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『タンジブル』(鯨井可菜子) [読書(小説・詩)]

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春風にほどける糸の たんじぶる さふらん あるふれっど りんでん
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 家族、仕事、恋愛。身の回りにある意外な抒情を丁寧に見つけ出し、感情を真っ直ぐに表現した歌集。単行本(書肆侃侃房)出版は2013年5月、Kindle版配信は2015年1月です。


 日常生活のなかで、ふと「あ、これ叙情的」と思うことがありますが、その瞬間を逃さず短歌にしたような作品が印象的です。例えば、こんな感じ。

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しまむらの無き国道にひらきたりファッションセンターやまかわの春
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ぬばたまの夜道をゆけば菜の花のサラダが冷える春のコンビニ
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ジョンソン・エンド・ジョンソンたちが気迫もて白く並べる綿棒ケース
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阿佐ヶ谷の画家の家にて昼下がりファム・ファタールが茹でるそうめん
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ふと髪を撫でられる道 月面にぽつんと冷えるグランドピアノ
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 また、家族のことをよんだ作品もユーモラスで楽しめます。

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「信念をつらぬく」というタイトルの本逆さなり母の本棚
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出勤を見送る母は玄関に猫を抱えて猫の手をふる
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水底に眠れるごとき妹に猫は添いつつ いっぴき にひき
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 恋愛を扱った作品も数多く収録されています。

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これがハイスピードカメラで記録した好きだと思い込む瞬間です
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オレンジをむきオレンジにかじりつく誰を好きになってもかまわない
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好きだった君がわたしの着メロにしていた「世界ふしぎ発見!」
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6時、朝マック注文するときの店員さんのうでの毛 会いたい
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無神経ずるい最低不誠実ゆびをなめたらにんげんの味
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来なかったひとの名前をレジ横の〈空席待ち〉に書き足して去る
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あやまりたいし別れたいしラーメンにぶちまけているかやくの袋
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まるで死ぬふたりみたいだ胃薬を一緒に飲もうと言われて、もらう
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 しかし、個人的なお気に入りは、何と言っても仕事をうたった作品。きついしひどいし報われないし、抒情より怨念が先にきます。

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靴擦れで出社せる朝コピー機は紙が欲しいとひいひい泣けり
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渋々の答えのごとき圧をもて電気ポットに湯を吐かせおり
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生きているものに交じりてしんでいるものも居て一様に働く
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くらやみに浮かぶ画面よ千件の未読メールがわたしを責める
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従順なわれら憎みて地下鉄のエスカレーターに吹き下ろす風
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終電に抱きしめられて胸のうち暗きブロッコリーの生えゆく
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 もう、だんだん嫌になってきて、そろそろ限界。

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代休のうしろめたさが帰り際の羽田にかろき菓子を買わせて
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代休の前の徹夜と代休の後の徹夜に流星雨あれ
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ほがらかに「社畜!」と囃す友といて口角少し持ち上げている
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いいいいと蟬鳴き続け、もういいよほんといいけん辞めていいですか
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身支度をすがしく終えてさんざめく朝のテレビを消すような、死
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 それでも過ぎてゆく日々の生活。どこかヤケクソのような明るさと力強さ、そして苦いユーモアが見事です。

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めそめそと暮らせば部屋は蛾に好かれ桔梗は枯れて茄子は腐った
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ため息は月に濡れおりスプーンを曲げてばかりの人生である
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この夏に死なぬ約束コンビニのおくら納豆ねばねば蕎麦と
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今日食せしもの唯一の緑なる小松菜そうだがんばれ小松菜
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かっこよく生きる方法思いつめ深夜の無音ヤクルト一気
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この星の毛布はいい 西友で買ってきたマザーシップに眠る
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 というわけで、仕事や恋愛など日常生活のなかから生まれてくる喜怒哀楽の感情を、まっすぐに、力強く、全力投球してくるような歌集です。


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