SSブログ

『風に舞いあがるビニールシート』(森絵都) [読書(小説・詩)]

 「人の命も、尊厳も、ささやかな幸福も、ビニールシートみたいに簡単に舞いあがり、もみくしゃになって飛ばされてゆくんだ」 難民救済に奔走していた元夫を失ったとき、彼女は一つの決断を下す。彼の想いを受け止め、風に舞いあがるビニールシートを少しでも減らすために・・・。

 UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)に勤務する女性の葛藤と決断を扱った表題作をはじめとする6篇を収録し、第135回直木賞を受賞した短篇集。単行本出版は2006年5月、私が読んだ文庫版は2009年04月に出版されています。

 誰にでも、自分にとって譲れない大切なものがある。しかし、そのために家族や社会生活を犠牲にすることが果たして正しいことだろうか。悩み苦しみながら、人生の決断を下す人々。その姿を活き活きと描いた短篇集です。

 どの作品も、読者を引き込む手口が素晴らしい。主人公が置かれている立場や特殊な職業をじっくり紹介しつつ読者の興味と共感を引き出し、主人公が抱えている切実な苦悩や葛藤に直面させる。

 自分ならどうするだろうか、と読者に考えさせておいて、不意に登場人物のイメージが一変するようなエピソードを投下。読者が、はっ、としている隙に事態を急スピードで進展させて心地よく翻弄。そして鮮やかな着地を決める。短篇のお手本のような見事な構成を堪能できます。

 仕事と結婚のどちらを選ぶか決断を迫られる『器を探して』、捨て犬保護のボランティア活動を続けるためにくたびれた酒場でホステスとして働く女性を描いた『犬の散歩』、国文のレポート作成を依頼するために伝説の代筆屋を探すうちに自分の本当の望みに気づく『守護神』。前半3篇も満足ゆく出来ばえなのですが、やはり素晴らしいのは後半。

 『鐘の音』では、仏像修復師の見習いである若者が、ある仏像に尋常でない執着心を抱く。この仏像を自分の思う完璧な姿に「復元」してやりたい。だが職人気質の親方は、不出来な部分も含めあくまで原状回復しか認めようとしない。思いつめた若者がとった行動とは。

 青春時代にありがちな傲慢さ、視野の狭さ、余裕のなさ、そういった青臭さを真正面から見つめた作品で、読者は息詰まるような緊迫感と、そして解放感を共に味わうことになります。

 『ジェネレーションX』では、主人公となる中年男性が、初対面の若者と一緒に顧客先に謝りにゆくことになる。移動中も携帯電話で私語を続ける若者の軽薄そうな態度に不快感を覚える主人公。だが、断片的に聞こえてくる会話に次第に惹かれてゆく。

 知らない人が携帯電話で会話しているのを聞いていると、一方の言葉しか聞こえないため会話の内容が微妙に分からず、妙に気になるということがありますが、これを巧みに使った作品です。事態が二転三転して、それまであくまで傍観者だった主人公が、若者に対して世代間の溝を超えた共感を持ち、事情に積極的に関わり合いになる腹を括る展開には胸が熱くなります。

 最後の『風に舞いあがるビニールシート』では、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)に勤務する女性が、難民救済に奔走する男と結婚する。しかし次第に二人の心は擦れ違ってゆき、ついに結婚生活は破綻。やがて彼が現地で殺されたという知らせを聞いたとき、彼女は男のことを本当は何も知らなかったことに気づく。彼はどんな人だったのか、彼はなぜ報われない仕事に人生を捧げたのか。それを探し求める彼女の行く手には、大きな人生の岐路が待っていた。

 さすが、と唸るしかない感動作です。深刻化する難民問題を正面から扱いながら、切ない恋愛小説を紡ぎ出す。絵空事にしないで、あるいは単なる書き割り的な背景として使うのではなく、かといって必要以上に深刻ぶったりもせず、あくまで恋愛小説として完成度の高い作品にしてしまう。その筆力には感心させられます。

 というわけで、どの短篇をとっても思わず引き込まれるであろう魅力あふれる作品ばかり。誰もが満足できる良質の短篇集です。

[収録作]

『器を探して』
『犬の散歩』
『守護神』
『鐘の音』
『ジェネレーションX』
『風に舞いあがるビニールシート』


タグ:森絵都
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ: