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『眠れる旅人』(池井昌樹) [読書(小説・詩)]

 「カニはおいしい/カニはおいしいことを/カニはしらない/カニはよこばしり/カニはみをひそめ/カニはあぶくをふいている/カニだって/いのちはおしい/だれだって/おいしいもんか」
  (『蟹』より)

 短く刻む、長く波打つ。ことばのリズムが読者をこの世ならぬあたりまで連れてゆく詩集。単行本(思潮社)出版は、2008年9月です。

 「よる たかく たかく はなびが あがる ぽんと ひらく そして しだれる しだれて きえる また たかく たかく はなびが あがる それを みあげる つまと むすこと つまも むすこも おもわない わたしの よぞらに はなびが あがる ぽんと ひらく そして しだれる しだれて きえる まっしろな 骨灰(まぐねしうむ)に みずを かけ はき きよめ たまえ」
  (『まぐねしうむ』より)

 短く刻んでくるひらがなの連打、驚くべきことばのリズムにうかうかと乗せられ、はたと気がついてみれば、どこかこの世ならぬところに立っている自分に気づく。そんな作品が並びます。

 「このよのものともおもわれぬ/つきがでている/かぜもある/ものみなははやちりいそぎ/まだこぬバスをまっている/このよの/いつもの/あさなのに/このよのものともおもわれぬ/つきをみあげる」
  (『間』より)

 「ないものはない わかっていても かえりたいまち あいたいひとら いまもこんなに いきているから かえれないまち あえないぼくが なにもしらずに まっているから」
  (『亡』より)

 リズムは個々の作品だけでなく、詩集全体にも脈打っています。ひらがなを多用する作品が続いたかと思うと、ふいに漢字の多い随筆調の文章で思い出が語られたり、それがしみじみ共感されたり、でも嘘だったりして、その鮮やかな変調に翻弄されます。

 「「揺籃」はそれは巨きな純喫茶だった。目を凝らしても奥行は遥か霞んで見えなかった。磨き込まれた木造の楼閣はいつも周囲を優しい飴色に映していた。地下地上併せて何万何億階楼になるのか計りも知れないその何階かの窓辺の席で、上京したての私は昼の休みの束の間に覚えたばかりの煙草を吹かし、好きでもない珈琲の香りに噎せながら、見知らぬ異郷の人並みを、海とも山とも知れぬ自らの行方を、不安と憧れに張り裂けそうな心抱えて凝視めていた」
  (『揺籃』より)

 「絶えず柄杓で水打たれる魚介に混じって、極稀に、親指ほどな人形(ひとがた)の見え隠れすることもあった。薄髭生やし傷負うたその裸形の人形は観念したように手を組み合わせ仰向いて、信じられないことだが、私たちは魚介に夢中で訝しむものは誰もなかった。あれは何だったのだろう」
  (『故園黄昏』より)

 短く刻むリズム、長く波打つリズム。繰り返されるうちに全体が音楽のように感じられてきて、読者だって調子に乗ってくるわけですが、そこですかさず膝の裏。

 「友がみなわれよりえらく見ゆる日よ/花を買ひ来て/妻としたしむ(啄木)/その妻は居ず」
  (『花影参 妻不在四十二夜』より)

 「氏の御逝去は我が国現代詩歌文学界に於ける極めて重大な損失でありシャンプーであり洗面器である。氏は生前幾多の輝かしい詩的虚栄の陰で家族を苦しめ隣人を困らせ横暴非道の限りを尽し、にも拘らず自らは不撓不屈の精神で悦び極め楽しみ極め、まこと己のためにのみある比類なく美しい畜生道を渾身で全うされた。我が国現代詩歌文学史上稀に見る兇悪と異形の成就。氏の突然の御逝去を御遺族の方々共々衷心より御慶び申し上げ奉る」
  (『弔辞』より)

 という具合に、様々なリズムと変化に振り回される感覚が心地よい、出来るだけ声に出して読みたい詩集です。

 「ちかごろわたしのおもうこと/だんだんだれかのかおににてくる/だんだんだれかにもどってゆく/わたしをとらえ/みぐるみはがし/さんざんもてあそんだあげく/やみへほうむりさったやつ/やつのあわれなまつろなら/やみのうわさにきいていた/あさのしごとのつかのまを/ひとりかがみにむかうたび/ちかごろいつもおもうこと/だんだんだれかのかおににてくる/だれかのまつろのあわれさが/だんだんほねみにしみてくる」
  (『闇の噂』より)


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