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『まともな家の子供はいない』(津村記久子) [読書(小説・詩)]

 「親はみんなおかしい。人間は家庭を持つとあんなふうに道理が通らなくなるものなのだろうか。家というものは、まともではいられなくなるほどのものなのだろうか。それとも単なる加齢による精神的な劣化現象なのだろうか」(単行本P.139)

 「気分屋で無気力な父親、そして、おそらくほとんど何も考えずに、その父親のご機嫌取りに興じる母親と、周りに合わせることだけはうまい妹、その三者と一日じゅう一緒にいなければならない。考えるだけで、その辺の壁に頭をぶつけたくなる」(単行本P.7)

 家族が堪らなくうざい中学生のセキコには、夏休みを過ごすための場所がない。14歳女子が鬱屈と怒りをぶちまける長編。単行本(筑摩書房)出版は、2011年8月です。

 夏休み。学校はなく、塾も休み。図書館の席は眠っているオヤジどもに占拠され、小遣いが少ないので喫茶店にも入れない。家には絶対いたくない。14歳のセキコは苛立っています。

 「働いてないんだよ。すぐにやめちゃうんだよ。職場の誰それがいやだとか、仕事のレベルが低いとかっていってね。母親はそれを咎めない。あたしが文句言っても、あんたには関係ないって言う。妹は見て見ぬふり。あたし以外の皆は仲いい。くそったれって思ってるのはあたし一人」(単行本p.139)

 もう体面をとりつくろっている場合じゃないはずなのに、仲良し家庭ごっこを続けている家族が嫌で嫌で、いらつく、むかつく、うざい、それで家にいられないセキコ。

 「母親は、夫と争って家の中に波風を立てるぐらいなら、自分や娘達の感情を押えつけるほうを選んでいるようだったし、父親は、母親のそういう事なかれ主義につけこんでいた。そして気まぐれに、家族サービスと称してまずい料理を作ったり、風呂を洗ったり、勝手な模様替えをしたりする」(単行本p.65)

 「父親はあの子供に似ていると思う。誰かの気を引くために部屋を散らかし、走り回り、絶え間なくいらつかせる言葉をひねり出しながら、始終媚びたような目で年かさの者たちを窺っていたあの子供」(単行本p.66)

 仕事もしないで一日中家の中でぶらぶらし、顔を合わせると、勉強してるか、ボーイフレンドは出来たか、などと絡んでくる超うざい父親から逃れるため、友達の家に行ったり、尾行ゴッコに付き合ってみたり、休学中の生徒に塾の宿題ノートを届けたり、何かと用事を作って、振り切るように毎日をしのいでいるセキコ。苦しい、つらい。

 「何か行動することによって、一日が少しでも速く過ぎ去ればいいと考えていた。家の外で動いていれば、家族と過ごす時間が減るのは確かなのだ。何かましなことをしたら、本当に少しは、少しはいいことがあるかもしれないとも思った」(単行本P.32)

 しかし、友達の家庭もどこか変。不和、不倫、離婚。いい大人が何でまともな家庭を作ることすら出来ないんだ。どこにいっても、むかつくことばかり。逃げ場はなく、逃げる自由もない、それが14歳。

 「あんな両親だとわかっていたら、わたしだって生まれてこなかった。どうして精子は、着床する子宮を選べないのか、そもそも、湧き出る陰嚢を選べないのか。生まれられたらそれでいいのか? 着床できたらそれでいいのか? その後の災難はどうでもいいのか? 浅ましい。本能なんて」(単行本p.98)

 「ふと、世の中に自分を受容するものが何もないような感覚に陥るが、それは気色悪い自己愛的な考えだと、頭を振ってやり過ごす」(単行本p.10)

 「自分はこんなことで自罰的になっているのに、あの父親にはそういう感情はないのか、そしてそれを許し続ける母親はなんなのか、さらにそんな状態を受容している妹はどういうつもりなんだ、と家族への怒りに収斂してゆく。きりがない」(単行本p.16)

 「頭を抱えて搔き毟りながら、セキコは、自分の胸の底に溜まっている汚い色の粘液のようなものの名前を探す。気分の悪いもの。しっくりこないもの。どこまでもこけにされていると感じるもの」(単行本p.126)

 読んでいる読者だって、昔のことを思い出して、頭を抱えて搔き毟りたくなります。あの、きりがない、思春期の鬱屈。家族うざい、学校むかつく、みんな死ね、こんな世界ありえない、ふざけてる。吐き出したくても、どうすればいいのか分からない怒り。すべてリアルに書かれています。でも、精子にまで八つ当たりするかー。

 「金を持っていない、金を稼いでいないということの無力感を覚える。自分は母親のことを、働かない夫を切るに切れず、崩れかけの家庭を家族愛という妄想で繋ぎとめている哀れな女だと馬鹿にしているけれども、それでも絶対的にあの人のほうが上なのだ、と思う」(単行本p.80)

 働いて家族の生活費を稼いでいる母親には決して敵わない。仕事をすることでしか自由は手に入れられない。男子が中二病的空想に逃げているころ、女子はもう生きるための覚悟を迫られています。津村さんが書いてきた仕事小説の原点がここにあるようにも思えます。

 最後にセキコは母親と正面衝突するのですが、やっぱり仕事して家計を支えている大人には歯が立たず、完敗を喫することに。

 頑張れセキコ。いつか自分で金を稼いで生活できるようになる。たとえパワハラで心を病み、過労で顔色が緑になっても、自由と居場所は手に入る。そんな日がやってくるから、とにかく今をしのいで、生きてゆけ。

 併録されている短編『サバイブ』は、不倫をしている男女それぞれの娘の視点から語られる話。親の不実に、若い男(の女性に対する失礼きわまりない態度)に、怒りと屈託をつのらせる二人。

 「自分の中に溜め込まれていた悪意に、いつみは驚いた。それが、激しい感情の爆発ではなく、ほとんど垂れ流すような緩やかさで発露したことにも、いつみは自分でぞっとした」(単行本p.212)

 「長くは続かない。 沙和子は、顔を空に向けて、陽の眩しさを厭うように目をぎゅっとつむった。 いつかもう少しましになる日が来る」(単行本p.220)

 それぞれにやり場のない感情を持て余す、年齢の異なる二人の女性。怒りをぶちまけてしまう中学生のいつみ、屈託を抱えたまま先に進む覚悟を固める大人の沙和子。その心情が細やかに書かれ、最後に二人が出会う一瞬に向けて進んでゆく感動作です。


タグ:津村記久子
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