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『閉じこもるインターネット  グーグル・パーソナライズ・民主主義』(イーライ・パリサー) [読書(教養)]

 インターネットによる情報共有は、社会全体の民主化を大きく推進すると期待されてきた。しかし、現実はそうなっていない。私たちは自分が関心を持つ“パーソナライズ”された狭い情報領域に押し込められ、異なる意見や真に学ぶ機会からどんどん遠ざけられている。ネットの「パーソナライゼーション」が社会に与える影響を徹底的に論じた一冊。単行本(早川書房)出版は2012年02月です。

 2012年02月29日。総務省と経済産業省は、グーグル社に対し、同社の新プライバシーポリシーにおいて、法令遵守と利用者への明確な説明などの対応をするよう、文書で通知しました。

 これに対してグーグル社は、新ポリシーにより「GmailやYouTubeなどの利用履歴に基づいて検索結果をパーソナライズするなど、各種サービスのデータを連携させることで、よりユーザーにとって有益な情報が提供できる」と説明しています。

 政府はもっぱら個人情報保護の観点から問題視しているようですが、昨日(2012年03月01日)から施行されたグーグル社の新プライバシーポリシー、特にそれにより可能になる高度な「パーソナライズ」は、社会に対してはるかに深い影響を与える可能性があると云われています。

 同日、フェイスブックは新広告戦略を発表。「友人の好みや行動を反映した広告の出稿機会を増やす」(2012年03月02日付け日経新聞記事より)とのこと。

 どういうことなのでしょうか。ネットの世界で何が起きているのでしょうか。

 本書は、この問題について広く論じた一冊です。

 「ほとんどの人は検索エンジンを不偏だと考える。でも、そう思うのは、自分の主義主張へと少しずつ検索エンジンがすり寄っているからなのかもしれない。あなたのコンピューターのモニターはマジックミラーのようなものになりつつある。あなたがなにをクリックするのかが鏡の向こうからアルゴリズムに観測され、自分の興味関心を映すようになっているのだ」(単行本p.11-12)

 何を買い、何を調べ、何を見て、誰をフォローしたか、あなたがオンラインで取った行動が逐一データとして収集され、そこから人物プロファイルが作られ、それが裏で売買される。それに基づいて表示される広告が変わり、ニュースが選択され、考え方が近いコメントしか見えないように、ネットが「パーソナライズ」されてゆく。

 一瞬、それって便利、と思うのですが、よく考えるとかなり恐ろしい。むろんプライバシーや個人情報の問題もありますが、長期的にもっと影響が大きいのは、興味のない話題、自分と異なる意見を肯定するコメント、そういった「不快」な(ネットサービス事業者に利益をもたらさない)情報がどんどん見えなくなってゆくこと。

 これを著者は「フィルターバブル」と呼びます。

 「ひとつは、フィルターバブルにおいて我々は知っている(かつ賛同している)アイデアに囲まれてしまい、すでに持つ観念的な枠組みに対する自信が過剰になってしまう点だ。もうひとつは、学びたいと思うきっかけとなるものが環境から取りのぞかれてしまう点だ」(単行本p.105)

 「我々についてコードが知っていることが我々のメディア環境を作り、そのメディア環境が未来における我々の好みを形成する」(単行本p.284)

 ネットが一見「親切」に、実のところクリック数やアクセス時間を稼ぐことを目的に、利用者がパーソナライズされた空間、「フィルターバブル」で囲まれた領域しか認知できないようにすれば、ネットから得られる情報は自分が興味を持っているものだけ、見かける意見は自分の主張に近いものばかり、という状態となり、当然ながら視野は狭くなり、主張は先鋭化され、謙虚に学ぶ姿勢は失われてゆきます。

 極端な見解、過激化した主張、自分と異なる意見に全く耳を傾けようとしない人、どうにも偏った認識を「常識」あるいは「事実」と断じ、自分こそが「情報強者」と考えているらしい自信家。

 例えば、歴史問題にしても、放射能の危険性にしても、政治家の評価にしても、何かと上のような言動を見かけることが多くなっているような気がするのですが、もしかしたら誰もが「自分と同じ考え、自分の意見を肯定する情報」しか目にすることがないようなフィルターバブルに包まれているせいかも知れません。

 「インターネットの時代になっても事実をゆがめる力を政府が失うことはなかった。ただしやり方は変わった。ある種の言葉や意見を禁止するのではなく、キュレーションや文脈、情報の流れ、注意力の方向性などを操作する2次的な検閲が増えている」(単行本p.172)

 「結局のところ、民主主義が機能するためには(中略)我々が共同生活をしているこの世界について全体像を共有している必要がある。ほかの人々の暮らしやニーズ、望みなどに触れる必要がある。しかし、フィルターバブルはこの反対へと向かう」(単行本p.199)

 グーグルが検索結果をパーソナライズして自分の興味に合った情報だけを返し、フェイスブックは自分と意見が近い人へのリンクしか表示しないようになり、ヤフーでは人気の高いニュースだけが残り重要なニュースが短期間で消えてゆき、アマゾンが利用者一人一人の好みや生活水準を熟知し、そして利用者の行動情報を集めて作ったプロファイルを売買する企業がフィルターバブルを操作することで私たちの消費(に限らないかも知れない)行動を制御する。

 これらは個々の事象だけを見ればさほどの問題には感じられませんが、ネットがフィルターバブルの集合体となったとき、言論や社会や民主主義はどうなるのか。考えれば考えるほど、確かにそれは深刻な脅威だと感じられます。

 というわけで、この問題の全体像を知りたい方、ネット言説が何だか変なことになっているように感じている方、ブラウザの「クッキーや履歴を削除する」というオプションが何のためにあるのかよく分からない方、そしてインターネット黎明期の理想と熱気はまだ死んでないと信じる全ての方に、本書を一読することをお勧めします。


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