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『やりたいことは二度寝だけ』(津村記久子) [読書(随筆)]

 「「わたしには、わたしが稼いだお金で、こうやって遊べてて、それが大事やと思う」と友人は、訥々と言った。何度も転職し、お金が足りないこともよくあった彼女の二十代だった。わたしは今でも、彼女のその言葉を思い出す。そして勇気を出す」(単行本p.252)

 津村記久子さん初のエッセイ集。単行本(講談社)出版は、2012年6月です。

 仕事をする人々を書いてきた作家、津村記久子さんが、日常のあれこれを、こう、脱力系というか、ゆるーい感じで、語ってくれるエッセイ集です。まあどうでもいいことなんだけど、みたいな前置きをつけて、地味な話題をぼそぼそ話しているというイメージなんですが、それが妙に可笑しい。

 「去年の晩秋だろうか、「予定の数だけ服がいる!」という女性誌のコピーを車内吊りで目にした時に、あまりの潔い断言っぷりに目を剥き、一緒にその社内吊りを目撃した友人も、それに対抗して、「予定がなければ全裸でいい!」とぶち上げたのだった」(単行本p.31)

 「築うん十年という家は、予想外のトラブルの宝庫である。このごろびっくりしたのは、一階に雨漏りがしていたことだ。(中略)子猫が落ちてきたこともある。おそらく、クリスマスツリーのライトを入れることによって、板を外せる部分が不安定になり、なにこれ、と見に来た猫が、誤って下の部屋に落下したのだろう。猫に落ちられた我々も我々だが、子猫は子猫で運が悪すぎる」(単行本p.97、98)

 「この原稿の主旨は、「以前、『賢い動物』というキーワードで検索をかけたら、『もっとも愚かな動物=人間』という記事がたくさん出てきた。せっかく『賢い動物』の話をしようとしているのに、なんで自分の話ばっかりするんだ、歪んだ自己愛だ、そういうところが嫌いなんだ人間の」となる予定だった。が、念の為検索し直してみたところ、ほとんどそんな記事は出てこなかったのである。これは一体どういう事態か。夢でも見たのか。人間に冤罪をなすりつけてまで嫌がろうとする自らの暗部を見たような気がした」(単行本p.38)

 文学ともビジネスとも無関係だけど、思わず失笑したり、妙にしみじみと共感したり、そんな話題が数多く収録されていて、最後まで同じ調子で楽しめます。作家生活についての細かい情報も多く、愛読者にとっては興味深いところ。

 「もっとなんか、絵になっているものじゃないのか「作家」って。わたしが小さい頃に思い描いていたそういう職業の人たちは、とにかく、会社の裏紙とガッテン知識でどうにかこうにか、ではなかった」(単行本p.246)

 「わたしは、二十一時に床について一時半ごろに起き、二時間小説を書いてまた四時半ごろに寝る、という生活をしている。(中略)時間帯によって書く文の種類を分けている。昼間勤める会社を出てから帰宅までにエッセイなどを手書きで書き、小説は夜中にパソコンで書く」(単行本p.95、106)

 「タイトルをつけるのが苦手だ。それまでは、書き上がった小説の今後について楽しく打ち合わせていた編集者とも、タイトル出しの段になると無言になってしまう。最長で三ヶ月かかったことがある」(単行本p.76)

 「うちの母親は、まったく読書ということをしないのだが、未だペンネームとタイトルに対してしつこく注文をしてくる」(単行本p.15)

 「小説は常に好きなもののことについて書いている。内容があまり幸せなものでなくても、その舞台設定は基本的に好きな場所だ。ショッピングモールが好きなので、小説に書いた」(単行本p.222)

 「小説の中に登場する、なすびカレーになすびをトッピングしていた男性は実在するのだが、その人は梅田大丸の地下の店で見かけた。主人公と同じように、わたしもその注文を聞いたときには耳を疑ったものだが、自分と同じぐらいの年の頃の男性が、にこにこと微笑みながら、なすび、なすび、と口にする様子に、なんとはなしに幸福な気持ちになったものだった」(単行本p.214)

 あとがきで「間断のない、さざなみのようなどうでもよさが押し寄せてくる校正作業であった」(単行本p.258)と著者自身がつぶやくようなエッセイ集なのですが、しかし、仕事の話になると気合が入ってきます。

 「どういう理由かはうまく説明できないのだが、わたしの中では『仕事の邪魔をする』という行為は、すさまじい悪徳として分類されている。(中略)なんというか、ある種外道にも劣る行為というか、とにかく絶対にやってはいけないことだ」(単行本p.241)

 「あまりに観念的な言い方になるけれども、働く、働くことができる、ということは、自分の生活にぶしつけに干渉してくる世間や世界と渡り合うための、唯一の手段なのだった」(単行本p.251)

 「夢を失ったことはとうにわかっている。しかし、そのことをうだうだと悔やんでいては、週末に友達と食事に行く楽しみさえ達成できなくなってしまう。わたしたちは、自分たちの定めた分相応を維持するために、どうしたって働くのである。やがてやってくる親や家や自分自身の不調を覚悟しながら」(単行本p.251)

 誠実に仕事をすること、真面目に働くこと。津村さんの小説には、その覚悟や敬虔さが書かれていると、個人的にはそう感じています。上に引用したような文章を読むと、しみじみ思うのです。やっぱりなあ、と。

 他にも色々な話題が登場しますが、意外なことに「二度寝」については書かれていません。理由は「あとがき」で説明されています。

 「ちなみに、いったんこのあとがきは二度寝について書いてみたのだが、あまりにも「悲願」という感じで、自分で読み返してひいたので没とした。「二度寝について読みたかったのに!」という方がいらっしゃったらすみません」(単行本p.260)

 というわけで、あまりに切実な「悲願」は別にして、さざなみのようなどうでもよさが押し寄せてくる、でも意外なことに、読んでいて噴き出したり、あまりの共感にめまいがしたり、津村さんの小説の該当箇所を読み直したいという謎の衝動が湧き起こったりする、そんなエッセイ集です。

 ちなみに、『ポテン生活』などで知られる木下晋也さんのイラストも、雰囲気ぴったりで素敵です。


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