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『ゆみに町ガイドブック』(西崎憲) [読書(小説・詩)]


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これはゆみに町に関するガイドブックであるし、空間的な広がりであるゆみに町のガイドブックであるだけでなく、時間的な広がりであるこの町についてのガイドでもある。そしてわたしの目的は単純だ。目的はあなたにゆみに町という町を知ってもらうことだ。そしてこの町を知った上で、わたしはあなたにこの町の住人になってもらいたいと思っている。もちろん物理的には難しいだろう。転居というものには時間と労力が必要だし、何よりゆみに町はとりあえずはこの記述のなかにしか存在しないからだ。
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単行本p.5


 ゆみに町のガイドブックを書こうとする作家、ゆみに町の担当編集者、裏ゆみに町らしき 「ディスティニーランド」にいるプーさん。それぞれにトラブルを抱えた三人が、実在と非実在のあわいを逃げ続ける。単行本(河出書房新社)出版は2011年11月です。


 ゆみに町についてのガイドブックを書こうとしている作家。彼女は、自分が体験した出来事や、自分の過去、去った恋人のことなど、様々なことを記述してゆきます。しかし、それらはいずれも断片的であり、全体としてまとまったストーリーや物語を構成する、といったことはありません。


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 わたしがいつの頃からか物語が鬱陶しいと思うようになったのは事実だ。一時期は完全に遠ざけようとしたこともあった。けれど、結局は物語から逃れられないこともわたしはよく知っている。書く仕事に関してだけ言っているのではない。わたしたちの生活は物語に支配されている。
(中略)
生や世界には意味などない、少なくとも目的などないことは自明ではないだろうか。だからこそ物語は価値を探すのだろう。聖杯は探されなくてはいけないのだろう。多くの物語の根幹にあるのは探求だった。わたしは探求などはあまりしたくなかった。目の前のものだけでもわたしの生活はすでに混みあっていた。目の前にあるものだけでも十分に素晴らしかった。
 そしてわたしは本を読むようにゆみに町を読みたいと思った。
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単行本p.16


 そんな作家の精神世界らしい架空の国「ディスティニーランド」。そこには、クリストファー・ロビンを探して逃亡を続けるプーさんがいました。


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 デスティニーランドにはキングがいる。
 ジャックがいる。
 そしてうさぎのハニーバニーがいる。
 ワイルドハニーバニーは純白で美しい。雪の白さを湛えた毛並み。そして邪だ。
 デスティニーランドは死の国だ。そこに温かみのあるものは何もない。
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単行本p.85


 それから、そうそう、ゆみに町には担当編集者がついています。過去も、現在も、実在そのものを自由に編集できるソフトを使って、ゆみに町を更新し続けています。ですが、どうやら仕事は苦手なようです。


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 町には時折異常な強度を持った記憶子の集合体が現れる。異常な記憶子の集合体は人間の形をとることもあれば、物や現象の形をとることもあった。(中略)
 前任者は講義をそんなふうにはじめた。それから動的記憶子が実際にどのように特異点を形成するか、どのように時間や空間に影響を与えるかを教えてくれた。多層化や共振といったことについて。
 講義はついで平準化ソフトウェアであるインテグラルの使い方に移った。
 インテグラルは何種類かの記憶子を創造できるし、変成させることも消去させることもできた。けれど簡単に扱えるものではなかった。
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単行本p.75


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 固着や軽度の特異点をインテグラルを使って自分で修正する場合は修正箇所の変化はごく穏やかで、あまり不自然なことは生じない。
 たとえば建物が足される場合も引かれる場合も、ちゃんと工事の期間が挟まれる。人間を足す場合も引く場合も、それなりの手順が見える形になる。しかし、特異点が重度になった場合には緊急性が生じるので、その修正は短期間でなされなければならない。
 大きな特異点の修正は危険な作業だった。修正作業が行われる際には、平準化調整室から日時が知らされた。そのあいだはコンピューターが影響を受けないように通電してはいけないことになっていた。
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単行本p.81


 この現実編集ソフトの機能は素晴らしいのですが、担当者のスキルが低いというか、全般的に仕事できない人だと、修復困難なトラブルを引き起こします。


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 デスティニーランドは少しずつゆみに町に洩れてきているのではないだろうか。キングやワイルドハニーバニーはもしかしたらこちらにいるのではないだろうか。
 プーさんには目的がある。それはクリストファー・ロビンに会うことだ。けれどプーさんはクリストファー・ロビンの姿を知らなかった。
(中略)
 いっぽうキングは人間に似ている。単一のものだ。キングは小柄な人間に似ている。
 けれどもキングは無だ。無なので理論的にはそのなかには世界のすべてが収容される。キングとクリストファー・ロビンは世界がはじまった時からここにいる。
 わたしは夢のなかで悲鳴を上げる。
 塀の向こうを走るプーさん。
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単行本p.107、108


 仕事できない人は、トラブルを隠し、積み重ね、拡大させ、手のつけようのないところまで見守ってから、他人に丸投げするものです。基本です。犬に「役に立たないな、まったく」と言われてしまった編集者は、とうとう「室長助けてください。わたしではもう無理です」と叫ぶことに。室長どこにいるんですか。


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 たぶん、時間あれ、と言った存在は、五次元に属するのだろう。四次元の存在が時間のなかを自由に行き来できるように、それは五つ目の何かのなかを自由に行き来できる。
 では、五つ目の何かとは何だろう。
 それは低次元の我々にもヒントが与えられているはずのものだ。
 ぼくはそれはあるとないだと思う。五次元のものたちは、あるとないのあいだを自由に往ったり来たりしているのだと思う。
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単行本p.103


 というわけで、といってもどういうわけかさっぱり分からないかと思いますが、ゆみに町の混乱と再平滑化のプロセスを描いた長篇小説です。小説に対して、豊かな物語性、きちんとした状況説明、ストーリーの一貫性、など求める読者にはお勧めできませんが、そんなこたあどうでもいいというかむしろ興ざめだからという方、文芸ムック『たべるのがおそい vol.1』に掲載された『日本のランチあるいは田舎の魔女』(西崎憲) に魅了された方、などにはぜひお勧めしたい素敵な一冊。



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