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『インフォメーション 情報技術の人類史』(ジェイムズ・グリック:著、楡井浩一:訳) [読書(サイエンス)]

 「新しい媒体は必ず、人間の思考の質を変容させる。長い目で見れば、歴史とは、情報がみずからの本質に目覚めていく物語だと言える」(単行本p.18)

 「物理学と情報理論は、どんどん一体化しつつある。(中略)“情報”の本質が理解された今、ビットこそ原初のもの、物質それ自体より根本的なものなのではないかと考えられている」(単行本p.15)

 シャノンの情報理論は私たちの世界観をどのように変えたのか。人類の文明史を「情報がみずからの本質に目覚めていく物語」として再構成してみせる大作。単行本(新潮社)出版は、2013年1月です。

 「シャノン以前の人々の世界観を、当時のままに思い描くのはむずかしい。純真で、無知で、見識を欠いた状態に戻ることなど、なかなかできるものではない」(単行本p.17)

 物理学、数学、生物学、言語学、社会学。それらすべての分野に共通する根源的な概念。確率、エントロピー、複雑性、そして計算可能性をつなぐキーとなるもの。

 「情報」を明瞭に定義し、定量化し、その本質を明らかにした「シャノンの情報理論」がどのような意義を持っていたのかを、様々なトピックを通じて明らかにする一冊です。その話題の広さは、思わずたじろいでしまうほど。

 全体は15の章から構成されています。

 まず第1章から第6章では、一見してばらばらでとりとめのない様々な話題が扱われます。トーキング・ドラム、文字の発明、辞書の編纂、バベッジの階差機関、エイダのアルゴリズム、電信網の発展。

 「通信の量と速さと距離にかけては、世界じゅうの誰も、文字を持たないアフリカ人の叩く太鼓をしのぐことができなかった」(単行本p.26)

 「書くことの永続性が、世界についての知識に、のちには知識についての知識に、骨組みを与えることを可能にした」(単行本p.49)

 「アルファベット順という方式は自然なものではない。これを用いる者は、情報を意味から切り離すことを強いられる。単語を文字の連なりと割り切って扱うこと、文字の配列を抽象的に見据えることを求められる」(単行本p.77)

 「バベッジの興味は数学の本流から遠ざかり、拡散しすぎているように見えたが、その多岐にわたる対象には、本人も同時代の誰も感知できない共通項が備わっていた。(中略)バベッジのほんとうの主題は、情報だった。メッセージを送ること、符号化すること、処理することだ」(単行本p.156)

 「エイダは、ひとつの過程、ひとそろいの規則、一連の操作を考案した。別の世紀であれば、これはアルゴリズム、のちにはコンピューター・プログラムと呼ばれただろうが、当時は周到な説明を要する概念だった。エイダのアルゴリズムの最も巧妙な点は、再帰的だったことだ。(中略)エイダは、解析機関をプログラミングしていた。機械が存在していなかったので、頭の中でプログラムを作っていた」(単行本p.151、153)

 個々の話題はそれだけでも興味深く、かなり詳しく書かれています。特に19世紀のバベッジとエイダについては、翻訳者が「このくだりだけでも一編の評伝として読めるほど」(単行本p.531)という通り、独立して本に出来るだけの圧巻の内容となっています。

 しかし、本書のキモは、これら一見してばらばらにも思える話題が、深いところで結びついているということが次第に明らかになってゆくところ。

 やたらと詩的で冗漫な決まり文句を多用するトーキング・ドラムの「言葉」が、冗長符号の一種であることが後から分かったり、エイダが思い描いた解析機関が後にチューリングマシンとつながったり、文字の発明により意味と符号が切り離されたことが後に形式論理体系の不完全性に到達したり。

 読み進むにつれて、こういう驚きが次々に見出され、読者を魅了します。やがて、これらの結びつきの背後にあるものが浮上してきて、ついにシャノンが登場。第7章と第8章でその意義を含めて紹介されるのが、有名なシャノンの情報理論なのです。

 「シャノンはメッセージの構造を浮かび上がらせるために、ブラウン運動から恒星系力学に至るまでの、確率過程を伴う物理的現象の方法論や言語に目を向けた」(単行本p.280)

 「シャノンは、わたしたちがこの等式をくり返し目にするだろうと言い切った。すなわち、この形式の量が「情報、選択、不確かさの物差しとして、情報理論において中心的な役割を果たす」と。確かにHは至るところにあり、メッセージのエントロピー、またはシャノンのエントロピー、または単純に情報という名で、慣例的に呼ばれている」(単行本p.284)

 「大半の数学的理論がゆっくりと形になっていったのに対し、シャノンの情報理論はギリシャ神話の女神アテーナーのごとく、いきなり完成形で登場した」(単行本p.290)

 「シャノンがどうやってそんな洞察を得たのか、どうやってそんなことを確信するようになったのかは知らない。だが、現代の通信理論のほぼすべてがあの研究成果を土台にしている」(単行本p.287)

 私事で恐縮ですが、私は大学で電子工学、特に通信工学を専攻した者です。情報工学の学生たちがチューリングやノイマンを崇めるように、私たちはマクスウェルやシャノンを崇めていました。

 だからもちろんシャノンの情報理論は真面目に勉強したわけですが、しかし、それは、例えば通信容量の上限を定めたり、符号化の効率を論じたりするための「実用的なツール」という印象が強く、シャノンがやった仕事がどれほど深い意義と影響力を持っていたのかは、本書を読むまで充分に理解していなかったというのが、正直なところ。先生、ごめん。今は反省してる。

 第9章から第14章では、様々な分野において情報理論が引き起こした変革が語られます。熱力学、心理学、生物学、数学、そして物理学や天文学まで。

 「これが心理学における“認知革命”と呼ばれる動きの始まりであり、この動きによって、心理学とコンピューター科学と哲学を合体させた“認知科学”という学問分野の基礎が固められた。この瞬間を振り返って、“情報的転回”と呼ぶ哲学者もいる」(単行本p.324)

 「シャノンの情報理論を生物学全体に移植することは不可能だった。しかし、それはたいした問題ではなかった。世間を揺るがすような転換、すなわちエネルギーについて考えることから情報について考えることへの転換が、すでに進行中だった。(中略)「従って、塩基の連鎖こそが、遺伝子情報を運搬する暗号であるように思われる」。もはやワトソンとクリックは、“暗号”や“情報”という用語を比喩的に使ってはいなかった」(単行本p.357、360)

 「今やわたしたちはドーキンスのおかげで、こう付け加えてもいい。生き残り、類縁のものを永続させ、有機体を選択的に利用する情報それ自体によって移行が成し遂げられた、と」(単行本p.399)

 文化的自己複製情報ミーム、統計熱力学、確率論、形式論理学、チューリングマシン、計算可能性、ゲーデルの不完全性定理、ランダム性、複雑系。「情報」の本質をさらに深く探求してゆく作業は、多くの研究分野に革命を起こしてゆきます。

 それから、蒸発するブラックホール、量子テレポーテーション、量子暗号、量子コンピューター、など量子情報理論から生まれた話題へと進み、ついには物質やエネルギーよりも本質的な実在としての情報、情報処理機関としての宇宙、という壮大なビジョンに到達するのです。

 「宇宙は誕生以来およそ十の百二十乗回の演算を実行してきたのではないか(中略)宇宙は現在、十の九十乗ビットほどの情報をかかえている。そして、計算を続けている」(単行本p.493、494)

 15章とエピローグでは、今日の情報革命が引き起こした様々な社会問題をあつかいます。情報過多、ウィキペディアの編集合戦、スパムメールの氾濫、などなど。

 というわけで、シャノンの情報理論を切り口に「時間軸、地理軸の極点から極点まで、さらには学術領域や次元の境界をも楽々と越えて、縦横無尽に展開する」(単行本p.530)めまいがするようなサイエンス本。

 ふだん何気なく使っている「情報」という概念が、どのようにして見出され、厳密に定義されたのか。それがなぜ多くの学問分野に多大なる影響を与えたのか。少し踏み込んで理解したい方にお勧めします。また、シャノンの業績の再評価、という観点からも読みごたえがあります。

 「二十世紀を生き抜いたシャノンの生涯は、時代の意味を明らかにする力となった。シャノンはほかの誰にも劣らぬ、情報時代の創始者だった」(単行本p.459)


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