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『瑞兆』(粕谷栄市) [読書(小説・詩)]

 「満ち足りて、女も眠りにおちる。女の一生のある一日は、そうして終わる。本当は何だったろう、あれは。夕べの天の瑞兆のようなものを、女は、もう覚えていない。/ つまり、この世のことは、一切が、やがて、何ものかの遠い夢になって終わるということなのである」
  (『瑞兆』より)

 思い起こせば、自分の一生は誰かの儚い夢のようなもの、それで一向に構わない。人生のあらゆる悲嘆を突き抜けた先にある静かな諦念を独特の言葉でとらえ、昔話風に書いた詩集。単行本(思潮社)出版は、2013年10月です。

 「この世は地獄ではないから、そんな夜があっても悪くないのだ。つまり、その夜は、何がめでたいかわからないほど、一切が、ぐるぐる廻る、めでたい夜だった。/ 本当にめでたいことは、人によっては腹を立てるほど、でたらめで、馬鹿馬鹿しいものだ。だから、その日が、どこかの浜辺で、何かに躓いたおれが、頭を打って、そのまま、死んだ日だとしても、一向、差支えはない」
  (『吉運』より)

 「何れにせよ、月並みに、一生を永い旅路と思えれば、道中で、何があってもおかしくない。そう考えれば、この世は、べつに捨てたものではない。たとえ、自分の女房が、芒の野原で出会った、正体の分からない女だったとしても、生涯を睦み合って暮らせれば、一向、構わないのだ」
  (『白狐』より)

 自分の一生が、たとえ誰かの夢だったとしても、それでいい、一向に構わない。下手すると、ただの「無責任な男の甘えた言いっぱなし」になってしまいかねない陳腐な無常観を、昔話風の独特な表現で、切々と胸に響かせてみせる。どうしてそんなことが出来るのか、何度読んでもよく分からない不思議な作品集です。

 「苦労ばかり多くて、夜毎、泣きながら眠る、運の悪い男が、一度だけ、その桶屋の夢を見たことがある。/ 彼は、青い浴衣の女房に背負われていて、鉢巻をしたまま、赤ん坊のように笑っていた。満月の夜の墓場のことで、あたりに、やたらに大小の桶が転がっていた。そのどの桶にも、墨で、大吉と書かれていたというのだ。」
  (『大吉』より)

 夜の墓場、あたりに転がっている桶。それだけなら怪談にしかならないところを、女房に背負われて、鉢巻、笑顔、そして大吉、という言葉がひとつひとつ降り積もって、控えめな喜ばしさが生まれてくる、それが、何だかよく分からないけれど、人生のすべての悲嘆をいい具合に相殺して、ちょうど、ゼロにしてくれる。そんなバランスが、どうにもこう、ぐっと来るんですよ。

 昔話風なので、動物が出てくる作品が多く、どれもお気に入りです。

 「ここまでで、分かる人には分かるだろう。これら一切は、おれの見た夢のなかのことなのだ。今夜は、満月で、町はずれの古びた狸の看板の店は閉まっている。/ 襤褸にくるまって、おれも狸たちも眠っている。考えれば、おれはその狸の一匹かも知れない。他ならぬこの夢も、本当は、その狸が見ているのかも知れないのだ。」

 「ほたるを、三匹、下さい。そういう客がくれば、彼女は、立ち上がって、桶の一つから、長い箸で、ほたるを挟んで、紙の袋に入れてくれるだろう。/ そして、言うのだ。うちのほたるは本物のほたるですよ。見て下さい。みんな、尻に小さい灯を持っていますが、昨夜まで、この町で生きていた人間の娘ですよ。/ それを、どんなやり方でほたるにしたかは、訊いてもいけないし、答えてもよくないらしい」
  (『ほたる』より)

 「さまざまの事情で、私も仕事がうまくゆかず、鬱屈して、家に閉じこもっていたのだ。医師は、私に、何やらむずかしい病名の診断をくだしていた。/ たぶん、そんなことから、あの気の毒な猪が、あやしい血の時間に、私を頼ってくることがあったのだろう。/ その後、眠れない夜明け、何度も、私は、あの猪の夢を見た。彼は、廃れた工場の空き地で、汚れた紙幣を数えていた。そのときも、彼の細い目は、哀れに思えるほど真剣だったのだ」
  (『来訪』より)

 いずれ売られるのに何も言わずに眠る狸、蛍にされた娘、金策に駆け回る猪。どれも鮮やかなイメージです。深い哀しみをたたえながらも、どこかひょうきんな雰囲気も感じられ、生きてゆくってそういうもんかも知れないよなあ、たぬき。

 というわけで、夢のように過ぎ去って終わりが近づいた人生の、あれやこれやを静かに受け止める境地が昔話となってぽろぽろこぼれ落ちたような詩集です。自分の一生は失敗だった、無意味だった、という苦しみにもうどうしていいか分からないようなとき、そっと開いて読みたい一冊。

 「私は、もう、そこにいられなかった。乏しい家財を処分し、彼女の亡きがらを寺に葬った。私は、その家を離れた。再び、戻ったことはない。/ それから、永い年月が過ぎている。今となっては、一切が、遠い暗い夢である。だが、その暗い夢のどこかに、あの烏瓜の実るところがある。/ 不思議に、そこだけが明るい青い湖の舟の上から、指さして、彼女が、それを私に教えている。岸の松の木に絡んで、灯のように、烏瓜が連なっている。/ それは、私の願いである。若し、あの世があるとしたら、死んで、私の行くところは、その彼女のいる舟の上なのである」
  (『烏瓜』より) 


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