪がみんなちがうかたちだって、どうしてわかる?」

こうした鋭い質問もあります。そして最大の難問はこうです。

「宇宙のはじめに「なんにもなかった」のなら、どうして「なにか」ができたの?」

「神様ってだれ?」

「「よい」は、どこから生まれるの?」

「なにが、わたしをわたしにしているの?」

 こうした難問に答えるべく選ばれたメンバーもすごい。個人的に著作を読んだことがある学者だけでも、ノーム・チョムスキー(言語学者)、サイモン・シン博士(サイエンスライター)、カール・ジンマー(サイエンスライター)、リチャード・ドーキンス博士(進化生物学者)、といった具合の豪華ラインナップ。

 回答のレベルや方向性も様々ですが、なかには見事な回答もたくさん含まれています。


「なぜ戦争が起きるの?」より
--------
 戦争はたいてい、わたしたちの代わりにものごとをきめている政府が、こわがる気もちからはじまる。
--------
Kindle版No.987


「宇宙はなぜあんなにキラキラしているの?」より
--------
 ひとつだけたしかなことがあります。あなたは宇宙について、そして宇宙のなかのわたしたちの居場所について、現在の天文学者のだれよりもたくさんのことを知るようになるでしょう。
--------
Kindle版No.748


 また、知らなかったことも多く、意外と勉強になります。


「世界ではじめてペットを飼ったのはだれ?」より
--------
 ペットだとわかる、いちばん古い時代のイヌは、今はイスラエルになっている地方の1万年から1万2000年も前に作られた人間のお墓で見つかった子イヌです。そのお墓に埋葬されている女の人は、片方の手を子イヌのからだの上にのせ、まるでなでていたように見えます。たぶん天国や来世でも、友だちとしてそばにいてほしかったのでしょう。(中略)
ペットとして飼われはじめたころのネコとしては、9000年ほど前、今はキプロスと呼ばれている島の小さなお墓に埋められたものがいます。ネコのお墓から40センチメートルくらいはなれた場所に、人間のお墓があります。その人が飼っていたネコにちがいありません。
--------
Kindle版No.844、854


「水にさわると、どうしてぬれている感じがするの?」より
--------
水にぬれるには少なくとも六個の水の分子がいることがわかった。五個以下でできている分子のグループは、一個の分子の厚さをもった膜を作ってしまう。六番目が加わると、その分子グループははじめてちっちゃな水たまりに変わって、ぼくたちがさわったときにぬれたと感じるようになるんだ。
--------
Kindle版No.2106


「空を飛ぶ動物には(コウモリはべつにして)なぜ羽毛が生えているの?」より
--------
鳥は恐竜のなかまだということがわかったので、わたしは何人かの生物学者たちと力をあわせ、鳥のDNAにある遺伝子のスイッチをいれたり切ったりして、鳥から恐竜をよみがえらせようとしている。
--------
Kindle版No.1478


「ウシは空気をよごしているの?」より
--------
オーストラリアの科学者たちが、カンガルーの胃にいる細菌は、ウシの胃にいる細菌よりもメタンを出す量が少ないことをつきとめたんだって。そこで、カンガルーの胃の細菌をウシの胃に移して、ウシをもっと環境にやさしい動物にしようと、いろいろ頭をひねっているところだそうだ。
--------
Kindle版No.2183


「わたしの胃をぜんぶのばすと、どのくらい長い?」
--------
大腸の内側も小腸のように、ニューロンと呼ばれる細胞で網目状におおわれている。ニューロンは脳のなかにも見つかる細胞だ。おどろくことに、きみの腸には、ネコの脳とほとんど同じ数の脳細胞があるんだよ。
--------
Kindle版No.3126


 ボーナスとして、同じ質問に対してコメディアンの皆さんから寄せられた回答が並んでいます。

--------
Q:ミミズを食べても大丈夫?
A:ママが見ていなければ。
--------
Q:いろんな肌の色をした人がいるのはなぜ?
A:カラーテレビがおもしろくなるように。
--------
Q:夜になるとどうして空が暗くなるの?
A:太陽が充電中だから。
--------
Q:ハチはハチを刺せる?
A:刺せるけど、もし刺したらハチの刑務所にはいらなくちゃいけなくて、そこではハエの服を着せられる。ハチはハエの服がだいっきらいだ。
--------
Q:宇宙のはじめに「なんにもなかった」のなら、どうして「なにか」ができたの?
A:いっしょうけんめいに努力した。
--------
Q:人はどうして永遠に生きていられないの?
A:友だち関係がむずかしくなりすぎるから。
--------
Q:どうしてトイレに行くの?
A:家のほかの場所をきれいにしておくため
--------
Q:ほかの人より背の高い人がいるのはなぜ?
A:ほかの人より背の低い人がいるから。
--------

 もしかしたら、子供たちは専門家のきちんとした回答より、こちらの方を気に入るかも知れません。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

『ナノカーボンの科学 セレンディピティーから始まった大発見の物語』(篠原久典) [読書(サイエンス)]

--------
 まったく不思議なことだが、一見関連がないような分野の研究者が未知の分野の研究者と交流することによって共同研究が自然とおこなわれ、大発見に導かれる。しかも、ナノカーボンでの大発見はすべてセレンディピティー(偶然の発見)だった。(中略)
それは、物質科学における世紀の大発見が、分子分光学、天文学と宇宙物理学の研究途上で起こった異色のセレンディピティーであった。
--------
Kindle版No.34、2182

 フラーレン、そしてカーボンナノチューブ。ナノテクノロジー時代を切り拓いた世紀の大発見は、異分野の研究者たちの出会いが引き起こしたセレンディピティだった。ナノカーボン研究史の背後にあった熱いドラマと興奮を、専門家が生き生きと伝えてくれる一冊。新書版(講談社)出版は2007年8月、Kindle版配信は2015年1月です。


--------
セレンディピティは、失敗してもそこから見落としせずに学び取ることができれば成功に結びつくという、一種のサクセスストーリーとして、また科学的な大発見をより身近なものとして説明するためのエピソードの一つとして語られることが多い。
--------
Wikipedia日本語版『自然科学におけるセレンディピティ』より


 フラーレンやカーボンナノチューブなどナノカーボン物質についてのサイエンス本ですが、これらの物性や応用について詳しく書かれているわけではありません。むしろ、これらナノカーボンがどのようにして発見されたのか、関わった研究者たちのドラマに焦点が当てられており、そういう意味では科学史の本といってよいかも知れません。本書の中核となる概念は、セレンディピティです。


--------
クロトーの星間分子の研究と、スモーリーのクラスターの分光学という、まったく異分野の共同研究からC60は偶然に発見された。(中略)
 科学上の大きな発見はセレンディピティーによるものが多いが、クロトーとスモーリーの分子の発見もその典型的な例である。ただ、大切なことは、二人が当時もっていた高い学問的な専門性と世界最先端の実験技術が(偶然とはいえ)C60の発見には不可欠であったことである。セレンディピティーは、じつは、偶然ではなく必然なのかもしれない。
--------
Kindle版No.482、493


 天文学とクラスター分光学という異なる分野の研究者の出会いから偶然に、あるいは必然的に、C60フラーレンという新しい炭素クラスタが発見された経緯が詳しく解説されます。そもそも彼らは何を調べようとしていたのか。なぜC60に気づいたのか。そして、C60分子の構造解明に至るまでの道のり。

 しかし、フラーレンの研究が本格化するためには、サンプルが大量に(すなわち安価に)手に入ることが必要でした。


--------
 研究の熱も一段落しはじめた1990年の夏、ドイツとアメリカの共同研究グループがC60の多量合成に成功したというニュースが全世界を駆けめぐった。クレッチマーとハフマンのグループである。C60研究とはかけ離れた天体物理学の研究者が偶然にも、C60の多量合成法を発見した。ナノカーボン研究における、第二の大きなセレンディピティーである。
--------
Kindle版No.604


 この大発見が引き起こした興奮を、著者は次のように一人称で、当事者の立場から生き生きと描写してくれます。


--------
私はしばらくなにが起こっているのかわからず、呆然としていた。スモーリーは独特の含み笑いを私に見せながら、
「ノリ(私のニックネーム)、このスライドの右下についている、黒い粉末がなんだかわかるか?」
 と尋ねた。スライドの右下を見ると黒っぽい粉末がつけられていた。
「わからないかい? C60の粉末だよ」
 その瞬間、衝撃が私の全身を駆けめぐった。(中略)
50年、いや100年に一度あるかないかの大発見だ! 物質科学にまったく新しい潮流が押し寄せてきていた。(中略)その後のナノカーボン(フラーレン、カーボンナノチューブ、ナノピーポッド)研究、さらにはナノテクノロジー研究のすべてのはじまりであった。
--------
Kindle版No.990、998、1064


 こうして本格化したフラーレン研究は、次々と重大な成果を出してゆきます。超伝導フラーレン、金属内包フラーレン。怒濤の論文ラッシュが続きます。


--------
 ベル研究所の超伝導の発見により、世界中のフラーレン研究者が今まで以上に加速して、フラーレン研究へ邁進していった。
--------
Kindle版No.1318

--------
 金属内包フラーレンは、フラーレン研究のなかで最も興味深い研究分野になりつつあった。それは、金属原子をたった1個でも内包すると、フラーレンの電子構造が大きく変化することがわかってきたからである。
--------
Kindle版No.1488

--------
 しかし、ナノカーボンのドラマはまだ終わらなかった。いや、思いもしない、さらに大きな予想もできなかった展開がわれわれを待ち受けていた。
--------
Kindle版No.1684


 そして次なる大きなセレンディピティ。それは、飯島澄男によるカーボンナノチューブの発見でした。


--------
 そのとき飯島の目に入ったのは、齋藤弥八の学生が実験室に残していった、あの奇妙な陰極堆積物だった。(中略)飯島はフラーレンのススには目もくれず、何個かの陰極堆積物を安藤の了解をもらってNEC基礎研究所へもち帰ることにした。(中略)飯島のカーボンナノチューブの発見も、フラーレンの発見と多量合成法の発見がそうであったように、セレンディピティーであった。
--------
Kindle版No.1764、1785


 フラーレン合成の際に陰極付近に残る汚れ。誰もが目もくれずそのまま洗浄していたその奇妙な汚れが気になり、研究所に持ち帰って分析してみたところ……。そう、それがカーボンナノチューブの発見につながりました。


--------
 科学上の大きな発見は、しばしば、複数の独立の研究グループによってほぼ同時期におこなわれる、といわれる。考えてみれば非常に不思議なことであるが、単層カーボンナノチューブの発見も、まさにそのような発見であった。(中略)
ベチューンらの単層カーボンナノチューブの発見は、コバルト内包フラーレン生成の試みが生んだ、またしても、セレンディピティーであった。
--------
Kindle版No.1962、1989


 もうセレンディピティ大盤振る舞いという観がありますが、単層カーボンナノチューブもまたそうして偶然に発見されたのです。続いてその大量合成法の発見。その応用範囲と可能性の広大さから、カーボンナノチューブは、ナノテクノロジーを象徴する物質として注目を集めます。


--------
高い収率で単層カーボンナノチューブが合成されるにいたって、カーボンナノチューブは物理、化学、材料科学、エレクトロニクス、バイオなど多分野の研究者の興味を急速にとらえていった。
--------
Kindle版No.2007

--------
 多層カーボンナノチューブから単層カーボンナノチューブへと、フラーレンに次ぐ新しいナノカーボンがつぎつぎに発見されたが、発見物語はまだまだ終わらなかった。スモーリーの研究グループがレーザー蒸発法で高収率の単層カーボンナノチューブの合成法を報告した2年後の1998年、フラーレンを内包した単層カーボンナノチューブ(ピーポッドとよばれている)が、またしても、偶然に発見されたのだ。
--------
Kindle版No.2080


 フラーレンとカーボンナノチューブを合体させた「ピーポッド」の発見へ。


--------
 10個程度の丸いボールがきれいに一列に、カーボンナノチューブのなかで整列している。丸いボールの直径を測ると、ちょうど1ナノメートルであった。これはC60の直径に等しい。C60分子がどのようにしてカーボンナノチューブのなかに入ったのかはわからないが、フラーレンとカーボンナノチューブが融合した最初のハイブリッド物質である! ナノカーボン物質としてはまさに驚くべき夢の物質である。
--------
Kindle版No.2091

--------
内径1ナノメートルの単層カーボンナノチューブに、外径1ナノメートルのC60分子をきれいに、しかも高収率で1次元に整列させる。ちょっと考えても、どんなナノテクノロジーを駆使しても不可能なように思えた。これを実現するには、高価な装置を用いる究極のナノテクノロジーしかない、と思っていた。
 ところが2000年になって、日本の2つのグループが、非常に簡単な方法でC60ピーポッドが合成できることを発見した。
--------
Kindle版No.2127


 というわけで、ナノカーボン研究の歴史を「異なる分野の研究者の出会いから偶然の大発見が生まれ、世界中の研究者が注目することで次の大発見が生まれ……」というセレンディピティのサイクルが回った事例として描き出した本です。自然科学系の研究者なら誰もが胸を熱くするであろう世紀の大発見の経緯と内幕を、現場から伝えてくれます。


--------
科学者一人一人の独創力と執念(と幸運)でおこなうことのできる大きなブレークスルーが、20世紀の最後でも存在することを証明したのが、フラーレンとカーボンナノチューブの発見である。
 このような個人レベルでの発見ほど、科学者を奮い立たせ、研究に没頭させるものはない。科学者を虜にするのは個人レベルでの疑問と発見である。
--------
Kindle版No.2182、2197



nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

『死体は今日も泣いている 日本の「死因」はウソだらけ』(岩瀬博太郎) [読書(教養)]

--------
 日本では今、年間120万人以上の人が亡くなります。そのうち、警察に届け出のある死者は約14パーセント。7人に1人が、明らかな病死ではない死を迎えています。しかも、その数は年々増えています。それなのに、日本では、誰も死因をきちんと追求しようとはしません。
--------
Kindle版No.36


 死因の追求に極めて消極的、先進諸国と比べて解剖率が極めて低く、いい加減な判断で「事件性なし」とされ、そのまま燃やされてしまう死体。再犯、冤罪、社会問題隠蔽、医療統計過誤など、様々な弊害を生み出している日本の死因追求制度の不備を法医学者が告発した一冊。新書版(光文社)出版は2014年12月、Kindle版配信は2015年1月です。


--------
 当然、犯罪の見逃しも起こります。
 伝染病の発見も遅れます。
 虐待も見過ごされます。
 事故の危険性も見落とされます。
 補償金や生命保険料の支払額にも誤りが生じます。
 そして、ごく少数の人を除いて、誰もこの恐ろしい事実を知りません。
--------
Kindle版No.40


 解剖率が極めて低く、検査や試料保存なども行われていない日本。遺体はすぐに「事件性なし」として火葬されてしまうため見逃される犯罪が多く、それに味をしめた犯人による再犯が起こる。また物証がないため自白に頼りがちとなり、冤罪が頻発。さらには医療統計がデタラメとなり、子供の虐待や製品の欠陥など対処すべき社会問題の存在も隠されてしまう。本書には、このような恐るべき実態が詳しく書かれています。

 例えば、パロマ湯沸器事故。遺族が強く要求するまで死因が追求されることなく、すべて「病死」「事件性なし」で済まされてきました。こうして問題の発覚は20年も遅れ、その間に多数の犠牲者が出たのです。


--------
もしも最初の事故で警察が原因をきちんと追及し、パロマガス湯沸かし器に対する警告が発せられていたならば、20年間も同じような事故が繰り返されることもなく、その後に亡くなった19人は、生きていたはずなのです。
 メーカーであるパロマに責任があるのは、もちろんです。しかし、「犯罪性なし」として事故の原因を追及せず、危険を放置し続けた警察、いや、そうした制度を放置した日本政府にも、大きな責任があります。
--------
Kindle版No.1169


 様々な事件や事故の実例が取り上げられ、それぞれ、もしも初期の段階で遺体を解剖して検査していれば、その後の悲劇を防げた可能性が高いことが解説されます。

 「解剖までして死因をはっきりさせたとしても死人が生き返るわけではないし」「遺族の気持ちを考えれば多少の疑念はあってもそっとしておいたほうが」、などといって済ませられる問題ではないことがはっきり分かります。

 なぜ、解剖もしないで、心不全だ、病死だ、事件性なしだ、ということになってしまうのでしょうか。いったい、どうしてこんな問題だらけの死因追求制度がまかり通っているのでしょう。そもそも、誰がどうやって死因を判断しているのでしょうか、この国では。


--------
一般の臨床医の先生に、初めて診た遺体の死因を判定させ、しかも彼らが死因がわからないと思っていても、警察の都合によって病死とする方向に医師が誘導されてしまう日本の制度が、おかしいのです。
--------
Kindle版No.818

--------
 解剖や検査がろくに行われていない上に、死亡診断書(死体検案書)にもまちがいが多いため、日本では死因統計もデタラメです。(中略)
日本の死因統計は、医師が記入した死因をそのまま集計しただけで、正確かどうかをチェックする仕組みがないのです。
 統計の重要性は、その数字に基づいて医療や公衆衛生や福祉の施策が決まり、税金が投入されることにあります。
--------
Kindle版No.985、1004

--------
日本では、理念なく行き当たりばったりに死因究明方法を独自に改変させてきた結果、「解剖や薬物検査を含む医学的な検査を最初に行ってから犯罪性の判断をする」という先進諸国のスタンダードとはかけ離れた死因究明方法を構築してしまい、迷宮から抜け出せなくなっているのです。
--------
Kindle版No.1593


 捜査などの面倒を避けたい警察が、初動捜査でよほど不審な点がなければ、遺体を調べる前に「事件性なし」という結論を先に出してしまい、それから(専門の解剖医ではなく)一般の臨床医に依頼して「病死」とした書類を出してもらう。どうせすぐに焼かれてしまうから「証拠」は残らない、遺族を含め誰からも非難されない。

 怠慢というより犯罪の隠蔽に加担しているも同然。何ともあきれた話ですが、では他のいわゆる先進諸国ではどうなっているのでしょう。


--------
先進諸国では、犯罪性の有る無しにかかわらず、医学的観点で異状と考えられる(明らかな病死とはいえない場合すべて)死体は解剖し、血液や尿などの試料は何年かの期間を決めて保管しておくように義務づけられているところが多いのです。(中略)
解剖率はスウェーデンが約89パーセント、オーストラリアが約54パーセント、英国が約46パーセントであるのに対して、日本は監察医制度を含めた全国平均で約11パーセント、監察医制度のない地域の全国平均は約5パーセント。薬毒物検査に至っては、どこの国でも異状死体が出た場合には数百~数千種類の薬物をスクリーニングするそうですが、日本には薬毒物専門の検査拠点すらありません。日本では、毒殺されてもまず見つからない、と言っても過言ではないのです。
--------
Kindle版No.539、1619

--------
 先進諸国では、各地域ごとに“死体のための総合病院”とでも呼ぶべき法医学研究所が設置され、死因が明らかでない遺体について解剖や各種検査などを行い、死因を究明しています。日本では、監察医制度がこのような拠点になる可能性があったものの、残念ながらそうなることはかないませんでした。現在、法医学研究所と呼べるような施設は、東京都監察医務院がそれらしいとはいえますが、他には、日本には一つもありません。
 さらに先進諸国には、解剖された遺体から採取された血液や尿などを用いて薬毒物検査を行う検査センターがありますが、日本にはこのようなセンターもありません。
--------
Kindle版No.1531


 比べてみると、その違いに呆然とします。では、こんないい加減な制度の下で働く法医学者はどんな扱いを受けているのか。


--------
現実に法医学者がどのような立場に置かれているかといえば、悲惨なものです。まず、収入は同年代の開業医の半分程度、医師のなかの最低ランクです。その上、3K職場の最たるものであるのに、それに対する補償がまったくないのです。
--------
Kindle版No.1417

--------
千葉大学法医学教室では千葉県全体、約600万人をカバーしていますが、解剖医は2人、従業員は非常勤を入れて7人、解剖台はたった1台でした。もちろん、感染症対策の完備した解剖室もありません。それに対してビクトリア州メルボルンの法医学研究所では、千葉県より少ない約500万人をカバーしていますが、常勤・非常勤を含めて解剖医は12名、従業員は150名程度、解剖台は12台もあります。
--------
Kindle版No.1733


 次第に個人的グチの色合いが増してきたような印象もありますが、まあ、いずれにせよ深刻な社会問題だということが分かります。個人的には「遺体を解剖しないことで多くの虐待が見逃されている」という指摘が特に響きました。


--------
 犯罪性があろうがなかろうが、検死する医師が医学的に死因がわからず、異状死と判断する場合はすべて、法医学研究所のような専門機関に持ち込み、医師が主体となった医学的死因究明が行われ、一方では警察など捜査機関は死亡までの経緯について必要な調査を行い、相互の対等な連携の下で死因を究明し、それを公益に役立てる、遺族に知らせる。こんなシンプルなことが、日本ではなぜできないのでしょうか?(中略)私たち国民の権利が守られ、安心して暮らせる国、死体が泣かない国に、日本はなるでしょうか?
--------
Kindle版No.2133


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

『台湾時刻表 2014.12』(日本鉄道研究団体連合会) [読書(教養)]

  「わかりやすい、使いやすい、日式、総天然色」
  「対号・非対号列車を路線別・発着順に掲載」
  「台鉄・高鉄を、あの「ゆがんだ地図」で完全再現」
  「台鉄時刻表がすごく読みづらいので、勝手に作った同人誌です」

 さて、春の台湾旅行も近づいてきたので「日式 台湾時刻表」の最新版を東方書店で購入しました。2014年12月号です。

 2014年(民國103年)11月18日のダイヤ改正に対応した、台湾の鉄道時刻表です。日本人が慣れ親しんできたJR時刻表にそっくりな体裁。あの「ゆがんだ地図」で表現された台湾島全体の路線図、その路線の上り下り毎に記載された索引ページ番号。該当するページを開けば、路線別・発着順に整理された列車毎の各駅への発着時刻が整然と表になっています。的確な色分けにより、視覚的把握も容易。すばらしい。

 なお、時刻表自体には日本語は使われていないので、台湾の読者にとっても有用ではないかと思います。

 特集は「員林駅高架化完成」「台北捷運松山線開業」です。他にも以下のような情報が掲載されています。

 台湾の休日カレンダー、台北および高雄のMRT(地下鉄)路線図、台北駅構内図およびのりば案内図、台湾鉄路管理局営業案内、主な車両の席番配置図、列車変成のご案内、乗車券購入メモ(言葉が通じなくても、必要事項を書き込んで窓口で見せるだけで切符を購入できる書式)。さらには「日台直行便(航空便)」の一覧表も付いています。

 というわけで、日本人が台湾で鉄道に乗るとき、持っていると安心できる一冊。もちろん掲載情報は定期的に更新されるので、旅行直前に最新版を手に入れることをお勧めします。


タグ:台湾
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ: