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『すごい家電 いちばん身近な最先端技術』(西田宗千佳) [読書(サイエンス)]


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家電はもはやあたりまえのもの、新しいテクノロジーとは無縁……、そんなふうに思っていないでしょうか。
 ――でも、違います。(中略)毎日なにげなく使っているあの家電もこの家電も、実は、おどろくほど高度な知恵とテクニックの組み合わせで成り立っているのです。
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新書版p.3


 テレビ、洗濯機、冷蔵庫、いわゆる電化製品の「三種の神器」が喧伝されてから半世紀。今やハイテクの固まりとなっている家電製品の驚くべきテクノロジーを、一般向けに分かりやすく解説してくれる一冊。新書版(講談社)出版は2015年12月、Kindle版配信は2015年12月です。


 主な家電製品を取り上げて、その基本的な仕組みから最新テクノロジーまで詳しく解説してくれます。知っているつもりで実はほとんど知らなかったその技術。具体的かつ詳細な点については、パナソニックの全面協力により、同社製品の仕組みを具体的に教えてくれるところも魅力的です。他社メーカーも、こういう形での宣伝をどしどし推進してほしいと思います。


 本書で取り上げられている家電は次の通り。

洗濯機、冷蔵庫、掃除機、電子レンジ、炊飯器、
テレビ、ビデオレコーダー/ブルーレイディスク、デジタルカメラ/ビデオカメラ、
エアコン、照明、電動シェーバー、マッサージチェア、トイレ、
電気給湯器(エコキュート)、電池、太陽電池、HEMS


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 家電にまつわる知識には、耳にしたとたんに「どうしても誰かに伝えたくなる」ものも少なくありません。本書ではそうした知識を「Trivia」として抽出し、強調表示しました。みなさんもぜひ、誰かに伝えてみてください。
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新書版p.4


とのことなので、私も誰かに伝えてみようと思います。


「冷蔵庫」より
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 炭化水素の一種であるブタンは、自然界に存在します。カセットコンロの中身として使われる、いわゆる「可燃性ガス」ですが、冷媒としての能力が高いことに加え、オゾン層にも影響を与えず、温室効果にも悪影響を与えにくい性質を備えています。欧米では日本に先行して利用が進んでいましたが、日本の冷蔵庫には1つの問題があり、なかなか普及しませんでした。
 日本特有のその問題、何だか想像がつくでしょうか?
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新書版p.34


「炊飯器」より
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 複数のIHユニットを積極的に使うメリットとして、ユニットの位置によって加熱する場所を変化させることで、内部のお湯の対流を制御して変えられることが挙げられます。パナソニックの炊飯器では、0.04秒単位で加熱位置を切り換えることで、沸騰する泡の発生位置を変えて対流を制御し、米がより釜の内部で激しく動くよう工夫しています。
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新書版p.88


「テレビ」より
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最新の4Kテレビでは、もはやハイビジョン放送やブルーレイディスクの映像でさえ、「解像度が足りない」状態です。超解像技術を使うことによって初めて、ハイビジョンの映像が本来もっている「正味の情報量」を出し切り、あたかも4倍の解像度をもつ映像であるかのように見せることが可能になるのです。(中略)
 この超解像技術は本来、テレビ用に開発されたものではありません。1960年代には、実は天文学や宇宙探査の分野で利用されていた技術なのです。
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新書版p.111、112


「照明」より
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 蛍光灯とは異なり、紫外線を発しないのもLEDの特徴です。蛍光灯は水銀に電子がぶつかる際に紫外線を出すため、そこに虫が集まりやすいという欠点をもっています。街灯などにLEDを使うことで、蛍光灯に比べて虫が集まりにくくなるメリットもあります。
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新書版p.184


「電動シェーバー」より
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 通常、60μm(0.06mm)の距離がないと、刃が皮膚を削ってしまいます。(中略)この刃は、平坦な板に穴があいている構造にはなっていません。穴の周囲の一方向だけを41μm(0.041mm)と薄くすることでヒゲの根本に潜り込みやすい構造とし、円周の残り部分は60μmの厚みをキープすることで、内刃が皮膚に接近しすぎて傷つけることを防止する形になっています。
 構造が複雑なぶん、製造はより困難を極めます。前述の通り、このフィニッシュ刃にはおよそ12mm×38mmの中に約1300個もの穴があけられているのですから、その大変さは容易に想像がつくでしょう。
 この刃のための金型は、加工用の切削工具で圧力をかけて作るのですが、そもそもその工具を作るために、きわめて微細な加工を正確に行う技術が必要です。
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新書版p.203、204


「マッサージチェア」より
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 実は、位置センサーが計測しているのは「肩」だけではありません。肩の位置から「その人がどのような体格をしているか」を判断した上で、座ったときの「お尻の位置」を判別し、こんどは圧力センサーを使って、椅子に腰かけたときにどこに圧力がかかっているかという情報と照合します。これから得られたデータを基に、もみ玉を動かす機構の位置を調整して、適切なマッサージを実現しているのです。(中略)
 現在の製品では、もみ玉は2000分の1秒単位で制御されており、動く範囲や位置などの微細な調整が行われています。(中略)現在のマッサージチェアは、ほとんど「ロボット」とよべる段階にまで進化しています。
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新書版p.213、214


 きりがないのでこのくらいにしておきますが、とにかく細部に至るまで執拗なこだわりを持って開発されていることに驚かされます。ここまで徹底する日本のものづくり。技術者として感動を覚えますが、でも、いったいそのこだわりのためにどれだけの開発費と開発期間と製造コストを上乗せしているのか、もしやそれゆえにグローバル市場で日本の電化製品が競争力を失って凋落してしまったのではないのか、とも思います。



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『彼女がエスパーだったころ』(宮内悠介) [読書(ファンタジー・ミステリ・他)]


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「自分たちだけが、世界の本質を知ったような気がした。まるで、自分たちが変わることで、人類の精神がもっと高みへ到達できるような……。わたしたちは世界に関わり、世界に参加しているのだと、確かにそう思える感触があった」
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単行本p.221


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 まったく理不尽です、と駒井が小さな声で漏らした。
「理不尽とは?」
「体験してしまったがために、論理的な思考を強いられ、しかも答えが出ない。けれど、何かトリックがあったのだろうと深く考えずに済む人たちが、結局は、往々にして正しい」
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単行本p.58


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「共産主義と唯物論――曾祖父は、それを正しいことだと信じていた。その先に、新しい人類の姿があると考えていたのです。しかし、そうやって作られた世界には――」
 イェゴールは窓の外を見た。雨は雪に変わりつつあった。
 彼が静かにつづけた。
「――何もなかった」
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単行本p.230


 超常現象、疑似科学、代替医療……。精神世界に関わる人々の取材を続ける語り手は、次第に取材対象との距離感を喪失してゆく。霊性を見失った私たちの苦悩と倫理的葛藤を短いページ数に凝縮してのけた6篇を収録する連作短篇集。単行本(講談社)出版は2016年4月です。


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「わたしたちは生まれついて、自分以外の何者かに委ねる能力を持っている」
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単行本p.222


 百匹目の猿、スプーン曲げ、脳制御手術、水からの伝言、ホメオパシー、カルト。超常現象や疑似科学まわりの幅広い話題を通じて、人間の割り切れない部分を追求する短篇集です。ごく短いページ数で人々の苦悩や葛藤の断面を見せる、そして語りすぎない、その手際とバランスが素晴らしい。

 ライターである「わたし」が様々な人物への取材を通じて超越的なものに触れようとするという形式には、デビュー短篇集『盤上の夜』を思い出させるものがあり、原点回帰という印象が強まっています。


[収録作品]

『百匹目の火神』
『彼女がエスパーだったころ』
『ムイシュキンの脳髄』
『水神計画』
『薄ければ薄いほど』
『佛点』


『百匹目の火神』
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「わたしたちは、見てみたいと思ったのです。人類が火を覚えた、まさにその瞬間を」
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単行本p.13

 一匹の猿が火を使うことを覚えたとき、日本中のあちこちで猿たちが放火を始めた。たちまち起きる社会的パニック。これはシンクロニシティ(共時性)なのだろうか。関係者への取材により語り手が見出した真相とは。


『彼女がエスパーだったころ』
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「世界は酷薄なのに、そのくせ、腹の立つことに存外に優しい」
 だから、と千春は言う。
「自分を傷つけられるのは、結局のところ、自分しかいない」
 いつの間にか、千春の頬を涙が伝っていた。
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単行本p.80

 動画サイトに投稿されたスプーン曲げの映像により一躍「エスパー界のゆるキャラ」としての地位を確立した女性。彼女は夫の「事故死」に関わっているのだろうか。取材する語り手は彼女の不安定なパーソナリティに振り回されてゆく。


『ムイシュキンの脳髄』
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「かつてのロボトミーは、乱暴で大雑把であった」
「ええ」
「しかし、乱暴で大雑把だからこそ、守られたものがあったと言えるのだ」
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単行本p.103

 オーギトミー、それは脳の特定機能だけをピンポイントで破壊するマイクロ外科手術。怒り、抑鬱、反社会的衝動などを効率的に除去し、しかも副作用が少ない。それは福音なのか、それとも現代のロボトミーなのか。

 脳の人為操作はどこまで倫理的に許されるかという問題をめぐる葛藤が引き起こした殺人。『エクソダス症候群』における精神医療問題(精神薬の大量処方など)、『アメリカ最後の実験』に登場した「パンドラ」を思わせる音楽など、これまでの作品の要素が巧みに配置されているのも読み所。


『水神計画』
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「……そして黒木先生は考えました。水は、言葉を解する。そうであれば、習慣や概念が人から人へ伝わるように、水から水へ伝わるミームが存在するはずであると」
(中略)
「あのプロジェクトを立ち上げるにあたり、考えたことがありました。太平洋に一滴垂らすだけで、自動的に全世界の水を浄化する――そのような“言葉”とはなんであるのか」
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単行本p.132、152

 「ありがとう」と言葉をかけることで水を浄化できるという「水からの伝言」。ならば、水から水へと伝わる情報複製子ミームを利用して、SFでいうところのアイスナイン現象により原発事故による大量の汚染水を「言葉」で浄化できるのではないか。奇妙なプロジェクトを取材する語り手は、いつしか彼らに加担することになったが……。


『薄ければ薄いほど』
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「塩水であっても、この水は効くと言われればプラセボ効果は生まれます。そうであるなら、死を前にした患者の苦痛が軽減することもある。何より、このとき患者は否応なしに身をもって感じるのです。つまり、薄ければ薄いほど、霊性というものは高まっていくのだと」
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単行本p.185

 治療の見込みのない患者のターミナルケアを担当する施設、ホスピス。そこは、死に向けて精神的な準備をするための「最後に人が人らしく生きるための場所」なのか、それとも「緩慢な自殺幇助」なのか。そのホスピスでは、化学的にはただの塩水でしかないレメディが供給されていた。ただでさえ倫理的葛藤を抱えているホスピスで、ホメオパシーによる偽の安らぎを与えるのは欺瞞ではないだろうか。語り手は、外部との情報のやりとりを厳しく遮断しているその施設の内部取材を試みるが……。


『佛点』
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 つまるところ、ホロシロフが提示する価値観を上回る何かを、わたしたちは見出せずにいたのだった。かくいうわたし自身が、これでいいと心から思える生きかたをしていない。
 肩で風を切って歩く春の日々は、とうに過ぎ去った。
 わたしたちは、まさに、神なき国で霊性を見失っていたのだった。
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単行本p.214


 ライターを廃業した語り手は、かつて取材対象だったスプーン曲げの女性から相談を受ける。知人がアルコール依存症になり、治療のため自助グループに参加しているのだが、そのグループがどうもカルト臭いというのだ。だがカルトだとしても、本人が救われたと言っているのに、他人に引き離す権利があるのだろうか。

 論理、客観性、科学的世界観。決してそれだけでは生きることの出来ない私たちは今や、信仰も霊性も見失い、倫理的葛藤を前に立ちすくみ、疑似科学やカルトに翻弄されるばかり。静かな諦念とともに、連作は幕を下ろします。



タグ:宮内悠介
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『五〇億年の孤独 宇宙に生命を探す天文学者たち』(リー・ビリングズ、松井信彦:翻訳) [読書(サイエンス)]

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本書のためのリサーチをしているあいだに、彼らの大胆な望みの多くが打ち砕かれた。要となる望遠鏡の建造やミッションが延期ないし中止されて、夢の多くが永遠にとは言わないまでも何十年も先送りされたのだ。画期的な事実が明らかになる寸前で彼らの研究がつまずいた理由は、天体物理学に新たな限界が見つかったことではなかった。急速に推進していた地球外生命探しが屈した相手は、まったくもって人間くさい世俗的な障害――ぞんざいな組織運営、不安定で不十分な予算、けちくさい縄張り争い――だった。
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単行本p.18


 地球の他にも、生命が、さらには文明が、この宇宙には存在するのだろうか。それとも私たちはまったくの孤独なのか。その答えを求め続ける科学者たちの苦闘を描くサイエンス本。単行本(早川書房)出版は2016年3月、Kindle版配信は2016年5月です。


 地球外生命を探し求める科学者たちへのインタビューを中心とした一冊です。最初に紹介されるのは、電波その他の手段により地球外文明とのコンタクトを試みるSETI(地球外知的生命体探査)プロジェクトの現状。


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「物事が停滞して、いくつかの点でよからぬ状況にあります」と言うドレイクの声は低く重い。「近ごろはとにかく資金がありません。それに、私たちはみんな年を取ってきました。若者がたくさんやってきて参加したいと言うのですが、職がないことに気づきます。異星人からのメッセージを探す者を雇う会社などありません。世間は概してこの活動に大したメリットはないと思っているようです。関心が薄いのは、どんなささいな検出さえ本来どれほど意味があることなのか、わかっている人がほとんどいないからでしょう。私たちが孤独でないと明らかにするのがどれだけ価値のあることなのかを」。ドレイクは信じられないと言わんばかりに頭を振ると、ソファーに身を沈めた。
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単行本p.23


 なぜSETIは見捨てられつつあるのか。そこには限られた予算の獲得競争という生々しい現実がありました。


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政治的あるいは経済的な難題のほかにも、SETIが下火になった要因には科学が一役買ったなんとも皮肉な事情があった。系外惑星――太陽以外の恒星の周りを回る惑星――の発見と研究に特化した分野である(太陽)系外惑星天文学の興隆だ。(中略)半世紀にわたって成果のなかったSETIは、系外惑星ブームの蚊帳の外だった。研究者や研究所がこのブームに乗って衝撃的な発見をなせば、メディアでの知名度が上がり、天文学の主役に躍り出て、豊富な資金が流れ込む。地球外生命に関心がある者にとって、参入すべきはSETIではなく系外惑星天文学だった。地球に似た惑星の研究がホットなテーマになるにつれ、SETIは科学界でますます冷遇されていった。
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単行本p.28、29


 どうも地球外文明は当てにならないので、まずは他の恒星系に生命が存在するはっきりとした証拠を見つけよう、ということで、予算も人材もそちらに流れていったのです。背景にあったのは、系外惑星の発見が相次ぎ、さらには地球に似たハビタブルな惑星が次々と見つかる、という系外惑星天文学ブームでした。


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「特筆すべきは、大きさと質量が地球と同じどこかの惑星の発見の妥当性や時期ではありません。そうした惑星を一つ検出したところで、天体物理学も惑星科学もひっくり返りませんから。本当に特筆すべきは、そもそもそうした惑星の検出が信頼に足るという驚異の事実、この一片の塵の上の止まり木から私たちがこうした類いの発見の入口にまで達しているという事実なのです。これがどれほどの驚異かと言えば、蟻塚でほかのアリに混じって生きる一匹のアリが、太陽系の大きさをなんとか計算しおおせたことに相当します。私たちがするのは星からの光子を集めることだけ。そこから惑星の存在がわかり、そのすべてについて大きさや構造や未来を導き出せるのです。とんでもないことですよ」
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単行本p.95


 ではSETIから予算と人材を奪っていった系外惑星天文学の方では、物事は順調に進んだのでしょうか。地球のような惑星を発見し、そこに生命が存在する徴候(バイオシグニチャ)を検出するための望遠鏡、TPF(地球型惑星ファインダー)を建造する。ついに、この宇宙において私たちが孤独でないことが証明される。その夢は、今どうなっているのでしょうか。


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生命の棲む惑星がほかにも近くにあるという証拠ないし反証を挙げるための望遠鏡が、ともすると10年以内に手に入るかもしれない。カスティングや同業者は内心そう思っていた。ところが、一連の惨事がアメリカの運勢を傾け、意義のある進捗が停滞して事実上足踏み状態になった。9月11日のテロ攻撃、それを受けた破滅的な戦争と偏った連邦予算、住宅ローンバブルの崩壊、世界同時不況の始まり。これらもそれぞれ一役買ったとは言えるが、TPFの実現を阻んだ最大の要因は、減り続ける政府からの補助金を巡って競合する天文学コミュニティー内の縄張り争いだった。
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単行本p.211


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TPF一基に必要な額は天文学界の基準で言えば大金だが、国家や国際協力のレベルでは微々たるものだ。人類が孤独ではないことを確かめる機会のために必要な費用は50~100億ドルで、これは中東での戦争数週間分ほど、あるいはアメリカの国民が一年間にペットにつぎ込む額より少ない。天文学者はNASAに振り回され、NASAはひどい機能不全に陥っている議会に振り回されていた。(中略)生命を探すための宇宙望遠鏡を急ぎ造る計画は実質的に中止となり、あまたある無期限の技術開発計画の一つへと公式に格下げされた。つまり、あの壮大なビジョンは、予算を細々と付けられたどっちつかずの状態で死にゆくのである。
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単行本p.212、284


 宇宙に生命を見つけ「私たちは孤独なのか」という問いへの答えを出すことより、中東での殺し合いを数週間続ける方が優先されるという現実。では戦争が終われば、景気が上向けば、いつの日かまた観測衛星や宇宙望遠鏡が次々と打ち上げられる時代がやってくると期待してよいのでしょうか。


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ハッブルやほかのグレート・オブザーバトリーズ望遠鏡による黄金時代は幸運な例外であり、純粋な技術の発展と科学の進歩の産物というだけでなく、地政学的要素と経済の産物でもある。事の起こりは20世紀後半を形作った出来事、すなわちベビーブーム、冷戦、宇宙開発競争だ。このありえないような取り合わせに乗じて、天文学者は神話のような夢の時代をその手で築いたのだ。技術力の限界が地球という日常世界を飛び出すとともに、科学的発見の地平が既知の宇宙の縁に達した輝かしい時代を。そして私たちは今、もしかするとすべての終わりにいる。
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単行本p.266


 残念ながら、ハッブル宇宙望遠鏡の頃が「例外」なのであって、二度と再びやってこない神話のような時代だったというのです。しかも、さらに希望は先細りしてゆきます。これまた皮肉なことに、系外惑星探査のおかげもあって惑星が「ハビタブル」である条件についての知識が深まったことで、地球がどれほどたやすくその平衡状態から外れてしまうのか理解できるようになったのです。


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私たちに分別があるなら、石油や石炭や天然ガスは地球が本当に必要とするときに備えてまるまるとっておきたいところです。その量たるや、人類が地球の気温を10度上げて、ここ1億年での、もしかするともっと長い期間を通じての最高レベルを記録させてまだ余るほどですから。地球を始生代以来最も温暖にする可能性があるのです。そうなれば氷冠は融け、海面上昇によって陸地の20パーセントが失われるかもしれません。赤道付近は実質的に住めなくなります。現地の農作物の多くがすでに耐暑性の限界近くで生きているからです。世界人口の半数が移住を余儀なくされるかもしれません。人口は減少に転じ、高緯度のほうへ移動します。何十億という命が奪われかねません……
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単行本p.234


 こうして、話はSETIの基本である「ドレイクの方程式」に戻ってきます。最後に残された項目、技術文明の平均存続期間=L。1961年のあの有名なグリーンバンク会議において、ドレイク博士はLの値を「1万年」と仮定したのでした。それはどうやら過大な見積もりだったようです。

 SETIの探求はある意味で成功したといってもいいかも知れません。なぜ地球外文明とコンタクトできないのか。それは、技術文明はがっかりするほど短期間に自滅してしまうからだったのです。


 というわけで、(研究者が書いた)しばしば楽観的で高揚感のある類書と違い、本書のトーンは一貫して悲観的です。「私たちは孤独なのか」という問いへの答えを知ることのないまま滅びてゆく運命について、登場する科学者たちが様々な角度から語ります。一部の科学者は、悲痛な面持ちで、震える声で、あるいは汗を浮かべた笑顔で、祈りのような言葉を口にします。それが読者の胸を打つのです。


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「世界経済は20年、30年後に立ち直るかもしれません。気候変動による最悪の影響のいくつかを逆転させる、あるいは打ち消すそれなりの手段を見つけるかもしれません。いずれTPFを造って打ち上げ、それによる何らかの発見がきっかけで、私たちはこの惑星にもっと感謝するようになるかもしれません。時間はまだあると思います」
――――
単行本p.234


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「地球の仕組みを詳しく理解し、宇宙探査のための技術を極めることが、それに関わる誰にとっても実はきわめて良いことなのだと、誰かが説明しなければなりません。地球以外のどこかに生命を見つけることが、人類のためになるような、みずからを謙虚にさせる経験になりうることも、誰かが言わなければなりません」
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単行本p.267


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「私たちは数百万年かけた進化の産物ですが、無駄にしていい時間はありません。それが私が死から学んだことです」。声が乱れて震えたが、涙まじりながらも力強さを取り戻した。「死というもののおかげで気づきました。たいていの物事に価値はありません。ですよね? ほかに意味のあることはないんです。死はほかの何をも超越します。最近、無意味な物事へのこらえ性がなくなりました。そのための時間はありません。わかります?」
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単行本p.336



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『私的台湾食記帖』(内田真美) [読書(随筆)]


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台湾、特に台北での楽しみは、大きくはない街にぎゅっと中華八大料理が集まり、その日の気分で食を選べるところです。また、小吃と呼ばれる街角で食べられる屋台料理や、専門店が多くあるデザートを食べたり、芳しい台湾茶を楽しんだり、一日で何通りもの食を体験することが出来ます。
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単行本p.5


 子連れで台湾、ひたすら食べる。料理研究家が、台湾の美味を紹介してくれる料理専門の台湾ガイドブック。単行本(アノニマ・スタジオ)出版は2016年3月です。

 台湾旅行の前には、何やら昂る気持ちを抑えきれず、台湾旅行ガイドブックの最新版を色々と購入してしまうものですが、今回の訪台前に仕込んだガイドブックのうち最も役に立った一冊がこれ。

 類書と違うのは、まず著者が料理研究家ということで、ひたむきに「美味しい料理」を追求していること。取り上げられている場所はほぼ台北(永康街、雙連・中山エリアが中心)だけですが、ガイドブックにありがちな「日本語が通じるか」「観光客がアクセスしやすい場所にあるか」といった選定基準は無視、とにかく自分が食べて美味しかった店と料理を紹介してくれます。

 紹介文もガイドというよりは体験記のような感じで、臨場感たっぷりに書かれています。さすが料理研究家だけあって、味だけでなく「どのような素材から」「どのような場所で」作っているのか取材するところが面白い。


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やっと現物に出合えた胡椒餅は、見てみたかった作業風景と共にそこにありました。目の前で次々に包まれていく胡椒餅は、粗く叩かれて調味された豚肉餡を発酵した小麦粉の皮に包み、そこに小口切りにした葱をたっぷりとくっつけるようにして最後を包み込む。熱さもなんのその、タンドールのような貼り窯に貼り付けて焼いていき、底と上面がガリッとするくらいに香ばしく焼き上げられて、熱々を袋に入れて渡してくれます。
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単行本p.100


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娘とふたりで「美味しかった!」と連呼する私たちに、厨房にいらした高さんが挨拶をしてくださいました。(中略)見せていただいた厨房は、清潔で小回りが利き使いやすそうで、静かな微笑みの高さんらしさが詰まっていました。
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単行本p.76


 もう一つの特徴は、ありがちな「ばりばり働いている若い女性の週末台湾旅行」を想定しているのではなく、「台湾リピータの主婦が子供連れで何度も食べにゆく」というシチュエーションに特化していること。


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食事中、娘が食べている姿をお店の方が見に来てくださるなど、小さい子が楽しく食事をしているか、食べづらくないか、店主の桃さんがいつも全体を見渡していらっしゃるのも安心します。スタッフのみなさんがあまり入れ替わりがなく、いつ伺っても同じ方がいらっしゃるということも安心して再訪する理由のひとつです。美味しさはもちろんですが、子供連れでも気持ちよく美味しいものをいただけるというのは、本当に有難いことです。
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単行本p.15


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グルテンと野菜のひと口大の揚げ物は子供たちに大人気ですし、好物の龍髭菜の和え物があれば必ず買って帰ります。「南門點心坊」では、いろいろな種類が入った小さい饅頭を。蒸しておかずと一緒に食べたり、馬拉米羔はおやつにします。これで夕飯と朝ごはんの心配はなくなり、最後の時間をゆったりとした気持ちで楽しみます。
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単行本p.38


 「スタッフの入れ替わりがないので毎回安心」とか「(帰国直後の)夕飯と朝ごはんの心配をなくす」といった着眼点は、さすがだと思います。他にも、親子で泊まるホテルの選び方、鉄道の子供料金、レストランでの子供対応(子供用食器、調味料の調整など)といった「子連れ台湾リピーター」のための情報が充実しています。



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『那個鳥年代』(黃聖文) [読書(小説・詩)]

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那個年代看起來很鳥,但終究變得珍貴,因為我們永遠失去了……
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 何でも手に入り、何でも自由にできる、今の台湾で育つ子供たちを見ていると、自分が少年だった頃を、あの時代のことを思い出す。近所の駄菓子屋、憧れの中華商場、暗い街路、毛ジラミ、台湾語禁止令、解放大陸苦難同胞、総統死去……。1950年代から60年代の台湾の風景を郷愁をこめて描いたグラフィックノベル。単行本(商周出版)出版は2016年3月です。

 先週、台湾旅行中に購入した一冊です。日本が昭和30年代から40年代の頃、台湾で育った子供たちはどんな光景を見ていたのか。学校生活の様々な側面、家庭のあれこれ、『歩道橋の魔術師』(呉明益、天野健太郎:翻訳)の舞台としても知られる中華商場、そして政治と統治をめぐる様々な出来事。

 やはり絵の力というのは素晴らしい。実際にその時代を生きた人々が見たであろう光景を見ると、知識として知っているだけの台湾近現代史に命が吹き込まれるような印象です。写真よりも「臨場感」があります。異国の過去の風景から感じられる不思議な懐かしさ、そして恐ろしさ。

 絵柄はちょっと松本大洋さんを連想させるところもあります。ユーチューブでメイキング映像が公開されています。

  【那個鳥年代】五、六O年代的台灣生活回憶!
  https://www.youtube.com/watch?v=g2gXz3lU1Zc


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