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『サイボーグ昆虫、フェロモンを追う』(神崎亮平) [読書(サイエンス)]

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カイコガの身体をロボットに置き換え、行動指令信号で動くロボットを考えた。これをサイボーグ昆虫とよんでいる。(中略)
 サイボーグ昆虫は、身体はロボットと置き換わった状態で、フェロモンや視覚の情報処理が脳で適切におこなわれ、カイコガと同様の匂い源探索をおこなう、生体と機械が融合したシステム(生体-機械融合システム)と見なすことができるだろう。
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単行本p.94、96

 フェロモン源を探索するカイコガは、環境に適応するためにリアルタイムに脳出力を調整している。その機能は、カイコガが「操縦」するロボットでも実現されるだろうか。昆虫を使って脳のしくみを理解する、さらには脳をシミュレートする、という最先端の研究成果を紹介する一冊。単行本(岩波書店)出版は2014年7月です。


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 わたしたちは2000年頃から、ヒトよりもずっと少ないニューロンからできている昆虫の脳を使って、ニューロン1つ1つから脳のモデルをコンピュータ上につくることで、そのしくみが理解できないだろうかと考えて研究を進めてきた。(中略)
 このような研究は、脳のしくみを理解するばかりではなく、自然が進化を通してつくりあげた脳という情報処理装置を、どこまで人工的につくりあげることができるかというチャレンジでもある。
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単行本p.3


 コンピュータ上の仮想空間でニューロン1つ1つのレベルで精密にシミュレートした仮想脳を構築し、それがロボットを介して環境と相互作用する様子を観察する。脳のしくみを解き明かすためのアプローチとしてそのような手法が検討されていますが、人間の脳は複雑すぎて、現在のコンピュータでは完全なリアルタイムシミュレーションは不可能。

 そこで著者は、人間と比べるとニューロン数がずっと少ない昆虫を用いて、それを目指しています。

 まず、カイコガのフェロモン源探索の様子を観察し、続いてカイコガをロボットに搭載し、それを「操縦」させる実験を行います。しかも、意地の悪いことにロボットにわざと「エラー」を起こさせるのです。


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昆虫操縦型ロボットは、カイコガの動きを反映して動くわけだから、カイコガの身体と置き換わったと考えてよい。また、カイコガの身体は、当たり前だが、脳からの命令で動く。
つまり、カイコガは自分の身体が脳からの命令通りに動いていない場合、この場合は異常に動く昆虫操縦型ロボットにあたるが、脳からの命令を変え、ロボットが命令通り動くように補正して、匂い源に向かわせたわけである。
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単行本p.45

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 カイコガの行動を調べることで匂い源探索の行動戦略が行動レベルで明らかになり、さらに、昆虫操縦型ロボットを使って、カイコガには視覚を利用して自分の動きを補正しながら匂い源探索をするという優れた適応能力のあることもわかってきた。
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単行本p.46


 カイコガは「操縦」しているロボットのエラーを「補正」して、フェロモン源に辿り着くことが出来るというのです。すごい。

 話はこれで終わりではありません。続いて、カイコガの神経系と生体センサ(触覚、複眼)だけを残して他の部分をすべて切除してしまい、神経系をロボットに直結させ、脳が直接ロボットを「自らの身体として」動かせるようにします。まじですか。


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カイコガの身体をロボットに置き換え、行動指令信号で動くロボットを考えた。これをサイボーグ昆虫とよんでいる。(中略)
 サイボーグ昆虫は、身体はロボットと置き換わった状態で、フェロモンや視覚の情報処理が脳で適切におこなわれ、カイコガと同様の匂い源探索をおこなう、生体と機械が融合したシステム(生体-機械融合システム)と見なすことができるだろう。
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単行本p.94、96

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昆虫操縦型ロボットでおこなったように、カイコガは自身の動きとロボットの動きが異なるときに補正をおこなうわけだが、サイボーグ昆虫を使うことによって、補正にともなって脳の出力信号が変化していく様子をリアルタイムに時間を追いながら計測できるのだ。
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単行本p.98


 サイボーグ昆虫となったカイコガ(の脳)も、やはりフェロモン源探索における適応機能を発揮します。そして今や、研究者はその様子をリアルタイムに計測できるわけです。

 こうなると、次のステップとして考えてしまうのは……。


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 さらには、1つ1つのニューロンの形を標準脳に挿入してつくりあげた神経回路モデルでの神経活動と、サイボーグ昆虫から直接計測したニューロンの神経活動を比較し、両者で違いがあった場合には、サイボーグ昆虫から計測した実際の神経活動に最もよく合うように神経回路モデルの結合強度をリアルタイムで変化させる。そうすることで、サイボーグ昆虫の脳内でおこっている活動の様子が、シミュレーションを通してリアルタイムで手にとるように見えてくるものと考えている。
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単行本p.98


 そう、コンピュータでカイコガの神経回路をシミュレートし、それでロボットを制御するのです。そして、サイボーグ昆虫との比較によりシミュレーションの精度を上げてゆく。やがてはカイコガの脳が仮想空間上に正確に再現され、そのしくみを自由に調べることが出来るようになるはず。

 というのは簡単ですが。


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標準脳にニューロンの3次元的な形も反映した大規模な神経回路モデルをつくっても、計算量が膨大なため、これまではリアルタイムでのシミュレーションはできなかった。(中略)
 脳は脳単体で機能するのではなく、時々刻々と変化する環境に対して、身体を介してリアルタイムに反応し、変化することで環境に適応していく。このリアルタイム性は脳がもつ重要な機能であり、たとえスーパーコンピュータを駆使してもリアルタイム性を実現できなければ、脳のしくみを解明することも、未知の脳機能を予測することも難しくなるだろう。
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単行本p.83


 残念、というより、なぜかほっとするわけですが、いえいえ技術の進歩を甘く見てはいけません。


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幸いなことに、われわれは2008年10月から「次世代生命体統合シミュレーションソフトウェアの研究開発」というプロジェクトに参加することができ、カイコガの脳の精密な神経回路モデルをニューロンレベルからつくり、これを「京」に実装して、脳機能をシミュレーションするという機会に恵まれた。(中略)
10万個程度のニューロンからなる昆虫(カイコガ)の脳であれば、現状の計算量でもなんとか、リアルタイム性が確保できる可能性がある。昆虫の嗅覚情報処理に限れば、さらにその可能性が増すことが報告されている。(中略)
 2014年4月現在1万個程度までのニューロンからなる神経回路であればリアルタイムで実行できる環境が整った。
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単行本p.83、84、85


 というわけで、いよいよ手の届くところまでやってきた「仮想空間における脳のリアルタイムシミュレーション」。それが昆虫で実現されたら、やがては人間についても同様の試みが行われることでしょう。


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では、現在のスーパーコンピュータを使うと、どれくらいの規模のニューロンからなる脳モデルならばリアルタイム性の実現が可能なのだろうか。それに答える1つの試算が、HPCI計画推進委員会(文科省)によっておこなわれ、「計算科学ロードマップ白書(2012)」として報告されている。(中略)
この委員会では、2030年頃にはこの計算量に達し、ヒトの脳規模の神経回路モデルでもリアルタイム性が達成されると予測している。
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単行本p.84


 仮想空間上でリアルタイムにシミュレートされる脳は、はたして自意識を持つのでしょうか。シンギュラリティは近い。

 というわけで、脳や神経系を精密にシミュレートすることで、その仕組みや働きを調べるという研究がどこまで実現されているかを生々しく教えてくれる一冊です。今後の進展が非常に気になります。


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